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カスティーリャ

 スペイン=エスパーニャは、いくつかの王国が統合されて出来上がっていた。有力なものは、スペイン半島の東半分を治めるアラゴーン王国と、西半分を治めるカスティーリャ王国である。他にもグラナダ王国やナバーラ王国があるが、ほんの小さな勢力に過ぎない。

 マドリードはカスティーリャ王国に属するが、アラゴーン王国と接するサラゴサ地方に近い。サラゴサ地方のサラゴサという都市の方がマドリードよりは古いが、王宮はマドリードにあった。

 フェリペ四世との謁見から既に三ヶ月が過ぎていた。ランポートは市の郊外に屋敷を与えられ、王立の学校=マドリード・アカデミアに入学したのだった。

 十七世紀初頭、先進国であるスペインでは、貴族や郷士の子息相手に読み書き以上の高度な教育を行う私立の学校が多数乱立していた。ランポートが入学したのもそういった学校の一つであった。

 その頃の世界では、義務教育などという制度は何処にもなかった。したがって、文字に触れる必要のない、小作農や肉体労働者(土工、荷役)、羊飼い、漁師などの識字率は20%以下だったのである。

 グーテンベルグが印刷機を発明してから百五十年あまりたっていたが、知識の源である書籍を購入する階級は、全人口の5%にも満たなかった。

 ランポートは既に読み書きは人並み以上(いや、そこ等の国語学者以上)の能力があった為、マスタークラスの最上級生として年長の少年達と机を並べる事になったのである。

 マドリードのアカデミアは、十七世紀のこの時点で世界最高水準の教育機関だったと言えよう。豊富な財力で、世界中から優秀な教授陣を呼び寄せ、明日の帝国を背負って立つ優秀な人材を排出していた。従って、そこにはヨーロッパ中の名門氏族の子弟達や国費留学生が集まっていた。

 アカデミーは、授業のカリキュラムなどは無く、サローン方式の座学や、教授の邸宅に赴き特別講義を受けるなど結構まとまりの無い教育方式だった。筆記具や授業を書き留めるノートなども決まったものは無く、制服さえもなかった。

 数少ない決まり事は、情報の伝達や収集の為アカデミー・ホールという校舎に相当する施設があること(そこには司書達が常駐し、図書館が併設されている)、毎月教授陣と運営に関与する理事によるアカデミー会議が開かれ、学園の全てを決定する事ぐらいであった。

 アカデミーに入学したてで、数えるほどしか授業を取っていなかったランポートは、アカデミー・ホールの控えの間でお茶を飲みながら司書の時間の都合が付くまで暇を潰していた。

 彼は武芸を学びたかったので、どの教授に師事したら良いか司書に相談するつもりだったのである。

「よう、ゾロ!」

「おはよう、ゾロ!」

 控えの間の入り口の方から、二人の青年がズカズカと入ってきて彼に声をかけた。

 明るいブラウンの髪の背の高い方が、チロル王国の貴族、ジャン・フランシス・シュペール。黒髪でガッシリとした背の低い方が地中海に浮かぶサルディニアの領主の次男、ガスパール・ド・カブリオである。二人とも彼の数少ないサロンでの同窓生である。

 ランポートは、金髪交じりの赤毛と切れ長の目から狐=「ゾロ」というあだ名を付けられていた。栄光ある「ゾロ」という名をランポートに与えたのは彼らが最初であった。

「ああ、おはよう。シュペール公爵、カブリオ男爵」

「おいおい、俺の事はジャンでいいといったろう」

「俺の事は、ガスってな」

 二人は、ランポートと同じ丸テーブルの椅子にどかっと腰掛けた。

 ジャンは十八歳、ガスは十九歳で彼より余程年長だ。そのせいかランポートのことを弟のように扱ってくれる。

「おい、俺達にもお茶をくれ。本来なら、ワインとかの方がいいがな」

 ジャンの注文に控えの間専属の給仕が、紅茶のカップを運んできた。

「ゾロ、なにを難しい顔して考え込んでるんだ?」

 ジャンは紅茶を一口すすると、ランポートに話しかけた。

「あ、ああ、僕はまだ一つか二つしか授業を受けていないので、他の授業も受けたいなと思ってアカデミーの司書に相談しに来たんだ」

 ランポートはぼそぼそと答えた。

「ほほう、勉強熱心な坊やだな」

 ガスは、からかうように言った。

「それならば、絵画を習いたまえ。今、丁度オランダからルーベンス殿がいらっしゃっている。世間では、ヨーロッパ随一の腕前だそうだ」

 ジャンは、そう言ってランポートの肩をどやした。

「い、いや、僕は絵画には興味がないよ」

 ランポートはすまなそうに返した。

「おいおい、ゾロ。ジャンの言う通りだ。君は、杓子定規に物を考えすぎる傾向があるぞ。われ等のような留学生がこのマドリードに集まるのは、学問を治めるのも一つの目的だが、有力な家の人間と知己を得るのも重要な事なのだ。

