宇宙時代の神話(龍)
その瞬間、どーんという音がして森全体が大きく揺れた。
『撃ってきました。ただし一機のみです』
「とまらなければ撃ち落とすって事ね。被害はどうかしら?」
『底部に命中しましたが、威力の小さいものです。さしあたって支障はありません』
「……」
メルは小さく舌打ちをしたが、迷わず杖を掴んだ。
そして立ち上がろうとした時、そんなメルを制止する声がかかった。
「待ちなさいメル。あなたはさっきの一撃で消耗しきっているわ。やめときなさい」
「そんな事いってる場合かよ」
テーブルの横で、メヌーサが座ったままメルを見上げていた。
「熟練した巫女や魔導士なら別だけど、メルは全開で能力使ったの初めてなんでしょう?わたしの目にも消耗は明らかだわ。そんな状態で表に出ても結果は見えてる。
いいからやめときなさい。大丈夫だから」
「そんなわけいかないだろ!相手は戦艦だぞ、それも物凄い数の!」
「落ち着きなさいって」
メヌーサはメルとは対照的に、楽しげにケラケラ笑った。
「ここはもう宇宙よ?他に被害の及ばないこの場所なら、わたしにも使える奥の手があるからね」
「奥の手?」
「わたしは時をみつめる盾、銀の四番。長いの時の中で身につけたり、もらったりしたものは色々あるの。こういう時に役立つものもね。……さ、始めるから座って見てなさい?」
「あ、うん」
気圧されるようにメルが座ると、メヌーサがそれに代わり立ち上がった。
なぜか楽しげに微笑みながらそっと空に手をかざし、何かぶつぶつとつぶやきはじめた。
「八つの首に八つの尾。
厳かな深き水のしじまに棲む猛き水の神よ。メヌーサ・ロルァの名と古き約束をもって汝の助けを今欲する。出ませ古き蛇の王、八首龍。
我と我の愛し子を阻むかの敵を粉砕なし給え……」
「……は?」
それは、まるでファンタジーな呪文の詠唱だった。
「いや、あの、えっと……め、メヌーサ?何やってんの?」
当たり前といえば当たり前の反応だった。
宇宙戦艦の群れに襲われるってこの時に、唐突にファンタジー映画の魔物召喚みたいなものを見せられているのだから。さすがに理解が及ばない。
だが少したって、ようやく少しだけ我に返った。
「メヌーサさん?あの、聞いてる?」
メルが言っている間にも、その儀式めいたものは終わったらしい。メヌーサは最後のポーズらしき、俯いて両手を後ろに広げたポーズで数秒固まると、ふうっと声をあげて立ち上がった。
「よし、終わり」
「……な、何が?」
「何か勘違いしているみたいだけど、わたしが今やったのだって立派な技術なの。メルの知る連邦式の文明とは違う系統のものだけど、別に荒唐無稽な謎の儀式ってわけじゃないのよ?」
「えっと、そうなの?」
「はぁ…… 思うんだけど、メルの知る知識はいささか偏狭にすぎるんじゃないかしら。しばらく連邦式の技術から一切隔離して調きょ、もとい、きっちり修正したほうがいいかもね。
でもまぁ今は見なさい。わたしの古いお友達を今呼んだから」
「友達?」
「神さまなんて呼ばれてるけど、彼もある意味異星人よ。ただ有り様がわたしたちと違いすぎるだけ。そういう古き者の生き残り」
そういうと、メヌーサはちょっと苦笑いした。
「ま、実はちょっと腐れ縁なところがあって最近ご無沙汰してたんだけどね。でも彼なら許してくれると思うの」
「そっか……ん?男の友達なの?」
「彼の性別?……そういえば考えた事なかったわね、どっちなのかしら?」
「?」
「面白い着眼点ねメル。わたしが知る限り、たぶん八首龍の性別をわたしに聞いた人ってあなたが初よ?」
「どんだけトンデモな相手なんだよそれ……!?」
と、その瞬間だった。
「!」
ぐらり、と空間自体が揺れた気がした。
「何だこの感じ。重力か何か歪んでる?」
『超空間移動です。その歪みの感覚は、巨大な何かがこの空域にジャンプアウトしようとする時のものです。ドロイド体の多くは重力の歪みを探知できますから、それを漠然と認識しているのでしょう』
「なるほどわかった。で、何が来るんだ?」
『質量から推定、大きさからすると戦艦なのですが……』
「ですが?」
妙に歯切れの悪い船の言葉に首をかしげたメルだったが、
「ま、そうでしょうね。まさかその大きさで単体の生物だなんて誰も思わないものね」
「は?生物?」
その時、森の向こうに見える宇宙空間に、何か巨大なものがぼんやりと出現した。
それは途方もないサイズだった。この森だって一キロ以上はあるはずだけど、その森すら小さく見えるようなとんでもない巨体だった。戦艦ならば中型というところか。
だが。
「……うそ」
その姿を見たメルは、文字通りフリーズしてしまった。
「?」
メルの反応が想定外だったのだろう。どうしたの、という顔でメヌーサがメルの方を見た。
だけど。
「まさか……そんな……そんなバカな」
