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銀の四番  作者: hachikun
18/22

彼方へ(1)

 それは小さな物語。

 直径十万光年の巨大な銀河系、その一角である日起こった小さな出来事。それはやがてこの島宇宙における全ての生命体に波及する遠大な物語の序章ではあったものの、しかしこの時点では本当に小さな物語にすぎなかった。

 だが、かつて少年『野沢誠一』であった少女『メル』の心身への影響という意味では、決してそれは小さな物語ではなかった。

 今まで持っていた価値観や世界観の崩壊。

 宇宙文明という新世界を学び、理解しようとしていたメルはその変化もまた、戸惑いながらも受け入れていった。

 しかしそれは、単なる宇宙文明への順応にとどまらず、少年であった時代のアイデンティティをも失わせつつあった。

 

 地球を旅立って、連邦時間で約一年。

 メルは、どこからどう見ても少女なのに精神的要素で元少年の空気を強く残していたが、これは連邦の教育方針でもあった。つまり、いずれメルが一人の連邦市民として暮らせるようになる時までに、このまま少女となって生きるのか、それとも男に戻るのかの選択肢が提示されるはずだったのだ。

 もちろんだが、男に戻る場合は生身のアルカイン系の人間となり、ドロイドとして引き継いだものは全て失う。しかしメルは未開人とはいえアルカイン系の人間であるから、ソフィア姫が暫定の保護者としてその手続きを進めていた。連邦の、ひいては銀河の住人としての教育を行いながら。

 その、築かれた土台が全て破壊された。

 メルは新しい世界観や価値基準を前に、文字通りの真っ白になった。

 この状況に順応した時、彼女は『巫女』としての世界観や価値基準を得る事になるだろう。

 だがそれは同時に『男の子に戻る』という選択肢を彼女から奪う事になるのだが、それをメヌーサ・ロルァはそれを一切指摘しなかった。

 そう。この銀色の魔女はしっかり見抜いていた。

 

 メルの心をひとことで言えば「銀河でひとりの人間として生き延びたい」だった。

 男に戻りたい気持ちはある。しかし連邦基準で男に戻るとすれば、それはドロイドボディゆえに持っている今の能力を、全て失う事をも意味する。

 だからこそ、メヌーサと出会うまでメルは女の、メルのままでいた経緯があった。

 

 ソフィアはおそらく、何かの職業訓練を積ませてからメルを誠一少年に戻すつもりだったのだろう。

 だけどメヌーサにしてみれば、たとえ元の性別に戻れなくても、ひとりの人間として生き延びる事を優先したいメルの気持ちはとても都合が良かったし、しかもメルの適性が巫女向けである事もあり、望み通り女のままで生きさせてやろうと、その術を教えてやる気まんまんだった。

 だから。

 メルの運命はソフィアよりメヌーサを選んだその瞬間、決定的にひとつの方向に定められてしまったのだった。

 

 

 

 ちゃぷん、ちゃぷんと水音がしていた。

 闇の中だったが漆黒というわけではなかった。わずかにどこかから漏れてくる光によって、そこが地下に作られた湯殿、つまりお風呂であることはメヌーサ・ロルァにも理解できた。だから彼女はそれは問題にしなかったが。

「これ……お風呂(ふろ)というより何か別のものじゃないかしら?」

『そうですか?』

「うん。たぶん」

 薄暗いというより、かぎりなく真っ暗に近い空間。高い湿気とお湯。

 そしてその中で……無数の触手(・・)で問答無用に全裸の肉体を全身もみ洗い。

 確かにこの状況は、一般的に言うところのお風呂のイメージとはかけ離れている。

 いやむしろこれは。

「むしろこれって、そう。触手プレイってやつかしら……っ!」

 微妙なところをまさぐられ、メヌーサの身体がビクンとはねた。

「ちょっと、変なとこ触んないでくれる?」

『少し我慢いただけますか?敏感なのはわかりますが、衣服の関係でどうしても通気性が悪く不潔になりがちな部分ですので、ここは徹底して洗わないと』

「……いいけど、もう少し丁寧にね」

 立場上、メヌーサは誰がに身体を洗われる事に耐性があるようだった。

「それにしても、これって苦情出た事ってないの?」

『いえ、特には。むしろご利用になられた方には大変好評なのですが』

「それ……お風呂としてじゃなくて別のものと認識されてるんじゃないかしら?」

『そうなのですか?』

「ええたぶん。ていうか、何で表層思考を読むくせにそれがわからないの?