 ルーベンス殿は公成り名を成した人物だ。彼のサロンには、スペイン中の有力な諸侯が訪ねて来られると聞く。君が行く行く何者になろうが、有力な人脈を得ることは損ではないだろう?」

 ガスはランポートを諭すように言った。

「それにお前は、イギリスの出身だと聞いたぞ?ルーベンス殿は敬虔なカソリック信者だが、オランダにプロテスタントの有力な人脈を多く持っていると聞く。お前にとっては渡りに船じゃないかね?」

 ジャンは、ランポートに意味ありげな流し目をくれた。

 ランポートは、この二人にイギリス貴族の子弟であると自己紹介していたのでジャンがそれに配慮して薦めてくれているらしい。彼の立場としてはありがた迷惑な部分もあるが、ガスとジャンの厚意を感じていた。

「それにだな、ルーベンス殿の工房には、名家の婦女子が肖像画を求めに大勢訪れると聞くぞ? ひょっとしたら、甘い甘いロマンスと出会えるかもしれん」

 ガスはニタリと笑って言った。ランポートは、その言葉に内心ドキリとした。イエズス会につい最近までいた彼には、年頃の女性と知り合う機会など微塵も無かったからである。

「いやぁ、女性は苦手な方なんで遠慮しておきますが、兄さん達の助言はありがたく頂きます」

 彼は照れ笑いを浮かべながら答えた。

「僕としては、この歳まで武芸と言うものを習った試しがなかったので、この機会に本格的な修行をしてみたいと思っているのです。

 今日は、ここの司書にその辺の相談をしたいと思ってきたんですが?」

 彼は自分の思っている事を正直に話した。

「なんと、武芸か?」

 二人は同時にそう言って、ランポートを足元から頭の上まで繁々と観察し、お互いに顔を見合わせて肩をすくめた。

「確かに、まるでなってないな、ガス」

「うむ、ひなげしの花の如しだ」

「ガス、君が教えてやりたまえ。私は護身用に短剣術をかじったぐらいだからな」

「あい承知」

 ガスは、ジャンに頷いてランポートに向かって話し始めた。

「いいか、武芸とは、生き延びる為の技術だ。現代の陸戦では昔のようなロングソードやハルバードなどを使った格闘戦はほとんど無いと言っていい。しかも我々貴族の子弟は、軍隊に組み込まれた場合、必ず将校となり部隊をを率いることになる。だから、普通はジャンの様に、いざと言う時に身を守れる短剣術を習得するだけで十分なんだ」

 そう言ってガスはジャンをチラリと見た。

「それに、アカデミーでは武芸の教師をやとってはおらんのよ。本格的に武芸で身を立てるのなら、スイス盟約者同盟国の傭兵訓練所か各国の騎士団員になるしかないぞ。さて、何か妙案はないものか?」

 ガスはそう言って暫く宙を睨んで考え込んでいたが、何かを閃いたらしくランポートをぐいっと見て話し始めた。

「サラゴサに……たしかサラゴサだと思ったが、レコンキスタの英雄=ディエゴ・デ・ラ・ベガ伯爵と言う方がいてな、まあ、俺の母方の叔父なんだが、その叔父ならばお前に稽古をつけてくれると思う。ただ、その叔父なんだが、大層な変わり者で東洋かぶれなもんだから人付き合いがあまりよろしくない。そうだなあ、俺の国からおれにくっ付いてきた乳母のファナをお供につけてやるから、一回一緒に訪ねてみたらどうかな?」

 ガスはそういって小さく肩をすくめた。

 レコンキスタといえば、スペイン王国統一の大英雄達である。ランポートにしてみれば正に渡りに船であった。

「本当かい、ガス兄? うれしいよ」

 ランポートは満面の笑みで彼の行為を受け入れた。

 これが、将来新世界で『エル・ゾロ』と呼ばれるようになるきっかけとであるとは、当のランポート自身さえ予想だにしていなかったのである。


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