四幕─3
「それに、最大の功績はマルドゥラ国の一件かな」
殿下のお声にわたしはちょっと顎を引きます。それには確かに、色々と差し出口を申し上げた記憶があります。
あれもいつもの面々に加えて、農作物を管理する役職の方がそろってお顔を突き合わせ、豊作だった今年の小麦が値崩れしないよう対策を講じられている時でした。
近隣国への輸出の方向で話が進んでおりましたので、わたしは思わず申し上げたのです。
「───できるだけ買占められたほうがよろしいです」と。
わたしが殿下方のお話に入るのにはすでに慣れた空気で理由を問われましたので、まだ少し自信がなかったのですが、お話しました。
「半年前、王宮書庫室の本の虫干しをお手伝いしていましたら、三代前の管理責任者の覚書のようなものが出てまいりまして………」
わたしの話が明後日から出てくることにも慣れたご様子で、アレクセイさまが続きをうながされます。
「それによりますと、サウズリンドではその年、豊作に恵まれましたが、他国では寒波や旱の被害が起き、その余波で内政が荒れ、マルドゥラ国からの侵攻もあったとありました」
「それが今年も起こると?」
「………恐れながら、気象官からそのような報告は上がっておりませんが」
農作物管理の方は怪訝なお顔をされていました。農作物と気象官は同じお役所です。わたしはためらって返しました。
「豊作の年に、必ずしも気象被害が起こるわけではないようです。ですので、気象官の方も予測がし難いのだと思われます。───その覚書には、その方が幼い頃にも他国で同様の事象が───小規模だったそうですが、あったとありまして………発生条件か、法則があるのではないかと考えられているようでした」
「発生条件───」
「はい。それでわたしも気になりまして、調べてみたのですが………」
サウズリンドに限らず、アルス大陸の一部地域で豊作が続くと、別の地域で気象被害が起こる。絶対なわけではなく、その条件も判別できない。
ただ、統計を取って予測付けることは可能ではないかと考え、気象官の手の空いていそうな方と気象専門書の著者に助力を仰ぎ、テオドールさまに相談して他国の気象情報を集めだし………当然ながら、入手困難でした。
他国の情報というのは、得てして手に入りづらいものです。それで、大陸商人の記録を過去に遡って調べている最中ではありますが───。
「おそらく、七割方の確率で、マルドゥラを含む北西領域に寒波の被害が出ると思われます」
室内の面々には緊張が走りました。
統計を見せていただけますか、と管理官の方に言われ、わたしは書庫室のテオドールさまの元にある旨を伝えました。侍従に取りに行かせかける指示を、お待ちください、とアレクセイさまが冷静に止められます。
「寒波被害の予測が正確だったとして。───我が国が小麦を買い占める理由になりますか」
むしろ、商人と市場統制に目を配るべきです、と口にされて、だな、とグレンさまも武人らしい顔つきをされていました。
「マルドゥラとの国境付近に警戒を厚くしたほうがいいな。マルドゥラが攻め込んでくる可能性が高い。辺境伯に連絡を取って対策を講じるべきだ」
「───戦を仕掛けられるたびにやり返すのですか?」
わたしは静かに口にしました。歴史書を読むたびに、わたしには不思議でならないことがありました。
なぜ戦はなくならないのか。
なぜ戦を起こす者は、先人からなにも学ぼうとしないのか。
「他国に武力の脅威があった時、自国の防衛力を強めればそれで安心しますか?力には力で返すのが文明国のすることですか?───わたし達は蛮族ではありません。知恵という武器を持った文明人のはずです」
シン、と室内が静まり返りました。わたしは考えていたことを口にします。
「戦を起こすのは簡単です。けれど、それによって失われる物の方が何倍も大きいのです(主に書物が)。それは、史実が教えてくれています。戦を仕掛けられるのを待つのではなく、その前に戦の芽を摘むのが、文明国の在り方ではないでしょうか」
考え深げにアレクセイさまがなるほど、とつぶやかれます。
「エリアーナ嬢のおっしゃることは正論ですが………その理屈が蛮勇を誇る国に通じると思いますか?」
わたしはにこりと笑み返しました。
「思いません。ですが、なぜ相手の水準に合わせて対応しないといけないのでしょう?わたし達にはわたし達なりのやり方があるはずです。そして、そのための知恵をふり絞られるのが、文官さまのお役目ではないでしょうか」
グレンさまが少し冷汗を浮かべるようなお顔をされました。アレクセイさまの蒼氷色の双眸が鋭くきらめいたように見えます。
小さな失笑をもらされたのは、クリストファー殿下でした。
「アレクの負けだな。───戦は確かにどんな大義名分があろうと、人殺し行為だ。得るものより後に残る禍根の方が根深い。私も一国の王者に連なる者として、軽々に戦に踏み込む真似はできない。その前に打てる手があるのなら、手段を講じるべきだろう。
エリアーナが調べた統計と叔父上、気象官を呼んでくれ。陛下と大臣たちにも午後一番に緊急会議を開きたい旨通達」
テキパキと殿下が指示を出され、皆が動きはじめました。
わたしも自身が調べた統計には責任がありましたので、おそれ多いことですが、会議の端に列席させていただくことになりました。
それが、先の分隊長さまが話されていた、マルドゥラ国との戦回避の件です。
