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押しかけ女房

 ランポートは、屋敷の中にこの様な場所があるとは思っても見なかった。

 板、板、板、板……部屋の内張りが何の飾りもない板で内装された部屋だった。しかも、縦20メーター横10メーター、天井までの高さは7~8メーターはあるだだっ広い部屋だった。

 部屋の片側には明り取りの窓があり、ピカピカに磨き上げられた床板を照らしていた。

 そこに丸い茣蓙が3つ敷いてあり、ランポートは部屋の中央に近い茣蓙に座らされた。

 壁に近いところに敷かれた茣蓙の上には、ウコンとシズカが正座をして待っていた。二人はいつものスペイン風の衣装ではなく、『ハポン』のシンプルな衣装を身に着けていた。

 ランポートも彼らの座り方を真似したが、とても長時間座り続ける自信は無かった。

 ランポートが正座して二人に向き合うと、ウコンとシズカは深々とお辞儀をして言った。

「昨日、主のベガ様からランポート様の指南役をおおせつかりましたが、それをお引き受けする前に約束して戴きたい事が御座います」

 ウコンはキリスト教の聖者を葬る時に着せる純白の聖骸布のような上着に紺色の襞スカートのような物を穿いていた。シズカも同じ衣装である。

「どうか、私の妹、シズカを御内儀に貰って戴きたい。」

 ウコンはさっきより更に頭を深く下げた。

 隣に並んだシズカも顔を真っ赤にして頭を下げる。

「ええ? それは、け、結婚しろということですか?」

 ランポートはビックリして聞き返した。彼の顔も真っ赤である。

「いえ、そうでは御座いません。正式の夫婦になって下さいとは、申して居りませぬ故、ご安心のほどを」

 ウコンの言葉に13になったばかりのランポートは取り合えずホッとした。

「ランポート様には、『ニッポン』に伝わる全ての武術をお教えするようにと、ベガ様から言い付かっております。

 ランポート様にわが国に伝わる全ての技を伝授する際、どうしても房中術において我が妹の肉体を持ちまして女性の心を支配する術をお教えしなければなりません。

 しかし、その一事に妹の純潔を捧げるのは兄として真に忍びなく、できればランポート様の正式な愛人の一人としてお手を付けていただけない物かと思ったので御座います」

 ランポートにはウコンの言ってる事が、半分も理解できなかった。

 『ハポン』……ウコンの言うところでは『ニッポン』が正しい発音らしいが、『ニッポン』では、女の心を操作する術があるというのか? しかも、『正式な愛人』? とは何のことなのか? 確かにカソリックの世界にも非公式な愛人なら山ほど居るが、イスラム教徒であるまいし、配偶者は一人と決まっている。

「私は、その、九つからロンドンのイエズス会に預けられ育ちました。カソリックの教えを受けているので、妻は生涯一人だけ持つものだと教えられています。」

 ランポートは遠まわしに、ウコンに断ろうとして言った。

「これはこれは、修道会でお育ちになりましたか。それは最悪の環境でお育ちになりましたな」

 ウコンはにやっと笑って言った。

「え? どういう意味ですか?」

 ランポートはむっとして聞き返した。

「どうも西域の国では、たまに純潔の神話に毒されていらっしゃる方がおられますが、ランポート様も相当毒されておられる。

 では、お聞きいたしますが、結婚前に好いた方が純潔ではないとお分かりになったら、その方への愛は失われてしまいますかな?」

 ランポートはウコンの質問に、ぐっと言葉に詰まった。

「『ニッポン』では古来、戦の最も上級の手段として、戦わずして敵を服従させる手段も武家のたしなみとして教育されてきました。

 そもそも、わが国の仕来りでは身分の高い貴族が裕福な又は権力を持った豪族の娘の館に通って生活するという『通い婚』の慣わしがあり、純潔であるかそうでないかは重要ではなかったのです。

 我々『ニッポン人』は、聖母マリア様が処女でイエス様を懐妊された事を、奇跡であるとは考えておりません。神の御子であるからには、当然であると思っております。西域のこの辺りにお住まいの人々は、所有欲、独占欲が大変強よう御座いますから、ご自分の伴侶に対しても聖母様を求めてしまわれるのでしょう。

 もう50年以上も前になりますが、イエズス会の宣教師ルイス・フロイス様が、『ニッポン』に宣教の為に派遣されておりました。

 師は「処女性は大切な物であるから、皆大事にするように」と説教されましたが、『ニッポン人』は誰一人として笑って取り合わなかったそうで御座います。

 わが国の武術、もっと広い意味で武芸と呼びますが、その理論ではこの国エスパーニャも含めて武芸に挑む心構えがまったく出来ておられないと思います。

 大切なのは、生きてゆかねばならないこの世をいかに曇りの無い目で観察し実利を追求するかと言う事です」

 ウコンはさも当たり前の事を論じる様子でそう言った。

「武芸を志す根幹には、活人の思想があります。ただ、人を殺す技術だけを追求するのであれば、性能の良い鉄砲が一丁あればいいのです。

 我々『ニッポン人』は300年以上続く戦争の中で、人を殺すのは最後の手段だと学びました。戦争を指揮する上級貴族であれば、尚更そういう心構え『活人』即ち他人や領民を生かす術が必要なのです」

