強者
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――オレは強くなんかない。
百年に一人の天才だなんてもてはやされ、図に乗っていたオレにそんな厳然とした事実を突きつけたのは、噂を聞いた不死体の討伐に無断で向かった時だった。
自分こそが新たな英雄なんだと愚かにも信じ込んだままの考えなしな行動の代償は、一時は生死を危ぶまれる重症、そして同門でありかけがえのない友であった二人との永遠の別れ。
オレ達の不在に感づいた師範が駆けつけてくれたおかげで、かろうじてオレだけが生き延びた。武門の医療室で目を覚ましたオレを一目見た師範は、激情を迸らせようとしていた口をつぐみ、ただ一言「忘れるな」とだけ言い置くに留めた。今思い返せば、常なら厳しい師範が叱責を思いとどまるほどにひどい顔をしていたのだろう。同時に、オレにとってはそれが一番の罰だということも、師範にはわかっていたに違いない。
それからは夜毎に二人の断末魔が何度も何度も頭に響き続け、ろくに休まることができなかった。うなされては飛び起き、その度に死んでしまいたいと思える絶望感が押し寄せ、それでも生きようと必死に抗い続ける身体が恨めしくなることすらあった。
どうにか傷が癒えてからは、これまで以上に死に物狂いで剣を振るった。正直なところ、こんな愚かで弱い自分が剣を振る資格があるのか疑いはした。
だがそこで生まれ育ったオレには、剣しかなかったから。
師範から死を許されなかったオレには、それしか残っていなかったから。
それだけがいつか英雄になろうと競い合いながら、オレの愚行でその入り口にすら立つことができなかった友への唯一の贖罪になる。そう信じるしかなかった。
だからこそ、やがて師範に「教えられることはない」と告げられた時は何を言われているのかがわからなかった。オレはまだ弱いままで、またあんな間違いを繰り返してしまうに違いないのに、師範は何を言っているのか、と。
まだ足りない、もっと強くなければ到底無理だ――そう訴えはしたが、師範は「これ以上ここにいても、お前は強くはなれない」と頑として聞かず、とうとう追い出されるようにして武門を離れることになった。「強くなりたければ、世界を感じろ」そんな師範の言葉を背に受けて。
途方に暮れるしかなかったオレは、とにもかくにも武門の慣例に倣って臨険士となった。そして、初めて外の世界の強さを――いや、正確にはその基準を目の当たりにした。
確かに、オレよりもはるかに強い、それこそ師範よりも強いんじゃないだろうかと思うような人もいた。だけど、大多数は弱いオレよりもさらに数段弱いのが当たり前で、最初はそれが心配で心配でならなかった。そこまで弱いのに、どうしてこんな危険しかない生業を続けていられるのか、面と向かって問いただすことすらあった。それが原因で刃傷沙汰にまで発展したことも数えきれない。
だけど、そうやって過ごすうちに少しずつ分かってきた。それが世界にとっての『普通』で、それでも生き残りようはいくらでもあるのだと。
そうしてやっと師範がオレを叩き出した理由が少しわかった気がした。けれど、納得することはできなかった。昨日馬鹿な話をして笑い合った相手が、今日一転してあの断末魔を響かせるかもしれないと思うと耐えられなかった。誰も彼もなんてのは望まない、せめてこんなオレのことを『仲間』だと笑って言ってくれる皆だけは。
だから必死になって習い覚えた技をさらに磨いた。剣を振ることしか能のないオレは、そうすることでしか仲間を守れないから。その上で慎重に慎重を重ね、少しでも危険性が高いと思えば回り道をしたり、時には引き返すことも躊躇わなかった。
そんな風にしてどうにか生き延びてきたオレは、あの日あいつに出会った。英雄になりたいと臆面もなく言ってのける、まるで昔の自分を見ているようなあいつ――リクス・ルーンに。
八つ当たりだとはわかっていた。それでも苛立ちを抑えることがどうしてもできなかった。いつかあいつがオレのような過ちを犯すと考えるとたまらなかった。
……けれどもそんなオレの身勝手は、あいつの傍らにいた虹色の髪の少女によって容赦の欠片もなく打ち砕かれた。
目の前の小柄な体躯が瞬時に盾ごと身体を伏せて視界が拓ける。目の前の腐導師までに遮る物はなく、そして目標は背後から襲撃したシェリアに気を取られてこちらのことは意識から外れている。
「――せあっ!」
未熟なオレは、武技の使用にどうしてもある種の気合を入れる必要がある。それでも慣れた呼吸で愛用の両手剣を振り抜き、屈んだウルを掠めて腐導師へ届かせる。どこを斬るべきなのかは、鍛え抜いた感覚が教えてくれる。あとは最適な瞬間に武技を――
――斬れるのか、本当に?
