冬下虫の見る夢─1
大変遅くなりました……m(_ _)m
それは、曇天の切れ間から差し込む、一条の日差しがのぞいた日だった。
悪天候続きのために、予定されていた行程も遅れるのではないかと危ぶまれていたそこに、まるで狙ったように現われた一行。
──マルドゥラ国使節団。
サウズリンドよりも冬が厳しい気候を示すように厚い上衣で身を包んだ出で立ちは、それが上質な素材であろうと相対した者に他者を寄せ付けない頑なさを与える。
外套を外した礼装ではあったが、緊張感を覚えさせるには充分な一団だった。
サウズリンド王宮内、公的な式典のみに開け放たれる謁見の間には、国内の主立った貴族階級、大臣などの有力者が顔をそろえる。サウズリンドの中枢を担う勢力といっても過言ではない。
その百戦錬磨な狐狸たちをも驚かせるマルドゥラ使節団の代表者に、皆の目は釘付けだった。
通常、謁見する貴人が礼儀を示す位置で、迷うことなく足を止めた異国の王子。
年頃は二十代半ば。マルドゥラという国から受ける印象とは異なった、拍子抜けするほど穏やかな面立ちと雰囲気。
少しクセのある黒髪に細身の体躯。針の視線さえも柔和に受け止めて流すような、そんな掴みどころのない性質がその微笑と物腰に表れている。
サウズリンド国王が発した歓迎の意に、やわらかな儀礼で返した。
「──こちらこそ、お逢いできて光栄です。サウズリンド王国、ウィリアム国王陛下。マルドゥラ国、オルゼノ王が第二子、レグリス・カランザと申します」
一風変わった礼儀を示した異国の王子。
その穏やかな面には押し隠した緊張と、衆目にさらされても物怖じしない備わった気品がある。そして、恥じることなく上げた面にあった、きっちりと閉ざされた眸。
──盲目の王子。
それが、サウズリンドの宮廷に巣食う狐狸たちにも常にない驚きを与えているようだった。
事前に知らされていなければ、自分も少なからず驚きを表わしていただろうと、静かにその王子と周囲を観察する。
使節団護衛についていた黒翼騎士団のイアンから特徴は聞いていたものの、ほんとうに目が見えていないのかと疑うぐらい、その挙措には迷いがない。ある程度は虚栄だとしても、嘲笑などはばかれるほどの、堂々たる態度だった。
これが、次期マルドゥラ国王と見なされている王子か──と少しく意外な思いで見やる。サウズリンド国王である父と王妃である母と、公的な会話が交わされ、父の言葉はこちらへ向けられた。
「使節団が滞在中の間は、我が息子が貴殿らの歓待をさせていただく。次世代を築いていく者同士、良好な関係が築かれることを期待しよう。──クリス」
うながされて一歩進み出ると、それまで異国の王子に集まっていた視線が自分に集中するのがわかった。
一身に浴びる注視に、相手に見えていなくとも、いつも通りの王子っぷりが発揮されるのが自分でもわかる。
サウズリンド王家に特徴的な、日の光を集めたような金の髪に青空色の眸。衆目を集めるのは当然のごとく、少しばかり傲然とした気配がにじむのも、幼い頃より相応の立場で培われてきたものだ。今さら如何ともしがたい。
そして、自身の容姿と存在感が及ぼす影響も経験ゆえに理解していた。
サウズリンドの貴族のみならず、レグリス王子の背後に控えたマルドゥラの使節団が気圧されたように──あるいは、魅了されたように抱えた牙を引っ込めたのを目にして、平素と変わらぬ微笑を浮かべた。
「──サウズリンド王国、王太子、クリストファー・セルカーク・アッシェラルドと申します。遠路はるばるのお越し、心より歓迎する。此度の機会を踏まえて歳の近しい者同士、お近付きになれることを私も喜ばしく思います」
すると、声を発した方向に過たず顔を向けた盲目の王子は、どうやら聴覚や人が発する気配というものに聡く優れた者らしい。
やわらかな態度のまま一礼を示し、再度名乗りを交わす。小さな微笑を口の端に見せた。
