ヨシの棒立ち
シーズンが嬉しくもさも当たり前のように始まりまして、私はいっとう投手らしく、月に四度か五度ばかしの登板を、いずれも七回までは引っ張って、勝ちも三つほど、仲間から与えられていました時分ですが――奴は相も憎たらしく、私の前に仁王立ちを決めやがるのです。
「ふん」
わざとらしいキメ顔なんかして、まア記者やら客やらが喜びそうな、いわゆる《ホームラン宣言》のポーズを取っては私を得意気に睨むんですね、マサの野郎は。
キャンプでのことを思い出して――シーズンではどうにか抑えてやらなきゃいかんと思い、あの時とは違って、変化球も巧みに、それも捕手との連携で、鮮やかに三振を奪おうって、追い込んだところです、詰めの甘さが出たんですね、決め球が狂って、マサの腰に当たっちまったんです。
「おいこら、殺す気か!」
当たったと感じるなり素早く立ち上がって私へ怒号を飛ばす奴さんは、ナニ大したことないんですね。怪我とは無縁のバカヤロウでしたから、私のへなちょこ球が掠った程度では痛くも痒くもないんでしょうね。まったく忌々しい限りですよ。
第一打席は、ですから死球。次の日の新聞の隅にでも《因縁の対決が、またしても確執を生んだ!》とか何とか、そんな文句が飛び交う様が目に見えるようです。
第二打席は、何でもない、二ゴロでした。あの野郎、一打席目と同じにポーズ取って、全球を大振りで掛かってくるんですね。そんならと思って、気まぐれにしか投げないドロップ放って、無様な凡退を作り上げてやったんです。つっても、あんまいい気はしないんですね、どうも。男の性分と言いますか、真っ向勝負で押さえたい気が、どうにも逸っちまって、あいやいけねえいけねえ、捕手様が居なかったらと考えると、胆が冷える思いです。
三打席目は、屈辱にも、右翼を突破されての三塁打。マサの足は頗る速いんですね。盗塁なんかの技術もピカイチでしたし、何よりやたらめったら仕掛けてきやがるってんで、他の投手からはかなり嫌われていたようですね。斯くいう私も、例え赤の他人だったとしても、こういう選手は塁には出したくありません。
打たれちゃったんじゃあしょうがない。次の打者に集中しよう。
そう思った時です。視界の端で、何か人影が見えるようなんです。
「ホーム!」
二塁手だか遊撃手だか、あるいは捕手だったかもわかりません、大声で、送球の合図が聞こえてきたんです。
見てみりゃあ、何故だかホームインして喜んでるマサの姿があって、捕手は何だか呆れ顔でこっち見ているんですね。私は、ただ突っ立って、ぼんやりとその光景を見ておりました。
「ヘマしやがって」
年長者である、もちろん先輩でもある一塁手から、そんな風にお叱りを受けました。
何が起きたのか、ようやく気付いた頃には、もう次のプレーが始まっていました。——マサの野郎は、事もあろうか、私が投げ始める前から走り始めて、今じゃあ年に一度拝めるか否かのホームスチールなんか決めやがったんです。
詰まる所、私は打者とお見合いし過ぎちまって、周りが見えてなかったんですね。冷静を装うことばかりに気がいって、返って興奮しちまってたってわけなんです。ほんとう、お恥ずかしい話です。
一度目の対決は、敗北と相成りまして。試合後に、監督室へ呼びつけられて、ちょいとお小言を浴びせられちまいました。
「僕は、ああいうのが一番嫌いだ。わかってるな?」
「はい」
「野球に対して、失礼だと思わないのか?」
「はい」
「使い古された言葉だが――お前一人でやっているんじゃないんだ。周りを見ろ」
「はい」
「本当に見てるか?」
「はい」
「そんなにあいつのことが好きか」
「はい」
「はあ……。まったく……二軍行くか? おい」
「はい」
「んな懐はうちには無い!」
実を言いますと、監督が何を言っていたのか、てんで覚えちゃいないんです。ただ、自分の中で猛省を繰り返し繰り返し行ってたもんですから、周りの声なんか聞こえやしないんですね。さながら人形のような気分でした。周りが見えてなかったから失敗したってぇのに、また周りが見えてないってんじゃあどうしようもない。ほんとうなら、こんな自分なんかには愛想尽きて、スランプか何かにでも掛かってしかるべきだったのかもしれませんが――時より瞼の裏にちらつくマサの憎たらしい顔が、私の闘争心に燃え上がりを与えるんです。
キャンプ中から掲げている『打倒マサ』ですが……私は投手ですから、ましてやマサは野手ですから、打ち倒すことなんざ出来るはずもないんですね。それでも言うならば、『投獄マサ』でしょうか。愛憎相半ばと言ったような関係ですから、せめて牢に繋がれる時は、私の手で鍵を掛けてやろうって、そういう意味を思ったりもしたんですが、別に野郎は何もしてないんですよね。私がただ目の敵にしてるってだけで、奴は単純に野球を楽しんでるだけなんです。ただ、それだけなんですよ、あいつは。