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マサのFA宣言

 先に断っておきますが、FA制度とダイヤモンドグラブ賞は、同時期に存在したことはありません。

 すなわち、これは全く別の世界の、架空のお話ですので、悪しからず。

 あれから十年も経った頃――私は所属球団のエースと呼ばれるまでに成長、活躍していた頃ですが――スポーツ新聞の一面、までとはいかないですが、まあ、それなりに大きく、こんな報道がなされました。

『谷田宏昌、決意のFA宣言! 高年俸契約蹴って、他球団へ!』

 これを、後輩を迎えに行った球団寮の食堂で読みまして、我慢できずに「ナニ!?」なんて素っ頓狂な声あげて、周りの後輩たちから心配の目を向けられたりしちまったんです。

「どうしたんですか?」

「いや、これ……何故だ?」

「へ? これって、何がです?」

「これだよ、これ」

 新聞を渡して、記事のでかでかとした売り文句のとこを指差して教えましたら「ああ。さっき、ニュースやっていましたよ」とか言って、後輩は新聞を返してくるんです。

「僕にもわかりませんね。残っていたほうが、良い契約もらえる筈なんですけどね。なんか、不満があるんでしょうかね? あそこよりいいとこなんて、メジャーにもないと思いますけどね」

 マサの所属する(もう、所属していた、か。ったく)球団は、契約会社のほうが日本有数の企業だってんで、とにかく贅沢が出来るところだと有名でした。とは言っても、やはり活躍できない内は、ほかとそう変りないそうですが。

 そんな良いところから、あまつさえ良い契約まで掲示してもらっておきながら、ほんとう、何が不満で出て行くっていうんでしょう? 仲間からハブにされているだとか、そんなつまんない理由があるってわけでもないだろうに。あんな楽しそうに野球やっているとこ、少年野球でも稀にしか見られないんですがね。

 あいつが何を考えているのか。もう全くわからなくて、その日は練習なんて、おざなりにしか出来ませんでした。後輩からアドバイスを頼まれても「それは、そうだな……今吉コーチのほうが、上手く教えてくれる」とか何とか、適当な事を言って逃れるようにするばかりで、その時は人とは話をしたくないというか、声を出したくないといったような、そんな感じでした。

 ブルペンにも入らないで、ほんの三十球ばかし、無心でキャッチボールをして、それでその日は練習を切り上げて、そそくさと出てって、真昼間から酒でも引っ掛けてやろうかと、行きつけの居酒屋へ向かって、何だか覚束ない足取りを進め出しましたところ、後ろから声が聞こえてくるんです。

「サボちゃって、悪人だなあ、プロってのは。飽きれるぅ!」

 妙にテンションの高い声で、もうひたすらにこちらを馬鹿にするような声なんです。ですけどね、まさか自分がそんなコケにされてるたぁ思いもしませんで、振り返りもしないまま、とぼとぼと歩みを進めるんです。

「上の空だって罪なんだぞー。まさか恋煩いかぁ? あー、あー、格好悪いねぇ。見てらんねぇ! 不細工で!」

(はーなんて口の汚い奴なんだ。というより、どれだけ相手をからかっているんだ。言われている奴は、どんな事をしたら、こんな馬鹿にされるんだ? こりゃあ、そいつぁ、相当のワルだな。この意地汚い野郎と同じくらいの悪たれ、くそったれだな。そうに違いない)

 そんな、途方もなく間抜けな考えをして、千鳥足ながら迷いのない足取りを前進させ続けていたんですが――声の主が急に黙り込んで、それで、明らかな走る音が聞こえてきたもんですからね、こりゃ何事だと思って、急いで振り返ったんです。そしたらば、あの憎たらしい――マサの顔が段々と大きくなりながら近付いて来るもんですから、もう恐ろしくて恐ろしくて、こっちも慌てて走り始めるんです。

「おい! なぜ逃げる! 俺だってば!」

「だからだよ!」

 いやあ。まったくですね、間抜けな有様ですよ。あんまし人通りが少なかったからいいんですけどね……プロ野球選手、それも一線級の選手(自分で言うのはこそばゆいですが……まあ、マサは紛うことなくスターだったんで、それにあやかったということで)二人が、街中で追いかけっこをしているんですからね。こんな姿、もちろん見せちゃあいけないんですが、そんなことにまで考えが及ばない自分は、そりゃあもう必死になって走りました。視界の向こうっ側で電車が見えるんですがね、明らかにそれよりも早く走ってる気分なんです。そんな筈もないのに、その時ばかりは五十キロは出してたように思えるほど、快足を飛ばしての鬼ごっこ状態でしたね。

