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船上の真実

 ランポートは重たいラシャのコートの襟を立て、波に上下するサンタ・パルジャンテ号の船首部分の手すりにもたれていた。朝がようやく明けたばかりで、行く手の空がとび色に明るくなり始めていた。ロンドンからの脱出行を思い出して、ここでこうして海を眺めてるのがまるで嘘であるかのように感じていた。

「ウィリアム、これを持って行きなさい」

 パパ・ロドリゲスは別れ際、ランポートに宝石の散りばめられた手のひらほどもある黄金のロザリオを渡してくれた。それには四角く囲われたユニコーンの浮き彫りと「ウォリック」とケルト文字でかかれた名前が刻印してあった。

「これは、君の父君から託されたものだ。スペインの王宮に行ったら、これをアルバレス伯爵に見せなさい。元気にしてるんだよ」

 彼は最後にランポートを優しく抱きしめると、案内役のタルキス夫人に押しやって岸壁の闇へと消えていったのだった。

 ランポートは、腰帯に手挟んだそのロザリオに軽く触れながら、パパ・ロドリゲスとの別れを思い出していた。そんな思い出ももう十日前の事だ。

「今日の昼前には、マラガ港に入港するわよ」

 そんな考えに浸っていた彼の背後からタルキス夫人が声を掛けた。

「おはよう、マダム」

 彼は肩越しに振り返ってこの若い自分の保護者に挨拶をした。

 彼女は背が低く、十二歳のランポートとあまり変わらない。彼が子供にしては背が高いということもあるかもしれない。

「この時期にしては、楽な航海だったわ」

 いかにも旅なれた様子で婦人は言った。

「そう? 僕は、一度だけ九つの時船に乗った事がありますが、ダブリンからロンドンに行ったことしかないから、この辺の海の事はよくわかりません」

 彼は首を傾げながら言った。

「ミスタ・ランポートには、神のご加護があるわよ。この二月の時期のロンドン航路ではこんなことはめったにないわ」

 彼女は彼の隣に立って微笑みながら言った。「マダム、この航海の間ずっと考えていたのですが、パパ・ロドリゲスはなぜ僕のような者に特別に目を掛けてくれるんでしょうか?」

 彼の青い目が彼女をまっすぐに見ていた。

その目が本当の事を言ってくださいと訴えかけていた。

「不思議に思うのは当たり前ね……どこから話そうかしら……」

 彼女はつかの間言いごもり、ランポートの腰のロザリオに目を落とすと話し始めた。

「イギリスのチューダー王朝最後の女王エリザベスのことは知っているわね?」

「はい、マダム」

 まさか、知らない人間なんていないだろうと思いながらも彼は答えた。

「プロテスタントが国教のイングランドにあって、彼女は、アイルランドに対して必要以上に温和な政策をとっていました。それは何故かあなたには解るかしら?」

 彼女は片目で彼を見ながら続けて語を次いだ。

「エリザベスが王位を継承する一年半前、前女王のメアリーが彼女をプロテスタントの氾濫を煽ったとして投獄したことは知ってるわよね?」

「はい。」

 ランポートはつばをごくりと飲み込んだ。彼がまったく予想しなかったところから話が始まったからである。

「エリザベスは王位につくまでは辛酸を嘗め尽くしたわ。母親のアン・ブーリンがロンドン塔で処刑され、彼女は妾腹として王位継承をほとんど剥奪されたも同然だった。

 それで彼女の父親=ヘンリー八世の跡を継いだエドワード六世はエリザベスを政略結婚の道具にしてアイルランドを懐柔しようと画策したの。でも、イギリスの諸侯の間からは、強烈な反対の声が上がった。

 諸侯の反対の理由、いくら王位継承権の薄いエリザベスでもアイルランド王にくれてやるわけにはいかなかった訳わかるわよね?」

「ええ、そんな事をすればイングランド王がアイルランド人から出てくるかもしれませんから……」

 ランポートは自らがアイルランド人である事実を苦々しく思いながら答えた。

「それでエドワード六世は、ランバート・シムネルの息子に目をつけたわ。

 知っての通りシムネルは、ウォリック伯としてイングランドの正当な王位継承権は自分にあると言って、ヘンリー七世に反抗した人物だったけど、当時アイルランドの貴族は彼を一生懸命応援していたわけ。

