はじまり
『この世の全てはね、偶然と必然で織りあげた事象の積み重ねなの』
そんな言葉が、唐突にメルの脳裏に浮かんだ。
少女のように瑞々しく、しかし老婆のように老獪な声だった。それはメヌーサの声であることは間違いなかったが、同時に誰でもない別人の声のようだともメルは思った。
緑の野原。
そこにメルはいた。
それが夢の中なのはすぐにわかった。メルがメルになる前の、懐かしい地球の、あの野原だった。大切なあの子が自分をアンドロイド、人工物であると自己紹介してくれた。そんな場所。
そんな場所に、メルとメヌーサは並んで座っていた。ふたりとも何も身につけていない、つまり全裸で。
だけど、そんな姿なのにエロティックな感じがなかった。小さな子供がふたり並んでいるような特有の微笑ましさがあった。そして、メルもメヌーサも邪な事は一切考えず、ただ周囲の風景をのんびりと見ているだけだった。
(ここがアヤとあなたの思い出の場所なのね。うん、悪くないんじゃない?)
周囲を見て何かいいそうになったメヌーサだったが、結局それ以上は何も言わなかった。空をみあげて、そして何かを口の中でつぶやいた。
突然、メルのまわりに小さな光が輝きはじめた。
それは闇にまたたく漁火のように小さなものだった。メルが驚いて目をみはろうとすると、それはみるみる消えてしまった。
『えっと、何?』
(アヤに聞かなかった?あなたは『鍵』。その封じられた鍵をわたしが開いた。今のはその中身が具象化された光として目に見えたものよ。
わけがわからないでしょうけど、あなたは今この瞬間に銀河の歴史を動かしたのよ。アヤに再生されたその身体でね。誇りに思っていいわ)
『えっと、ごめん。本当にわからないんだけど?』
メルがそういうと、今はわからなくていいとメヌーサは笑った。
(わたしは、このために生まれ、この日を待ち続けていたの。ずっと、ずっと、ずーーーーっと、長い長い年月をね)
『長い年月……』
(ええ。本当に長かった……)
『そうなんだ。ちなみに、どのくらいなのか聞いていいかな?』
メヌーサはそれには答えず、何かを掲げるように空を見上げて両手を広げた。
(これから銀河中を旅することになるわ。メル、あなたもついてきなさい)
私も?
メルが問いかけると、もちろんとメヌーサは言った。
(あなたの役目はもう終わりだけど、わたしの仕事がすむまで連邦当局にあなたを捕えられるわけにはいかないの。それに引き受けたからにはあなたに危害が及ばないよう守る必要もあるしね。
で、その間に職業訓練もしましょ。わたし自身には無理だけど、教材はちゃんと持ってきてるから)
謎に謎を重ねるような事ばかりつぶやいて、メヌーサは静かに笑った。
メルの目覚めは突然にやってきた。
「君は連邦未所属の国の人だね?君の安全は確保するから、後ろにいる少女を引きわたしてくれるかな?」
そんな優しげな男性の声と共に、メルの意識は覚醒した。
そこは元の部屋だった。メヌーサが繋がれていた場所であり、メルはメヌーサが最初いた場所で豪華なソファに沈みこんだ状態でまどろんでいた。
目覚めてすぐのせいか、頭は重い。ねっとりとした鈍い思考が頭にまとわりついている。
だが、身体に目覚め特有のだるさはなかった。まるでスイッチを切替えたように身体の方は目覚めているようで、ついてきてないのは頭の回転だけだった。
「彼女はわたしのお客さまよ。わたしの人権は確保されているし、連邦兵士の手を煩わせるまでもないわ」
メヌーサはメルの前に立っていた。メヌーサの前には中世の騎士のような優雅な姿の兵士がいて、彼女はまるでメルを守るかのようにしていた。
ちなみに全裸ではない。メヌーサも、そして気づけばメルも、いつのまにか異星の礼装のような優雅なドレスをまとっていた。デザインは同じでメヌーサのは銀色、そしてメルのは灰色だった。
「いや、待ちたまえ。すまないがそういうわけにもいかないんだ……うん、そういう事なら、その子と一緒に王宮まで来てもらえるかな?
