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 ベガ伯爵とファナ嬢の結婚式は、秋も深まった十一月、城の教会で慎ましやかに行われた。

 伯爵は42歳、ファナ嬢は35歳。決して早い結婚とはいえなかったが、領民にとっては待ちに待った結婚であった。

ランポートが伯爵の客分だったのはこの頃までで、その数日後、彼はラ・ロマレダ城で馬の世話係を命じられた。30頭近くの馬の世話を一人でやらされることとなった。

 朝まだ暗いうちから、馬達を運動場に引き出し、井戸から水を汲んで与え、厩の寝藁を取替え、牧草を与える仕事は、13歳の少年にとって過酷な仕事だった。

 折りしも彼が馬の世話を始めた秋は、麦の刈入れシーズンで、昼は畑で麦わらを集めそれを貯蔵用の塔に収容しなければならなかった。

 毎日手桶で50杯もの水の運搬。300キロもの干草、同量の敷き藁の始末。百キロもの馬の飼葉作り。朝暗いうちから起き出し、日が暮れるころには、どろどろになって倒れるように眠る。

 そんな日が3日続き、ランポートは正直ここを逃げ出そうと思った。

 だが、リチャードに殺された父・姉・妹、親族に対する責務を思うことでそれを思い止まった。

 そして、10日目に再び逃げ出そうと思った。

 その時には、曾祖母エリザベス女王、フェリペ四世への誇りを感じてまた思いとどまった。

 そうしてる間に、彼の身体には筋肉が付き始め、身体も痛くなることもなくなって、逃げ出そうという気持ち自体がなくなっていった。

 絶望と諦めの目で見ていた馬の姿も20日を過ぎる頃には、愛らしく思えるようになってきた。

 ランポートが過酷な労働に耐えられたのは、復讐心やプライドだけではなかった。

 彼の食事の世話や洗濯を焼いてくれる美しいメイドの存在も大きかった。彼女は、ウコン・サナダ・ハポンの妹で、名をシズカと言った。

 腰を超える漆黒の黒髪、華奢な体つきながら猫のような身のこなしを可能にするしなやかな筋肉。常に憂いを湛えて濡れ光る美しい黒い瞳。バラの蕾のように光沢のある赤い唇。鈴を打ち振るようなかわいい声。

 疲れた彼の身体をマッサージし、髪を洗い、香油で身体の汚れをふき取ってくれるかいがいしい姿に彼は魅入られていた。

 彼女は言葉少なく、会話も殆んど無かったが、彼女全体から滲み出す理知的な雰囲気は、かつてこれ程の聡明さを感じた女性に出会わなかった彼の心を強烈に引き付けて止まなかった。 

 そして、1ヶ月が過ぎた頃、ベガ伯爵が馬防柵に腰掛けて昼食を取っている彼に会いに来た。

「やあ、プリンス、だいぶ慣れたようじゃないか」

 伯爵は細長い2本の剣を下げていた。

「はい、伯爵さま」

 彼は口の中に入っていた固焼きパンの塊を飲み込むと、柵から飛び降りて伯爵にお辞儀をしながら言った。

「今日から君に、剣の手ほどきをしよう」

 伯爵はそう言うと近くの飼い葉桶を逆さにし、それにドッカと座り込んだ。

「君もその辺に座って聞きなさい」

 伯爵の物言いは柔和そのもので、これから剣術の指南を付けるという雰囲気ではない。

 ランポートも飼い葉桶を裏返してその上に座った。

「これが何か分るかね?」

 伯爵は持ってきた剣の一本を彼に差し出して言った。

 それは鞘の長さが130センチ余りで握りの部分が20センチ、握り手をガードするようにアーモンド状に金属カバーがついた、美しい細工の剣だった。

「えーと、ソードですか?」

 かれは、乏しい剣の知識を引っ張り出して言った。

「ソードでは、両刃の剣だ。これは片方にしか刃が付いてない。語彙の乏しい英語で言うなら、ブレードということになる。これは、最近流行の『サーブレ』と言うものだよ」

 伯爵は、にやりと笑ってそれをランポートに投げ与えた。

 ランポートは空中でそれを受け止めたが、そのずっしりとした重さにビックリした。

「分るかね、プリンス。その武器の重さが」

 彼は初めて持つ人殺しの道具に、興奮して喉が渇くのを覚えた。

「サーブレは、片手で持って戦う。そして、もう片方の手にはこれを持つのだ」

 伯爵はそう言うと腰の後ろから、ナックルガードの付いた奇妙な短剣を取り出した。それは刃先が二股に分かれており横から見たカラスの脚のように見える。

「これは、マインゴーシュともミゴーシとも呼ばれている。相手の剣を受け、挟み込んで使えなくする短剣だ。

 どうだね?これらを二つ持って、リングメールを着込み、ガントレット、フルフェイスヘルメット、プレートメイル、アンダーガードメイル、プレートブーツを着用したら人間は果たして戦えると思うかね?」

