憧憬
治安のいい王都の表通りで特に何かがあるわけもなく、ほどなくして見慣れたお屋敷まで到着した。とっくに顔パス状態だから門番の人に軽く挨拶すればすぐに通してくれて、前庭を渡っている間に連絡がいくのか玄関扉をくぐれば毎回必ずメイドさんが迎えてくれる。この辺はさすがお貴族様って感じの対応で毎回感心してるけど、今日はそれに加えて意外なお出迎えが。
「――ウル様!」
「あれ、やっほーエリシェナ。珍しいね」
いつも通り応接室まで案内されようかというところで奥の方からパタパタと急ぎ足に駆け寄ってくるのはエリシェナ。いつもは大体ガイウスおじさんへの報告が終わるのを出待ちしてるから、屋敷に来てすぐに遭遇するのは初めてだったりする。たいてい腰巾着のように一緒にいるカイアスの姿がないことも珍しいね。
「それはもう、今度ウル様がいらした時は真っ先に知らせるよう、皆に言い含めていましたから!」
「わざわざそんなことしなくてもちゃんと会えるのに、なんでまた?」
普段から見た目に似合わないアグレッシブなお転婆さんではあるけど、いつも以上に目をらんらんと輝かせてグイグイ迫ってくるのは尋常じゃない。一応貴族のお嬢様でしょ? そんなに鼻息を荒くしてたらはしたないって叱られるよ?
「もう、ウル様ったら、あんな知らせを耳にしてじっとしていられるはずがないじゃないですか!」
けれどエリシェナは、取り繕うのももどかしいと言わんばかりな表情でそんなことを訴えてくる。うーん、ホントどうしたんだろう。
強いて言うならいつも話して聞かせてる誇張の入り混じった冒険譚で、場面を盛り上げるために焦らしてる時の様子によく似てるけど、前回来た時に引きを残すような話をした覚えはないんだよね。それに『知らせ』って言っても今まさにその報告をしに来た矢先で、その間はずっとレイベアから離れてたから連絡のしようが――いや、厳密に言えば無線魔伝機を使えばカラクリ経由でガイウスおじさんに連絡はできるけど、そもそもやった覚えもないし。
「ウル様は今回の依頼で遺跡を攻略されたのでしょう!? ぜひともそのお話を聞かせてくださいませ!」
思い当たるものがなくて本気で首をかしげているのに業を煮やしたのか、満面に期待を浮かべた冒険譚の催促が入る。なるほど、確かに物語好きというか英雄譚愛好家なエリシェナにとって垂涎物の話題だろう。危険なダンジョンを仲間と共に攻略して富と栄誉を得る系の話がいくつかお気に入りの中に入っていた覚えもある。こうなると残る疑問は一つ。
「……それ、これからガイウスおじさんに伝える内容のはずなんだけど、なんで知ってるの?」
「遺跡を攻略したなどという、場合によっては大きな権益となるような功績がお父様やお爺さまの耳に入らないはずがないじゃないですか! わたしですらすぐに知ることができたのですよ!」
なるほどなー。確かにかなりのお金になるって話だったし、技術革新に繋がるような遺産が出ることもあるってイルナばーちゃんから聞いたこともあるし、大貴族様が気にかけててもおかしくはないか。エリシェナに関しては絶対趣味が入ってるだろうけど。そしてガイウスおじさんにはもう知られてると。
「お話するのはやぶさかじゃないけど、先にガイウスおじさんに報告しないとだから今すぐはちょっと難しいかな?」
「そんな!? ウル様がいらっしゃるのを今か今かとお待ちしていたんですよ!?」
一応知ってるだろうけど先に済ませるべき用事があることを告げれば、大好物を前にお預けを食らったエリシェナが捨てられた子犬みたいな顔ですがってくる。うわぁ、当たり前のこと言ってるだけのはずなのに、なんかすっごい罪悪感が――
「お早いですね、お嬢様。私としたことが出遅れてしまいました」
「あ、ジュナスさん久しぶり」
「お久しぶりでございます、ウル様。さっそくで恐縮ですが、大旦那様から言伝を預かっております」
「ガイウスおじさんから?」
そこへまるで狙っていたかのようなタイミングで現れたジュナスさんが、首をかしげるボクに向かって伝言をそらんじる。
「『こちらへの報告は後でよい故、先にエリシェナの相手をしてやってくれ』とのことです」
「あれ、いいの?」
「今回のお話を耳にしてからこちら、お嬢様は心ここにあらずと言ったご様子でしたので」
しみじみとそう語る様子から察するに、エリシェナってばここ最近は相当ソワソワしてたらしい。まあ、それは今も暴露されたにもかかわらず、普段ならはしたないと恥ずかしがりそうなところ、話を聞くのに何の憂いもなくなったって大喜びしてるのを見れば割と簡単に想像がつく。それでいいのかとは思うけど、まあエリシェナらしいといえばらしいか。
「そういうことなら了解したよ。夕食までには戻らなきゃだから、それまでには顔出すってガイウスおじさんに伝えてもらえるかな?」
「承りました。では、ごゆるりとどうぞ」
そうして深々と腰を折るジュナスさんに見送られて、今すぐにでもとせがむエリシェナをなだめつつひとまず近くの談話室に向かう。大きなお屋敷だけあって、みんなで集まる用の部屋が無駄にいくつもあるんだよね。さすが大貴族。
「そういえばカイアスは? 一緒にいないのは珍しいね」
「カイアスでしたら、今の時間はちょうど剣術指南を受けているはずです」
その道すがら、フライングも辞さぬとばかりに催促しまくってくるエリシェナの気を逸らすために適当な話題を振る。そうすれば教育の行き届いたお嬢様は、自分の都合はわきに置いていちいちちゃんと答えてくれるのだ。