わたしは当時の自身の生意気な発言の数々を思い出し、小さくなりました。殿下はそんなわたしをやさしく見つめられています。
「あの一件以来、エリィは軍人の家の女性陣からも人気らしいよ。───だれも、好き好んで自分の夫や息子を戦地に送りたくなどないからね」
「………ですが、あれもわたし一人の功績ではありません」
反対者だってもちろんいました。ですが、それらを押さえて支援することでマルドゥラ国へ恩義を与え、さらに周辺各国へもサウズリンドの人道的行為を知らしめたのは、殿下や中枢部の方達です。
それに、気象被害を発見できたのも、あの覚書が元になったからですし、気象官や他の方々の協力があったから成し遂げられたのです。
きっかけはエリィだよ、と殿下は暖簾に腕押し(東方見聞書にありました)です。わたしはなんとか反論を思い付きました。
「でも、スイラン織を社交界に広めたのは、わたしではありません」
「復活させて取り寄せたのは、エリィだろう」
グッと言葉に詰まりました。
気象関連の一件で大陸商人の古い記述を読んでいましたら、いまは亡き織り物の記載がとても珍しかったのです。
その昔、今ほど紙が普及していなかった時代、機織りで当時の記録を残した風習があったのだと。
それで好奇心でどんなものかと伝手を使い、技法の詳細を職人と話し合ってお願いし、手に入れたのがスイラン織でした。
しかしあれは───。
「まあ、確かに社交界にお披露目したのは、ストーレフ伯爵夫人とそのご令嬢方だけれどね」
面白そうな口調の殿下に、わたしはさらになさけない顔になります。
ストーレフ伯爵家は亡き母の実家にあたります。母の妹にあたる叔母が、早世した嫡男に代わって婿養子を取り、後を継ぎました。先日、腰を痛め、わたしに恋愛小説を延々と読ませたのがこの叔母です。
叔母には娘が三人おり、この方々がそれはかしまし───とても、にぎやかな従姉妹たちで、おしゃれに余念がありません。
出来上がったスイラン織をその方達に見られたのが運の尽きでした。
わたしがなにを言う間もなく、あっという間に『私たちが社交界に広めてあげる!』とふしぎな言葉で奪い取られました。
そしてまたたく間に流行に押し上げられ、辺境伯領の機織り職人からは悲鳴混じりの抗議文が届けられるという後日談がありました。
殿下はそれはお人が悪そうに笑われています。
「エリィは身内に守られている。彼女たちはエリィの社交界での評判を、きちんと守ってくれているよ」
その言葉にはわたしも沈黙しました。叔母や従姉妹たちが、早くに母を亡くしたわたしを可愛がってくれているのは事実です。
「ですが………ツェルガが贋物だと見破ったのは、わたしではありません。あれはお兄さまの功績です」
一応反論してみましたが、やはり殿下は微笑まれているだけでした。
「はじめにおかしいと気付いたのは、エリィだよね」
あれはたしかに一月前のこと。
書庫室から執務室へ入室したわたしは、殿下とアレクセイさまが一つの陶磁器を間に挟んで渋い表情をさせている光景に出くわしました。
それでわたしもジッとその陶器をながめますと、気付かれた殿下が「ツェルガが発見されたようなんだ」と説明してくださいました。
王家の秘宝、と呼ばれるそのめずらしい陶磁器にわたしも好奇心で見つめ続け………はて、と首をかしげました。
「鑑定はされたのですか?」
「───鑑定書は付いています。なにか不審な点でも?」
アレクセイさまの返答にわたしの眉間にシワが寄りました。疑問は覚えましたが、鑑定書が付いているのなら間違いはないのだろうとも思います。
でも、どうにも………。
「エリアーナ?」
クリストファー殿下にうながされ、わたしはその青い眸を見返して、なにかが腑に落ちる気がしました。
「紛い物ではないでしょうか」
おどろく二人に進み出て、その陶器にかるく腰を折って見入りました。本を抱えたのとは別の手で陶器に庇を作り、確かめます。
「………ツェルガが王家の秘宝とされているのは、今の世にはもうない鉱石と独自の配合で生みだされた、ツェルガの青と呼ばれる色彩が珍重されているからだと美術書にありました。
───ツェルガは古代語で夜明けを意味します。つまり、ツェルガの青とは、夜明けの深みのある青のことです。………これはどうも、単体色に見受けられるのですが」
「───間違いありませんか」
アレクセイさまが少し緊張を見せて問われるのに、わたしは自信なく身を小さくしました。
「………わたしは、美術工芸品に関してこれ以上のことは………。お兄さまなら、わかるかも知れません」
兄のアルフレッドは芸術方面(の書物)に造詣が深いです。なので、わたしよりも詳細がわかるだろうと伝えますと、さっそく呼ばれて陶磁器を見た兄は一言。
「───贋物ですね」
すっぱり断言されました。
わたしが話したものよりさらに細かく説明し、紋様などの違いも明らかにしました。
殿下は椅子にもたれて額を押さえ、難しげな顔つきで息を吐かれました。
「王宮宝物庫の鑑定士に、公に鑑定させる前で幸いだった。カスール伯爵の責任問題になるところだ」
兄の片眉がピクリと反応したようでしたが、この件は内密に頼む、という殿下のお言葉でその場は終わりました。
その後はグレンさまを交えて難しいお顔で内談されていらっしゃいましたので、わたしは関わっていません。
それがなぜか、先のようなお話の流れに結び付いていたわけですが………。