憧憬
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「――五十八……五十九……六十! はい、ロックは終わりッス!」
「――ぶはぁっ! はぁ、はぁ……」
タウの合図でずっと身体を支えていた腕から力を抜き、そのままうつぶせで草の上に倒れ込んだ。ただ腕立ての要領でまっすぐに伸ばした身体をずっと支えているだけだったはずなのに、最後の方は全身が震えて姿勢を崩さないようにするのがやっとというありさまだ。
「……思った以上にきついんだな、これ」
「いやー、昨日から始めて普通に六十耐えられるなら上等ッスよ? おいらが初めてやった時なんか、十数えるだけで限界だったッス」
そう言ってくるタウは同じだけやっているはずなのに、まだ平気な顔をして姿勢を保っている。これじゃあオレが鍛えてないって言われるのも仕方ないなんて、しぶしぶながらも納得できてしまうわけだ。
「――っ! ――っ!」
「あー、ベール。無理しない方がいいッスよ?」
「無理なん――っあ!?」
さらに隣でだいぶ崩れた姿勢のまま、それでも顔を真っ赤にしながら続行しようと全身を震わせていたベールが崩れ落ちた。どうやらタウに言い返そうと口を開いたせいで、何とかこらえていた力が抜けたらしい。そのままオレと同じように突っ伏して動かないところをみれば、実際はかなりきつかったようだ。
「ベールが頑張ってるのはわかるけど、無理は禁物だよ? そうやって鍛えても逆効果になるらしいから」
「……」
せっかくだからと付き合って同じ鍛錬をしてくれているリクスさんが、負担なんて感じさせない心配げな口調でベールを諭したけど、それに対する返答はない。どうやら喋る気力もないらしい。実のところかなり無理をしてたんだろう。
少しして力が戻ってきたから体を起こして地面に座り直し、腕を回しながら未だにきれいな姿勢のままなタウとリクスさんをなんとなく眺めた。そのままどっちが長く姿勢を保っていられるのか競争になるのかなんて考えながら心の中で数を数え続けていたけれど、百五十くらいで同時に「よっ!」と掛け声一発腕を屈伸させると、その勢いで体を跳ねさせてスクッと立ち上がった。
「今日はこのくらいかな」
「ッスね。でも意外ッス。リクスさんもこの鍛え方知ってたなんて。おいらの親父は『猟師の秘伝だぞー』とか言ってたんッスけど」
「これ教えてくれたの、実はウルなんだよ。『これやっとけば大体の運動が楽になる』って言って」
「マジであの人何もんッスか……」
そうお互いに言いながら思い思いに腕をほぐしている姿からは年季の違いが感じられる。オレもあれくらいできるようになれば、リクスさんくらいには強くなれるんだろうか。
「――おーい、リクス! 煮立って来たぞー!」
「ああ、わかった、すぐ行く! じゃあ、おれは戻るから」
「うッス。ありがとうございやした!」
「ありがとうございました」
鍋のそばで番をしていたケレンさんの声に返事をして、料理の合間に様子見がてら鍛錬に付き合ってくれたリクスさんは戻っていった。その足取りはごくごく自然で、心配事なんてまるでないみたいな様子だ。
「……本当に、大丈夫なんスかね」
そんな後姿を見送っていたタウがポツリと呟いたから、自分と同じことを考えていたんだなって気づいた。
今はもう夕方。今日の分の採集を終わらせてリクスさんに稽古もつけてもらって、それで夕食までの間に鍛錬をしていたところだ。もうすぐ太陽も全部沈んで周りは真っ暗になるだろう。
なのに、『昼くらいには戻る』って言って遺跡に向かったシェリアさんやウルさん、イルバスさんの姿はない。絶対に何か問題が起こった――たぶん遺跡で罠にかかってしまった。
きっと誰もがそう思ってるはずの中、リクスさんはいつものように「暗くなるまでに少し稽古しようか」なんて言いだして、この人何言ってんだって思った瞬間「んじゃ、俺は今日の収穫を整理しとくな」ってケレンさんも採集した物の仕分けを初めたのだった。たまらず「ウルさん達のこと、大丈夫なのか?」って聞いたら、笑って「大丈夫だよ」と言われる始末。正直なところ、どういう神経してるんだろうって今も思う。
「聞けば、いいんじゃ、ないの」
そこへ声を出せるくらいにはなったらしいベールが切れ切れに言っきて、思わず振り返ってからタウと顔を見合わせた。
「いや、それができたら苦労しないっスよ」
