宇宙時代の神話(上)
突然だが、人間は空を飛べない。火も吐けないし稲妻も出せない。当然といえば当然の事であろう。
だけどメル……すなわち、七型ドロイドであるアヤによって再生された誠一少年は、女の子になってしまうという大問題と引き換えに、それが可能になった。そう、メルの体は火も吐けるし稲妻も出せて、そして空も飛べるのだ。
しかし考えてほしい。機能として飛行能力がある事と、実際に空を飛べるかどうかは全然別の話だという事を。
それが低空で、しかも快晴の日ならいい。地面というわかりやすい指標があるのだから。
でも、霧の中だったら?あるいは闇夜の中、それとも、そもそも地面のない宇宙空間だったら?
結論からいうと、メルは自由に空を飛ぶ事ができなかった。
飛翔生物は現在位置の把握に様々な方法を用いているが、人間は一部例外的な人を除いてこれを持っていない。三次元的視野で空間を把握できる人間は名パイロットになれるとも言われるが、一般の人は二次元的視野と、平面の把握能力しか持っていないのが普通だろう。
そして当然ながらメルはそんな感覚を持っていなかった。ゆえに現在位置を見失うと悲惨で、霧の中でよその飛行体に激突したり、墜落の恐怖にお漏らししながら地上に叩きつけられるという情けない失敗を繰り返す事になった。
結局、これらの事が問題になり、メルは「どんな快晴の日でも空を飛んではいけない」と釘をさされている。まぁ、ハイジャンプは認められているのだが。
攻撃に至ってはもっと単純で、大きなエネルギーを開放する時に反動で吹き飛ばされてしまう。アヤは攻撃の瞬間に一瞬だけ慣性制御しているようだが、そもそもメルには慣性制御というものが体感として理解できていない。だから、自分を砲台と考えて誰かに支えてもらっての事でもない限り、逆に自滅するようなものだった。それはさながら、強大な戦闘機に乗り込んでしまった子供のようなものだった。
結局、彼女は人間。それ以上でもそれ以下でもないのだった。
ふと気づけば、メルは杖を抱えて宇宙に浮いていた。
しかし不思議な事に、そこでは上下がわからなくなって気持ち悪くなる事も目を回す事もなかった。その暗い世界においてメルと杖は中心にあり、そして途方もない周辺でもあった。
『よくきたな、新たに巫女となりし者。そして最後の巫女となる者、男でありながら女となり、今これから巫女にならんとする者よ』
不思議な『声』が杖から流れてきた。
少年とも少女ともつかない『声』だった。しかもその声は音声だけではなく、それを発している本人のイメージと共にメルの頭に響き渡るのだった。
声と同様に、少年とも少女ともつかない存在。途方もなく美しい、ファンタジー映画から飛び出てきたような鎧姿の人。
どことなくドレスのようにも見える鎧のデザインからすると、やはり女性なのだろうか?
「巫女?なんのことだ?おまえは誰だ?」
『わたしはエドセル。いわばガイド役といったところだ。なんでも、座学も受けられず独学で巫女になろうなんて無謀な大馬鹿者のため手をかしてくれないかとメヌーサ殿に頼まれたのでな、こうして杖にわたしの意志を吹き込んでいるというわけだ。巫女としては外れ者で、この通り保安部の仕事ばかりしているわたしだが、こういう事は結構得意なのでな』
「そうかよ」
メルは眉をしかめた。初対面でいきなり馬鹿者呼ばわりなのだから無理もない。
『いいか、よく聞け』
しかし声は躊躇しない。まるでメルの心など知ったことでないと言わんばかりに。
『そもそも巫女とは祈る者であって戦う者ではない。束ね還すことはできても壊すことはできない。それを決して忘れるな。
ゆえに我ら巫女の戦いは武器をとらぬ。火も水も使わぬ。我らはただ夢を見る』
「……夢を見る?」
『そうだ』
うさんくさそうに聞いていたメルだが「夢を見る」のところに反応した。
『最高の夢を見る巫女は時すらも越える。森羅万象の全てを越え、星と語りあらゆる運命すらもねじ曲げる。それこそ我ら巫女の最高峰である「星辰の巫女の姿。星に魅入られた存在、人でありながら同時に人でない者。
まぁ、さすがにそれほどの夢は見られないだろう。おまえにどのような力があろうとな。あれは星辰に愛されし者、運命に選ばれた者にしかできぬ事なのだから。
