争奪
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今日はいつもより早く目が覚めた。そのおかげかはわからないけれど、臨険士組合に着いた時には他のストーン連中はまだほとんどなくて、珍しく依頼掲示板の真ん前に陣取ることができた。この位置取りは大事だ。何せ同じストーンのやつはたくさんいる。依頼を受けるのは基本的に早い者勝ちなんだから、少しでもいい依頼を取るためにはどうしたって前の方が有利だ。依頼の数には限りがあるから、取りそこねたらまたごみ拾いくらいしか残らない。
念のため今ある依頼を確認してみたけれど、いつものように昨日の残りしかない。まあ組合の依頼は朝に新しいのが貼られるものだから、それも当たり前か。たまに大急ぎの依頼なんかは時間とか関係なく貼り出されるそうだけど、そういうのは大体高ランク向けだから自分達には関係がない。そりゃいつかは――なんて思いはするけれど。
そうしているうちに続々とストーンのやつが集まってきて、それぞれ知り合い同士で声を掛け合いながら横や後ろに並んでいった。まだ掲示板との間に空間はあるけれど、ある一線よりは誰も絶対に前に出ない。これはストーン連中の間で受け継がれてきた決まりごとの一つだ。登録したての頃に聞いた話じゃ、この決まりをわざと破ったやつは上の臨険士に目を付けられて、なかなかランクを上げてもらえなくなるらしい。実際にそれで二年くらいずっとストーンのままだったやつが昔いたとか。
本当かどうかはわからないけれど、やっとの思いで臨険士になれたっていうのに、ずっと下っ端のままだなんて馬鹿らしい。他のやつもそう思っているみたいで、どいつもこいつも飢えた獣みたいに目をぎらつかせているけれど、それまで臨険士って聞いて想像していたよりもずっとおとなしくて行儀がいい。
そんな感じで自分の後ろが昨日までにいい依頼を取れなかった連中であふれかえるころ、受付の人が二人、紙の束を持って立ち上がったことでがやがやとしていた周りが一気に静かになった。とうとう今日の依頼票の張り出しが始まるからだ。
「おはようございます、みなさん」
「もう少し待っててくださいね」
日によって人は違うけれど、二人ってこととストーン連中相手でもにこやかに挨拶をしてくれることはいつも変わらない。そのせいなのかどうか、魔物も尻尾を巻いて逃げ出すような上の臨険士連中も、受付の人たちにはすごく丁寧に話してるやつが多い気がする。時々一番強いのは受付の人なんじゃないかって思うこともあるほどだ。
なんとはなしにそんなことが頭をよぎる間にも、掲示板までやってきた受付の人たちはそれぞれ手にしている紙束――依頼票を手際よく貼っていく。それもこっちの事情をよく分かっているからか、ストーンランクの依頼票を優先してくれていた。
だからこそ、身を乗り出しそうになるのをこらえながら目を皿のようにして依頼票を読んでいく。周りの連中も同じだ。これも決まりごとの一つで、貼り出された時点で飛びつくのはご法度だ。たぶん、この時殺到したら受付の人が依頼票を貼れなくなるからだと思う。手を出していいのはその人たちが受付の奥に戻ってから。だからそれまでに狙うべき依頼を選ぶのが普通だ。
そうやって必死に今日の依頼を探していると、ふと目に引っかかったものがあった。
《内容:荷物持ちとしての同行
場所:オルドーバ丘陵
期間:特になし
報酬:日当二十ルミル
発行:臨険士パーティ『暁の誓い』、臨険士組合レイベア支部
補足:登録から三ヵ月以上経過、かつ他の荷物持ち依頼を経験済みの者に限る》
ストーン連中なら誰もが目の色を変えて飛びつく荷物持ちの募集依頼。相場の低い依頼の中でさらに一つ安い報酬だけど、依頼者のパーティ名と並んで組合の署名がある。さらには荷物持ちには珍しく条件が付いてるけれど、こういうのは確か、聞いた話じゃ将来有望な若い臨険士に経験を積ませるための依頼だとかいう話だったような。若いから見極めも甘いし、推薦をもらうには狙い目だって誰かが言ってた覚えがある。
そんな情報が頭の中に湧いてきたけど、そんなこと以上にその名前から目が離せなかった。