 ランポートは伯爵の言葉から連想する騎士の姿で戦う自分を想像しようとして途中で諦めた。

「無理です」

 彼は失望して言った。

「そうだろうな、今の君ではこのサーブレを片手で振り回す事さえ出来ないだろう。

 勿論本物の戦場で、先ほど私が説明した装備で戦う人間などほんの数えるほどしか居ない。人を殺すという目的を達成する為には、敵の的にならず、敵が気が付かぬほど早く、敵が予想するよりも強い攻撃を掛けねばならないのだ。

 従って、己の身を守るための防具は必要最小限にしなければならない」

 伯爵はそこで暫し言葉を切った。

「敵を殺戮する道具として最も優れているのは鉄砲だ。その次が弓矢、そして投石、槍、剣、斧、ナイフ、棍棒、歯、拳の順になる。

 プリンスが習いたいのは、剣で間違いないな?」

 伯爵は、身を乗り出してランポートに聞いた。

「は、はい。僕は剣術を学びたいと思います」

 彼は2~3秒考えてから言った。

「ふむ、君は案外自己顕示欲が強く、無鉄砲な性格なんだな。それならば、とことん人殺しの技を仕込まねばならん」

 伯爵は含み笑いと共に言った。

「私は主に、ここ西の果ての国々、旧ローマ帝国の版図内の国々の武器・武術について教えよう。

 そして、私の腹心のウコンが、極東の戦闘の極意を君に伝授するだろう。

 ウコンの故郷・極東の国、『ハポン』ではつい最近まで300年に渡って国中で戦争が繰り返されていた。それ以前には、あのフビライの軍勢を2度に渡って退けている」

 伯爵の言葉にランポートはビックリした。

 あの東方から襲来したモンゴルの悪鬼のような軍勢を退けうる国があったのか?

「そう、それが『ハポン』=黄金の国と呼ばれる国の力なのだよ。聞くところによると、イングランドより少し小さい島に200万人の騎士が今でも住んでいるそうだ」

「200万人ですか?」

「その一人一人の強さは、わが国の騎士の3人分に相当すると聞いている。しかも、僅か70年前に『ハポン』に伝えた鉄砲が、今では20万丁あるらしい。

 私のコレクションにもあるが、『ハポン』で作られた鉄砲は、鋳物ではなく鍛造された鋼鉄で出来ているのだ。威力や命中精度は我々の鉄砲の2倍近いな」

 既にランポートには想像できなくなっている。20万丁の鉄砲を持った軍隊が存在するはずがない。

「タイオワン事件で、我がポルトガルが『ハポン』と通商を独占する事に成功したが、かの民族が島の外に興味を示さぬよう細心の注意を払ったと聞いている。

 もし、その様な屈強な民族が大型船に乗って攻めてきたら、このスペインもフランスもイングランドも跡形も無く征服されてしまうだろうな。

 事実、あのイエズス会の宣教師共が布教活動を放棄したという話だし、イングランドもスペインもフランスもオランダも全ての国が、『ハポン』への不可侵協定を秘密裏に結んだと言う話だ。

 ウコン・サナダ・ハポンは、そんな国からやって来た剣士なのだよ」

 ランポートは、あのウコンという男の事を思い出した。鋼のような身体、張り詰めた弓のような迫力、刃のような目。

「私は、ここいら周辺の『ぬるい』剣術をまず君に教えよう。それが、剣術の良い入門書になるだろう。そして、その後で本格的な剣術をウコンから習うと良い」

 伯爵はニッコリと笑うと、やれやれと立ち上がった。

「まずは、そのサーブルを自由自在に左右の腕で振れるように、訓練するがいい。それが出来るようになったら稽古をつけてやる」

 伯爵はそう言って彼の前から立ち去った。

 ランポートは、その日からひたすらサーブルを振り回す訓練を続けた。イチョウの木やポプラがその葉を黄色く染め、落ち葉となって散る頃彼はようやく右手でサーブルを振り回す事が出来るようになっていた。

 ピレネーの山々が白い雪を戴くようになり、平地に霜が降る季節になった頃、ランポートはやっと左手でもサーブルを振り回せるようになっていた。

 ラ・ロマレダ城の人たちはそんな彼を入れ替わり立ち代り励ましてくれ、シズカも甲斐甲斐しくランポートの世話を続けていた。

 口数の少ない彼女もかなり彼に打ち解けてきて、挨拶以外にもある程度会話が出来るようになってきていた。

 彼にとって驚きだったのは、シズカが彼より5つも年上だった事だ。『ハポン』の女性は、見た目が幼く見える。ランポートは逆に大人びて見えるが、毎日の仕事とサーブルの訓練のお陰で段々と中身が見た目に追いつきつつある。

 1628年はこうして過ぎていった。


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