 いえ、そもそもあなた、アルカイン族のお風呂をどういうものだと認識してるの?」

『生活で出る老廃物を洗い流し、時には「裸のおつきあい」により親交を深める場だと』

「それ、確かに間違いじゃないけど何か変よ」

『そうですか?』

「ええ。特に『裸のおつきあい』のところがね。たぶんココロの誤訳だと思う」

『そうなのですか?』

「あのね、『裸のおつきあい』というのは敵味方などの社会的な立場を取っ払い、人間対人間で穏やかに交流しましょうって意味なのよ。確かにエッチな意味で使う人もいるけど、それは元の意味を元に翻意したものであって本来の意味とは少し異なるの。わかる?」

『……なるほど、勉強になります』

 勉強になると答えたが触手の動きは止まらない。どうやらやめるつもりはないらしい。

 やれやれとためいきをついたメヌーサだったが、

「……っ!」

 何が起きたのかは謎だが、その瞬間、メヌーサの身体がビクビクッとひきつった。

 おそらく普通の娘なら大変な事になっているのだろうが、メヌーサは強靭な自制心を持っているようだ。さすがに一瞬だけ反応するのは止められなかったようだが、今はもう元の顔に戻っていた。

「やだもう。ブルッちゃった」

『少し温めましょう』

「はぁ……それにしても、ある意味凄いわねこの子」

 ちなみにメルはというと、ほとんど夢うつつのようだった。

 風呂の中で眠るなど危険にもほどがあるが、何しろ周囲の触手が放置しておかないわけで、無抵抗状態で綺麗に磨かれまくっている。

疲労困憊(ひろうこんばい)で体力尽きたのはわかるけど……この状況でクークー寝てるとか、どんだけ大物なのかしら」

 さすがに呆れたのかメヌーサがつぶやいた。

 と、そのときだった。

『ところで、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか』

「なあに?」

『集めた情報によりますとメヌーサ様はボルダで結婚し、お子様も産まれたとお聞きしておりますが』

「え?ああ、身体にそんな感じはないけど、どうしてって事?」

『はい』

「んー……まぁいっか。こんなところでヘンな疑惑持たれても困るし」

 チラッとメルの方を見て意識がない事を確認すると、メヌーサは言った。

「それは、わたしでなく姉なの。

 これは重大な機密だからこの場だけの話にしておいてほしいんだけど、メヌーサ・ロルァの名はわたしたち姉妹全員の名前なの。で、当時は姉が対外的にメヌーサを名乗り、職務を果たしていたわけ」

『そうなのですか?では、ボルダの方で身元保証がなされているというのは?』

「もちろんそれは姉さん。だって身元保証がなされた理由がそもそも、初代大神官(オルド・マウ)と姉さんが結婚したからなんだもの。保証データもよく見ればわかるけど、神官の妻って書いてあるのよ?」

『ああなるほど、そういう理由だったのですか』

 納得したような天翔船の声が響いていたが、

『ちょっと待ってください。それでは、貴女がボルダの身元保証を受けているというのはウソではないのですか?そもそもどうやって認証をクリアしたのです?』

「どうやってと言われても。わたしたち遺伝子は全員同じだし、同じ姿形だし」

『記憶認証はどうしたのです?いくら遺伝子が同じでも』

「姉妹はあくまで『予備機』であり、メヌーサ・ロルァは常にひとりでなの。当然、メヌーサとしての職務についた者はその記憶も共有する。だから記憶探査にも同じ情報がひっかかるし、それで問題ないの」

『予備機……なるほど、そういう事ですか。わかりました』

「うふ、ごめんね。本当はダメなんだろうに納得してくれて」

『とんでもありません』

 何か不穏な情報が開示されたりもしているが。

 とりあえず概ね、なぞの触手風呂の時間はゆったりと過ぎていた。

 

 

 

 メルが何とか意識を取り戻してきた時には、木陰に寝かされていた。

 周囲は花の香りに包まれていた。そしてその中で目覚めたメルは一糸も身にまとわず、まるで生まれたての妖精か何かのようにも見えたのだが、もちろん当人に自覚などあるわけもない。

「……」

 体調不良というわけではないようだが、いつしか深い眠りに落ちていたようで、頭が重く錆びたように働かない。起き上がる事もなくゆっくりと視界を巡らせる。

 すると、テーブルにメヌーサがついており、誰かと通信らしきもので話しているのがわかった。

 まるで、バラバラに分解掃除されて再び組み立てられたような、不思議な気分。

 話しているメヌーサの後ろ姿をじっと見ていると、どこからかメルの脳裏に声が響いた。

『起きたか落第生』

『ああ……あんたか。確かエドセルったっけ』

 働かない頭のままだが、声の主が何者かには漠然と気づいたようだった。

 メルはなかば無意識のまま、頭に直接響く声に対し、無意識に心の声を打ち返していた。

『はじめての力の行使、そしてその疲労のための眠り。色々あったようだが山場は越えたようだな』

『それどころじゃないよ。なんか、すごい無茶苦茶ばかりで頭がついていけなくて』

『ん?ああ、それはたぶんメヌーサ殿の作戦だろうよ』

『作戦?』

 ああ、とエドセルの声はつぶやいた。

『おそらくだが、おまえは連邦に似た科学世界の人間なのではないか?

