天翔船[2]
「天を往く子よ、目覚めなさい。わたしは銀の四番、時を見つめる盾よ。わたしとこの子の翼になってほしいの」
そう、木に向かって告げた。少しだけ大きな声で。
数秒、あるいは一分近くかかったろうか。次第に森が風や何かの音が消えていった。
そして厳かな声が響きわたった。
『お久しゅうございます盾の子。またお会いできるとは』
「キマルケ時間で九万九千年は過ぎたかしら。どう、動ける?」
『問題ございません。一部完全に大地と同化しておりますので、少し以前より大きくなりましたが』
「さすが大地に還る究極の船、やるわねえ」
『光栄です、我より長く生きる小さき盾の子。では少し揺れますので、お座りください』
「ええ。ありがと」
「……」
会話の内容はメルにも聞き取れた。そしてメヌーサが話している相手が目の前の巨大な木である事も、とてもよく理解できた。
ただし、根本的なところがさっぱり謎だった。
(この大きな木が宇宙船?キマルケ時間?)
むむむと頭を抱えていると、そんなメルに気づいたメヌーサが楽しげに笑った。
「うふふ、わけがわからないって顔してるわね」
『はじめまして鍵の子よ。我は天翔船。過去に作られた究極の船。うち捨てられれば森となり大地に還り、そして求められれば再び天空を駆けるもの。かの星の生み出したるひとつの究極でございます』
「なるほど、船の中枢なんだ。あれ、でもどうしてだろ?」
『何かご不明の点でも?』
「あーうん、根本的な質問でごめんなさい。どうして、こうやってお話できるのかがわからなくて。どこかにスピーカーがあって、そこから声が出てるわけじゃないよね。耳塞いでも同じみたいだし」
『なるほど、そこからですか』
声……自称天翔船は、メルの質問の意図を理解したようだった。
『我は、意識を直接やりとりする方法で会話をいたします。もとより木に口はありませんので』
「あー……そりゃそっか。木に口がついてたら変だもんね」
『この方式はあらゆる言語を越えて意味を伝えることが可能です。何しろ種族や民族にあわせていちいち翻訳する必要がないもので、我が建造された時代には人気の通信方式でした。ただし、ご利用の際にはひとつだけ、ココロの誤訳問題には要注意となっております』
「ごめん、ココロの誤訳問題ってなに?」
『はい鍵の子、簡単にご説明させていただきます』
メルの、おそらくは根本的な質問にも、天翔船はイヤな顔ひとつしなかった。もっとも顔もないのだが。
『知的生命の多くは言語により会話を行います。ゆえに、言葉以前の情報を受け取った場合、その意味を直接理解することができず、自分のわかる言語に無意識に置き換えて聞いてしまうのですが、ここで印象の違いにより誤訳が発生します。これがココロの誤訳問題です』
「あー……距離感とか寒暖、時間の概念なんかもそうかな。種族によって『ちょっと前』が数日だったり百年だったりするアレだよね?」
『それはちょっと極端な例ですが、ハイ、まさにその問題です』
「なるほど、ありがとう」
『いえ、とんでもありません。
なお、この問題は民族同士の交流では大いに問題になります。銀河連邦などもその昔、このココロの誤訳問題で破綻しかけたほどなのです。そして連邦は誤訳の温床になる翻訳問題を捨て去り、簡易な共通語を採用する事で誤訳問題を最小限にする事に成功したのですね。
このように、我の通信方式は決して万能のものではありません。時代遅れという見方もあるでしょう。
しかし船の運行程度なら、誤解を生みそうな表現を排除する事で充分に用を足すのでございます』
「へえ……そういや連邦社会の講義でそんな話出てたね。最初は各国が別々の言葉使ってたけど、誤訳が原因で激怒、全面戦争になりかけたとか、初期には洒落にならない問題がたくさんあったって」
『はい、そのとおりです鍵の子。あなたは知識が足りないようですが理解力はおありですね。ありがたいことです』
「あーうん、なんか褒められたような気がしないけど、とりあえずありがとう」