「待てや! こら!」

「待つか、ボケ!」

 私が何か悪いことをしたってわけじゃないのに、どうしてこうも追いかけてくるんだか、わかったもんじゃないんですよ。理由のわからない追っかけなんてね、もう恐怖の対象でしかないんですよ。とにかく怖かったですね。それも相手がマサだってんだから、余計に恐ろしいんです。あいつのことですから、また厄介事でも頼みに来たんだろうって、そう考えるに妨げなどありませんからね。もうどんな頼みでも断ってやろうって心持ちは常にあるんですが、それよりも、その頼み事さえ耳に入れたくない思いが、強くあるんですねぇ、これが。

「なんでそんな速いんだよ!」

「知るか! アホ!」

 我ながら、ちんぷんかんぷんな怒号です。この声が世間様の誰か一人にでも届いていたかと思うと……ああ、耳が真っ赤になる思いです。

 そんなこんな、てんてこ舞いがありまして――ようやく行きつけの居酒屋の前まで辿り着いて、そこでブレーキかけて、肩まで息をしながら、膝に手ぇ付いて息を整え始めるんです。

「ハア、ハア……なあ、おい、何が、もく、てき、なんだ、よ……」

 絶え絶えながらに聞きましたら、奴も上がった息だってんで、すぐには返答がないんです。その代わりと言ったように、私の肩のとこへ手が乗って、見てみりゃあ、こっちの目の前まで近付いてたマサの毒気たっぷりの表情が、全てを物語ってんだろと言わんばかりに、然として置いてあったんですよ、気色の悪いことに。

「はあ、ったく、もう……はあ、……気持ち悪ぃなあ! もう!」そう言って、マサの手を振りほどいてやったんですが、奴も性根の腐った野郎ですからね、諦めまいと手を遣って、私の腕を掴むんです。もう一度「何なんだよ」って凄んでみせましても、やはりマサには効果なんてなく、おかしなしたり顔が、うざったらしく貼り付けられたままにそこにあるんです。

 こうなったらもうこちらが折れるしかないんです。小さく溜息を吐いてから、不承不承と、マサ共々に店の中へ入って、客なんてちらりとも居ない、がらんとした店内から選ぶこともなくカウンター席へ座って、昼寝キメてる親父さんを起こすことなくリモコン盗んで、小型のブラウン管に電源を入れて、ニュース番組なんかを観始めるんです。

『ガソリンがどんどん値上がりしていってるんですねえ。これって、主婦層の皆さんにとっても痛いですよねえ?』

 顔はテレビへ向けているんですが、その内容なんかは全く入ってこないんです。それというのも、後ろの席で覇気ってもんが溢れるようになっちまっているマサのおかげで、私の集中力なんてもんは、ええ、微塵とも生まれてきやしないんです。

 どうせ、つまらん話をおっぱじめるに違いないと、頬杖つきながら、このまま親父さんといっしょに昼寝でもしようかなんて考えて、マサが口を開くのを待っていたんですが、どうにもタイミングが掴めないのか、あるいは虫歯にでもなってんのか、一向に喋ろうとしないんですね、コノヤロウ。ですから、そうともしない内に、女将さんがやってきて「あら、よっちゃんじゃないの。ごめんね、待ってたでしょ? これが耄碌してんでね、こんな鼾なんて掻いて寝てっから。ごめんね」というようなことを言ってから、大声を出しつつ叩きつつ、親父さんを起こしに掛かるんです。

 すまない親父さん、などと謝罪を思いつつ、展開の予想を付けときながら止めに入れなかった自らの不精さ加減を断罪してやりたい気持ちに埋め尽くされて――もうタイミングなんてありもしない最中で、急にマサが口を開きやがるんです。

「みろ」

 私は、途端、呆気に取られましてね。ぽかーんと、マサの面を見ながら、その一言を咀嚼しようと頑張るんです。けど、あまりに短すぎる言葉が、かえって理解を遅くさせるんですね。ちょっとばかし時間を掛けてから、マサの目線を追って――テレビへ目を向けて、その内容の理解に努めるようにしたんです。