「サウズリンド王国が誇る、近隣諸国に名高い、聡明で英邁な王太子殿下。お噂はかねがね──」
含まれたものにかすかに反応したのは幾人か。返す自分の口元も、いつものクセでにこやかなままだ。
「噂が一人歩きして名倒れとならぬよう、戒めとするばかりです。……まあ、噂というものは得てしてそれを口にした者の主観が入る。私はそれよりも、マルドゥラ国内で『神に愛でられた王子』──と異名を取られる、その真髄をおのれの目で見極めたく思いますね」
見つめ返した先では穏やかな微笑を浮かべたままのレグリス王子がいる。彼の数歩後に控えた貴人のほうが、わずかな狼狽を見せたようだった。
サウズリンドの貴族たちがざわめく前に、国王である父が形式的な決まり文句でその場を締めくくる。
マルドゥラとサウズリンド、両国の狐狸が入り乱れ、双方の思惑と暗躍が行き交う本格的な外交は、これからだった。
~・~・~・~・~
外交の手段として使われるのが、当たり前のごとく社交である。
マルドゥラ使節団を招いての夜会は本格的な社交シーズンを春先に控えた冬の時期ではあるが、事が事なだけに想定以上のにぎわいをみせていた。
マルドゥラという国を忌避する風潮はいまだに根強いが、やはり例にない出来事に多くの者が好奇心を優先させたらしい。
夜会の主催者はもちろん、王太子である自分である。
マルドゥラ使節団を歓待するため、──その主立った面々が若手であることを考慮して、夜会の招待客も成人を迎えたばかりの初々しい顔ぶれから、国政に携わる中堅どころの文官、商会の中で頭角を現してきた少壮の年代等──貴族にこだわらず多彩に集めるようにした。
その、マルドゥラ使節団──。
「エルバーラー叙事詩。あれは確かに、我が国の建国にまつわるものとして民に親しまれています。サウズリンドの英雄王と同じくらい有名でしょうか」
代表者、レグリス王子。目が不自由なことを考慮して常に専属の侍女と護衛が付き添っているが、いまだ独身の身であり、定まった婚約者はいないという触れ込みだ。
その彼に真っ向から問いかけているのが、イーディア辺境領、西の守護神と謳われるヘイドン伯爵家の息女、アンナ・ヘイドン伯爵令嬢。
夜会の装いに身を包みながらも、その眼差しと凛とした態度は、辺境伯の娘ならではの芯に根付いた強さが見られた。
「エルバーラー叙事詩は、ライザ教がその基だと言われています。国を制定したエルバーラー──つまり、マルドゥラ国の初代王はライザ教の信徒であったと。それゆえ、マルドゥラ国はライザ教を国教とされているのでしょうか」
およそ、社交の場とは思えない歴史の応酬に、彼女をエスコートした隣の男がやわらかな微笑で口を挟んだ。
「いや──そうとも言えない。エルバーラー叙事詩は、旧帝国領から出たものと、民間から出たものと二説ある。宗教の観点からだけで歴史を論じるのは、一方通行だよ、アンナ嬢」
そう押さえるのは、王太子婚約者の兄であり、宰相補佐役として頭角を表わしているアルフレッド・ベルンシュタインだ。ベルンシュタイン家の性質ゆえか、ふだんの彼は社交の場に積極的なほうではないが、さすがに今回はその存在を示している。
王太子婚約者──エリアーナが不在のため、その存在と意志をマルドゥラ使節団とサウズリンドの貴族へ知らしめる目的もあってだ。
レグリス王子は穏やかな笑みで答えている。
「サウズリンドには学識者が多く、他国の歴史にも知識の広い方が多いとは聞いていましたが……。それが女性の文官とは、我が国も見習わせていただきたいものです」
やわらかに受け止められて、アンナ嬢が自らの急先鋒を恥じるように勢いを控えた。
「……サウズリンドでも、女性の文官はけっして多くはありません。私がこの職に付けたのは、エリアーナさまの助言があったからです」
ああ、とレグリス王子の微笑がさらに深いものになる。