されど、自力でおまえはここまできた。
今こうしてわたしと語っている、これすなわち杖と語ること。おまえは既に杖との魔力の回路を開いたわけだ。どのようにしてかは知らないが。
だからこそ、告げよう。キマルケ最後の巫女になろうとする者よ。
おまえの道はきっと開けよう。少なくとも、おまえを塞ぐ道を切り開く程度にはな』
空間に星がきらめきはじめた。
その光はだんだんと強くなっていく。やがて、それは漆黒を埋めつくし、次第に世界を闇から明るいものに変えていく。
『遅れてきた最後の巫女よ。二千年もの大遅刻をやらかした史上最悪の愛すべき大馬鹿者よ。
おまえはおまえだけの夢を。
星の定めなど気にするな、自分の手の届く運命だけを思うがままにねじ曲げて見せるがいい。
おまえにできるのは、良くも悪くもそれだけなのだから』
「……うるせぇな」
さすがにバカバカ言われてムッときたのだろう。メルの言葉づかいが乱雑になっていた。
「馬鹿馬鹿いいように言いやがって、遅く生まれたのは俺のせいじゃねえよ!」
光が大きくなっていく。メルの視界には何も見えなくなっていく。
そしてその中、杖からの言葉は笑いを含んだものに変化した。
『……ははは、ははは!なんと素晴らしい!
まだ生まれてもいない、しかも初めて杖と語らったというのに、その身で時を越えて怒りをぶつけるときたか!
なるほどなぁ、メヌーサ殿が入れ込むわけだ。落第生のくせに馬力だけはいっぱしというわけだな!
おもしろい、おもしろいぞおまえ!
やっちまえ馬鹿者!おまえを引きまわす運命を逆にかき回し、キマルケ巫女の末裔にふさわしい大立ち回りをやらかすがいい!』
「やかましいわ!言われなくてもやってやらぁ、草葉の影で見ていやがれ!」
メルがハッと気づいた時、そこは空だった。
足元に森があった。輝く森は光の球体となり、メルはその上に立っている形になっていた。
森は上にメルを乗せたまま天空に向かって上昇を続けている。
視線をめぐらすと、そこには大量の艦隊。遠いのでイナゴの群れのようにもメルには見えた。
アルカイン警備軍。
銀河連邦の中枢を守る大艦隊と、その艦載機たち。彼らは専守防衛が原則ではあるものの、そこらの国なぞ簡単に滅ぼせるほどの戦闘力を持っている。
メルは立ち上がると、杖に熱い力を注ぎこんだ。
なぜか認識できるソレはおそらく、ファンタジーな言い方をすれば魔力というものなんだろうとメルは思った。だけど宇宙文明の世界でそれをなんていうかはわからなかった。
魔力を通したところ、キィンと音にならない音が響き、そしてメルのまわりを見慣れた球形の光が包んだ。
『こちらはメル。メル・マドゥル・アルカイン・アヤ』
体内の通信装置で呼びかけた。
『こちらに戦意はない。できればこのまま行かせてほしい。どうしてもというなら全力で迎撃する事になるが、そのような事は誰も望まないだろう』
なぜだろう。呼びかけつつも、メルは負ける気がしていなかった。
夢の続きのように頭が鈍っている。目の前にある途方もない軍勢はあまりに強大すぎるわけで、おそらくアヤが全力を出したところで、食い止められるとは思えない。そんなものなのに。
『メル・マドゥル・アルカイン・アヤ』
通信に声が聞こえてきた。
『貴殿はソフィア姫の庇護下にありながらそれを裏切り、エリダヌス教過激派ゲリラ組織と密かに通じた疑いがもたれている。物証はないが先ほどの発言にはそれを裏付ける可能性が示唆されている。
ただちに投降しソフィア姫の元に戻りたまえ、そうすれば命の保証はなされる。反応なき場合は破壊もやむなしとの許可を得ている』
なんだそれは。
思わずメルは眉をしかめたが、返す言葉も全く自重していなかった。
『随分と悪意のある事実歪曲をどうも。
私はひとりの人物と知り合ったが、彼女は過激派でもなんでもない真っ当な人物であり、しかもボルダ国の神官の名で身分の証明もなされている公人でもある。
私は彼女に気に入られ、勉強を兼ねた銀河旅行に連れていってもらうところなんだが……なぜそれが裏切りだの過激派と密かに通じたなどと言われなければならない?
