ヨシの酔い潰れ
熱く燃え盛るは夏のこと。自分はプロに入ってからは怪我なくやれてんですが、ここんところはどうも怪しいんですね。それと言いますのも、肘やら肩やらがちぃとだけですが痛みやがるんです。きっと、過度の登板が、そのままそっくりツケを返しに来たんでしょうね。ええ、お察しの通り、我が球団は、夏場に入って先発投手が次々と倒れていって、二軍にも目ぼしいのがいないってんで、不足した分を私が背負ってるってぇ、そんな寂しい懐事情が和気藹々と展開されちまったんですね。
明らかに調子が悪い中でも、その日の対戦相手の打線ときたら若手ばっかで、若い内は夏にへばっちまうのはわかりますが、私の軋む肩から放り出されたしょんべんカーブを無様に空ぶったり、下手すりゃ見逃したりで、むしろ何をしたら打つんだってぇ、下手な言い訳も出来ない程の体たらくなんです。簡単に抑えられるってのもいいんですが、こう張り合いがないってんじゃ、野球してたって面白くない。マウンドで何度溜息を吐いたか、十八まで数えてからは覚えとりませんわ。
本当に調子が悪かったんですよ。いつもなら二回持たないくらい。ブルペンじゃあ引くほど酷かったんです。ですがね、神様ってもんは粋狂なんですね、あら終われば完封だわ、怖いもんですね、ほんとう。
八月に入ってからまだ二週間ほどでしたが、その日で自分は五度目の登板でした。何でしょうね、不思議なことに、その月になってからはまだ、私は負けが付いていなかったんですね。全て完投していて、さらには失点も少なかったってんで、記者さんが早くも「月間賞、取れそうですね?」なんて取材に来たりもするんです。自分は撮影が大嫌いでしたから、紙持った記者さんにだけ、手短に答えてやって、カメラ持ってる人からはえっさほいさよっこらどっこいさ、ってな具合に、走って逃亡をはかる毎日でした。自分は、魂が取られるんじゃないかって、怯えてんですよ、お恥ずかしながら。
ナイター且つビジターでの試合でしたから、その日はもう宿に戻って、いの一番に睡眠を摂るべきだったんですが、どうも魔が差しちまったんです。胃や舌が酒を呑みたい呑みたいってきかないんですね、困ったことに。こんな気持ちじゃあ眠れもしないって直感でわかっちまうもんですから、宿には一歩も向けないままで、以前から聞いていた飲み屋まで足を運んでいきました。
「おっ。奇遇だねえ。ヨシじゃんか!」
入店してすぐに声が飛んできました――マサの野郎です。もう酔いが回ってるんです。赤く染まった顔と手の平みりゃあ、それがどれだけの男であるのか、誰にでもわかるってもんでしょう。間抜けもいいとこなんですね、そのツラは。
そんな阿呆面は、一発くらい殴ったって、どうせ気付きやしないんです。
だから、転ぶ振りして軽く叩いてやったんです。
そうしましたらば「やっちまったやっちまった引退だあ!」なんて囃し立ててくるんですよ。野球選手が暴力沙汰起こしたとあっちゃ、大問題ですからね。――そりゃあこっちが悪かったですよ。それはわかっておりますとも。わかっておりますから、後で謝ったりだってしてやったかもしれませんよ。けどね、そんな風に馬鹿な音頭取られちゃ、こっちだって酔って正気の沙汰でもない拳骨食らわしてやりたい気分になるんです。だから、端に見えてた店主に「焼酎だ、五本」って頼んだんです。
「あいよ」
当然、徳利が五本出てきますわな。
ただ、その日の私は、たった五つの徳利なんかじゃ、どうにも満足できそうにないんですよ。
「違う。瓶だ」
「へぇ!?」
そりゃあもう驚いてましたね。異形のもん見てるってぇな目ぇしてこっちを見遣るんです。目ん玉おっぴろげて「正気か?」とかって言い出しそうな顔してね。ですけどこっちも大真面目に言ってましたから、最後のところは店主が折れるしかないんですね、気の毒な話ですが。
ちょっと待っていましたら五本の白瓶が、でん、とカウンターに置かれました。
それ見て、マサの奴が呆れ顔して言うんです。「狂ってんな、お前」
「てめえに言われたかない」