「王太子殿下の婚約者どのですね。我が国の恩人でもある。……ぜひともお逢いしてみたかった。残念です」
心からの言葉のように感慨が込められたものに、招待客との仲介を交わしながら広く投げていた注意が戻されるのがわかった。
浮かべていた微笑が、その名にさらに深まるのも。
「──エリアーナも、あなた方、マルドゥラ使節団と面会することに意欲を見せていました。しかし、彼女は次期王太子妃なため、多忙な身です。彼女が不在の詫びは、私が如何様にも申し上げましょう。しかし──、彼女の意志はここにありますよ」
断言する口調にアルフレッドの微笑がフッともれ、アンナ嬢も瞬きから微笑を深めたようだった。……この二人の仲は世間的にまだ不確定だが、先を予感させるには充分だと思わせる。
アルフレッドが私の意を継いで周囲の文官とともにレグリス王子と歴史談議に興じはじめ、合間に国の内情に探りを入れるのを確認して、さりげなくその場を離れた。
マルドゥラ使節団の貴人は、あと二人。
「──星空をながめながら語り合う恋人たちですか。サウズリンドの恋人たちはなんとも情緒的だ。我が国は冬が厳しい土地柄ですので、夏場はともかく、今の時期は悠長に星空をながめていたら、一対の氷の彫像が出来上がってしまうでしょう」
笑いを誘う、裏を感じさせない明るさで年若い男女を惹きつけているのが、見目よく華やかな容姿のギルハン伯爵だ。
年頃は四十代はじめ。遊び慣れた雰囲気と軽薄さもただようが、人を惹き付ける話術は外交向きのようだ。
「では、マルドゥラ国の男女はどのような逢瀬を交わすのですか」
そう問う声に、ギルハン伯爵はフッと意味深な笑みと口振りで年若い者の好奇心をかき立てる。
「マルドゥラには、『玉泉の星』という言葉があります。──玉泉というのは、マルドゥラの地底湖に数多あるとされる、光り輝く玉の石のことです。我が国には鉱山が多い。それゆえ、地底に隠された宝玉がなににも勝る価値あるものとされるのです」
まあ、と光り輝くものや異国情緒に興味を惹かれがちな年頃の男女が身を乗りだす。その夢見がちな少女に向けて、ギルハン伯爵は見目よい微笑を向けた。
「玉石混淆──。私は、女性をそのように評するのはいかがなものかと思いますが。宝石も磨かれる前はただの石だ。数多あるその中から、たった一人を見付けだす──それを至上の価値とするのは、どこの国でも一緒ではないでしょうか。我が国ではそれを、『玉泉の星』と言うのですよ。そして、冬の厳しい季節は、家にともる灯りをそう呼ぶのです」
冬が厳しくとも自国は宝石のように輝いている、──そう含めた言葉とともに、夢見がちな少女たちの眸が見も知らぬ異国の幻想に輝いた。
さらに甘言を乗せる貴人と、負けじとサウズリンドの情緒を語り合う若手の一団。
それを横手に、さらにもう一つの一団に耳を澄ませる。
「昨今、西国の銅や製鉄技術には目を見張るものがあります。東方から流れてくるものは、どちらかと言えば芸術性に優れたものが多いのですが。しかし、西国の技術もマルドゥラ国の資源あってこそでしょう。サウズリンドの技術者にも、ぜひ見習わせたいのですが」
そう口にするのは、国内でも有数の貿易商を営むアルドリーノ伯爵。彼は、自分の側近でもあるアレクセイの妹、テレーゼの夫君だ。
対したマルドゥラの貴人は、齢三十代半ば。レグリス王子の親戚であり、最近爵位を継いだばかりという若きバルモア伯爵。
しかし、権勢に乗って勢い付いた様子かと思いきや、風采が上がらずおどおどと周囲の顔色をうかがうような、素人目にも外交には不向きではないかと見受けられる人物だった。だが。
「西国の製鉄技術はどちらかと言えば橋梁や製船など、お、大きなものが特徴ですので。僕は東方から伝わる精緻な細工や、……サ、サウズリンドの洗練された技術に、とても興味があります」
