関係
ちょっとだけ脇道。
アルカイン王国の王女であるソフィアには、もうひとつの顔がある。
いやむしろ、彼女という存在を銀河有数の有名人にしてしまっているのは、そちらの顔の方だった。
『ソクラスのソフィア』。
アルカインの王宮船であるはずのソクラスの名を冠するこの二つ名には、特別な意味がいくつもある。
たとえば、無謀な研究者としての顔。
古代遺失文明に関する研究に明け暮れるあまり、どんな危険な紛争地域にも平然と赴く。そもそも被監視地域に属するはずのメルの故郷、地球を訪れたのもそのためだ。本来なら、半端な文明をもつ未開世界の惑星など、一国の子女が赴いていいような場所ではないのに。
たとえば、地域紛争の調停役としての顔。
研究のために赴いた政情不安定な地域、紛争のある地域のいくつかで彼女は「戦争を止めてくれた功労者」として知られている。
なにしろ連邦議長の娘という事でネームバリューはばっちり、しかも連邦系の国家群では暗黒街のボスとして知られるルド卿が孫のようにかわいがっている事でも有名であった。要は「清濁あわせて話がわかる人」という印象を持たれやすかったのである。
そして実際、彼女の尽力でいくつもの戦乱が止まったり終焉を迎えているし、そのいくつかは銀河系、そして遠くアンドロメダの歴史にも刻まれている。
こういう実績をいくつも積み重ねた結果。
いつしか「ソクラスのソフィア」の名には「豪傑女研究者」「戦争を止める女」などという意味がつけられていた。
そんなソフィアだったが、今回ばかりは困惑と焦燥の事態となっていた。
エリダヌス教徒がメルを連れ出した事だけではない。
うまく言えないが、今回はいつもと違うという理屈以前の皮膚感覚が、ソフィアの焦りを助長する。
このままいくと非常にまずい。
しかし、打開策が思い浮かばない。
そして、メルを殺してしまう事を承知の上で、涙をのんでアルカイン防衛軍を差し向けたのに、まさかの攻撃失敗。
(何かがおかしい)
そうソフィアは考えていた。
実のところソフィアの懸念は正しい。
メヌーサたちは連邦の、ソフィアたちの常識とは全く異なる世界に生きる者たちであり、ソフィアの読みやカン、推測が全く役に立たないのはそのためでもあった。しかし、原因はそれだけではない。
どうして、メヌーサについての情報が、アルカイン侵入まで全くなかったのか?
ソフィアはわかっていない事。
それはつまり。
(……ふう)
ためいきをついたソフィアの視線の下、オペレータブースには三人の女性職員がいる。
アルカイン王宮の中でもオペレータ職は激務とされている。一日三交代制であり、そのすべてが人間ひとり、その補佐にドロイド二体という構成なのだが、どのチームも非常に仲が良い事でも知られている。
たった今も、人間もドロイドも区別なく楽しげな『三人組』をぼんやりと見ているソフィアだったが、
(……!?)
その瞬間、言葉に尽くせぬ不安がソフィアを襲った。
なんの危険もなさそうな三人組。ちょっと私語が多すぎるかなとも思うが、仕事そのものは有能なので問題ない。そして、まるで人間もドロイドも関係ござらんとばかりに仲良しグループ状態の『三人』。
なのに、なぜこうも不安になるのか?