 彼が謀反の罪で捉えられるまではね」

「でも、シムネルは確かペテン師=リチャード・サイモンが作り上げた偽者のウォリック伯だったはずですよ?」

 彼女は話の間を取るため水平線の彼方を見詰め、つかの間口を閉じた。

 この船の航海する辺りは、既に地中海。外洋よりも明るい色合いの青い海に真っ白な雲が目に心地いい。

「今ではそう信じている人が多いわね……だけど、捕まったランバート・シムネルは本物のウォリック伯だったのよ。

 その証拠に彼は大規模な反乱を起こしたにもかかわらずヘンリー七世に処刑されずに王宮の鷹匠として余生を送ったわ。勿論ウォリック伯エドワードも、密かにヘンリー七世に忠誠を誓わされたと思うけどもね。

 そして、ロンドン塔に収監されていたウォリック伯の影武者は真実味を強調するため殺され、まもなくヘンリー七世も天国に旅立った。

 ……その後、ヘンリー八世がイングランドを引き継ぎその彼も死ぬと、わずか九歳のエドワード六世が王になった。幼かったエドワードは、ウォリック伯事件の真相を知る由もなかった。

 幼王は、体も弱かったから悪名高きジョン・ダドリー護国卿が政務を代行していた。勿論ダドリーもウォリック伯事件の真相は知る由もなかった。ダドリーは、イングランドを私物化しようとしたわ。ダドリーは、自分の息子にイングランド王を継がせるために四番目か五番目に継承権がある義理の娘ジェーン・グレイを道具にして、死の床にあるエドワード六世から強引に「後継にする」と遺書を書かせた事件は有名よね? その時一番目の後継順位はメアリー一世、そして二番目がエリザベス一世だったのよ。

 ジョン・ダドリーは、メアリーをロンドンから遠ざけ、当時十三歳だったエリザベスを偽者=ランバート・シムネルの息子と結婚させ、王位継承権を貶めたかったのね。

 ヘンリー七世とシムネルとの事情を知らないダドリーはランバートの息子とエリザベスが情を交わせば、昔反乱を起こした偽伯爵の息子が愛人だということでイギリス議会が王位継承を承認しないだろうと思ってたのね。

 まったくシェークスピアだってそんな三文芝居は書かないわ、フフフ。彼はシムネルの息子リチャードに言い含めてエリザベスの寝室に毎晩夜這いに行かせていたのよ。

 ……リチャードは父親と同じ鷹匠として王宮に勤めていたけど、自分が本物のウォリック伯だということを知っていたのね。そこでリチャードはエリザベスに全ての事情を明かした。

 ウォリック伯がアイルランド貴族と組んで、英国王位を狙って失敗したが、ヘンリー七世の温情で本物だけど偽者であるということで死を免れた事。そしてダドリーの策略で、エリザベスの権威を失墜させる為に、彼女の寝所に夜這いを掛けた事などをね。

 エリザベスは、誠実なリチャードの言葉を信じ、彼と組んでダドリーをだます為に一芝居うったのよ。

 まんまとダドリーは、エリザベスの弱みを握ったと思って油断したわ。予定通りジェーン・グレイはイングランド女王として即位したけどその九日後に長女のメアリーがイギリス議会に呼び戻されてダドリー一味の企みは完全に失敗した。」

 タルキス婦人は、肩をすくめた。

「リチャードとエリザベスは、あえて汚名を着ることで自らの命を守ったのだけど、今考えれば議会がメアリー支持を一本化するきっかけにもなったわけね。

 そして、その後エリザベスは、ランバート・シムネル・ジュニアと本当の恋に落ちてしまい、あなたのお爺様を産み落としてしまったの」

 タルキス婦人は、狐に抓まれた様な顔をしているランポートを哀れみの篭もった目で見て言った。

「メアリーとエリザベスの関係は、これは私の想像でしかないけど、とても親密なものだったと思うわ。八つも年下の妾の娘、しかもその母親は斬首刑で亡くなり、王宮の片隅でひっそりと育てられた妹。