いくらなんでも誹謗中傷にも限度がある。
そもそも、ボルダ国の名で身分が保証されている人物を一方的に危険人物扱いをするという事はすなわち、ボルダ国の信用に泥をぬり、ひいては重大な国際問題を招く事にもなりかねない事がわかっているのか?
そして、そこまで理解した上で、このような大部隊を率いてきて、そして私に先ほどのような妄言を平然と行うのか?
誰にも納得できる言い訳があるなら今すぐ聞こうじゃないか。さあ今すぐ答えてみろ!』
メルには珍しい大上段の大見得だが、言っている事は間違いない。
ボルダ国は宗教国家であり、そこの大神官の名で身分保障がなされている、というのは普通の国で国王または大統領のお墨付きがある事に等しい。つまり、メヌーサが何者であろうと、これを一方的に犯罪者扱いすれば、ボルダ国の顔を潰す事になる。
さて、それに対する返答だが。
『申し開きは陛下と姫様の前でしたまえ。確かに悪いとは思うがこちらには決定権がないのだ』
『話にならないな。この場で殺してでも止めると言ったのはそっちなのに、その理由すらも提示できないだって?
しかも申し開き?ここに友好国の公人がいる事を承知の上で言ってるんだな?
そっちが構わないのならいいけど、この会話内容だって証拠としてボルダに提出するかもだけど、いいんだね?』
メルはやれやれとためいきをついた。
ここでメヌーサの名を出しても、おそらくは平行線なのだろう。メル自身の旅の意味を語っても、おそらくは馬耳東風。彼らはつまり執行部隊であり、所詮はソフィアたちの手足にすぎない。彼らのいう通り、最初から議論するつもりなんかないわけだ。
どうせ時間を稼ぐ理由もない。
(それに、いいかげん腹立つよな。何様なんだよ……ってお姫様だっけか)
それにメルはいいかげん腹をたてていた。
わざわざアルカインに招待してくれたのはうれしいが、いくらなんでも今回のこれはない。立場上敵対する存在なのかもしれないが、武装するでもなく単独でやってきた人間。しかも、きちんと公人の立場まで用意してきた者に対する、それがアルカイン王家の態度なのかと。
まぁ、もしメルがアルカインの国民なら、眉をしかめるくらいですんだのかもしれない。
だがメルは違う。アルカインどころか、連邦人でもないのだから。
そんな立場だから、たとえ、その一言がアルカイン王国と事実上の敵対を意味するのだとしても止められない。止める気もない。
『まぁ、決定権がない公僕にすぎないというのならそれもいいでしょう。でもそれはそっちの都合であって私の知った事じゃないし、法的根拠もなく勝手な言い分で、しかも武器どころか軍隊つきつけて出頭しろと命令してきても、ハイそうですかと応じるわけにはいかないな。
それに、ちょっと前まで私の立場はフリーだったけど、今は彼女のツレって形だから、もしかして所属は……どうなる?ボルダなの?ねえメヌーサ?』
メルが下を見ると、森の中からメヌーサが見ていた。聞いていたようで、ウンウンとうなずいている。
『今、確認した。私にどうしても面会を所望なら、ボルダ大使館経由で申し込めばいいんじゃないか?それに私が応じる義務は全くないけど、申し込むだけなら可能だと思うし。
さて、じゃあ改めてここで電波に乗せて宣言させてもらうよ。
私は旅に出る。
武力行使の意図はない。しかし、そちらが武力をもってこちらを攻撃するのなら、当然、身を守るために力を行使する事にためらう事はない。
そしてその場合の責任は全て、あなたたちアルカイン警備軍と、そのトップであるソフィア・マドゥル・アルカイン・レスタに帰属する事になる。では失礼する』
そう言った瞬間だった。
向こうに見える艦隊からすさまじい高エネルギー反応が現れた。この森どころか山脈のひとつも蒸発させかねないものだった。
「こりゃまた……いったい何と戦ってるつもりなんだか」
苦笑しつつ、メルは杖に『力』をさらに送り込んだ。
ちなみにメルの中の人には『力』の出し方なんてわからない。そもそも『力』の源泉は体内にあるようだけど、もちろん人間時代にはなかったもの。おそらくメヌーサの言うところの『魔導コア』なんだろうとメルは考えた。
おそらく、杖は持つ人の『力』を引き出すように誘導するものなのだろう。前に空を飛ぼうとした時とは全く比較にならないほどスムーズに『力』が扱える事に、メルは正直感動を覚えていた。
杖は七型由来のメルの『力』を受け止め、びりびりと空気が帯電したかのような振動をはじめた。
「さて、ここまではいいけど……これで勝てるのか?」
この先はメルにはわからない。
おそらく、このまま杖をガイドにすれば、スムーズに空を飛んだり攻撃も可能だろう。
だけど、それは正しいこの杖の使い方ではない気がする……そうメルは思った。
しかし、ではでうやるのだろう?