ほんの一瞬、頭の中で誰かがささやいたような気がした。
たったそれだけで、けれど確実にずれた。
最適の瞬間に、最大の力を。『竜剣ガラウィン』の術理はすべてそこに集約される。だからこそすべてを斬り裂けるが、それができなければただの剣技だ。
「くっ……すまん!」
「はいよー!」
ただ干乾びた死体を斬り抜けただけに終わった一撃に歯噛みする間もあればこそ、動きを阻害せんとばかりに次々と生える石柱をかわしながらまた距離をとり、そこへウルがどこか間の抜けた返事と共に危なげなく追随してくる。
「よーし、呼吸整ったら次ね。合図よろしく」
そして乱れ打たれる魔力攻撃を片手間のように端から迎撃しつつ、そうなんでもなことのように言い放つ。顔すら向けないその余裕あるたたずまいは、まるでただ何か簡単な作業に従事しているだけのようで。
「……なんでだ」
「うん?」
思わず漏れた呟きにチラリと視線だけで振り返るその仕種がなぜか妙に癇に障って、気づけば状況も忘れて声を荒げていた。
「これで何度目だと思ってるんだ!? いい加減諦めてくれ! オレを切り捨てろ!」
すでに十や二十では利かないほどの試行を重ねているが、未だにオレが『斬魔』に成功する兆しはない。そんな目のない可能性に賭けるよりは、他に取るべき手段があるはずだ。
それは誰か一人を残しての脱出。おそらくはそれがこの状況の最適解。腐導師の意識を逸らせば壁を操る隙が作れることは証明できている。ならば、誰か一人が攻撃を仕掛けると同時に入り口をこじ開けることさえできれば、残り二人はこの部屋から離脱できる可能性が高い。
オレかウルなら入り口を塞ぐ壁を壊せるだろう。そしてシェリアならそれに合わせて脱出することはできるはずだ。そのあとも探索が続く以上、斥候役は必須でもある。
そしてウルはどうやらこういった遺跡に造詣が深いらしい。その知見は大いに探索の補助となり得る。ならば剣を振るしか能がないオレこそが、二人を逃がす囮に最適だ。
こんな、弱いオレの奇跡的な一撃を期待するよりは、ずっと確実なんだ。
「やだね」
それはこいつにもわかっているだろうはずなのに、こちらを見もせずただの一言で切って捨てる。たった一人、嫌っている人間を見捨てるだけでいいはずなのに、いったい何故!?
「全員で生きて帰る。ボクは名前を賭けてそう誓ったんだ」
そんな心の叫びが聞こえたわけでもないだろうに、ただ淡々と事実だけを述べるように紡がれる言葉。
「だから悪いけど、たとえイルバスが死にたいって思ってても生きて帰ってもらうからね。それでも死にたければその後どうぞ」
自分が望むことは何が何でも成し遂げる――そんな揺るがない意思を否応なく感じさせる強い言霊。ただの一瞥すらくれることなく、こちらの斟酌なんて知ったことではないと全身で表しているかのような態度。
「まあ、イルバスがどうにかしてくれるなら楽ができるからってだけだし、諦めたいならそれでいいよ。巻き込まれないように立ち回ってくれたらそれだけでだいぶ助からうから、それだけよろしくね」
おまけのように、こちらには元から期待していないことを隠しもしない言いよう。
強い――どうしようもなくそう感じた。同時に、なぜか場違いな頼もしさを抱く自分がいる。それはあの武闘大会で叩きのめされた直後、言葉としてぶつけてしまった苛立ちに返ってきた『守る』という宣言にも感じたもの。
ここに至って間違いようがない。オレがどうしようもなく求めているもの。その形の一つを、ウルは持っている。単純な肉体の強さだけじゃない、師範や上位の臨険士みたいな、ごく一握りの人間が持つ強さを。
翻って、オレはどうだ? 昔の失敗に怯えたまま、必要とされてなお尻込みして役にも立てない。
……そうだ、怯えたままの人間が強いわけがない。だからオレは弱いままだったんだ。
なら、強くなるにはどうすればいい? 目の前には手本がいるんだ。『守る』ための兵器だと自分を示し、そのための武力を持っていて、絶望的な状況のはずなのにそれを貫こうとする強者。
まずは模倣だ。オレは何だ? 何ができる? 何をしなければならない?
「……斬る」
「うん?」
いぶかし気に振り返る虹色の頭も、今は意識の隅に映るだけ。
自分を定義しろ。オレは剣を振るしか能がない。ならば、オレは『剣』だ。『剣』ができるのもしなければならないのも斬ることだけだ。ならばそれ以外を考えるな。
「斬るさ、斬るんだ。ああ、斬ってやるとも!」
目の前の脅威を、払いきれなかった恐怖を、過去を振り返ってばかりだった自分を。
「まとめてぶった斬ってやるっ!!」
「お、おう。じゃあ、次行く?」
「やってやる!!」
どこか戸惑うような気圧されているような、奇妙なウルの様子は二、三どころか五の次だ。オレが今考えるべきなのは、ただ腐導師を斬ることだけ。
「なんか、覚醒した? ……まあいっか。じゃあ行くよ! シェリア!」
「応!」
飛び出す小さな背中を追って床を蹴る。相変わらず節操なしに種々の魔力攻撃が飛んでくるが、これまでのように頼れる強者がそれらを一切寄せ付けない。いや、そんなことはどうでもいい。ただ標的を斬ることだけを考えろ!