近頃の組合じゃよく話題に上がる『暁の誓い』っていうパーティ。カッパーランクになって半年と少しくらいなんていう、普通ならまず噂にもならないような若い臨険士だ。実際カッパーになるまではどこにでもいそうな平凡なパーティだったらしいけど、風向きが変わったのはそこに新人が一人加わってからだそうだ。
登録のその日から『孤狼の銃牙』っていうプラチナランク臨険士に目をかけられて、その推薦であっという間にルビージェムドなんておまけ付きでカッパーランクにのし上がった新人、人呼んで『虹髪』のウル。
たった半年程度の活動なのに、もういくつか逸話がくっついてる化け物だ。悪魔を町ごと跡形もなく消し飛ばしただの、城ほどある魔導兵器を一撃でぶっ壊しただの、千を超える小鬼の大軍をたった一人で皆殺しにしただの、『孤狼の銃牙』と正面から戦って負けなかっただの。
正直どれもバカバカしすぎて信じられないような噂話。その中に、確かこんなものもあったはず。
――悪名高き『胡蜂』を正面から返り討ちにした。
「おい、組合の名前が入ってる荷物持ちがあるぞ」
「ああ、わかってるって。いつも通り、誰が取っても恨みっこなしだぜ?」
そんな会話が耳に入ってはっと我に返った。どうやら同じ依頼に目を付けたやつがいるらしい。当然だ、少しストーンの間で揉まれてれば、狙い目の依頼だってことくらいは簡単にわかる。
だからこそ改めて気を引き締めた。条件は自分も満たしてる。重ねられている依頼票の数は三枚、そのうち一枚は絶対に、何が何でも取る。取らなきゃいけない。
「――それではみなさん、頑張ってくださいね」
そして今日の分の依頼票を貼り終えた受付の人は、臨戦態勢のストーン連中に一声かけると戻っていく。まだ、まだだ。依頼票の争奪戦は受付の戸が閉まる音が合図。今はその音を聞き逃さないように集中して、いつでも飛び出せるように構えなきゃいけない。
いつの間にか誰もが物音ひとつ立てずにその瞬間を待っていた。そんな中で足音がだんだん離れていって受付の扉が開いて――
パタンといういつも少し大きめに聞こえる音とほとんど同時、周りとそろって一斉に飛び出した。掲示板まではほんの数歩の距離で、狙う依頼票は偶然にも目の前、勝負は一瞬で決まる。
いくつか同じものを狙う手が伸びてくる中、すくい上げる様にして依頼票の下に手を滑り込ませた。一番上は誰もがまっさきに狙うから、同時に手を付けたらどっちが先かなんて言い争うのはよくあること。だから何枚かが重なっている依頼票なら、あえて下のやつから取るっていうだけの、けれど意外とバカにできない小技。
そしてつかんだって感じると同時にためらうことなく強く引いた。そうすれば鋲で留めてあった紙がビッと小さく裂ける音を置き土産に、大事な依頼票が手に残る。
取った――その確信があればこそ、気を抜かずに胸に抱え込むようにして確保する。一度誰かが手にした依頼票を横からかっさらうのは眉をしかめられるけど、なにせこの戦争状態だ。ばれやしないだろうと魔が刺すやつが稀に出てくることがあるって聞くから、用心するに越したことはない。
そこまでしてから声を上げながら押し合いへし合いするストーン連中をかき分けて、掲示板前の人垣から転がり出た。周りには同じようにいい依頼を取って抜け出してきた連中がいて、そのまま手にした依頼票を持って受付の方へ早足で向かうのに続く。
どんな依頼を取れたのか、知り合い同士笑顔で自慢し合っているのを横目に見ながら、釣られるように依頼票をひろげた。抱え込んだせいで少し寄ったしわを伸ばしながら内容を確かめれば、それは間違いなく『暁の誓い』の荷物持ち依頼。
「……『虹髪』」
狙いの依頼を取れた嬉しさと、もしあの噂が本当ならって思うのとで、どうにも顔がおかしな具合に歪んでしまう。いや、噂なんてあてにならないから、そうだったら単にわりのいい荷物持ちってだけなんだから。せっかくなれた臨険士なんだし、早いところ稼げるようになるなら喜ばないと損だ。
「この依頼、受けます」
そう自分に言い聞かせて気持ちを切り替えると、受付に登録証と依頼票を差し出した。
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「――見えてきたぜ、オルドーバ丘陵だ」