覇気なく自信のない人物かと思いきや、自国の資源を活かすためには何が必要か、主要な流れを見る目も持っている。
それに対して、「マルドゥラの製鉄は」「資源の流通は」と、具体的に踏み込むアルドリーノ伯爵と商会の者たち。
貿易や資源に関して、閉鎖的なマルドゥラと縁を結ぶ好機と捉えた、先を見据えた者たちでにぎわう一団。
まずまずのすべり出しと手応えを横目に、会場まわりに足を踏み出すと、当然のように護衛のグレンと、アレクセイが代わりに付けていった文官が後に付く。
通常ならば王太子である自分のもとへ客人は挨拶にやって来るが、ここは王宮内の迎賓館であり、外交がその主目的であるからには、招待客の関心はマルドゥラ使節団へ向かっている。
それが当然である。──が。
「クリストファー殿下。ご機嫌うるわしく」
会場内を歩きだすと、とたんに寄ってくる特定の者たちがいた。そのほとんどが、年頃の娘を連れた貴族の父親である。
それは婚約者不確定の昔や、婚約者が定まった後も、とうのエリアーナが社交に頻繁に姿を見せなかったためにあった光景だった。彼らの意図ははっきりしている。
王太子である自分の目に止まり、あわよくば側室に──エリアーナを押し退けて、正妃にという考えの持ち主だろう。
成婚の日取りが決まった昨今は絶えていたのだが、エリアーナが不在と見るや、とたんにこれだ。……こういった輩はいくら払ってもきりがないし、今夜に限ったことではないのも理解している。
そして、連れられて来る令嬢が父親に逆らえない立場であろうことも。
だが──と、ふいによみがえる青い頃の疑問と思いが、目の前で媚を込めて見つめてくる令嬢と父親を見ると、あらためて思い出される。
この者たちの価値観と、会場内でマルドゥラ国へ好奇心に眸を輝かせている女性や人々──その違いはなんだろうと。
群がる者たちをいつも通り、微笑の裏で切り分けながら、背後でつぶやかれる声を聞いた。
「……これがアレクがいない弊害、その二か。エリアーナ嬢が不在でも、けっこうアレクがあの氷の視線で軽率なやつらを仕留め……凍り付けて、とどめてきたんだな」
なるほど、と一人納得しながらグレンは俺の眼力は氷の魔人に及ばない……喜ぶべきか否か、と阿呆なことをつぶやいている。
すると、アレクの部下が上司に似通った発言で同意していた。
「先のダウナー家のように、あからさまであればつぶしやすいんだが、とアレクセイさまもおっしゃっていました。……とりあえず、つぶすのは確定なんですね」
「そりゃおまえ、魔王に睨まれてこの国で生き延びられるかよ。氷漬けの刑か魔王に睨まれて没落の刑か──。おまえならどっちを選ぶ?」
「なんですか、その先のない選択肢は。人生遊戯だって一発逆転の目があるから、だれもが賭けたくなるんですよ」
今は幸運の女神さまがご不在の折り返しに来てるからなあ、とくだらない軽口を聞くこともなしに流し、会場内にやった目がフッと冷ややかになるのがわかった。
「…………」
マルドゥラ使節団に付いていた護衛は、さすがに夜会の場へ踏み込むことはできない。それゆえ、彼らの主君は安全であるという保証と威容を込めて、イアンたち、黒翼騎士団の少数を会場内の警護にあたらせていた。
もっとも──。
会場の端で会話を交わす母方の伯父と黒翼騎士団の隊長を目にし、その警護に信用を置くか否かは、マルドゥラに限らず別問題だろうが、と眸が冷ややかになる。
変わらずご機嫌うかがいにやって来る挨拶を受けながら別の思考に考えをめぐらせていると、目前の父娘が外交のために開かれた場とかけ離れたことを口にしてきた。
あからさまに、我が娘を一夜の相手に──などと含ませてきたのだ。娘のほうもしおらしげに控えているが、まんざらでもない様子だ。
さすがに、眸どころか気配の温度も下がったのが自分でもわかった。
「……そうか」と口にした一瞬で、目前の父娘とグレンたちが凍り付くのがわかる。