はあ、って、わざとらしい溜息吐いて見せて――そういや、奴さんも関東での試合だったか。となりゃあ、運悪くもこの店にいたって、そんなおかしくはねぇわけだ。ちぇっ。ツイてない。なんて日なんだ、ちくしょう。
少し落ち込むようにしてから、まずは、ってな心持ちで、お猪口に酒を落としてはゆっくりと飲んでいきまして――身体中に染みわたる歓びを前に、マサが酷く真面目な声して言うんです。「つまみはどうすんだよ?」
「そこにあるのを食べるよ」マサの前に置いてあるいくつかの皿を睨みつけながら言い放ちました。
「つまみのひったくりか? やっぱ引退か!」
お前も落ちたなあ! とか嬉しそうに言ってるマサなんざ、もう立派な悪人ヅラですよ。同じ人間なんて認めたかないんです。
こうなったらもう喧嘩の始まりです。退くなんて下手な真似は打ちません。豪快な切り返しを投げつけてやるんです。
「用意しといてくれた。そうだな?」脅すような口振りで――いや、もう脅し以外の何物でもない――言ってやりましたら、まあ、奴さんは空気が読めるというか、ノリのいい奴でして、
「あ、ああ。そうだ。そうだった」
とか、同意をしてくれたりもするんです。
「勘定はお前持ちだって言われたから、俺はここにいる。そうだった。思い出した。そうだそうだ」
ただ、頗る酔っている野郎には、空気や流れなんてもんは、はなから無いんですね、どうも。
「……ちくしょう」
ヤケ酒だ、と魚偏の漢字でびっしりと埋め尽くされてある湯呑みいっぱいに焼酎を入れて、ちょっと溢しながら飲み干して――どっちが払うだ金は幾らだ飲み干してやるだなどと、大人としての品格を疑われるような諍いはなるだけ避けるべきだってのは、始めこそ喧嘩腰ではありましたが、まだ酔ってもいない私にはわかるんですね、ちゃんと。ですから、ここは是非も無し、ってぇ諦観や妥協なんかの精神を前面に押し出して、マサの奴を奢ってやると、そう落としどころをつけてやったんです。
「おやっさん、俺も同じの五本な!」
ぱしっ、と、電光石火の叩きが飛びます。
「いてぇな。何すんだよ」
「せっかく心を決めたってのに!」
「ああ?」
そりゃあ私の心中なんざ読めやしないでしょうよ、こんな頓痴気には。私の心が、こんな奴に読まれてたまるかってんです。投手としてではなく、人として、それはあまりに屈辱的なことだと、私は思うんです。
あるいは死球の一つや二つ、当てたって損にはなるまい。それは何ら屈辱的ではないのだから。
なんて悪魔の囁きが、耳元からそっと聞こえたりもして。
「あそこに良い女がいるぞぉ」
これは魔が差したろくでなしの声。
「どこだ?」
「ほら、あすこ」
早くも酔いが回ってきていたんでしょうね、下賤な言葉に対して無視なんかもしないで見てみますと、それはまあ派手な女性が五人ばかり、固まって飲んでいるんです。
「あれか?」
「そう。良い尻だ」
マサの目は、ボールと下半身にしか向けられることはないと、これは極めて有名な話ですね。どうして週刊誌は取り上げないのでしょう? 『陽炎稲妻水の月! 盗塁王、谷田宏昌! 夜には女まで盗みまくり! 昨日はJD、今日はOL、明日はアナウンサー!?』なんて見出しが躍ったりしてもいいはずなんですが……何かしら、テレビマンの裏を握っているんですかね。この男は、とにかく汚い奴ですから、そんな黒い腹があったって、何も不思議じゃあないんです。
さりげなく女性陣を見遣って――自分は、ああいう、遊び散らかしていそうな女性は真っ平御免のほうでしたから、見ているだけで胃酸が逆流しそうな思いでした。ですが、マサにとっては魅力的に映っているんでしょう、頻りに「なあ、話し掛けて来いよ」などとつまんないことを言いやがるんです。
「よせ。袖を引っ張るな」
「なあ。頼むよ。あの子の尻が、もう忘れらんない」
「だったら酔って忘れればいい。酒はそういうものだ」
「違わい!」