「あれ?もしかしてメル、知ってるの?」
「いや、そんな馬鹿な。そんなのただの言い伝えで……」
しかしメルは、そんなメヌーサの声も聞こえていない。
巨大な八つの頭。八つの尾。鱗に覆われた身体。
八つの頭は蛇。
それだけで家ほどもある巨大な頭は、蛇の頭そのものの形をしており、さらに先端からちゅるちゅる、と細く、二股に分かれた長い舌を出し入れしている。
少し距離があるけれど、それを補ってあまりある大きな身体の表面には、苔のような植物までもが繁茂している。それすなわち途方もない年月をそのまま象徴している。
そう。メルは知っている。
昔語りでしか知らないけど、確かにメルはこの途方もない化け物を知っている。
だが、その認識を本人の理性が拒否している。
ありえない。そんなばかな話があるものかと。
「……ヤマタノ、オロチ」
そう。
ゆらりと宇宙空間に現れたその姿、まさに昔話の八岐の大蛇そのものだった。
日本の神話において、ヤマタノオロチとは水害を象徴するものだといわれている。鉄砲水のような危険な災害でたくさんの犠牲者が出たさまを、巨大な古き神が暴れているのだと考えたというものだ。
民間伝承の研究者ならおそらく、昔語りのオロチ退治は治水工事のことだとでも言うのだろう。毎年娘が拐われていたというのは神を鎮めるための人身御供のことであると。そしてメルもそう思っていた。
そんなメルの思考を読んだらしいメヌーサが、なるほどねと頷いた。
「うん、メルの認識自体は事実だと思う。よくある史実の抽象化よね、エリダヌス教もある意味同じものだし」
こういう自称の一致は面白いわねとメヌーサも興味深げだった。
「だけどまぁ、その学者さんたちは考えなかったのかしらね?その伝説とは別に彼らは存在したのだと。
つまり、実際に大蛇の姿を見て、そこに神を見た者が水害を彼らの仕業と考え、それで人身御供や治水工事を行っていたんだって。ありえないことじゃないわ。
事実はどうあれ、大蛇を神様と見ている民衆の認識を利用して治水工事を行う。そしてその行動を、大蛇退治として伝承に残す。後世の人がそれを見て、治水工事をしたんだろうなと認識する事まで念頭に置いてね。
あるいは、その途方もない姿を後生に伝えるために、あえて治水工事と結び付けて伝承を作った可能性もあるわね。
実際に神が現れて水害をもたらしたという噂がひろまれば、権力者はそういう住民参加の公共事業がしやすくなる。人身御供のような悪癖の根絶も視野にいれてね。わたし似たようなものを昔見たことがあるし」
メヌーサの言葉は続く。
しかしメルはその言葉を聞いてなかった。途方もなく巨大な古い怪物の姿に、完全にあっけにとられてそれを見上げていたからだった。
伝説の巨大な大蛇。
それはさすがに、現在のメルの『科学的視野』による理解を超えすぎていた。
だが、そんなメルを置き去りに事態は進んでいく。
『小さき者たちよ、聞くがよい』
アルカインの艦隊に向けて語りかけるオロチの声が、メルたちの頭にも直接響き渡った。
『我は八首龍。銀河が今より一回転する前、この銀河に繁茂していた種族の生き残りである。
小さき者たちよ、ここな娘たちはおまえたちの敵ではない。この娘たちはおまえたち銀河生命すべてを危機より救うために奔走している心よき者たち。同調せよとは言わぬがその心意気は汲んであまりある者たちである。
小さき者たちよ、その小さき鉾をおさめよ。この者たちは敵ではないのだから』
この声がまだ止みもしないうちに、遠くの戦艦群からたちまち無数のエネルギー波が怒涛のように押し寄せてきた。
だけど。
『ふむ。警告は無駄のようだな』
まるで効いてない。防御しているふうもないのに、まるで痛痒も感じないようだった。
『そんなもの、恒星の中にすら棲める我に効きはせぬ。我を破壊せんというのならば、星を砕けるほどの力を持ち寄るがよい。されば我を倒せるであろう。
もっとも、この場所でそのような破壊力を用いれば小さき者よ、そなたらの母星も巻き添えになるだろうがな』
そう言うと、八つの首のひとつがゆっくりとメルたちの方を向いた。
『銀の娘よ、久しいな。もはや我のことなぞ忘れたかと思っておったぞ』
「おひさしぶりね八首龍。ごめんね、いきなりこんな遠くに呼び出して」
『かまいはせぬ。最近はこの近くで若い星を漁って旅をしておった。まぁ行きがけのついでというところだ。
しかしまぁ、この我を事もあろうに黴の生えた古代の遺物と罵倒しおったそなたが助力の嘆願とはな。先日あった隣家とのドンパチ未遂騒ぎといい、そなたら小さき者は本当によく騒ぐ。いやはや』
くっくっく、と楽しそうな声が聞こえる。メヌーサはムムッと眉をつりあげた。
「それわたしが生まれたころの話じゃないの。いったい何千万年前の話を持ち出すつもり?ボケ爺なんだからもう!