反した微笑は、自分でも麗しの王子、と称されるにふさわしいものだと自覚した。
「そちらのご令嬢は西北の歴史に詳しく、身を挺して国の役に立つことを望まれると、そういうことか。それはぜひとも、私も気に留めておくこととしよう」
マルドゥラ使節団へ探りを入れる諜報活動の駒となるか、と含ませると、さすがの父娘も顔色を失くして「そのような……おそれ多い」と意味をなさない辞去でそそくさと消えた。
王太子である自分のお手付きになるのならともかく、マルドゥラの間者に使われるのはまっぴらごめんと、そういうことだろう。
苛立ちを心中の舌打ちでとどめると、「あー、殿下」とグレンが公の場ならではの敬称を口にした。
「自分がこれを申し上げるのは柄ではない、というか……まあ、自分が言うしかないんだろうなと思いますが」
らしくない諫言を口にしかけたので、わかっている、と苛立ちを押し込めて返した。
マルドゥラと友好を結ぶ目的の夜会であるのに、主催者であり、王太子である自分がマルドゥラへの心証を悪くしてどうするのか、と言いたいのだろう。アレクがいたら、もっと辛辣に嫌味を言われていたに違いない。
理解していても、どうしようもなくつのる苛立ちは抑えようがなかった。すると、グレンがククッと笑いを押し殺す様子がある。
「っつーか……おまえ、さっきからずっと不機嫌がつのってるのがわかりやす過ぎだろ。冷静なフリで青臭く苛立ってるところとか、どんどん返答に個性がなくなってくところとか……ブフッ」
と、吹きだすのをこらえるに至って、私も作りものではない微笑が浮かぶのがわかった。背後に視線を流す前に、言ってはならない一言がもれ出る。
「エリアーナ嬢がいないからって、おまえ余裕なさすぎだろ」と。
……うん。とりあえず、この側近は氷漬けと人生のドン底と女っ気なしの禁欲生活に陥りたいらしい。理解した。
にこやかに口を開きかけた先で、アレクセイの部下が察しよく数歩離れ、余計な口を叩いていたグレンが、ハッと状況をあらためた。そこへ、
「──これは、クリストファー殿下」と、生贄への救済が入った。
いそいそとやって来た数人の中流貴族に、さらに心中で舌打ちが鳴る。
決まりきった口上と挨拶で表面上は変わらぬ対応をすると、集団の一人がおべっかで夜会を評してくる。
「とても活気のある夜会ですな。若者を中心に、貴族から文官、商会の関係者まで。……特に、商会の者は大手よりも中堅どころが多いようですな。いやはや、クリストファー殿下のお顔の広さには、あらためて感心させられることしきりです」
抜け目なさそうに顔ぶれを吟味しているのは、海上貿易に関わりを持つ貴族だ。
まったく、とそれに呼応したのが、この中の代表格である五十半ばの男性、ブラント伯爵。ちなみに──彼らはアレクセイがいないのを幸い、先日から何かと執務室へ押しかけてくる筆頭でもある。
「若い者が多いと、夜会にも活気がありますな。それも、若者ならではの向う見ずな夢想と情熱の表れでしょうか。ああ、いや、これは失礼。年寄りにはいささかまぶしく見えましてな」
そのまま目がつぶれてろ、と微笑の裏で聞き流し、身に備わっていない余裕と貫禄が小物ぶりを表わしている輩に辟易を押し殺す。
ブラント伯爵は次いで、わざとらしいほどの白々しさで自分の空いた隣に目を留めた。
「それにしても、このような活気ある夜会ですのに、主催者たる王太子殿下の隣が不在なのは寂しいことですな。マルドゥラ使節団を迎えての歴史的な外交なのですから、殿下もふさわしい方をエスコートなさればよろしいではありませんか」
そう言って、わざとらしく視線をダンスホールへ向ける。
そこには、夜会のきらびやかな灯りを受けて輝く、赤みがかった茶金の髪の令嬢がいた。
マルドゥラ使節団の一人とダンスを踊る彼女は、若い世代の筆頭であるテレーゼと、王太子婚約者であるエリアーナに次いで、若手の代表格と見なされる母方の従妹だ。
