エリダヌス[2]
「えっと、ごめん。私今、聞き間違えたかな?六千万年?」
「間違いじゃないわよ?わたしは確かに六千万年といったけど?」
「……えっと?」
マジですかそれ、と言わんばかりのメルの表情を見て、メヌーサはアハハと笑った。
「ちがうちがう。エリダヌスは単一の国じゃないって言ったでしょう?」
「あ、うん、確かに」
一瞬、納得しかけたメルだったが。
「いやちょっと待って。超国家な何かの計画だとしても六千万年は無茶でしょうが!」
「でも実在するし、動いてるのよ現実に。何千万年、いえ、母体になった元々の実験も入れれば億年の時間をかけて」
「……億年?」
「うん」
「……なんだよそれ」
メルは頭を抱えているようだった。
「そうね、じゃあちょっと考え方を変えてみましょうか。
あのねメル。
もしメルが、誰かに伝言を伝えたいと思ったらどうする?大切な、どうしても伝えなくちゃいけない頼みごとなんだけど」
「頼み事?そんなの、直接言うのが一番だよね?」
「もちろんそうね、それはその通り。だけど、その時に自分がもういないなら?」
「いないのか。じゃあ紙に書いて誰かに渡すんじゃない?伝言じゃあ正確さを欠くでしょ?」
メルがそう言うと、うんうんとメヌーサはうなずいた。
「まったくそのとおりね。じゃあメル、何百年も未来の人にそれを伝えたいとしたら?」
「何百年?」
「そ」
首をかしげたメルに、メヌーサは頷いた。
「紙は劣化するし、文字や言葉は変わっていくもの。たった何百年でも細部のニュアンスはうまく伝わらなくなってしまうことがある。でも、だからといって後生大事に保管しようとすると、今度は肝心の内容が忘れられてしまう可能性もある。立派な文面だけがなぞめいた記号として残り、知っているのは考古学者だけということにもなりかねない。
石や金属に刻むのもそう。これらは千年あるいは万年もつけど、言葉の変化の前にはどうしようもないわ」
「……そりゃまぁ」
確かにメルはその意味を理解できた。
日本でメルは本をよく読んだ。でも、ほんの数十年前に書かれた児童書でも結構読みにくい事があるのも知っていた。
言葉とは、それほどに早く変わっていくものなのだ。
「何百年でも変わっていくというのなら、それこそ千年万年単位じゃ話者も絶えるし意味も失われる。そうなったらただの暗号、どんな名文もただの芸術的な飾りよね。そう、今メルが一瞬考えた、その『ぴらみっど』とかいう古代遺跡の文字の正しい読み方がわからなくなってしまったようにね。
さて問題です。
メル、そんな中、たったひとつの指示を百万、千万、億年単位に伝える方法はあるのかしら?国家を越え、言葉を越え、種族を、文明を越えて伝えつづけるには?」
「……ごめん、わからない」
しばらく悩んだあげく、メルは音をあげた。
そうすると、メヌーサは「簡単よ」といわんばかりに微笑んだ。
「最初にメルが言ったでしょ、それが答えよ」
「直接言う?でも、ひとは億年生きられないよね?」
「ええ、そうね」
『まぁ、もしかしたら硅素生命とか特殊な連中に頼むという手もあるかもしれないけど、それはつまり伝言だし。正確さを欠いてしまうんじゃないの?」
しかし、そのメルの言葉を聞いたメヌーサは、うっふふと悪戯っぽく笑った。
「いえ、実はいいのよ伝言で。
確かに伝言は正確さを欠く、それはメルの言う通りだわ。だけどメリットもあるのよ」
「メリット?」
そうよとメヌーサはうなずいた。
「伝言である限り、それは無意味な記号の羅列にはならないの。どういうカタチであれ意味のある言葉で、文面で伝えられていくのよね。もちろんそれは内容の劣化という意味でもあるんだけどね。
つまり。
伝言ゲームの中で内容は確実に劣化する、だけど確実に、その人たちの使う言葉に翻訳され続けながら未来に伝えられていくわけ。これはわかる?」
「あ、うん。わかる。内容は変わっちゃうけど伝わりはするって事だよね?」
「ええそうよ」
ウンウンとメヌーサはうなずいた。
「あとはね、いかに多く、広く、どこまでも広めていけるかなの。
夜のしじまの昔話に、恋人たちの語らいに、そして寺院でのお説教に。あるいは政治家のたとえ話に。一度伝播してしまえばあとは形骸化しつつ伝説や神話になる。その中に共通する、たったひとつのメッセージを隠してね。
神話、宗教、政治スローガン。あらゆる方面にそれは拡がった。
あとは簡単でしょう?