そんな事を考えていたら、
『よし、少し手伝おう。任せるがいい』
杖から声がした。またあの女の声だ。
『この杖は理力の杖、簡単にいうと初心者むけだ。何しろ魔力を通して杖に願うだけでそれは成就する。
確かに威力は小さい。何しろ増幅力がないのだからな、仕方ないだろう。
だが反面、じゃじゃ馬の魔力にだって耐えるほどにも頑丈で、しかも扱いやすさも最高レベルなのだ。ゆえに初心者巫女が最初に使う杖として、何千年、何万年と愛用されてきたものなのだよ。
おまえは落第生のうえ初心者、だがパワーのでかさだけはわたしが保証する。ゆえにおまえの魔力が続く限りではあるが、それなりの事は為せるであろう。やってみるがいい』
「わかった」
メルはわざと口に出して、その声に答えた。
艦隊は何かを発射しているように見えるのだがそれはまだこちらに届いていない。それはおかしな事なのだけど、メルにはそれが普通の事のように思えていた。
(時間が間延びしている?)
まるで夢の中にいるようだとメルは思った。
艦隊から飛来しようとしているものは、見るからにおそろしく強大そうだった。もちろんアヤでもないメルの身では、これを破壊、または打ち消す事など不可能だろう。
だが、この『森』に当たらないようにそらす事ならば?
(……)
メルは導かれるように杖を掲げ、夢見るように言葉を紡いだ。
「避けよ、この船は私の友朋なり」
杖に力を込めつつ、心に導かれるままにただそう唱えた。
そして次の刹那、
「!」
一瞬で飛来した大量の破壊エネルギーは、何故かすべてメルとその下にある森をすりぬけて行った。
少し遅れて、どどーんというとんでもない大音響と共に空中まで揺れが伝わってきた。
「お」
そして二秒ほどして、メルの頭に通信波がじゃんじゃん飛び込んできた。
『馬鹿野郎どこ狙ってんだ!外せば市街地や道路に被害が出ると言ったろうが!』
『本艦の目標はあの飛行物体をさしております!照準ミスではありません!』
『故障、なわけねえか。戦艦・艦載機含めて二千の照準が一斉に狂うわきゃねえよな』
『メルはあのアヤの娘だぞ。あれの能力じゃないのか?』
『いや、あれからは何のエネルギーも放出されていないようだが……まて』
「よくわかんないけど……なーんかドタバタやってるなぁ」
流れてくる通信波にコメントする気もなく、メルは頭をかいた。
「あっははは!」
笑い声に気づいて下を見ると、森の広場にいるメヌーサがけらけら笑っているのが見える。
「よくやったわメル!もういいから降りてらっしゃい!」
「いや待て、そんな事であの連中が引き上げるとは思えないぞ。だいたい向こうに被害はゼロなんだし」
「いいえ、下に被害が出ちゃったでしょう?彼らは守備隊であって軍隊そのものではないから、あれは大問題なの。いったん引くはずよ」
「あー……そうだった。専守防衛が基本なんだっけ」
「そういうこと!さ、降りてらっしゃい。次の攻撃は大気圏の外になるでしょう」
「わかった」