ちょっぴり微妙な顔をしているメルを置き去りに、天翔船は続けた。
『それでは離昇いたします。鍵の子……メル様もお座りになってください』
「え、座る?」
『はい。盾の子、メヌーサ様のように』
言われてメルが振り返ると、確かにメヌーサは地面にべったりと座っていた。
「えっと、船なんだからどこかに乗り込むんじゃないの?乗るとこがあるように見えないけど?」
首をかしげるメルに返答したのはメヌーサだった。肩をすくめながら苦笑して。
「メル違う、この森自体が船なの。つまりわたしたちはね、ここにきた時点で既に乗り込んでるわけ」
「はぁ?」
メルは首をかしげた。
まぁ、当たり前といえば当たり前である。さっきから森林浴よろしく歩いてきた森、この森自体が宇宙船だなんて言われても、宇宙船といえばサイバーでメカニカルなイメージしかないメルにとっては「あのー何言ってんの?」な状況なのは間違いない。
そのメルの内心が理解できるのだろう。メヌーサもメルを叱ったり急かす事はない。
ただ一言だけ、
「ま、わけわかんなくてもいいから座んなさいメル。ほら、ここおいで」
そういって、自分の隣の地面をポンポンと叩いた。
宇宙は広い。そしてそこには数多の文明があり、その中にはメルのような地球人の想像も及ばぬ異様な進化を遂げた巨大文明も存在する。
頭ではわかっていた。話にも聞いていたし、銀河について教えてもらったイダミジアの講義でも色んな文明の話を聞いた。
だけど。
まさか、森そのものが宇宙船なんてとんでもない代物に遭遇するはめになるとは、いかにメルが好奇心の人でも完全に想定外だった。
なんだこれ。
(※)巨大なダイコンが宇宙飛ぶより無茶じゃないかと。
『只今から大気圏突破の術式を執り行います。危険ですので物理的影響力を持つ魔道のご利用はお控えください』
「は?……じゅ、じゅつしき?まどう?」
困惑するメルにメヌーサが笑った。
「何驚いてるの?木でできてる船に、相転移機関とか対消滅エンジンがついてると思うの?」
「いや、そんなこといわれたって」
メルは頭をかいた。
「宇宙船だよね?宇宙文明の産物だよね?そんなファンタジー小説みたいな単語をぞろぞろ並べられても困るんだけど?」
「はあ?」
今度はメヌーサの目が点になった。メルの反応が想定外だったようだ。
「何ぼけてんだか。メル、あなたの身体だって、そのファンタジー小説?だか何だかの集大成じゃないの」
「は?」
「知らないの?ほんとに?……ウソでしょ?」
やれやれとメヌーサは苦笑いした。なぜか楽しげであったが。
「アヤの七型としての能力の全ては、この船と同じ魔導コア。キマルケ王国で作られた魔導コアによって発動しているのよ?
それどころか、あなたが持っている七型譲りの能力だって、その大多数が内蔵する魔導コアから発動しているんだけど?」
「……」
「あははは、ウソ、本当に知らなかったの?マジで?……あっはははは!」
とうとうメヌーサは大笑いをはじめてしまった。
メルは唖然として、まじまじと自分の両手をみつめた。
「……この身体も、アヤも?」
『いかにもその通りでございます。鍵の子よ』
爆笑中のメヌーサのかわりに船が答えた。
『我が作られたのは大キマルケ王国。連邦のソレとはまったく異なる知識体系、こちらの世界でいう「魔法」をもって天空にまで届いた偉大なる世界にございます。
そして、あなたの身体を産み落としたる存在「無垢なるお転婆」は、連邦科学による人工の肉体に大キマルケの魔術理論を組み合わせた異端の混血児。森を船と化した我と同じく、大キマルケならではの創作物といえるでしょう』
「ま、魔法……魔法だけで天空に届いたって……科学技術いっさいナシで宇宙文明を作ったっていうの!?」
『信じられませんか?』
「……ごめん、信じる信じない以前に想像もつかない」
メルの顔は完全にフリーズしていた。どんな表情をすればいいのか、それすらもわからない感じだった。