たとえ中枢の国や民族が滅びても問題ない。この銀河には億単位の宇宙文明が、さらにその数倍の惑星文明がひしめいている。それらのほんの少しでも記憶をとどめてくれていたら?」
「そりゃ、何かが残っている可能性はあるけど……もう元の内容なんて影も形もないんじゃないか?」
「それがねえ」
ちょっと苦笑気味に笑うと、メヌーサは呆れたように言った。
「実は二百万年ほど前に一度、情報の収集をしてみた事があるの。銀河中の噂をできるかぎり拾い集めて、それを計算機にかけて。そこから元の文面を導き出そうとしてみたんだけど」
「実際にやった?で、どうなったの?」
「それがね、予想以上に正確でびっくりしちゃったの。すごいでしょう?」
「へえ……」
にっこりとメヌーサは笑った。
「そっか。考えてみたら地球の神話や伝承だって、必ず元になった史実、あるいは源流となった伝説が残るものが多いんだっけ。もちろん全くのオリジナルもあるみたいだけど、似通った伝説は驚くほど多いって聞いた事があるね」
「でしょうね。伝わる、伝播するっていうのは、わたしたちが思っているよりもはるかに凄い力があるって事よ」
「そっか。すごいね」
本気で関心したメルは、ううむと腕組みをして唸った。
「メル、ほら立ち止まらない。歩くの」
「あ、うん」
そうしている間にも、もちろん歩みは続いていく。
女の子ふたりが、しかも話し込みつつトコトコ歩いているのだから、当然その速度は早くない。
そして先ほどから、いくつかの警察車両らしきものが走っているが、メヌーサの言う通り、確かにメルたちには全く目を向けていないようだった。減速してこちらを確認もせず、ただ走って行く。
その徹底した無視っぷりにメルは若干の違和感をおぼえる。
でも実際のところ、だったら何が起きているのか、という事もわからない。
だからとりあえず、ふたりの歩みは止まらない。
「で、そのエリダヌスって人達はいったいなにを伝えたかったの?宇宙規模の伝言ゲームを何千万年単位のシンクタンク代わりに使うなんて、言葉にすりゃ簡単だけど途方もない手間がかかるじゃないか。
その人たちの目的はなに?」
「内容は簡単よ。『宇宙に適応拡散せよ』ただそれだけ」
「適応?宇宙文明をもっと広げるということ?」
「あは、違うわよ。それだけなら今も立派に宇宙文明だし、銀河にあまねく拡がってるじゃないの」
「それもそうか……じゃあ、どういうこと?」
いつのまにか太陽が傾き、大きな影がかかっていた。
アルカインの空にあるのは主星であるマドゥルの太陽だ。太陽系のそれよりいくぶんそれは大きく熱く明るいのだけど、宇宙的に別のカタチで相殺しているのだろう。このアルカインの気候は結果として地球と大きく変わらず、生態系も植物相も、同じとは言わないけど驚くほど似ている。
さわやかな風が、メルの頬をなでた。
「エリダヌスの目的、それはね」
てくてくとメルの前を歩きながら、メヌーサはまだ続けていた。最初に見えていた森がきづくとずいぶん近くなっている。
「簡単にいうと、宇宙空間でも死なない人間を作ることなの」
「死なない?」
「そう」
うんうん、とメヌーサはうなずいた。
「確かに技術があればひとは宇宙に住める。だけどそれは本当に住んでいると言えるのかしら?真空にさらされれば即死、ちょっと温度や気圧が変わっただけでも容易に全滅、あるいは致命的な障害を引き起こしてしまう。それはメルの国だろうと他の銀河の国々だろうと変わらないのよ?