 思春期のメアリーの興味をかなり引いたはずだわ。更にメアリーは子供を生めない病気に掛かっていたから、尚更でしょうね」

 タルキス婦人は深い意味深なため息をついた。

「ウォリック伯リチャードの子を宿したエリザベスをメアリー女王は、謀反と偽ってロンドン塔に幽閉したわ。幽閉期間は約一年半、子供を生んで体調を整えるのに丁度いいぐらいね。

 本当はもっと長くエリザベスと子供を世間から守ってやるはずだったのだろうけど、メアリーの子宮にできた瘤が悪化して、エリザベスの幽閉から一年半後あっけなく彼女は死んじゃって、エリザベスが王位につくことになったと言う訳」

 彼女は、話し終わると大きな溜め息をつきランポートの顔を見た。ランポートは目を大きく見開き、こころもち青ざめた顔色をしていた。

「今まで、もしかしたら僕はアイルランドの有力な貴族の息子で、身分を隠す為にイエズス会に預けられたかもしれないとは思っていました。ジェシットのコミュニティにはそんな子がいっぱいいましたし……でも、でも、まさか曾お婆様が、エリザベス陛下だったなんて……」

 彼の頭の中では、あたかも暴風雨が吹き荒れているようだった。

「信じられないでしょうね。私だってそのロザリオを見るまで信じられなかったわ。それはカソリックの大司教が身につけるものよ。しかもデザインはイギリスカソリック派特有のもので、裏にはエリザベス女王が私信に使用していたユニコーンの紋章とウォリック伯のサインがあるんだから……」

 ランバートは自分の生い立ちに激しいショックを受けていた。

「あなたのお爺様は、ダブリンの有力貴族の息子として育てられ、アイルランド人の妻をもらい、あなたのお父様もアイルランド人と結婚しているから、あなたにはイングランド人の血は四分の一しか流れていないけど、紛れもなくあなたはチューダー最後の王位継承者、しかもヨーク王朝の正当後継者なのよ!」

 タルキス婦人は、後ろを振り返ってこの話が誰にも立ち聞きされていない事を確認した。

「あなたが三年前に、ロンドンに来た理由は、あなたのお父様が暗殺されたからなの。あなたのまだ知らないお姉さまたちも一緒に殺されたわ」

 ランバートは彼女から二~三歩あとずさった。目は恐怖に見開かれていた。「僕はまだ九歳だった……なにも知らされていなかった」彼は心のうちで呟いた。

「今回のロンドンからの脱出も際どいとこだった。あなたは、ロンドンでペストが流行し始めたからと聞いているでしょうけど、あの忌まわしいジェームズ一世の番犬どもがあなたのことを嗅ぎつけたからなのよ」

 ランポートはよろよろと手すりに寄りかかった。

「ここ最近、増長するイングランドのスチュアート王家から、あなたを守りぬくにはスペインに逃れるしかないわ」

「でも、どうしてそうまでして僕を守って下さるのですか?」

 ランポートは震える声で聞いた。

 彼女はしばらく考え込む様子だったが、肩をすくめると言った。

「まあ、いまさらあなたを担ぎ出してイングランドに内乱を起こさせるつもりは、イエズス会やスペインにはないわ。特にスペイン王は、ネーデルランドの戦争に掛かりっきりでイングランドの争いにまで関与する余裕がないって言うのが本音でしょうね。

 でも、カトリックの教皇庁は、アイルランドのカトリック保護の為、昔エリザベス女王と交わした約束を忘れていないの。あなたの一族を保護する代わりにアイルランド・カソリックには手心を加えるという約束をね。

 エリザベス女王は、その約束を守り四十五年以上もアイルランドに庇護を与えてくれていたわ。おかげで、アイルランドは、カソリックの地域として存続できる見通しが立ったから……」

 そう言うと彼女は、ランバートに優しく微笑んだ。

「とにかくこの話は私とアルバレス伯爵以外誰も知らないわ。おっと、パパ・ロドリゲスと教皇様もいたわね。さあ、下に行って朝食をとりましょう」

 彼女は彼の腕をとって、船の後方のキャビンに歩き出した。ランバートは考え込みながら彼女にうながされるまま歩き出した。

 彼の激動の人生が始まったのだ。


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