天翔船[1]
徒歩のペースは遅いので、背後にしたソフィアたちも、なかなかその姿が消えなかった。
最初メルは、背後から突き刺さるソフィアの視線を感じていた。しかしその視線が唐突に消えてしまい、一瞬、反射的に振り返りそうになった。
「自爆したわね」
「自爆?」
「メルを攻撃しようとして反射を食らったのよ。本人でなく、とっさに守りに入った兵士がやられたみたいだけど」
「……それって」
当人は無事かもしれないが、それでは。
「ええそう、もう引き上げるしかないわね。今は」
「……今は?」
「あれで引き下がってくれればいいと思うけど、まぁ無理でしょ」
クスクスとメヌーサは笑った。
「一度ああなったら、ああいう人間は簡単には止まらないものよ。本人が強い意思で思いとどまるか、本人が大切に思っている人が止めない限りね」
「大切に思ってる人……」
ふと、メルはソフィアの大切な人というのを想像した。
「お父さんかルドのじいさんか、それとも大学時代のお友達か。イーガの皇帝陛下かな?」
「あまり友達が多いタイプじゃなさそうね。まぁでもそのかわり、親しい人はとことん親しいタイプじゃないかな?」
「そうかも」
メル自身の対人スキルが低いので、そのあたりは断言できなかった。
ただ、一国の王女様という立場にありながら、小さい頃から銀河を渡り歩いていたソフィアである。おそらく、一般的なお姫様のような友達はいないのではないか、というのが漠然とメルの頭の中にもあった。
複数の立場を使い分け、なおかつ友人関係も確保というのは難しい。特定ジャンルの友達ならそれぞれにできるだろうけど、立場を越えた親しい友人ともなれば、それはなかなかに難しいのではないだろうか?
そんなことを考えていて、ふと気づいた。
「あ、いなくなったね」
後ろを振り返るまでもなく、感じていた反応が全て消えたのにメルは気づいた。
「これは決定ね。メンツを揃えて出直すつもりでしょう。全惑星に警戒網をしくのかも」
「大丈夫なの?」
「もちろん」
メルの言葉にメヌーサは自信たっぷりに答えると、歩みを続けるのだった。
しばらく歩いていると、やがて公園のようなものが見えてきた。
中央に何か大きな木があり、それを中心に林、というより森が形成されているらしい。どうも自然にあった森を森林公園にしているようで、道はその脇を抜けるようだった。
「ここから入るわ」
「ここ?」
「ええ」
そこは、危険という立て看板のある、ただの道端だったのだが……。
「ん、これ獣道かな?」
よく見ると、道路というにもおこがましいような細道が、そこから森の中に伸びている。
それは正しくいうと、獣道というよりもむしろ杣道、つまりある種の特別な人が使うためだけに作られた細道によく似ていたのだが、さすがに中の人が中高生であるメルにはそこまでの語彙がない。だからメルの知る最も近いタイプの道である、獣道を想像した。
なお余談になるが、ここまで歩いてきた道路は舗装されているが、実はガードレールの類は全くなかった。
これにはもちろん理由がある。そもそもこの国の車両は自動運転のエアロカーばかりであるため、道路舗装の役割は単に、そこが道である事を指し示すだけのものだからだ。また人間の運転者を想定していないので、センターラインや停止線の類も、特に交通の少ない郊外には全く存在しない。
なお、メルがこの点に違和感を覚えなかった理由は、単に若すぎたから。運転免許をとる年代ではないので、白線がない事の意味には気づいても、それを重要視していなかった。
「いくわよ?」
「あ、うん」
メヌーサの先導で、目の前の森の中に入っていく。
メルは確かに昔から動物好きだった反面、植物関係は専門外だった。尊敬する人物に高知県が誇る世界的植物学者、牧野富太郎がいるのも事実だが、実際にメルが好きな植物というと、子供目線で面白く見えるもの、あるいは生活史がユニークなものなどに限られている。やはりそこは、いわゆる植物好きの目線とは違っていたといえる。
だけど、それでも小さい頃から野に、山に遊んできた者である。
(あれ……?)