その子は王宮の賓客なんだよ。君にとってもお客さまというのならちょうどいい、君の身辺のこともあるし」
「ごめんね、そういうわけにもいかないの。でもあなたの親切なお気持ちだけいただくわね。ありがとう」
気を使っているとメルにもわかる兵士の言葉を、メヌーサは貴人の優雅さでやんわりと遮った。
「ソフィア姫……ああ、あとそれからアヤ・マドゥル・アルカイン・レスタが戻ったら彼女にも伝えてくださるかしら?メルのことはしばらく、この銀の四番が引き受けたと。
はっきりいって、この子は連邦の通常の教育では落ちこぼれる可能性があるの。ならばむしろ、この子の特性に似合った教育を受けさせたほうがいい。
なんとか一人前にしてあげるからと伝えてくださる?」
「メヌーサ・ロルァ?それが君の名前かい?」
ええ、とメヌーサはうなずいた。
「照会なさい。ボルダのオルド・マウ大神官の名でわたしの身元証明がなされているはずだから」
「少し待ってくれるかな?」
「ええ。もちろん」
兵士は何かを問い合わせるように首をかしげていたが、やがてきちんと姿勢をただした。
「失礼いたしました、使者殿!」
「あは、いいのいいの。この外見のせいでよくある事ですもの」
鷹揚にメヌーサは笑うと、兵士に外に出るように命じた。
「これから郊外の森に移動するわ。連絡の必要があるなら日が暮れるまでにと伝えてくださるかしら?それ以降はしばらく連絡がつかなくなってしまうから」
「了解いたしました。では失礼いたします!」
きちんと連邦式の敬礼をすると、兵士は部屋から去っていった。
「ふう。さて、わたしも急がなくちゃね。おはようメル」
「……おはよう」
何事もないかのように微笑むメヌーサに、メルは呆れたような顔で腕組みをした。
「よくやるなぁ。どこぞのお姫様みたい」
「その評価は正しくないわメル。わたしはただ、ちょっと長生きしているだけの存在だもの。外見どおりの歳ではない、だからいろいろと面倒なことがある。それだけよ。
ちなみにさっきの会話に嘘はないのよ?
ボルダの神官にちゃんと身元証明はしてもらってるの。本当にね?ただし初代神官にだけど」
「初代?」
うん、とメヌーサは悪戯っぽく笑った。
「今の大神官は何代めかしら?確か結構いい男だと聞いたのだけどね。さて」
そこまで言うとメヌーサは、メルの真似をするかのように腕組みをした。
「天翔船を待たせてあるの。森に移動しましょうかメル」
「てんしょうせん?宇宙船なの?」
そうよ、とメヌーサは笑う。
「ちょっと待って。宇宙船なら宇宙港じゃないの?」
「あら、宇宙港に堂々と船がおけるのかしら?わたしの立場は知っているんでしょう?」
「それはそうだけど、でもじゃあ、なに?シャトルでも隠してあるの?」
当然の疑問をメルが浮かべた。
だが。
「メルが想像している船と、わたしの使う船はまったく別のものよ。連邦の宇宙港ではたぶん船だと認識されないと思う」
「船と認識されない?じゃあ何に見えるの?」
「うふふ、見ればわかるわ」
何が楽しいのか笑いつづけているメヌーサ。
そのさまをどう反応していいかわからず、メルは首をかしげるだけだった。
そうしていると、やがてカーテンの向こうからセブルらしい声がかかった。
「メヌ、時間がないぜ、そろそろ行ったほうがいい」
「ありがとうセブル。長い間お世話になったわね」
「ち、今生の別れみたいなこと言うんじゃねえや。俺は大仰な伝説でおまえさんを連れ回してたわけじゃねえんだぜ?わかってんだろ?