がっ、とイッキ呑みを決めたかと思うと、マサはすっくと立ち上がり、その女性方へ向かって行進を始めては愉快な鼻歌なんかも吹かして、誰から見ても分かるとおり、ナンパへの足取りなんですね、それは。みっともなく千鳥足で、女性方へ「晴天なり晴天なり……おっとにわか雨だ、雨宿りをしていこう。ちょっとお嬢さん、隣へ座らせて頂くで候」とか何とか、間抜けな台詞を吐いては陽気に笑ってみせたりしてるんです。
「なに、あなた?」
「いや、ナニってほどでもない。しがないバンドマンなんだ」
「ふうん。なら、何か弾けるのね?」
「もちのロンよ」
「じゃあさ、マッチのうた、おねがい」
「いいぜ」
言って、マサはその場で踊り始めたんです。エアギター抱えて、じゃんじゃか空振りして、とくれば『ブルージーンズメモリー』を高らかに唄い始めて、キレよくダンスも披露して。仕舞いには一回転くるりとまわり、女性の手へキスなんかしちゃって、辺りからは拍手喝采が起きたりもしちゃって。……何でしょうね、歌唱力のある人ってのは、音痴である私には、昔から、さながら親の仇であるかのような、憎悪の念がふっと湧いて出てしまう、そんな対象なんです。それでも、まあ、スターが見せる上手いショーを観て、悪い気になるなんてこたぁ、そうないんですよね、これが。
「素敵ね、あなた」
「あたぼうよ」
女性方に気に入られたようで、マサはそのまま向こうのテーブルで、新たな呑みを開始するのでした。
かへって、こっちは一人酒と相成りまして。心なしか、焼酎が美味しく感ぜられるんです。
「はあ……美味い」
酒が喉を通った後にゃあ、イケナイもんが脳内を駆け巡ってるようなんです。これほどまでに心地の良い瞬間なんざ、そうありゃしませんよ。それは、めいめいにもお分かりになるんじゃあないですか。
「このまま……」
死んだっていい。
そんな気分にさえ、はたと気付きゃあなっちまってるんです。酒が創る極楽とは詰まる所、天国に最も近い場所なんだって、そう思ったりもするんです。
一口、一杯、一瓶を重ねて――酔いも深まって参りました。頼んだ瓶のほうも、ようやく四本と半を呑み切りました。もう半を呑みさえすれば、――空にも白みが見えてくるでしょう。
「ふふふ……」
焼酎五本なんて、そりゃあ経験もない量でしたから――人生一の飲酒だってんで、酔いが一周も二周も回って、果ては身体が浮き上がりそうな感覚にさえ遭っちまって、もう右や左がどうだとか、男や女が何だとか、そんな程度の話でもなくなっちまってるんですね。それでも自分は蟒蛇みたいに酒を流し込んで、音の鳴りそうな胃を破裂せんばかりにしていくんです。
「なあ、旦那、平気かい? 顔が真っ赤だ」店主が優しくも心配してくれるんです。
「あー、ああ。平気さ。平気の平左。おっちゃんの顔よか白いでしょう?」ところが私は酷い泥酔でしたから、店主が何言ってんのかわかりませんでしたし、自分が何を言っているのかも、やはりわからないんです。
「……厠はあっちだよ」潰れる寸前の私に呆れでもしたんでしょう、店主は諦めたように言ってました。「モップは向こうだ」
「コップはここだね? えへへ」
私の言葉を最後に、店主は肩を竦めて、他のお客さんのところへ行ってしまいました。出来れば記憶に残したくはなかった、大いなる恥の一断片であります。
そうして、良い気分のままで酒飲みを続けていますと、ついに焼酎五本を飲み干してやったんですね、驚くべきことに。自分でも、未だに信じられないってほど、すっ飛んだ量の酒を、この胃に流し込んでやったんです。
「お、お、お、終わっちゃったあ……」
この瞬間だけは覚えていないんですが――聞くところに依れば、その時の私は泣いてたっていうんです。これだけの酒を飲んでもまだ足りないみたいな態度だったって。そんな馬鹿な話があっては困るんですけれど……自分は一か百かの男ですから、あるいは真実なのかもしれません。また恥が増えた夜だったなんて、認めたくないんですが。