『――昨季、首位打者、最多安打と、打撃タイトル二つを獲得し、さらには盗塁王も獲得。打撃、守備、走塁と、三拍子揃ったキャッチャーとして、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞にも選ばれ、チームの優勝に大きく貢献しました』

 綺麗な女性のニュースキャスターさんが笑顔で伝える内容は、確かにマサのニュースなんです。それは、ですから、寮で読んだ新聞にも載っていた、マサのFA宣言の事なんですね――マサがどうして、自分のニュースを観るよう促したのか、私には解るべくもない話なんですが、まあ、奴の事です、どうせ、自己顕示欲にでも駆られたんでしょう。そこらへん、野性味に溢れて溢れて零れ出ちゃってて、言っちゃえばターザンみたいな奴なんです、マサって野郎はですね。

 半ば呆れて振り返りまして、そこには得意気な顔でもした男が居るんだろうと、そう思っていたんですが――あにはからんや、神妙な面持ちの二十七歳が、こっちを向いて口を真一文字にして佇んでいるんです。

 自分は、マサのこんな顔は久しく見ていませんでしたし、この顔は、おふざけやなんかでする顔でもないものですから、相当の覚悟を持って聞かなきゃならん話なんだなと、ようやくの認識を得まして、「そうか」と言ってから、ぼんやり夢現を過ごしている親父さんに「卵焼きが食べたいな。うんとしょっぱいやつ」と注文を入れました。

 そいで、ちょいと身なりを正してから、マサのほうへ向き直って「それで、どうした」と、話を始めるよう促すんです。

「どうしてだと思うよ?」

 私とマサとは悪友ですからね。言葉少なでも、口振りやなんかで、何を指しての疑問符なのか、悲しくもわかっちまうんです――さっきのニュース、つまりは自らのFA宣言についての話なんですね、これは。

「わからんよ」恐らくは真面目な話だってのに、どこか悪態を付くような声音が出ちまうんです。「お前の考えなんざ、わかってたまるか」

「寂しいな、寂しいよ、俺ァ……」

 となりますと突飛にも哀愁漂わせてそんな台詞を吐きやがるんですよ、奴は。もう何考えてんだか、わかんねぇんですね、さっぱり。いや、わかるにはわかるんですが、こいつはそんな慣れ合うような真似、女々しいことなんかはあんましないほうなんですが、こと今日に限っては、変に多いんですね、それが。もしや、目覚めてはならないもんが目覚めちまったのかとも思ったんですが、それならそれで、私のとこなんかにはこないだろうとも思うんです。こいつと私とは、何があっても、そんな関係にはならないと、絶対を持ってして、何となくですけれど、わかるもんなんです。

 いつの間にか出されていたお冷を、マサはイッキで飲んで、そいで、こっちも向かずに言うんです。「冷たいなあ……まるでてめぇの心だよ、こりゃあ……」

 まるで聞いてられないほど寒い台詞なんですがね、それを大真面目に言ってやがるもんだから、こっちとしても反応に困るんですよ。どうにもいられなくなって、こっちから追及してやろうって、「どうしてなんだ」と質問をぶつけてみたんです。

「さぁな……」

 それで、これなんです。わざわざ聞いてやったのに、どっか気障ったらしくして、短くまとめに掛かるんです。こりゃあいよいよ面倒になってきたんで、気合を入れるのに、私も水をイッキで飲み干しまして、そこへ来た出来立ての卵焼きを、受け取るだけにして食べず、マサの次の言葉へ耳を傾けてやるんです。

「……まア、俺もガキだからな。勝負をつけたいんだよ。わかるだろ?」

 愚生にはまったくわかりません。だって愚生なもんですからね。

「いや、違うな……」どこか含みを利かせた言葉を続けるようにするヤロウ。「ただな、お前と、……」

「なんだ、はっきりしろ」

 焦らすような間に耐え切れなくなって、そんなことを言ってしまったんですが――次に、マサはこう言うんです。


「お前と、野球がしたいんだ」


 とんでもなく、綺麗に言いやがったんです。もう呆れるくらい、好青年さながらに言いのけたんです、マサの野郎は。

 それで、もう、冗談でなく鳥肌が立っちまって、それから、わけのわからない笑いが込み上げてくるんです。

「何だよ? 笑うなや。真剣なんだぞ」

(んなこと言われたってね、この笑いはどうにも止められん。もうおかしくっておかしくって。腹の底からよじれそうなほどの笑いが、天井無しに昇ってきちまう)