わからない。
わからないままにソフィアは指示を出した。
「プライベート回線をひとつ確保してちょうだい。こちらのコンソールに回してくれれば、あとは私がやります」
「了解!……確保しました、二番をお使いください!」
「ありがと。
あなたたち、今のうちに休憩と食事をとりなさい、その間、ここは私とサポートAIでつなぎます」
「はい、わかりました!」
オペレータブースをこのタイミングで空席にするのは、本来はまずい。だが緊急時にはサポートAIが彼女たちを呼び戻すし、短時間ならどうにでも手はある。
それより今は、少し時間が欲しかった。
ソフィアは、自分以外の誰も知らないプライベートコールの回線に接続し、そして、その人を呼び出した。
「おじい様」
『おや、お嬢かね』
モニターの向こうには、ルド翁……ソフィアを孫のようにかわいがっている蜥蜴人の老人の顔があった。
ソフィアは先刻から、ルド翁への緊急の情報提供依頼を出していた。
内容は、メヌーサ・ロルァを名乗るエリダヌス教徒の娘についての情報提供。銀河連邦はエリダヌス教とつながる情報チャンネルを全く持っていないが、ルド翁はおそらく持っているだろうとの判断からだった。
だが、それに対する返答は『拒否』。
理由も告げずに一方的な拒否というのはルド翁の反応としては非常に珍しい。その真意を問うためにソフィアは直接通信を試みたのだけど。
「おじいさま、こちらからの通信は見たのでしょう?拒否した理由について知りたいのだけど?」
『それはいうまでもないと思うが?』
老蜥蜴は通信の向こうで首をかしげた。
『連邦にとりエリダヌス陣営は敵対組織なのだろうが、我々にとってはそうではない。ゆえに、先方の内情については話す事はできぬ。わかっておろう?
これは立場が逆であってもそうじゃよ。まぁ、エリダヌスの連中は連邦の情報なんぞ求めてはこないがの』
「知ってるわ。でも事情は伝えたわよね?
彼らは銀河系をひっくり返すような壮大なテロを起こすつもりらしいの。これは、いくらなんでも国際問題の名の元に看過する事はできないわ。
その点をもって教えてほしいの。彼らの本拠地や計画、その他わかる事なら何でも!」
『……』
しかしルド翁は、そんなソフィアをちょっと困ったように見ると首をふった。
『そういう事ならと言いたいところじゃが、無理じゃな』
「どういうこと?」
『エリダヌスの連中がテロを起こすなどという話は全く聞いたことがないし、こちらの情報にも上がってはおらんよ。それに、そもそも彼らに本拠地などない』
「本拠地が……ない?」
『さよう』
ルド翁は大きくうなずいた。
『エリダヌス教のイメージが強すぎるせいか、よく誤解されるのじゃがな。
そもそもエリダヌスとは一種の考え方、あるいはスローガンみたいなものであって、組織化されたものではないんじゃよ。いわゆるエリダヌス教にしても、あれはエリダヌスという考え方、スローガンを広めるために一部のものが作り上げたものにすぎぬ。まぁ、宗教というものは知的生命体に馴染みがよいのか、思想を広く広めるには役立ったようじゃがの』
「思想ってなに?どういうものなの?」
『宇宙にあまねく広がり、元気に生きよ、じゃな。冗談でもなんでもなくエリダヌスの基本はそれだけじゃ』
「あまねく広がれ?」
『うむ』
ソフィアの言葉にルド翁はうなずいた。
『この事でわかると思うが、彼らの思想は実は連邦と対立するようなものではない。そして実際、彼らは連邦を敵と考えてもおらぬ』
「そんなバカな。彼らは敵だし、非常に危険な存在よ?なのに」
『危険な存在にしておるのは彼らではない。彼らの話もきかず一方的に殲滅しようとする、そなたら連邦の方じゃよ』
ためいきをつくと、ルド翁は言った。
『そもそも、どうしてそなたら連邦でエリダヌスの者が危険視されたか知っておるじゃろう?』
「……ええ知ってるわ。彼らは同じ人間を遺伝子操作で人間でないものに変えたばかりか、そうして作り出した存在を一般市民として取扱い、さらに増殖するのを放置した。そればかりか、遺伝子汚染について警告を送ったのに無視したあげく、それをさらに銀河にあまねく広めようとした」
ソフィアは眉をしかめた。
「危険じゃないなんてとんでもないわ。遺伝子汚染を広め、銀河の知的生命体を滅ぼそうとした恐るべき危険団体じゃないの!」
『それは、そなたら連邦の理屈にすぎぬよ。お嬢』
ルド翁は目を細め、そして不快げに唸った。
『連邦ではそなたの言うように、原種原理主義を一般常識として教えておる。じゃがなお嬢、外の世界では、それはむしろカルトに近い異端の考え方じゃぞ。わかっておるか?』
「だから何?私だってイーガやおじい様のとこに行けば当然、そこの常識に従うわよ?それが自分の常識と違っていてもね。
でも、ここは連邦よ。連邦には連邦の共通の秩序と常識があり、それに従うからこそ連邦は成立しているの。
そして彼らは危険な存在であり、認める事はできないわ」
『ふむ。ま、その考え方について咎めるつもりはないがの』
ルド翁もその点はわかっているようで、口をはさむつもりはないようだった。
『じゃが、そこまで言うなら当然、わしの言い分もわかるであろう?