レイベアを出発してから四日目。そんなケレンの声が聞こえて、ちょうど頭の中でやってた魔導回路いじりも区切りがよかったからいったん中断すると、閉じていた眼を開いた。そして幌なんて上等なもののない完全無欠の荷馬車から、促された通りに進行方向を見る。そうすれば今は御者をやってるリクスの向こう側、何とか馬車が一台分通れるくらいな土がむきだしの道の先に、話の通り起伏に富んだ緑の大地が広がっていた。どうやら予定通り到着できたみたいだね。
……というか、丘陵って聞いて想像してたのとなんか違うんだけど。なだらかな丘の連なりに木が生い茂って森になってる感じかと思ってたのに、なんか普通に断崖絶壁があちこちに見えるんだけど。森もわりと密度高い感じで、場所によっちゃ結構暗そうな雰囲気だし。いやまあ確かに山くらいの高低差はないみたいだけどさ。
「思ってた以上に自然の雄大さを感じる場所だね」
「だな。やっぱ聞くだけじゃわからないこともっとぉ!?」
油断してるところにいきなりがくんと馬車が揺れたせいで、とっさにバランスを取ろうとするもあえなくひっくり返るケレン。ボクは姿勢制御に成功したから無事だったけど、今のは大きめの石にでも乗り上げたかな? お世辞にもいい状態の道なんて言えないもんね。
「ごめん! 大丈夫か!?」
「あーこら、前見て前見て!」
操縦ミスに慌てた様子で振り返ろうとするリクスの顔を強引に戻す。運転中のよそ見なんて絶対ダメだ。まったく、うちのリーダーは心配性なんだから。
「みんな大丈夫? 荷物とか落としてない?」
「平気よ」「大丈夫ッス!」「ね、寝てないからな!」「問題ないよ」
代わりに確認してあげれば、ひっくり返った時の打ちどころが悪かったのか後頭部を押さえて悶絶してるケレン以外から元気な応答が返ってきた。約一名だけ今のがいい目覚ましになったみたいだけど、まあそこはとやかく言うことでもないか。
ちなみになんか普通にリクスが御者やってるけど、主な移動手段にまだ馬車が現役のおかげか、臨険士の間じゃできて当然ってレベルの話らしい。だから上手い下手はあってもケレンとシェリアも無難にこなせるみたいで、リクスとケレンに至ってはストーンの後輩たちに基本を教えているほど。それを見た時はなるほどこうやって受け継がれていくのか―って感心したもんだ。
もちろん、ついでにボクも御者のやり方を教えてもらった。ちょっと後輩君たちに変な目で見られたけど、今まで機会がなかったんだから仕方ない。でもおかげで平地を普通に走らせることくらいはできるようになったんだよ!
まあそれはそれとして、ほどなくオルドーバ丘陵の手前までやってきたボクたちは、道の終わりにある空き地に馬車を止めた。
「よし。じゃあこの辺りを拠点にするから、天幕を張ろう」
「よし来た、任せてくれ!」
そしてリクスの声を合図に止まった直後の馬車から元気よく飛び降りたのは後輩君の一人で、名前はロック。いっちょ前に幅広剣を担いだわんぱく盛りな男の子だ。道すがら聞いた話じゃ何度か荷物持ちの経験があるようで、荷馬車の大半を占める物資の中から手早く天幕セットを引っ張り出すと、歳のわりに大きめな身体に担いでさっさと張りにいく。
「あ、待つッスよロック! おいらも手伝ってくるッス!」
それを追いかけるように飛び出していったのはタウっていう後輩君その二。親が猟師だったとのことで弓矢装備に加えて山刀を腰に吊るしてるんだけど、その下っ端口調も相まってか山賊の使いっぱしりに見えなくもないんだよね。まあ本人わりと純粋な性格っぽいし、どこかのスカ―フェイスと比べたら圧倒的に一般人って顔立ちだから悪い子じゃないと思う。
「それじゃあ、オレは使う荷物を降ろすから」
そうして残った最後の後輩君――ベールも荷台から降りて淡々とキャンプ用品の積み降ろしを始めた。短剣装備で三人の中じゃ一番華奢な体つきだけど、一つ一つ素早く確実に降ろしていくのを見るとかなりの慣れがうかがえる。ちなみに一人称が『オレ』な上にボーイッシュでシェリアよりはだいぶマシってくらいには不愛想だけど、今回同行することになった荷物持ちの中だと紅一点だったりする。出発初日にケレンが口説こうとして急所を蹴り上げられてたから間違いない。初めて会う人間の性別を当てさせたら百発百中のあれはもう特技とかの域を超えてると思うんだ。