「なんで、だよ。それぐらい、簡単だ、ろ」
「簡単って、ベール、お前なぁ……聞けるわけないだろ」
突っ伏したままどこか不満げにそんなことを言いだしたから、さすがのオレも呆れた。こいつ、ずっと思ってたけど周りから仲間外れにされてた口じゃないだろうか? タウも同じことを考えたのか、言葉で表しづらい顔で頬をかいている。
そんなオレ達から気まずい雰囲気を感じ取ったのか、ベールもそれ以上は何も言わず、オレとタウも聞かなかったことにしてそれぞれ鍛錬を続けた。だからリクスさんが夕食ができたって知らせてくれる頃にはすっかり忘れてたけど――
「なあ、ウルさん達、大丈夫なのか?」
そのせいで食事の途中でベールが前触れなく直球なことを聞いた時は止める暇もなかったし、危うく器を取り落とすところだった。タウなんてちょうど飲み込もうとした拍子だったのか盛大にむせている。
「大丈夫だよ」
けど、リクスさんはすぐにそう答えた。その顔はとても穏やかで、本当に一切心配なんかないって思ってるようにしか見えない。
「なんでそう言い切れるんだよ。遺跡ってゴールドランクの臨険士でも全滅することがあるんだろ? これだけ遅くなっても帰ってこないなら、やられちゃったんじゃないのか?」
それでもやっぱり納得できないんだろう。ベールはさらにそう問い詰めた。さすがにその言い方は怒らせても仕方ないものだけど、正直なところ同じことをずっと感じているせいか、ベールを止める機会を逃してしまう。
「ウルが言ったからね。『シェリアもイルバスも無事に連れ帰ってくる』って」
けど、リクスさんの答えは揺るぎなかった。
「だから、少し遅くなっても三人は帰ってくるよ。絶対にね」
「……そうかよ」
さすがにここまで断言されたら問い詰めるのも馬鹿らしくなったのか、ベールは口をへの字にしながらもおとなしく引き下がった。
「まあ、あいつは別格だから心配することはないぜ。それに、やると言ったことは何が何でもやり通すのがウルだ。しかもそのあたりは妙にわがままだからな。本気でどうしようもなくなったら、遺跡をぶっ壊してでも戻ってくるさ」
「いや、さすがにウルでもそこまでは――」
「無いって言いきれるか、リクス?」
「……ごめん、ちょっと自信ない」
そこに身を乗り出して主張するケレンさんと、それに対して苦笑いのリクスさん。なんていうか……ウルさんに対する二人の信頼がものすごく強いのがひしひしと伝わってくる。それもいろんな意味で。いくらなんでもさすがに遺跡をぶっ壊すなんて無理だと思うんだけど……。
一日にやることを終えたオレは、天幕の中で横になっていた。ウルさんとシェリアさんがいないことで夜番の組み合わせが変わって、リクスさんとタウの組と、ケレンさんとベール、そしてオレの組になった。今は先にリクスさんの組が外で番をしていて、オレ達は交代まで休むことになっている。
「……」
ケレンさんの寝息が聞こえてくる中、今のうちに休んでおかなきゃってわかっているのに、なかなか眠れずぼんやりと真新しさの残る天幕を見るともなしに見上げていた。
そんな状態で頭に浮かぶのは、夕食の後にあった『轟く咆哮』との会合だった。そこで二つのパーティが明日以降どう動くかが決まったんだけれど、『轟く咆哮』は朝になったら拠点番を依頼していたブロンズランクが報告を兼ねて先に帰還。残った顔ぶれが一度ケレンさんの案内で遺跡の場所を確認だけして、さらに一日だけ探索に出た三人を待って、それでも戻らなければ翌日に帰還することになった。
対して『暁の誓い』とオレ達は残りの採集品を集めつつ、品質が持つ間は野営を続けることに。もともと依頼の期限はないとはいえ、リクスさんもケレンさんもウルさんやシェリアさん、イルバスさんが帰って来るのを待つつもりなんだろう。
それが『轟く咆哮』の人達にもわかったようで、帰って来る保証はないって何度か言われていたけど、それでも笑って「絶対に帰って来るよ」と断言していたリクスさん。
「……いいよな」
「――何が?」
なんとなく呟いた言葉に予想外の返事があって一瞬硬直した。慌てて声のした方を見れば、隣で寝てると思っていたベールが顔だけこっちを向けていた。
「寝てたんじゃなかったのかよ」
「寝ようとしたら、あんたが妙に気になること言ったんじゃないか」
なぜか妙に責める口調だったけど、それはつまりこいつも今まで寝つけてなかったってことだよな? オレが悪いのか?