わたしたちはそれを変えようとしたの。それがエリダヌス計画の目的」
「わからないなぁ」
メルには本当に理解できなかった。だから思ったままを言葉にした。
「地球の技術じゃ確かにそれは難題だよ?だけど宇宙に拡がった文明でいちいちそれを問題にする必要あるの?それって結局、空を飛ぶために鳥になるというのと同じことじゃない?」
「あのねえメル、その『空を飛ぶため』にどれだけのコストがかかると思っているの?」
メヌーサは眉をしかめた。
「例外もあるけど、基本的にわたしたちは惑星上に生きるため適応した生命体なのよ。確かに空を飛ぶだけなら簡単な飛行装置があれば事足りる。だけど真空と有害な放射線の宇宙空間ではそういうわけにはいかないの。
ただ生きるだけではダメなのよ?放射線による遺伝障害という厄介な問題もそこにはあるのだものね。
結局、宇宙に拡がるためには人間側にも最低限の装備が必要ということよ。いくら銀河が広大でもそこにある資源は無限ではない。宇宙文明のスケールではやっぱり有限で、生命維持にかかる膨大な資材の消耗はもうすでに危険な領域に達している。
そして、宇宙に拡がることはわたしたちの生きる道でもある。すみよい惑星の上だけに留まっていては、やがてその星とともに滅びるだけなのだから」
「あ、資源」
言われてみればとメルも思い出した。
メルのいた日本はオイルショックの直後であり、省エネ、省エネとあちこちで叫ばれ続けていた。だから無駄なエネルギーを使わないという感覚だけは、確かに身近なものではあった。
「なるほど、いわば宇宙規模の省エネ対策というわけなのね」
メルがそうつぶやくと、その通りよとメヌーサはうなずいた。
「ちなみに百連邦年前の推定データだけど、連邦加入の全人口が一連邦年に消費した生命維持エネルギーの累計知ってる?
なんでも、実に443,000,020,000,000,000コロアドにも匹敵するそうよ」
「……ごめん、凄いんだろうけどイメージが全然わかない」
「あら、ごめんなさい」
ウフフとメヌーサは笑った。
「まぁ、あえて最新の動力炉のエネルギーに換算すると、そうねえ。小さめとはいえ恒星いっこにも相当する規模かしらね。
この意味わかる?メル?
わたしたちは毎年、恒星ひとつまるごと食いつぶして暮らしてるのよ。生命維持だけで。
しかもこれは連邦だけの推定値。この銀河には連邦に属さない文明圏もあるけどそれは計算にいれてない。それを少なくとも数十万年、エリダヌス時代の記録からすると数億年以上は繰り返してるわけ」
「……そうなの?」
「ええ、そう。これは事実よ」
メルは言葉が続かなくなった。
「一年ごとに星ひとつ食べ尽くしてる?しかも『生きるだけ』で?」
「そうよ。しかも、もうすでに何億って恒星を普通に食べつくしてる」
「……ダメじゃん」
困ったようにメルが言った。
「実際、わたしたちはあらゆることをやってきたの。
この世界には科学とは違う形態の文明圏も存在する。わたしの国もそうだったんだけど、これらの地域の技術は普通とは違うアプローチだから、逆にいうと資源破壊の量が極端に少ないものもあったの。これらが研究され成果として盛りこまれた。
だけど、そうした努力だけでは完全に現状を覆すことはできなかった」
「それで人間自体を変えようってか……だけどそれ大変なことじゃないの?」
「もちろん大変だわ。だから時間が必要だったの」
うんうん、とメヌーサはうなずいた。
「遺伝子を粘土細工のようにいじれる技術をもってしても、ひとの心は変わらない。それは本能のようなものよ。神様からもらったこの世界、この身体は絶対のものであって、それをくずすのは遺伝子組み替え食品すらタブーであるという考えね。病気の治療にすら反感をもたれるほどにそれは強かった。
確かにそれは自然の防衛本能であり大切なものなんだけど……」
と、そこまで言ったところで、
「それはそうでしょう?ひとがひとである事はとても重要。どんな種族だろうと自分たちの本来もつ姿や機能を変えたいなんて思わない。あたりまえじゃない。ひとはアンドロイドとは違うのよ」
メヌーサと違う大人の女性の凛とした声で、そんなセリフが突然響いてきた。
「ソフィア」
そう。そこにいたのは……。
「だからマーケットはよしなさいって言ったでしょう?メル」
お怒りモードのソフィアが、数人の護衛らしき兵士と共に立っていた。