 いくら巫女の才があろうとそれでは巫女にはなれない。よって、そんな者を巫女に教育しようとするならばまず、持って育った今までの既成概念を根底から破壊せねばならないのだよ。

 異なる概念、異なる常識を受け入れられる精神的な素養を揃える事がまず第一で、そこから巫女の「夢を見る人間」としての素地が作られる。これは事実だ』

『なるほど……そういう事か』

 じわり、メルの頭が少しだけ冴えてきた。

 地球とは比較にならないほど進んだ連邦の宇宙文明。隣の銀河までいけるほどに発展した世界にメルは圧倒されっぱなしだった。

 しかし連邦のそれは強烈とはいえ、実のところ地球の進む方向の先にあるものでもあった。すなわち、地球の文明がもし内紛などで滅びる事なく順調に外に向かったならば、いつかはたどり着けるという事を連邦の技術や風土は証明してもいた。他でもない、地球人と同タイプのアルカイン族の繁栄なんてものまで見せつけて。

 それがメヌーサとの出会いによって、根本から覆された。

 数千万年を生きる生身の女の子メヌーサ。エリダヌス計画の話。そして宇宙文明にまで到達した『魔法世界』の遺産の数々。

 そしてとどめが、あの、子供の頃にきいた昔話の怪物の出現。

 そう。

 メルの今まで価値観は確かに、メヌーサによって完膚なきまでにひっくり返されてしまった。

『って、ちょっとまて。それってもしかして』

 指摘されて今までの経緯を思い出しているうちに、メルはその可能性にも気づいてしまった。

『ようやく気づいたか落第生。ああ、おそらくそうだろうよ』

 エドセルの声は苦笑しているようだった。

『メヌーサ殿はわざとおまえに杖を使わせた。そして今までの常識をひっくり返すような経験をさせた。全てはおまえに衝撃をあたえ、巫女としての下地を作らせるための策だったというわけだな。

 だがな落第生、その事で彼女にあたるのは筋違いだぞ。むしろ感謝するべきだろう』

『どういうこと?』

『おまえが「鍵の子」なら本来おまえの仕事はもう終わっているはずだ。現時点ではせいぜい、おまえが連邦に抑留されないようにしておけばいいくらいで、このタイミングでおまえに巫女としての教育を施す必要は本当はないはずだ。

 つまりだ。

 どういう理由があるのか知らないが、彼女はわざわざおまえを育ててくれているのさ。本来ならもう用なしのはずのお前のために……まぁおそらくは、せめてこの宇宙でなんとか生き延びられるようにな』

『……なるほど、それはそうかも』

 少し考え、メルはそう答えた。

 そして、いよいよ意識もハッキリしてきたので起き上がろうとしたのだけど、

『まぁ、ひとつだけ忠告しておこうか』

『忠告?』

『ああ、そうだ』

 起き上がる前に、メルはその話を聞く事にした。

『この状況からして彼女はおまえにかなり入れ込んでくれている。ありがたいことだ。

 しかしな、だからこそ注意するのだ落第生。

 彼女の精神構造は人間のものではない。彼女は知的生命体がことの他大好きなのだが、その視点は神が箱庭世界の人間を俯瞰(ふかん)する事そのものなんだ』

『どういうこと?』

『考えてもみろ。高度な技術は人の寿命を伸ばすが人の心までは変えてくれない。我々アルカイン型の人類の寿命はそう長いものではない。当然精神構造もそれにふさわしい作りになっている。

 耐えられないのだよ人の心は。骨が石になるほどの歳月に耐えられるようにはできてないんだ。

 数百年ならいざ知らず数百万年、数千万年と生き続けた精神が疲弊しないと思うか?まぁ無理だろう。

 サイボーグなどで万年を生きる者もいると聞いているが、彼らは過去の記憶を捨てたり定期的に眠ったり、そうしたことで人格を保護して生きている。だけど彼女はその役柄上、その手が使えないしな。

 だからこそ、彼女の精神構造は最初から人と違う。長い年月を生きるにふさわしい構造になっているんだ。数千万年もの間、みずみずしい人間の精神構造を維持するためにな』

『それは……』

『だから注意しろ落第生。彼女はひとの姿をしているが人ではない、用心しないと厄介なことになるぞ』

『……』

 メルは、答えを返せなかった。


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