それに隣家とのドンパチ騒ぎって何?まぁ、あなたには人間の大戦争もその程度に見えるのかもしれないけど」
『あっははは照れるな照れるな。そうか、もうそんなになるか。早いものだな。
まぁよい、で、どうするかな?パチパチと小うるさいこの連中は?』
「もう。んー悪いけど排除しちゃってくれる?あなたは平気だろうけどわたしたちには致命傷だわ。まだ死ぬわけにはいかないからね」
『ほほう?銀の娘、そなた自慢の盾はどうした?我の一撃すらはねのけたあの盾ならばこの程度』
「わたし一人なら問題ないんだけどね。ちょっと事情があるの」
なぜだか、メヌーサはちらりとメルの方を見た。
『なるほど。まぁよい、よかろう引き受けた。
時に銀の娘よ、呼出しの言葉には間違いがないがこの空域に神殿はないようだな?我は巨体ゆえ下手な場所に呼べば被害が出る。頻繁に呼び出すなら召喚用の大型神殿の方がよいぞ』
「んー、難しいかなぁ。八首龍教団はもうないんじゃないかな?最近、話もきかないし」
『なんとそうか。ふむ、小さき者の世の移りはまことに早いものよな』
「……」
何キロもある巨大なオロチと普通に談笑するメヌーサに、メルは少し引いていた。
『小さき者どもに告げる。
我はそなたらを瞬時にして消滅しうる力を持つ。されどそなたらは我と必ずしも敵対する者ではない。
消滅を免れたくばその小さき鉾をおさめよ。我は争う気のない者に刃を向ける事はない』
攻撃はやまない。それどころかオロチのその巨体すらも時おり、どーんと揺れ始めた。
『やめる気はない、か……やむをえぬ』
八つの首が一斉に艦隊の方を向き、そして巨大な顎が開いた。
次の瞬間、
『さらばだ』
その八つの口から次の瞬間、全世界が真っ白に染めあがるほどの物凄い光が爆流となって艦隊に襲いかかった!
その光が視界の全てを包み、やがてそれが消えた時……
少なくとも数千いた艦隊は、あとかたもなくきれいに消えていた。
メルは気づくと、地面に座り込んでいた。
オロチはメヌーサは何か話していた。メヌーサがその巨大な頭のひとつをなでて、そしてオロチは何かしゃべって、そして消えていった。
その間、メルは動くことすら忘れて呆然としていた。
「メル終わったわよ、メル……あれ?」
『腰が抜けたようですね。あまりのことに呆然自失状態なのだと思われます』
「しょうがないなぁ。彼は別に化け物でもなんでもないわ、この銀河で大昔繁栄していた種族の生き残りにすぎないのよ?今さら何を驚いてるんだか。
ああもう、おしっこまでもらしちゃって。何やってんのこの子」
『刺激が強すぎたのでしょう。鍵の子は無知で無垢だと言ったのはあなたですよ、盾の子。さあ、鍵の子をお風呂にいれましょう』
「そうね」
どこからか木の蔓がたくさん伸びてきてメルを捕まえ、そしてずるずると連行しはじめた。
「……」
しかしメルはそれを逆らう事もないまま、ただ呆然とし続けていた。
『豆辞典』
小さき鉾。
文字通り「武器をおさめよ」の意味もあるんですが、そもそもいくつかの古い星間語では、鉾、槍、剣などの地上時代の古い武器はそのものをピッタリ当てる言葉がなく、男性器と同じ言葉、ディー、ディール、またはアディール、アディで代用されています。そして小さいという言葉には地球の言葉などでもよくあるように、愛らしい、魅力的という意味も含まれてます。
つまり小さき鉾というスラングを意訳すると「おまえの武器(ただし性的な意味で)」という解釈もできるのです。
『おまえらのちんちんをひっこめろ。やりあうつもりはない』
……ゲルカノってオスだよな、うん。たぶんオス……。