 ランポートはウコンの言い分を聞いて、おぼろげながらフェリペ四世に謁見した時からもやもや考えていた事の答えが見えたような気がした。

 フェリペ四世は、スペインの将来を考えた際、ランポートのような厄介者は即座に始末した方が得策だと考えたに違いない。

 しかし、彼は生きる事を許された。それはフェリペ四世がランポートに何かを望んでいるということなのだ。

「ウコン殿にお尋ねしますが、その、『房中術』も含めて私が全ての武術を習う事は、必要な事なのですか?」

 ランポートは真剣な表情で聞いた。

「必要です。ランポート様が二十歳を過ぎてもその命が尽きないようにと、伯爵さまから聞いておりますので、生き延びる術は全て学ぶ必要があります」

 ウコンは平然と言った。

 そこでランポートはハッと気付いた。今日の顔合わせで、いきなり妹を愛人に差し出すという申し出は、ランポートの命を心配したが故のことなのだと。

「その、シズカ殿は、どうなのですか? お兄様の命令で仕方なく同意されてるだけなのではありませんか?」

 ランポートは顔を真っ赤にして彼女に言った。恥ずかしかったが実際女性にも興味があることは事実なのだ。

「いいえ、私は自らランポート様にお使え出来るよう兄上にお願いしました」

 シズカも顔を真っ赤にして、答えた。

「どうも、シズカはランポート様の身の回りの世話をしている間に、彼方に恋慕の情が沸いてしまったようです。実は、最初私は伯母上に『房中術』の指南をお願いしようと思っておったのですが……」

 ウコンは話の途中で、シズカをちらりと見て慌てて口を噤んだ。

 シズカがほっぺたを膨らませて、凄い形相で兄を睨んでいたからだ。

「飛んでも御座いません! ランポート様のお世話は、全て私の務めで御座います」

 ランポートは、シズカの怒った顔を初めてみた。

「とまあ、こう言う訳でして、このような勝気な妹ですが、どうか契りを結んでやってください」

 そう言ってウコンは再び深々と頭を下げた。

 ランポートもシズカの事を憎からず思っていた訳なので、シズカから告白されてしまった以上、申し出を断る理由は殆んど残っていなかった。ただ一点を除いてだが。

「シズカ殿との間に、子供が出来た場合はどうするのでしょう?」

 彼は恐る恐る聞いた。

「それは先ほどご説明したはずですよ? 『ニッポン』では通い婚なのです。男が女のところに通ってきている間は、婚姻していると見なされますが、通わなくなったら婚姻関係は無くなったものとして、ランポート様のお子様はサナダ家で育てられる事となります。

 余程特殊な事情―例えば王のご嫡男であるなどの事情が無い限りはです」

 ウコンはさらっと説明した。

「それは困りました」

 ランポートは言った。

「何がお困りなのですか?」

 ウコンは怪訝な表情で尋ねた。

 シズカは不安そうにランポートを見詰めた。

「『ニッポン人』は口が堅いとベガ様から聞いています。行く行くは、伯爵様にもお話しする時が来るやも知れませんが、これからお二人にお話しする事を、今のところ私たちだけの秘密にしていただけますか?」

 ランポートは並々ならぬ決意のこもった表情で聞いた。

「私の遠縁のユキムラ・サナダという武将がこう言い残しております。

 『一旦の約束の重き事を存じているならば、領地の一つ、国の半分をくれると言われてもその約束を翻してはならぬ』と。

 私の申す約束とはそうした物です」

 ウコンはきっぱりとした口調で言った。

 ランポートはごくりと唾を飲み込むと、自分の出生の秘密を掻い摘んで説明した。

 ウコンはそれを黙って聞いていたが、ランポートが話し終わると、深いため息を漏らした。そして、自分の隣で目を白黒させている妹を見やって、胸の前で腕組みをしながら話し始めた。

「いやはや、まったく困った物ですな。あのタルキス婦人が後見になられている時点で、予想をしておけば良かったのですが……」

 ウコンはそう言って唇を噛んだ。

「タルキス婦人がどうかしましたか?」

 ランポートの問いに、彼は更に深いため息をついた。

「知らなかったのですか? あの方の本名はマリア・カルデロン。フェリペ四世の愛人にしてオリバーレス伯爵の落とし子、女優としてマドリードパレス歌劇のヒロインを演じる権力欲旺盛な女性です」

 ランポートは彼女がオリバーレス伯爵の娘だったと知って衝撃を受けていた。

「主のベガ伯爵が、ふざけて彼方の事をプリンスと呼んでいるのは、当たらずとはいえ遠からずと言ったところでしょう。

 オリバーレス伯爵からすれば、マドリードから彼方をサラゴサの田舎へ厄介払いできて大喜びだったに違いありません」

 ウコンはそう言って肩をすくめた。

「彼方が、このラ・ロマレダ城に居る限りオリバーレス伯爵は、何も手出しは出来ないはずです。

 それよりも、困ったのは私です。彼方がこの城を出て、この危なっかしい西域の国々をうろつき始めるのを想像すると、今から冷や汗が出てきますよ」

 ウコンはそう言って妹の方を見た。

「シズカ、分っているだろうが、お前は異国の名誉ある家系に奉公することになるのだぞ。しかも、お前の君主は自ら統治することが出きる領地さえ持っておらん。

 彼の血筋は、必ずお前に災禍をもたらすだろう。それでも良いのか?」

 ウコンは嘆くように妹に訴えた。

「兄様、委細承知いたしております。女として生まれたからには、お家再興の野心を持たないでどういたします。私は女としてウィリアム様に全てを捧げる所存でございます」

 ウコンは、やれやれといった態で頷き、ランポートのほうを向いて深々と頭を下げた。

 シズカも同じく頭を下げる。

「ウィリアム・ランポート様、それでは改めましてシズカを娶っていただきますよう、伏してお願いいたします」


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