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虫かぶり姫  作者: 由唯
婚約者陰謀編
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冬下虫の見る夢─6




 ケネスの薬草は、昆虫学者として著名なケネス・ブラッド氏の名を取ってつけられました。昆虫学者は時として、植物学者の一面も見せます。ケネス氏は鉱山の中に生えているめずらしい植物を発見し、それを自身の昆虫記で紹介しました。


 それだけなら、数多ある出来事のひとつとして埋もれていたでしょう。

 しかし、十六年前灰色の悪夢が蔓延し、その病に効くとされるポメロの実。それが北の地まで届かないとわかった時、人々はどうしたか。


 乾燥保存されたものに頼ったのか。病の身を押して、それが手に入れられる地を目指して行ったのか。国から、救いの手が差し伸べられるのを待っていたのか。


 答えはそのどれでもあり、また、別のものでもありました。

 ポメロの実が北の地まで届かないのならば、同じ効能を持つものはないのか。ラルシェンの人々はそれをひっしになって探し、そして見付けました。


 それが、ケネス草。

 しかし……その効能が医学的に証明されたのが灰色の悪夢が収束に向かいはじめた三年目のことでした。その後は病の暗い影を払拭するように明るい話題ばかりが注目されたため、知識が根付くことはなかったのが現状です。


 わたし自身、思いだしたのがラルシェン伯爵邸で手配していた最中のことでした。ケネス草自体、鉱山のみに自生する稀な植物として採取が難しかったことも、その認知度と合わせて備蓄されていなかった理由でしょう。


 十六年という歳月も、病への対処を甘くしていたのかも知れません。


 ……反省は後でいくらでもできる、とわたしはその効能を皆に話し、それを持っているという人物に協力をお願いしました。


 子どもは薬師の家の子で宿屋のご主人とは親しい間柄らしく、ちょうど依頼の薬草を届けに来た所だったそうです。その子が所持していたケネス草をすべて買い取って、さらに煎じる作業までお願いしました。


 支払いはすべて、アランさまです。宿屋のご主人に買い取ってもらうか、居合わせた人々から出してもらうか迷いましたが、効能が知られていない状態で確実に皆に飲んでもらうためには、はじめは無償でふるまうしかないと腹をくくりました。効果が知れ渡れば、自ら口にしてもらえるでしょう。

 一ドーラも所持していないわたしは、アランさまの懐にお願いするしかなかったのですが……。


「必ずお返しします」と申し訳なさも込めて告げると、「必要経費で落ちるから大丈夫ですよー」と明るく答えてくれます。

 わたしはその口調に救われていたのですが、ジャンは非常に疑わしそうな目付きでつぶやいていました。


「……水増し中ッスね」と。


 とにかく今取れる最大限の手段を、とわたしは皆に伝えました。

 肌が露出している部分、手や顔を洗うこと。うがいを欠かさないこと。パンなど手にとって食べる食事の前には、他の物にさわらないこと。

 しかし、それは難しいと宿屋のご主人に言われてしまいます。北の地では、煮込み料理に固いパンをちぎって浸しながら食べるのが主流だからです。


「──では、パンを炒ってください」

「パンを炒る?」


 ふしぎそうなご主人に、土地の特徴や北と南の食文化の違いなどを考えながら伝えました。要は、素手で食べ物を口に入れなければよいのだと。


「固いパンをスープと一緒に煮込む料理はどの地域にもありますが……」


 鉱山夫など、力仕事の男性が多い地では、食感がやわらかいものより噛み応えのある料理のほうが好まれます。なので、肉料理や固いパンもそのまま出したほうが喜ばれるのです。

 だから──。


「一口大に切ったパンを、油と香辛料で炒めるのです。南のミゼラル公国ではそのまま煮込んでいくのが家庭料理なのですが……。炒って油のしみ込んだパンをスープの上に乗せるのはどうでしょうか。ただ食べやすい大きさのパンを乗せるよりも、炒った一手間で香ばしさと食感も増すと思いますし、火を通し、匙で食べられるので安全面も保証されます」