「なるほど、鍛錬を抜け出すわけにはいかないよね。エリシェナは何してたの?」
「わたしも剣術指南を受けていたところでしたよ。もっとも、カイアスと違って嗜み程度ですから、ウル様がいらした時はちょうど鍛錬を終えて着替えもすましたところでしたけれど」
「へぇ、エリシェナって剣も使えたんだ」
「お父様が『護身と適度の運動には最適』とおっしゃっていたので。わたしも剣を振るのは好きなんです。まるで自分が騎士様や臨険士にでもなったような気持ちになれますから。もちろん、本来なら比べるべくもないということはわかっていますけれど」
さすがヒーロー大好きお転婆お嬢様、ちょっとでも気分を味わうために剣術稽古とかもう、ね。
今度機会があったらリクスと二人にしてしばらく放置してみよう。最初はきっとリクスがガチガチに緊張して固まってるだろうけど、エリシェナの方から話を振られたら途端に打ち解けるに違いない。なんせ英雄に憧れて臨険士になったのがリクスなんだから、少しでも話ができたなら絶対意気投合してるはずだ。
「ホント、エリシェナって冒険とか英雄とか好きだよね。いっそ貴族やめて臨険士になろうとかは思わないの?」
「それはあり得ません」
だもんで冗談半分でそう言ってみたところ、思ったよりもずっと強い否定が返ってきて我知らずエリシェナを見つめた。
「貴族としてお父様の後を継ぐのは、わたしの生きる意味であり、誇りです。それをないがしろになんてできません」
きっぱりと言い切りながらボクのことを見返してくるその顔は、年頃のお嬢様には不釣り合いなほど、けれどエリシェナらしく凛としてきれいだと思った。
「……そういうことなら仕方ないね。せいぜいボクがお土産話を持ってきてあげることにするよ」
「本当ですか!? 楽しみにさせてもらいますね!」
いいものを見せてもらったお礼代わりに約束すれば、一瞬で元の期待に目を輝かせた年相応の笑顔に戻るエリシェナ。このギャップをわざとやってるならさすが貴族のご令嬢って褒められるんだろうけど、たぶんこれ素だろうからなぁ。まあ可愛いからよし。
「もっとも、エリシェナが気に入るような大冒険ができるかどうかは運だから、いつもご期待に沿えるとは限らないけどね」
「そんなことはあり得ませんよ! いつものお話もとても素敵ですし、本当に物語のような冒険をされているじゃありませんか! 今回だってお若くして遺跡の攻略なんてすごいことをなされて、、きっと臨険士としても――あ」
この辺りでちょうど目的地の談話室までたどり着いてたんだけど、その扉に手を掛けたところでエリシェナが不自然に声を途切れさせたから何とはなしに振り返る。
「どうしたの、エリシェナ?」
「いえ、お会いしたらぜひお聞きしたいことがあったことを思い出しまして」
そう言うと扉の前で立ち止まったエリシェナは、冒険譚をせがんでいた時とはまた別種の期待に満ちた表情を浮かべていた。
「ウル様、今回の件でランクの変動などございませんでしたか?」
「ああ、あったよ、今度からボクもシェリアもシルバーランクだってさ。よく分かったね」
「ああ、やはりですか! それはもう、遺跡の攻略を機に大きく昇格するというのは物語ではお決まりですから!」
両手のこぶしをグッと握りこむほど力強く断言するエリシェナ。うん、解せる。そういうテンプレ展開っていいよね! ただし面倒ごと系のは謹んで遠慮します!
「こうしてはいられません! 少しお父様に報告してまいりますので、しばらくお待ちください!」
そしてそれだけ言い置くと返事も待たずにくるりと踵を返し、パタパタと足早に立ち去って行った。大貴族のご令嬢らしくあくまでお上品な足運びだったけど、はたから見てるとそれがいつ崩れてもおかしくなさそうな速度だったことを考えたら、あれはエリシェナ的に全力疾走じゃないかな? そこまでして報告しなきゃならないほどボクのランクアップが重要とは思えないけど……。
「えーっと……待ってた方がいいかな?」
とりあえず肝心の相手がいなくなっちゃったから、その間にガイウスおじさんへの報告を済ませるかどうかを検討するために、ここまで影のように付き添ってくれていた案内役のメイドの人に尋ねてみる。
「あ、いえ、きっとあの件についてだと思いますので、おそらくすぐにお戻りになるかと。ですのでウル様におかれましては、このままお待ちいただければと思います」
すると返ってきたのは『すぐに戻ってくるだろう』との予想。あの件っていうのが気になるところだけど、わざわざ濁してることを追求するのもねぇ。まあエリシェナが戻ってきたら聞けばいいか。
「了解。それじゃ、その間にお茶の用意お願いできるかな?」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
そうして歓談の準備をお願いして待つことしばらく。パタパタと急ぎ足で駆け戻ってきたエリシェナは、扉をくぐると同時、ボクが何か言う前に開口一番こう宣言した。
「ウル様! 今度わたしの護衛を依頼させてください!」
「ん? いいけど」
いきなりだったけど別に嫌なわけもなく、護衛依頼くらいならと特に考えずに了承する。
けれど直後に詳しい話を聞いて、『少し早まったかな』と微妙に気まずい思いで頬を掻くハメになったのだった。