──オーディン公爵家令嬢、ファーミア・オーディン。
母である王妃の姪でありながら驕ったところなく、またテレーゼのような社交界を率いていく意欲を見せるでもなく、控えめな性質をのぞかせて、いつも人の後ろでそっとほほ笑んでいるような女性だ。
父親であるオーディン公爵とは異なる性質を、昔馴染みゆえに少なからず承知していたが──。
含められた示唆には気付かぬふりで、いつも通りの社交辞令を浮かべた。
「婚約者のエリアーナが不在だと、色々と気遣いをいただくようで、私もあらためて気付かされることしきりだ。だが……成婚式を控えながら、不誠実な真似で評判を落とす男に成り下がる気は、さらさらないんでね」
それとも、と眸を冷ややかに、微笑を深めて底の浅い者たちをながめやる。
「自国の評判を貶めるような王太子を、望むような者たちがこの国にいるのかな」
国と王家に忠誠を誓うはずの貴族に、と言外に含めると、ブラント伯爵たちの態度がわかりやすくたじろいだ。
見やって口調を変えず釘を刺しておく。
「ファーミア嬢は王妃である母上も目をかけているご令嬢だ。母上が勧める縁談以外でも、彼女が良縁に恵まれることを、私も自国の民の幸を願う者として、祈っているよ」
それ以外の思惑に彼女を関わらせるつもりはない、ときっぱりと言い切ると、ブラント伯爵らの顔がわずかに強張った。
言い返したそうな顔色に微笑で応えてその場を後にする。
距離を置いて、アレクセイの部下に顔ぶれは確認したか訊くと、空気を読んで距離を戻していた文官が、冷静にはいと応えた。
「──殿下に寄って来た令嬢連れの貴族は、オーディン公爵派閥、もしくは傍流の者がほとんどです」
あ、なるほど、と鈍く意図を理解するグレンにあきれながら、だろうな、と小さくうなずき返し、周囲の声に微笑で応える。
わかりやす過ぎる反応には、疑問が残る。エリアーナを不在にすることで動く者たちは想定内だ。彼らの目的ははっきりしている。
だが──。
ここまで築いたエリアーナの評判を覆し、それこそ軽口で出てきたように、一発逆転の切り札が存在するのか。
するとしたら、それはいったい何で、標的はどこだ──。
思考をめぐらせながら背後にした音楽に、人知れず吐息をついた。
気にかかることは山のようにある。
マルドゥラを敵視してはばからない軍部の強攻派。この夜会にもちらほらと姿を見かけるが、さすがにここで事を起こすような真似はしないようだ。
権力に群がる者たちが飽きもせず、自身の正妃の座を狙ってくるが、エリアーナを盾に拒絶すれば狙いが彼女に向かうだけだ。それで、国の決定事項に逆らう気か、と矛先を変えてはいるが──。
短絡的な者は彼女さえいなければ、とやはり愚かな行動に出るのだろう。だが、彼女には民の支持がついている。早々、迂闊なことはできないはずだが。
「…………」
知らず、片手が拳をにぎっていた。言葉にせずにつぶやいてしまう呼び掛けがある。
──エリィ、と。
彼女が不在の間に、その友人を処断するような事態になったら──それを、後で彼女が知ったら。
彼女は、自分に隔意を抱いたりするのだろうか。……失望、したりするのだろうか。
グッとにぎりしめた拳に力を込めながら、すでに後には退けないところまで来ているのを感じていた。
──猶予はあった。五年の間に機会は何度も。
それでも今この時、婚約者を定めず未婚のまま、権力志向の強い父親の下にいるのが、ファーミアの意志なのだろう。
そう、割り切るしかない。
すでに事は動きだしているのだから。
~今さらですが、お知らせ~
『虫かぶり姫』コミカライズが月刊ゼロサムにて連載中です。オンラインで読むこともできます!
エリアーナが可愛くて、クリスがかっこつけ大魔王です!
どうぞよろしくお願いします!(≧∇≦*)