 ほう、と宿屋のご主人が興味深そうに目をみはるのに続けます。


「手を使う骨付きの肉料理は、持ち手にマケラ草を巻いてください。蒸し風呂の火石にかぶせて香りを出す時に使われていますが、この草は消毒の効果があると、薬学書で言われています。少量なら口に含んでも問題はないと。ただし、冷めた料理には使わないでください。効果はなく、ただ苦いだけです」


 さらに目をみはったご主人がうなずいて、「マケラ草なら常備してある」と、さっそく賄いの者に指示を出して試してみてくれます。


 その他、宿と食事処を丸一日締め切るのは無理だと、蒸気で燻される室内の様子に色々なにかをあきらめた風情でしたが、譲れないものは主張されました。

 感染の疑いを確実に消すためには、最低限、一日は日を置くことが望ましいのですが、生活がかかっている状態では難しいでしょう。国からの保証もない今は特に。


「……では」と、わたしは繰り返しのような注意事項と対処を伝えました。


 宿泊客にはまず蒸し風呂に入ってもらい、汗を流して清潔にしてもらうこと。食事処の客人には、手洗いうがいはもちろん、素手を使う料理には注意を払うこと。人が集まる場はこまめに換気と保温を行うこと。

 そして。


「客人が宿を後にする際には、必ずケネス草を煎じたものを飲ませてから送り出してください」

「泊まる際にも飲んでもらうのに、出立の時にも飲んでもらうのか?」


 ふしぎそうなご主人にわたしはしっかとうなずきました。

 病への対処や予防はもちろん大事です。けれど、最も気を付けねばならないのは──感染の危険を他へも広げないこと。


 ラルシェンの土地で灰色の悪夢が広まった主な原因は、この地にある、昔ながらの閉鎖的な風習のせいもあるのではないかと、研究者たちは口にしていました。

 よそ者を忌避する、北の地ならではの地域性。それが国から出された対処法よりも、それぞれの村での対処に走らせた。──王家への不信を抱いている土地柄もあって。


「…………」


 過去の因縁が民に向かってしまう歴史のおそろしさをあらためてかみしめながら、今自分にできる最善のことを、と宿屋のご主人にお願いします。


「宿の値段と、費用や手間暇等、原価に合っていないのは承知の上でお願いしています。今だけの対処ではなく、どうか継続的に習慣付けていただけないでしょうか」


 少しでも感染の広がりを抑え、予防と対策の切っ掛けになってくれれば、と祈るような思いでご主人に訴えます。

 さすがに、商売人らしい難しいお顔で黙り込んでしまいました。言葉を重ねようとしたそこに、「いいんじゃねえの」と軽い声がかかります。

 宿泊客と一緒になって、火石を各所に設置していたアーヴィンさまでした。


「安全と信頼の評判は千金に値するぜ、オヤジ。今は赤字を出しても、この宿は病に罹らない安全な宿屋だ、って評判が立てば、あっという間に上流宿屋へ格上げだ。そうしたら、俺らはまた他所へ流れなきゃなあ」


 同意を求める軽い口調に、屈強な男たちがまったくだ、とうなずき合います。「オヤジ、男を見せる時だぞ」と揶揄するような煽りと、さらに静かな声が彼の後押しをしました。


「──ケネス草、この宿を優先的に卸してもいいよ」


 煎じた薬を皆に配っていた、ジーンという子どもでした。その一言で、宿屋のご主人ががっくりとうなだれます。


「……今日がオレの人生の転機だ。きっとそうだ。たぶんそうだ。そうに違いない。そうであるだろう……」


 なにやら、あきらめの境地を見出した人の、達観したつぶやきでした。





 その宿屋には、ただいま苦悶のうめき声が充満しています。

 病の発症を抑える提唱をしたわたしと、話を信じてくださった宿屋のご主人、双方の名誉に誓って申し上げれば──。


 これは、病に苦しむ人々の声ではありません。薬師見習いのジーンという子どもの煎じたケネス草。液体状になったそれを飲んだ人々の反応がこれでした。


「……こ、これが地の底で味わうという、第一の関門か……」

「……いや、地の底の番人も泣いて謝りそうな味だ。はっきり言ってクソ不味い」


 容赦なく断じたのがアーヴィンさまで、従者の方は黙って飲んでいますが、その優美なお顔がなにより雄弁に物語っています。顔にも口にも出して文句を言っていたのがジャンでした。