下手したら暴れ出さない程の酔いを展開していた私でしたが――視界の内に美しい五本の白い柱が見えたんですね、妖艶っぽくも。それは、どうやら右側に置いてあるようなんです。私が飲み切った焼酎は左手側にありましたから、どうも焼酎ではないようなんです。ですけれど、どう目を凝らしたところでも焼酎の瓶なんですね、それは。まさか同じように瓶五本の焼酎を頼んだ馬鹿が居るたあ思いませんから、その柱は絶対に焼酎じゃないってわかるんです。わかりはしますけれども、やはり目に映っているのは紛うことなく焼酎の瓶なんです。
自分は酔いに潰れて幻影を見ている。
そう思いました。
「ああ……まだ結婚もしてないのに……」
欲に塗れた幻影を見ているってんで、何だか死んだあとのような気分になっちまいまして、そんな風に手を伸ばしては足元が崩れゆくような思いがあるんです。
ばたばた、と。
身体が倒れては叩きつけられたような衝撃と、間を置いてやってくる冷やっこさが何とも心地が良いんです。どうにも仏様が寝床を作ってくれたというような、そんな運命や使命みたいなもんを感じ取っておりました。
そのときです。
「まずいぞヨシ、三原が来る」
と。
どこぞから帰り果せてきたマサが、どこか焦った面持ちで話し掛けてきたんです。
「うるさいやい……もう寝るんだあ。邪魔をしてくれるなよ……?」
店の床に寝っ転がって、瞼を落とすか落とさないかの瀬戸際、分水嶺に立ち往生して、まあ店主からのお叱りがいつ飛んでくるのかってぇ私の状態でしたが、それでもマサは必死になって言ってくるんです。
「寝たら死ぬぞ」
ここは雪山とでも言うんですかね。おかしなことを言う奴です。
「三原だ。忘れたか? 知らんわけじゃねぇだろ?」
はて。誰でしょうか。三原なんて、知りやしない。それよか、早く眠りに落ちて、豊かな夢へ邁進の一歩を踏み出していきたい。
「ったくもう、しゃあねぇな!」
言って、マサは私を起こそうとするんです。脇腹掴んで、どうにか立たせようって頑張っているようなんです。ですが、酔い潰れの私からは力なんてもんが放たれてはいませんでしたし、マサのほうだって酔っていたでしょうから、そう易々とは起き上がるはずもないんです。
「やめろやぁ……寝るんだあ」
「まだ寝るな。畳まれちまうぞ」
奴さんがここまで必死になっている姿なんざ、いやあ、あんまり記憶にないですねえ。何を必死になっているんだかって、その時は本気で思っていました。
私を立ち上がらせるのにはそれなりの時間を要しまして、ようやっと目的を果たせたマサは、しかしまだ焦りの表情を変えはしないんです。
「おやっさん!」マサは、何かしらを店主へ向かって投げました。「それで済ませといてくれ。こいつの分もな」
そう言ったと思うや否や、私の腕を、自分の肩へ回して、さっさと店を出て行くんです。さながら、戦争映画のような。負傷した私を、主人公のマサが助けてるってぇ、そんな絵面にも見えなくはないんですね、それは。
「おいぃ……どこ行くんだよぉ?」
「タクシー呼んでやるから、それでホテルまで行け」
「はあ……?」やっぱり何を言っているのかはわからないんです。「あー……うん。そうだなあ」
私を担ぐようにして歩くマサでしたが、大通りに出たところで「ああー!」なんて声をあげるんですね。
「財布渡しちまったんだ!」
これじゃあタクシー無理じゃねぇか! なんて嘆きを空へ飛ばしたりしてるんです。
「くう……万事休すか」
珍しく溜息なんか吐いて、しょんぼりと落ち込む奴さんは、これもまたあんまり見たことのない様なんです。
「ふ、ふふふ……馬鹿だねえ、お前」阿呆ほど酔っている私には、その姿は滑稽にしか思えなかったんです。「無様だなあ……へへ」
「お前……お前の為に俺はだな……」
マサは言い淀むようにしてから――とびきり真面目な雰囲気出して、話し始めるんです。
「ヨシ。今月、何度投げたよ?」
「はあ……?」質問されてんのはわかるんですが、内容までは理解できません。「なに、なんだって……?」
私の腕を持ったままで、マサは硬い表情で言うんです。「五度だ。全部、完投だ」