他の者なら気づかない、気づいても気にしないレベルの事が非常に気になってしまった。
「ねえ、メヌーサ」
「なあに?」
「私の気のせいかもだけど……この森、さっきまで歩いてた郊外と全然植物相が違うよね?」
「どういうこと?」
「んー、つまり」
首をかしげたメヌーサに、メルは簡潔に説明した。
「ここは森だから、さっきまでの野原と違う植物群があるのはわかるんだけど……ここ、何かヘンな気がするの」
「どういうこと?」
「あー、わたしはアルカインの植物相に詳しくないから勘違いかもだけど。
あのねメヌーサ、ここにくるまでの間も、ところどころに小さい林くらいの森はあったよね?」
「ええ、あったけど?」
「この森に生えてるもの……下草も木も全然違うよね?この森だけ、さっきまでのブッシュとは別の土地にあるものみたい」
「!」
その瞬間、メヌーサは「まさか」という顔でメルを見た。
「えっと、なに?」
「ここの偽装に気づくなんて……欺瞞耐性高いのねえ。巫女だけじゃもったいないかも」
「あのー、メヌーサさん?」
「ああごめん」
ウフフとメヌーサは誤魔化すように笑った。
「その違和感はとても大切だから覚えておきなさい、メル。必ず役に立つ時がくるから。
で、この森の意味だけど、答えは、そうね。ここで言わなくてもすぐ答えはわかると思う」
「すぐわかる?」
「ええ。その違和感の理由の大元が、この森の中心にあるの。繁茂している植物群がほかの森と異なっているのはそのせいなのよね」
「なるほど。ありがとう」
「どういたしまして」
トコトコ、トコトコ。
郊外の道から森の小道になっても、やっぱり歩みは変わらない。荒れた道でもなく、歩いている女の子ふたりも運動向けの格好でもないのだから、当たり前といえば当たり前である。
ふと、メヌーサが口を開いた。
「メルって植物に詳しいの?」
「そうでもない。ただ地球では野山で遊びまくっていたし図鑑読むのも好きだったから」
「ああ。子供の好奇心で色々と詳しいってことね」
ふむふむと納得げにメヌーサはうなずいた。
「だったら、もしかして疑問に思ったんじゃないの?
メルの故郷とこの星、あとルドくんとこの星もそうかな?意外なほどに似てるでしょ?環境とか動植物とか」
「うん、それ!すごく気になった!……でも何でだろ、メヌーサは何か知ってる?」
「ん、わたしもそうでもないかな。単に無駄に長生きしてるだけだし、そういうのが得意なのはおね(ハッ!」
「?」
話の途中で唐突に口ごもったメヌーサに、メルが首をかしげた。
「どうしたのメヌーサ。えっと、おね……お姉さんって言おうとしたの?」
「え?まさか。オネカって言いかけたの。昔、教団がつけてくれた世話役の子だったんだけどね」
「……そう。で、質問に戻るけど、何か意味わかる?」
メルは、メヌーサが嘘をついている事を直感的に悟った。が、敢えてそれを指摘しなかった。
対するメヌーサは「おっかしいなぁ、わたしなんでこんな口軽くなってんだろ。メルのバカっぽい空気に毒されてる?」みたいな渋い顔をしつつも、メルの質問に答えた。
「ま、ひとことでいえば、どこの星だって似たような状況で同じような炭素生命が生まれる以上、その進化の系統樹も大差ないって事かしらね」
「そんなもの?」
「ええ、そうなものよ」
にっこりとメヌーサは笑った。
「最初に簡単なものができて、そしてそれが複雑化しつつ響きあい、交じり合って発達していく。それが炭素系生命体の特色よね。
この点は、いかに異星であろうと大差ないの。物理の法則がどの星でも変わらないように、やっぱりほとんど同じタンパク質が生成されて、そして全く同じような発生の経路をたどっていくらしいのね。
あとは、最初のきっかけかな?