無理もない。
頭の中だけは平均的地球人のメルとしては、ファンタジーとSFは別のものと思いたいのだろう。
だがしかし。
メルは知らないが、20世紀の地球にもこんな言葉があったのである。
『詩人と科学者の目指す道がひとつに重なる時、我々は高次の時代に至るだろう』
それは神秘学とかウイッチクラフトとか、科学とは対極にある世界での言葉である。
でも、今この瞬間のメルには必要な言葉だった。
『では論より証拠、今から実物をお目にかけましょう。魔道機関点火、キマルケ式魔法陣を展開いたします』
「!」
その瞬間、空を幾重にも七色の光の帯が舞い始めた。
よくみると、その光は森全体を包む円形を描いていた。たくさんの円形が幾重にも広大な森自体を取り囲み、外の空間と森をたちまち隔離していく。どこからかブンブンという羽音のような唸りも聞こえて、森全体が微妙に振動しはじめた。
そしてメルはその光の帯を知っていた。
「これ……アヤや私が戦闘する時と同じ」
『はい、同じキマルケ式魔道によるものですから。
もっとも我らは魔術師でも巫女でもありませんから、あらかじめ登録された術式を開放しているにすぎませんが……さて、離床いたします』
ばきばき、とどこかが壊れるような音がした。
「なんの音?」
『境界にあった若木が数本犠牲になりました……かわいそうですが仕方ありません』
「かわいそう?」
いまいち状況が理解できず、メルが質問した。
『わかりやすく言えば、我は植物から作られた生体宇宙船とでも言うべきもの。森の木々はいわば遠い親戚のようなものなのです。
ああ。だからそんなふうに根をはるなと警告したのに』
「……」
メルは考え込んでいた。
あいかわらず混乱中なのは間違いなかったが、生体宇宙船というSF的な言葉に覚えがあったようだ。壮大なパズルの中で鍵となる重要なピースが見つかった瞬間のように、ああとメルは納得げな顔をした。
「なるほど、生体宇宙船か!」
「え、そこで理解するの?」
どこか「そこに食いつくの?」と言わんばかりのメヌーサを放置して、メルは言葉を続けた。
「そうか生体宇宙船か、それなら確かにわかるね。まぁ、植物系っていうのはビックリだけどさ」
『ご理解いただけたようで、何よりです』
ウンウンとメルもうなずいた。
「そうか、生体宇宙船かぁ。いやね、先日、ソフィアの婚約者の人から送られたっていう船を見たんだけど、あれも海の生き物から作られた生体宇宙船だって話で、すごい本物だってビックリしてたとこなんだよね」
「あら、ケロアドの船見たの?どんなだった?確かお姫様のソクラス号より速いんだって?」
「すごいらしいね。でもまだ生まれたばかりらしくて、ソクラスみたいにおしゃべりじゃなかったよ?」
「そっか。乗っては見たの?」
「ソフィアが見せてくれたからね。さすがに飛んではくれなかったけど」
「あら残念」
地球人が想像した宇宙文明でも、確かに生体宇宙船という概念はあった。あるのだけど、実は昭和57年の知識しかないメルにとっては、最新鋭にもほどがある設定でもあった。
実は。
日本SFで有名な生体宇宙船というといくつか想像できるが、これらの多くが実は昭和57年以降に連載されたりしたものなのである。マニアックな分野ならいざしらず、一般的なライトノベルやコミックスに生体宇宙船が登場したのはだいぶ後の時代。少女誌である週刊マーガレットに連載されていた異色のスペースオペラ『トラブル急行』ですら当時まだ連載中だった時代である。有名な斉藤英一朗のライトノベル『ハイスピード・ジェシー』の刊行も二年後の1984年。
つまり。
メルが生体宇宙船を知っているというのは、それだけコアなSF好きだったと言える。
「植物から作った船かぁ。それは思いつかなかったなぁ」
「そうなの?」
「地球人が想像した宇宙文明でも、確かに生体宇宙船という概念はあったよ。ただの岩の塊みたいなのとか色々ね。