「甘いものが嫌いな人間の味覚を信じちゃいけないんッスよ……。俺は個人的に、甘味嫌いな人間こそ人類の敵だと思うッス」


 わたしは嫌いなわけではなく、苦手なだけです。

 ええい、と一人の鉱山夫が勢いをつけて煎じ薬を飲み干すと、「オヤジ! 口直しに酒だ!」と注文したのを皮切りに、次々に同じ声が上がりました。


 蒸気で室内の温度が上がっていたせいもあるでしょう。ご主人自ら給仕にかりだされる様子を横目に、ジーンという子にお礼と他の薬をもらって別室に移った親子の元を訪れました。


 付き添っていたメイベルが、「これから熱が上がるかも知れません」と夫婦に細々と注意を与えています。

 水分をこまめに取ること。熱が上がったら火石は蒸し風呂に戻して必要以上に室温を上げないこと。熱が上がるのは決して悪いことではない、等々。

 メイベルに持ってきた薬を渡すと、お礼とともに親子への説明に移ります。解熱薬と咳止めの服用方法等。


 メイベルがいてくれてほんとうによかったと、安堵しながら部屋を辞そうとして、小さな声がかけられました。


「……お兄ちゃん。ありがとう」と。


 寝台に横たわった子どもからでした。夫婦もハッとしたように繰り返しお礼を告げてきます。首をふってお大事に、と返して、「何かあったら夜中でもいいので声をかけてください」と言い残したメイベルと連れ立ちます。

 食堂へ向かいながら、あらためてメイベルに感謝を告げました。


「ありがとう、メイベル。あなたが一緒にいてくれて、ほんとうによかった」


 すると、唐突な様でメイベルが足を止めました。いいえ、とつぶやく声は小さく、胸元でにぎりしめた手はなにかをこらえるようです。


「私は……動けませんでした。あの時。灰色の悪夢ではないか、と声が上がった時──恐怖で、とっさに動けなかった」


 ぎゅっと力が込められたその手は、後悔をにぎりしめているのだとわかりました。


「医学の知識を……子どもの病は、祖母や母の手伝いをしながら学んできていたのに。今までだって、緊急時の対応はしてきました。いざという時、動ける自信はあったんです。なのに──あの時、私は動けなかった」


 医学の知識があるのは自分なのに。そのために今回、同行を申し出たのに。いざという時におびえて動けないのなら、なんのための知識、同行なのか。

 そんな自責の念が彼女の唇を噛んだ表情に見て取れました。


「メイベル──」


 彼女のにぎりしめた手に、そっと手を重ねました。それに気付いたメイベルが、ハッとかたくなな目を上げます。

 静かに息を吐くように、わたしも吐露しました。


「……わたしも、怖かった」


 手はずっと小刻みにふるえていました。

 わたし一人の判断で、対処で、人の生死がかかってしまう。なにかひとつでも誤れば、その人の命を奪うことにもなりかねない。

 だから、と気持ちを伝えました。彼女が自責しているものとは違うけれど、でも、と。


「お医者さまは、ほんとうに大変なお仕事だと、あらためて思い知りました。わたし一人では、とてもではないけれど対処しきれなかった。メイベル。あなたが今この時、一緒にいてくれて、ほんとうによかった。……ありがとう」