たとえばホラ、よその宇宙船が無人の惑星に落ちて中の住人が全員死亡したとして。
彼らの持ち込んだ細胞組織や微生物、有機元素が元になって生命が広がったとしたら?」
「あ……それだと確かに、そっくりとか同じものになりかねないかも」
「ええ、そういうことよ」
ウンウンとメヌーサは頷いた。
「もちろん、最終的に残る種族が何になるか、生き延びて進化する系統樹が何であるか等、細部は異なるんだけどね。いわば、それがその世界の選択といってもいいわ。
極端な話、その星が硅素生命に向いた星ならば炭素生命の系統樹は延びることなく、そこからは硅素生命の星となるわけ」
ふむふむ。
「だから当然、細かいところは違うのよ。ほらメル、風船草」
たんぽぽに似た草花を指さして、メヌーサは言った。
「ほかの例外としては、やっぱり人やモノの行き来よね。この風船草みたいに」
「これ?」
「ええ。風船草の種はよく貨物に混じって銀河のあちこちに広がるの。今やもう、どこの原産だったかなんて誰も知らないくらいよ。
そして、ある時はモノだけでなく住民の一部もつれてね。
アルダー、アルカイン、アマルダンキィ……これらの種族がいる星は、その大部分が元移民星だったり、原住民と混血したりしてるのよね。あと、繁栄の果ての移住だったり元の星が滅びて新天地を求めたりね」
さく、さくと草花をふみしめて中に入っていく。
太陽の傾きもいつのまにか大きくなっていた。森自体の暗さもあって時間の感覚が少しずつ狂っている。ついさっきソフィアと別れの会話をしたはずなのに、メルにはそれがまるで、すごく昔のようにも思えてくる。
森の奥にずっとはいりこみ、いよいよ太陽の光をあまり感じないほどになってきた時だった。
「お」
突然に空間が開け、そこは、ちょっとした運動場ほどの広場。
そして、その中心には……とんでもない大木がそびえていた。
少なくとも数十メートルはあろうかという立派な大木だった。
広大に広がったその枝葉が、まるで広場全体に屋根のように覆いかぶさっている。このため広場はその広さにもかかわらず、それほど明るいわけではなかった。ただ非常に広くはあったのだけど。
そしてこれだけ巨大であるにも関わらず、どこか懐かしい木の香りが充満していた。過剰な暑さや寒さ、風雨を打ち消して中の小さきものを守るかのように。
「こりゃすごい」
メルは思わず、そうつぶやいていた。
地球にだって郊外や山中には、しばしば驚くほどの大木がある。だけどこんなに立派な木はそう多くはないだろう。
「着いたわ」
語るように、どこか懐かしむようにメヌーサが言った。
「メヌーサ、船はどこにあるの?」
どう見ても自然の森だ。どこかに船があるとも思えない。
だが、そういうとメヌーサは私の方を向いて「うふふ」と楽しそうに笑った。
「この木が船の中枢よ。天翔船の中心は木製なの。しかも生きているから、長らく大地に止めておくとこういう姿になってしまう」
「は?生きてる?船?」
メルは目を白黒させた。
それはそうだろう。普通に生えている大木を指さして、これが宇宙船よ、なんて言われてもワケがわからない。
「メルの時間で二十万年。まぁ森に完全に馴染んじゃっているのも仕方ないわ。さて」
メヌーサはぽんぽんと服の埃をはらうと、きちんと姿勢を一度正した。そして、
「天を往く子よ、目覚めなさい。わたしは銀の四番、時を見つめる盾よ。わたしとこの子の翼になってほしいの」
そう、木に向かって告げた。少しだけ大きな声で。
数秒、あるいは一分近くかかったろうか。次第に森が風や何かの音が消えていった。
そして厳かな声が響きわたった。