瞬く間に詰まる距離。それを阻むように屹立する石の柱。だが関係ない、どうせウルがどうとでもしてくれる。だから斬ることだけに集中しろ!
そして拓ける視界。目の前には虹色に煌く遅れ髪と飛びのくシェリア、そして意識を別に向けている標的の無防備な姿。
「――せあっ!」
何度目とも知れない光景を認識するよりも先に体が動く。もはや腕の一部と言ってもいいほど馴染んだ両手剣が、迸る気炎に合わせて最速最短で標的を捉え、『斬魔』を発動――
――斬れるのか、本当に?
――知るか、斬ってから考えろ!
またも頭の中で不安を囁く自分を、心の中で蹴り飛ばす。
そんな余計なことをしていたから、案の定またもやずれた。そのせいで実体のない存在を断ち切るには至らず、またもや無意味に――
いや、手応えが違う。ほんのわずか、だが確かに『斬った』。
その証拠のように、ただいままで怨念をまき散らしているだけだった腐導師が悲鳴のようなものを響かせた。
斬れた。斬れる。ならば、斬る!
そのまま二の剣に繋げようとして、しかしそれよりも前に腹に衝撃を受けて後ろへ吹き飛ばされた。原因はウルだ。もう一撃浴びせようとした自分と、これまで通りいったん距離をとろうとしたウル。手が届くよりも近い位置でそうなれば衝突するのが当然で、体格に勝るオレの方が押し負けたのは、まるで実力の差を表しているかのよう。
しかしそれが正解だったのは、直後にそれまでいた空間を石の柱が埋め尽くしたことが証明していた。あのまま衝動に任せていれば、良くて完全に拘束、悪ければ石柱に貫かれて骸になっていただろう。
「ちょ、なんか動き違ったけどどうしたのイルバス!?」
受け身を取って立ち上がれば、同じ場所まで飛びのいてきたウルが慌てたように聞いてくる。
「……すまん、勇み足だ。助かった」
「勇み足?」
「ほんの少しだが、斬れた。次は確実に斬る」
謝罪、そして朗報と決意を伝えれば、ウルは一瞬意表を突かれたかのような表情のあと、ニッと無邪気な笑みを浮かべた。
「なんだ、やっぱりやればできるんじゃん」
まるで分っていたとでも言わんばかりの顔に、なぜか束の間見とれた。
「あー、でも向こうも効くってわかっちゃったかなこれ? さっきより攻撃の密度上がってる」
そう言いながらウルが前を向いたことで我に返る。確かに、その言葉通り魔力攻撃が飛んでくる頻度が目に見えて上がっていた。合わせて腐導師を守る石柱の数も増し、振りまくだけだった怨念が明確にこちらへの敵意となって向けられているのを感じる。
「長引くとさらに面倒そうだなぁ……行ける?」
そう、ウルがどこか心配そうな様子で尋ねてくる。感想については同感だ。これ以上手傷を与えるだけでは警戒が増す一方だろう。当然、その分やりづらくなる。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「次が最後だ」
本来、『竜剣ガラウィン』は一刀必滅。もちろん技量によっては限度がある。始祖の英雄は悪魔も一刀で斬り滅ぼしたとされるが、オレにはそれほどの偉業はまだ到底無理だろう。
しかし、先ほどの手応えが教えてくれた。こいつくらいなら、一刀で滅ぼせる。
「そっか。じゃあ、気合入れないとね」
根拠も何もない断言に、しかしウルはこだわることなく頷いた。それは自身の実力から来る余裕か、それともオレのことを――
「行ける?」
「――合わせる!」
最後の確認に雑念を振り払い、得物を構え直すことで有言実行を示す。
「終わらせるよ!」
その言葉と同時に駆け出す背中を一切の遅滞なく追う。激しい魔力攻撃も、絶えることのない怨念も、いつしか意識の外にあった。
走る、構える、拓ける、振る。
「――せあっ!」
呼吸、囁き――無し、捉えた!
目には見えず、しかし『斬った』という確かな手応え。
そして振り抜いた直後、怨念は魂消るような断末魔となり意識を揺さぶる。
まるで何度も繰り返し夢に見た亡き友のそれと同じような、にもかかわらず不思議と恐ろしく感じない。
――少しは強くなれたのか。
そう思ったのを最後に、プツリと意識が途切れた。