「…………」


 メイベルが一瞬、胸が詰まったような顔でぎゅっとわたしの手をにぎりしめました。そうして、そこにしばらく顔をうずめます。

 どんなに気丈なふるまいをしても、彼女だって当たり前のように怖かったのだと、わたしはそのやわらかなまとめ髪をなでました。



 そうしていたところに、近くを通りかかった男性たちから囃すような口笛とともにからかいの声がかけられます。


「お。女主人をなぐさめる幼い従者の純愛ってか。いいねえ。ぜひともオレも混ぜてほしいもんだ」

「おまえが混ざったら──」


 続いた言葉は、すかさず動いたメイベルの手によってふさがれ、わたしの耳に届くことはありませんでした。

 少し前にも似たようなことがあったような……。


 メイベルの手に固定されたわたしはわかりませんでしたが、彼女の視線に男たちが飛び上がるように姿を消すのを視界の端にとどめました。

 そうして聴覚を戻された後には、いやに真剣な目付きで怖い顔をしたメイベルがいました。


「病人に目途がついたら、とっととこのような宿とはおさらばしましょう。……蒸気で燻すなんて生易しいですわ。地の底の煮えたぎる釜で茹でてやったら、病の元も下劣な性根もきれいさっぱり洗い流されるというものですわ。ほんとうに、男などという生きものは──」


 なにやら、メイベルの新たな一面も知ってしまった思いのわたしでした。




 食堂へ入ると、アランさまの華やかな歌声が聞こえてきます。


 サウズリンド国内で英雄王の物語に次いで、国民的人気が高いお話です。貴族よりも平民の方々に人気があるため、食事処は笑声と囃す熱気で汗をかきそうなほどでした。お酒も飛ぶように売れているようです。


 アランさまは多彩な才の持ち主なのだと感心しながら、ジャンやアーヴィンさまのいる卓へ向かうわたしに、屈強な男性の方々から声がかけられます。


「坊主、ちっこいのに賢いな」から、「今はひょろひょろでも、しっかり食って鍛えればオレらみたいになれるぞ」「肉を食え、肉を」……等々、皆さま親切です。

 独り身の女性客はめずらしいようでメイベルにかけられる誘いもあったのですが、アレクセイさま並の視線に声をかける者は途絶えました。


 ……わたくしは、自らの反省点をあらためて心に刻みました。


 一応、わたしはこれでも成人を過ぎた、春には成婚式も控えている適齢期の女性なのです。ここまで男装を疑われていないのは、やはりわたし自身に問題があるのだろうと、旅の間にロザリアさまから教わった、『殿方を引き留める心得』を毎晩復唱しようと誓いました。

 卓へつくと、先に食事をはじめていたジャンがまたしても泣きだしそうな有様です。


「辛い……。地の底のような苦い薬を飲んだ後に辛い料理……。なんなんッスか。これはオレの試練の旅なんッスか。お屋敷ではこんな料理出てこなかったのに」


 ラルシェン伯爵邸で出された料理なら、それはおそらく、王都から来たわたしたちの舌に合わせてくれたのでしょう。

 北の土地では乳製品を使った料理が主流と思われがちですが、身体を暖める目的で香辛料の効いた料理も豊富です。郷土史によると、風邪の予防に香辛料そのものを蒸留酒と一緒に飲む風習もあるのだとか。


 その話をすると、ジャンはそれは悲壮な顔でつぶやきます。

「はじめに聞いてたら、絶対同行は断ってたッス……」と。


 この従僕はそう言えば、はじめにわたしが男装した姿を見て、「似合ってるッスよ、お嬢。どっからどう見ても年頃の娘には見えないッス」と親指を立てて請け合っていたのです。


 ……わたしはひそかに、王都へ帰ったら父に話して減俸処分にしてもらおうかと思っていたのですが、どうやら帳尻が取れたようです。

 アーヴィンさまが低く笑いながら酒杯を口に運んでいます。「おまえらの会話は聞いてて飽きない」と。

 そうして、ようやく事の次第が説明されたのでした。





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