「ふうん……?」マサの真剣な眼差しなんか見たくはありませんでしたし、酔った中で真面目な話なんか聞きたくありませんでしたから、この時間が早く終わればいいな、と、内心ではそんな風に思っておりました。それは、ですが、自分にとっては大きすぎる過ちの思いでした。
私のほうなんかは見ないで、マサは気持ち悪いぐらい静かに言うんです。「今月はもう投げるな。いいな?」
「…………」
答えたって無駄なのは何となくわかりましたから(まったくの当てずっぽうは、やはり外れなんです)、そうやって寡黙気取ってやったんです。
「……お前、故障したら、いいか、殴るからな。俺は引退だって、構いやしないんだ」野郎は言い続けます。「お前がいないんじゃ、野球なんてつまらない。……いいか、何があっても休めよ。なんなら、俺も頼みにいく。いいか、休めよ?」
「ああ」ちんぷんかんぷんなままで、私は適当に相槌を打ちました。
「わかるんだからな。お前の肩ぐらい」
そういうような言葉を聞いた後に、私の夢見は始まってしまいました。もうその夜の先の事なんて、覚えちゃいないんです。
気付いた頃には、私は球団の用意してくれたホテルの部屋、そのベッドの上で寝ていたんです。
「へえ……?」
ぼやけた記憶が定まらない内だったので、そんな間抜けな声出しては戸惑いました。
「あー……あ、う、うう、うええ……」
それから酷い頭痛と吐き気がやってきまして。急いで洗面台へ駆け込んで、腹のもんをこれでもかってくらい吐き出しました。
「だはあ……かっ、…………なんてぇ朝だ……」
最悪な気分のなか――コンコン、とノック音が聞こえてきて、遅れてドアが開く音が聞こえてきました。
「どうしたんですか? まさか、まだ寝てるんですか?」
声は後輩のもので、察するに遅刻しているだろう私を連れに来たんでしょう。起きた時にちらりと見ただけですが、外はもう明るさ満点なんです。
「こっちにいるよ」
大きめの声を出して呼びましたら、ドアの陰からひょこっと顔だけ伸ばして「起きてるんなら……、って、二日酔いですか?」って、後輩が訊いて来るんです。
「ああ……」
答えたくもない質問に首肯して、それから口を濯ぎ、着替えなきゃいかんと寝室へ戻りました。
「監督がカンカンになってましたよ」後を付いてきた後輩が、怯えたように言うんです。
「いま起きたんだ。何時だって?」
「十四時です」
本当に引っ繰り返りました。
私の生涯でも類を見ない寝坊でした。
「そりゃあ怒るな……」
「はい……」
聊か拙い沈黙が流れたのち、着替えが終わって部屋を出て行こうとしたところで、後輩が思い出したように話し始めました。
「昨日は、谷田さんと飲んでたんですよね? それって、内緒にしたほうがいいですよね?」
「……なんで知ってるんだ」
「いや、だって、谷田さんが連れてきたんですよ、ここまで」
その言葉を聞いて、昨日の夜、その恥晒し時間の全てを思い出しました。思い出してしまいました。
「あ、ああ……くう」
「え、また吐きそうなんですか?」
「……いや」涙声を作って、その悲惨さを伝えてやりました。「飲み込んだよ……」
「ええ……」
ここで述懐しときますと、まず《三原》というのは、まあ野球選手が問題や何かを起こさないように見張る監視員みたいな役目を持った人です。もし登板した日の夜に酔い潰れた姿なんか見られていたならば、そりゃあもう罰金か出場停止ぐらいにはなっていたでしょう。酷けりゃ強制引退なんてことも有り得ますからね。とにかく厳格な球界にあって厳格な人なんです。
それから、私がいつの間にかホテルへ帰っていたってのも、やはり後輩の言うように、マサがやったことなんでしょうね。私の財布から金を抜いてタクシーを使ったのか、あるいは助けを呼びでもしたか。もしかしたら、そのまま担ぎ歩いて送ったのかもしれません。そんな事実があったってんなら、私は二度と、奴に大して頭を上げることなんて出来やしません。ほんとう、悪夢のような夜でした。
ここから私が得るべき教訓というものは、そうです、どんな悪魔の囁きがあろうとも、酒はほどほどに、ないしは呑まないほうがいいってことです。