「で、何がいいんだよ」
「……何でもないからさっさと寝ろって」
「気になって寝れねーよ。さっさと言えっての」
なんなんだろうな、こいつの男顔負けの口の悪さ。初っ端にケレンさんが女って断言した時はまさかと思ったほどで、実は今でもちょっと疑わしいと思っている。
とはいえ、こっちもすぐには眠れそうにないから、暇つぶしがてら付き合ってやることにした。
「リクスさんが、『ウルが言ったから絶対無事だ』って言ったやつだよ」
「……それの何がいいんだよ」
「何って、そりゃ――」
聞き返されたことに答えようとして、なんて言葉にすればいいかわからなくなった。オレは何が『いい』と思ったんだろう?
仲間にあれだけ信頼されるウルさんの強さ……なんだかしっくりこない。あの人の強さはなんて言うか、訳が分からない。最初の稽古の時だって気がついたらタウが空を飛んでて、そして腹を抱えて痛みに耐えていた。避けるだけになってからも、絶対に当たったと思った攻撃がなぜか外れるばかりで、たぶんオレ達くらいだと比べることもできないくらい強いんだろうってぼんやり感じられるくらいだ。だからそもそも実感が持てない。
そんなウルさんをリクスさんが強く信頼していること……そんなの当たり前だろう。誰だって強い相手を心配するなんてしないだろうし、それを見て胸がうずくような気持になることもない。
「――何がいいんだ?」
「おい、自分で言っておいてどういうつもりなんだよ」
思わずそう漏らしたら、呆れといらだちの混ざった言葉が飛んできた。気持ちはわかる。オレももし逆だったら同じことを言ってると思う。
「いやまあそうなんだがそうじゃなくて――」
このままじゃ本当にオレが馬鹿みたいなままだから、何か言おうと必死に言葉を探して――
「――なんでリクスさんは、ウルさんのことをあんなに信じてるんだ?」
「仲間だからだろ?」
なぜか出てきた呟きに対してすぐさま返ってきた、言葉の端から『何言ってんだこいつ』なんて言いたげなベールの一言が、それでもなぜかそれにハッとさせられた気がした。
「そう……だよな。仲間だからだよな」
「……あんた、頭どうかした?」
そのあんまりな言い方に、なぜか腹も立たないオレは確かにどこかおかしくなったのかもしれない。でも、どういうわけかいやな気分でもない。なら、これでいいのかもしれない。
どこか不思議な気分に浸っていると、ベールが小さくあくびを漏らした。
「なんか、どうでもいい話のおかげで眠くなってきた。寝る、おやすみ」
それだけ言って目をつぶったかと思うと、しばらくして本当に寝息を立て始める。初めに聞いてきたのはそっちなのに、本当に勝手気ままな奴だな。
いつもならいらだちくらい感じそうなのに、今は不思議と気にならない。むしろ生まれ故郷で近所の子供がはしゃいでいるを見ているような気持にさえなる。
そんなどこか心地いい穏やかな気持ちでベールの寝顔を眺めていたら、ふいに眠気が込み上げて来た。ちょうどいいからそのまま目を閉じれば、気がついた時には見張りを交代する時間になっていた。起こしてくれたタウが言うには、『ちょっと起こすのが申し訳ないくらい穏やかな寝顔』だったらしい。
「じゃあ、見張り頼んだよ。ひょっとしたらウル達が帰って来るかもしれないからね」
そうどこか冗談めかすリクスさんに「任せてくれ」と精一杯胸を張り、なぜか高ぶる気持ちを抱えたまま夜を明かした。
その日からオレが憧れる臨険士の中に、リクスさんの姿が加わった。ゴールドランクやプラチナランクなんかよりずっと近いはずなのに、なぜだか遠く感じる先輩。それでも、まずはあの人みたいな臨険士を目指そうと思う。