要するに、そなたらにとってはエリダヌスは大問題なのかもしれぬが、それはそなたらの中の問題にすぎぬ。ゆえに中立であるわしとしては、連邦側に一方的に味方する事はできぬよ。わかるな?』
「でも、おじい様。このまま放置すれば銀河全体が戦乱と混乱のるつぼになるわけで」
『いいや、ならぬよ』
ソフィアの懸念を、ルド翁は真正面から蹴とばした。
『今回の件で唯一問題が起きるとしたら、それは連邦の中枢が過剰反応した場合だけじゃろう。
おそらく今回の件は、銀河全体としては問題視されぬだろう。一部に例外もあるかもしれぬが、ほとんどの国ではむしろ、見てみぬふりをする形になる。歴史上もなかった事にされるじゃろう』
「……それは、どうして?」
おそろしい予感に心をざわめかせつつも、ソフィアは尋ねた。
『そんなことは決まっておる。家族は賑やかな方がいいからの』
「えっと、何を言いたいの?」
『そのまんまじゃよ。
死産していた子が死ななくなる。幼児の死亡率が下がる。若者の体は今よりも丈夫になり、ひいては年寄りも比較にならないほど健康になるじゃろう。
少子化問題にも解決策が示され……そうなんじゃ、むしろ悪い部分がどこにもないんじゃなこれが。
ふふ、これでは反対の声なぞ出ようわけもないわな』
「……おじい様、ひとつだけ教えてほしいのだけど」
『む?』
おそるおそる尋ねるソフィアに、ルド翁は眉をよせた。
『今さらわしが言わずとも、お嬢にもわかっておろう?』
「でもお願い、言葉の形ではっきり聞かせてほしいの。エリダヌスの、彼らの目的って何?」
『……どうしてもかね?』
「うん」
『聞いてしまったら、おそらくそなたは戻れぬぞ。自分の行動が何億、何兆という銀河の人の命を奪う事になるやもしれぬ。それでも聞きたいか?お嬢』
「ええ。教えて、おじい様」
『……わかった、そこまで覚悟の上なら教えようぞ』
そういうとルド翁はひとつも、大きなためいきをついた。
『エリダヌスの目的とは……ドロイドと人間を混血させる事により、今より頑丈で宇宙文明でも暮らしやすい、新しい人類を生み出す事じゃよ』
「……なん、ですって?」
『言ったであろう?
彼らの教義とはつまり、産めよ増やせよ地に満ちよじゃ。しかし宇宙ではどうしても過酷な環境から身を守るために大量のエネルギーを使ってしまうし、簡単に遺伝子要害なども起きてしまう。
じゃから彼らは、それを覆す道を何千万年もの昔から模索しておったわけで──』
「……」
ソフィアはルド翁の言葉を最後まで聞かず、強制的に通信を切断した。
そして、ふらりと夢遊病患者のように立ち上がった。
「……やらせない。そんなこと、絶対に認めるもんですか」
実際、何か行動するならソフィアには今しかなかった。
まもなくソフィアは結婚し、遠くアンドロメダに行かねばならない。
かの地、イーガ帝国の皇帝陛下とはお互いを見初めあった仲なのだけど、それは二人だけの問題ではなかった。何しろ、島宇宙間戦争の終結条件にふたりの結婚話を組み込んでしまったため、そっちはそっちで先延ばし困難だった。
そして、向こうの皇帝と結婚してしまったら、今やろうとしている事はもうできないだろう。
「お父様を呼び出してちょうだい、緊急に伝えるべき大問題が持ち上がったの。急いで!」
『了解』
「あと、アルカイン防衛軍を再度向かわせて。今度は多少の被害もかまわないから、とにかく目標を殲滅なさい、いいわね!」
『了解いたしました』