だけど、植物系ってだけでも珍しいのに、ましてや森そのものを船と化すなんてとんでもないものは、ちょっと覚えがないなぁ」
『ひとは千年を生きられない。もとより、動物と呼ばれる系統のいきものは一部の例外を除き、せいぜい百年か二百年の歳月しか生きられないものが普通でしょう。
対して、我々樹木は自然のままでも千年、万年の時を生きるもの。家となり生き物たちを守り、そして船となり悠久の天を翔けるのです。
ゆえに鍵の子メル様。
まこと我々ほど、この仕事にふさわしい存在が他にありましょうか?』
「んー、それはそうなんだけどね。植物って動物に比べて動かないイメージがあるから、天空を飛ぶ宇宙船のイメージにあわないんだよ、うん」
『それは偏見というものです。
ならば、その動かない樹木の私が颯爽と往くさまを御覧になれば、さぞかし驚かれるのでしょうね』
くっくっく、と悪戯っぽい笑いが頭の中に響いた。
「天翔船。あなた随分とおしゃべりになったわね」
『はは、楽しいのですメヌーサ様。
いやまさか、伝説の鍵の子がここまで無垢だとは。
この銀河を、あまねく束ねかえす伝説の運命の子ともあろう者が!』
「へ?伝説?運命の子?」
わけのわからない単語にメルが首をかしげた。
「ああ、だめよメルはまだ何も知らないの。自分が何をしたのかもね」
『ほほう。それはまた愉快な!』
「でしょう?ふふ、わたしも楽しいわ。まさかまさか、幾千万の時の果てにこぉんな楽しいオチが待っていたなんてね!」
『まったくですね』
「あはははっ!」
「……」
メヌーサと『船』はなんだか楽しそうだった。ほったらかしのメルは首をかしげているが。
(鍵……ねえ)
思えば、あのアヤもメルの事を鍵だといった。他にもそういった者たちがいた。
そういえば。
メルが知るかぎり『鍵』という言葉でメルを表現したのは、アヤをはじめとするドロイドな人たちばかりだったような?
「???」
むむむ、と考え込んだメルだったが。
「メル」
メヌーサは悩んでいるメルの頭をポンと叩いた。
「詳しくはまだ知らなくていい。でも一つだけ覚えておきなさい。
あなたは今や、銀河でもっとも知られた存在となった。
アヤの娘という意味ではない。ここに来るまでに見た夢を覚えているわね?わたしが開いたあなたの鍵を。そしてあの光たちを。
あれはね、新たな生命となるもの。これから銀河に撒かれる新たな命の種なの」
そう言うとメヌーサは、満面の笑みを浮かべた。
「やがて銀河の人々は知るでしょう。小さな星からやってきたひとりの女の子、その子から撒かれた小さな種が、この銀河系の全てを塗り替えていった事をね。
メル。あなたは『普遍的な鍵』。あまねく銀河に満ちる機械の乙女たちの父、そして母にして父と予言されてきた存在。
これはね、メル。
この銀河系島宇宙に広がる、あらゆる全ての生命種の系統樹に億年の時をかけて手を加える、前人未到の大計画のはじまりの合図なのよ!」
「……」
メルにはメヌーサの言っている事が、いまいちさっぱりわからなかった。
ただ、あのメヌーサのいた所で見た夢が何か大きな意味を持っていて、そして、それが自分の身体からとれたもので。
そしてそれが、何か途方も無い大変動の引き金に使われるらしいという事は、辛うじて理解できた。
「……銀河を、束ねかえす?」
ふらふらと首をふり、メルは自分の両手をじっと見つめた。
(※メルは1982年までの日本しか知らないので、昭和のSFマニアなら皆さんご存知のDAICON(日本SF大会・大阪開催)オープニングアニメもDAICON3しか知りません。DAICON4は1983年開催でした)
wikipedia情報ですが、斉藤英一朗『ハイスピード・ジェシー』は1984年刊行開始だそうです。
また、弓月光『トラブル急行』は1982年夏当時、ちょうど週刊マーガレットでの第一部連載中だったようです。
ちなみに余談ですが、岡山が舞台の有名なコメディSFアニメは平成作品なので、これも当時まだ存在しません。