またいつでも来やがれ、せいぜいこき使ってやるからよぉ」
「はいはい、本当に(※)エムノゼさんねえ、もう」
あははと楽しそうにメヌーサは笑うと、懐にごそごそと手をいれた。
「はいメル、これあげる」
「え、これって……え?ええ!?」
メヌーサが懐から取り出したのは、メルの身長ほどもある長い杖だった。
「こ、これ、どうやって仕舞ってあったの?」
「……青狸?4次元ポッケ?」
「なにそれ?」
「なんでもないっす」
メヌーサから杖を受け取ったメルは、ふむふむと手にもって確認した。
「普通の杖だねえ……でも、何か変?」
「あ、わかるんだ。よしよし順調ね。あとで簡単な使い方も教えてあげる。
ところでさっきの話だけど、わたしなら妹の黄色いロボットの方がいいかな。青いのは主役だけどかわいくないし」
「それは妄言だからいいの。それよりメヌーサ、私の思考読んでるね?」
メルはそう指摘したが、対するメヌーサは涼しい顔だった。
「何を今さら。だいたい、聞こえてる言葉と口の動きが違うのに気付かなかったの?
わたしは連邦共通語って嫌いだし、メルはわたしの言葉を話せないんだもの。こうしないと意志疎通できないのよ?今この瞬間もね」
「で、でも、確かに吹き替えみたいっておもってたけど、でも!」
「はいはい、気にしてもしかたないってば。
連邦では簡素な共通語の策定で言葉の問題を乗り切ったけど、でも所詮人造言語は人造言語なのよね。最低限の意志疎通にはなるけど文化破壊の要因にもなるし、デメリットも文字どおりてんこもりなの。だから結局は状況にあわせ、時には心を読み取り、時には簡素な言葉を使い、いろんな方法でカバーするしかない。
それよりメル、何か質問があったんじゃないの?」
「あ、うん、そう」
メルは気をとりなおすと、ビシッと杖を指さした。
「で、これは何?」
「初心者用の簡単なものだけど、これでも巫女の杖なのよ。すごいでしょ?たかが理力の杖といっても杖使いの本家本元、キマルケの巫女たちが使ってた筋金入りの本物なんだからね。
もちろんメルにも今は使えないわ。でも、わたしが補助すれば何とか使えるでしょう」
「り……りりょく、の、つえ?」
ちなみにメルのいた時代には、まだファミコンはない。彼女の知る最新のコンピュータゲームは『ディグ○グ』であった。
「これを手にもちなさい。メル」
あ、うん。
何か強い調子に押し切られるように杖を手にとった。
もちろん杖はただの杖だった。ずいぶんと長い杖ではあるが、だからといってどうなるものでもない。
「えっと、これで何をするの?戦ったりするわけ?悪いけど……」
メルに格闘戦はできない。
確かに彼女のスペックは高い。七型のボディなのだから当たり前だ。
しかしそれを制御する頭脳は人間時代と大差ない。
そう。
溢れる力をもてあましてしまい、よくて大惨事、最悪は自爆すらありうる。それがメルの現状だったりする。
たとえ、どんなものすごい力があろうと、持ち主が生かせなくては意味がない。
「だからこそ杖が必要なのよ」
「わけがわからないって」
「別に戦えとは言わないわ。そもそも巫女は戦うものではないし、ここでも戦う意味などないものね。今はただ持っているだけでいいの」
「……戦うものではない?」
「ええそう。ま、いいわ。とにかく行きましょう?」
「うん」
わけがわからないが、たしかにこのままここにいても意味がないだろう。
メヌーサに促されるまま、メルも立ち上がったのだった。
※エムノゼさん: 頑固者、ひねくれ者に近い意味。エムノゼ人の男によくある性格。事情を知る年寄りは好意をこめ、エムノゼさんと呼ぶ事がある。