 顎が外れてもおかしくないほどに笑って、親父さんにも女将さんにも奇異の目を向けられちゃって、少しくまずい恥かしさをようやく覚えながら、マサの顔をちょっとだけ見て、それから卵焼きへ箸を遣って、一つを口へ放り込みました。

「んむ、しょっぱい!」

 それが驚くぐらいしょっぱいんです。いや、頼んだのは自分だってわかっているんですが……咄嗟では叫ばずにはいられないまでに、過剰な塩気の多さなんです。

「あんたが言ったんだろうが」なんて親父さんから言われまして。味覚が破壊される感覚を味わいながら、次々に口の中へ放り込んで、どうにか皿を空にしまして――マサの下らない話を完結させてやろうって、少しだけ気持ちを入れるんですね。

「それだけのために、FAか」

「そうさ。楽しんでなんぼだろ」

「勿体ないな」

「他所も対して変わらん。問題は、お前がいることだ」

 マサの元いた球団は別リーグですから、私んとこの球団とは対戦が無いんですね。両球団が日本シリーズに行くってんなら話は別ですが。まあ、そういうことで、リーグを移動するためのFA行使だったと、マサはそう言うんですよ――はあ。傍から聞いたら、なんて気色の悪い話なんでしょうね。下手したらゲイなんて話になりかねない。自分は全く、そっちへの興味はないもんですから、これが野球の話、真に純粋な話で良かったと、安堵をするに暇もありゃしません。

「それで、相談があるんだ」相談も何も、既にFA宣言をしているじゃないか。今更、何を一緒に考えてやりゃあいいのかと、僅かな疑問を持ったところでも、マサには明確な議題があるのでした。「お前んとこのチームに行くか否か。どっちがいいよ?」

「はア?」

 また、素っ頓狂な声が出てしまいまして、またまた、冷ややかな視線を感じます。

「結構、真剣なんだがな」

 ニュースキャスターが言っていた通り、マサの昨年の成績は頗る良いものでしたし、また身体能力の高さ故か、洗練された打棒に限らず、走塁技術や守備能力なんてものも、それはもう一級品でしたから、例え高年俸だったとしても(当人は金銭に魅力を感じていないそうですが)、この選手を欲しがらない球団なんて、ありゃあしないんです。

 ようするに、マサは、私と同じチームで、仲間として野球をするか、もしくは他球団へ行って、敵方として野球をするか、そのどちらがいいのだろうかと、そういう相談なんだそうです。

「また、よくわからない、……」

「まァそう言うなって。こればっかりは俺も決めかねてるんだ。お前と野球がしたい、それだけは決まってるんだが、お前の球を受けたいのか、それとも打ちたいのか、それがどうにもわからないんだ。なあ、どっちがいいと思うよ?」

「んなのは知らんよ。お前の気持ちじゃないか」

「そうなんだがな……俺としちゃあ、どっちでもいいのかもしれん。だから、お前に決めてもらったら、それでいいんだがな……」

 自分なんかが人の人生の行く末を決めてやろうなどとは、いやいや、思うわけもありません。もってのほかの真っ平御免ってもんです。そんな重大な決断を、この私に頼むってんですから、本当に、狂った奴ですよ、マサってのは。頭の螺子が二、三本、外れているんじゃないですかね。後ろを歩いていると、時たま、何かが外れる音が聞こえていたような記憶があるんですが、きっとあれは螺子が外れた音に違いないですね、こりゃあ。

 どうしようもない話に、もう付き合いきれなくなったんで、「じゃあ、ジャンケンだ。私が勝ったら同じ球団。負けたら別の球団だ」と言って、責任なんてクソくらえ、飛び抜けて子供染みた方法で、マサの今後を決めにかかったのです。

「よっしゃ。乗った」

(乗りやがった。馬鹿か)

「そいじゃあ――最初はグー、ジャンケン――ホイ!」

「…………」

「……決まりだな」

 ――そうして、マサと私は、優勝争いを演じる、恰好の役者と相成ったのでした。


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