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超説明的ゾロの生い立ち

 期せずして二次創作作品として投稿しますが、私はほぼオリジナル小説だと思っております。お読みになった方は、その辺のコメントがありましたら、作者までお寄せいただければ幸いです。

 十六世紀終わり、十七世紀の初め頃の世界はどうだったかと申しますと、いろんな事が起こっておりまして、それはもう興味深いことこの上ありませんでした。

日本では戦国時代がようやく明け、関が原の戦い以後徳川幕府が政権を固めつつありました。一方ヨーロッパでは八十年戦争が勃発し、イタリア半島では都市戦争が頻発して宗教改革の嵐が全土で巻き起こっておりました。

 芸術では謎多き劇作家ウィリアム・シェークスピアや、ルーベンスなる者等がもてはやされ、ガリレオは「それでも地球は周っている」などと負け惜しみの言葉を呟いたりしています。

 私のような学のない人間ですら当時の有名人の名前など存じているのですから、皆様方には一家言おありであろうことはいうまでもありません。

 私が今回皆様にご紹介したいのは、現代でも大変な有名人でありながら、真実の彼を誰も知らない(勿論本名も)という人物のことです。

 彼はスペイン語で、通称「狐=Zorroゾロ」と呼ばれた男でした。某有名漫画の三刀流の剣士のことではありません。「怪傑ゾロ」という有名な小説の主人公です。この小説ではゾロと名乗る覆面の男が、悪人をバッタバッタとなぎ倒す痛快なストーリィですがこの人物には実際にモデルがありました。

 皆様の中には「ああ、知ってるよ。ウィリアム・ランポートの事だよね」と、お答えになる事情通の方も居られると思いますが、果たしてその件のランポートの真実の物語を知っておられるのか甚だ疑問に思わざるをえません。

 彼の人生は、まさに荒唐無稽・驚天動地・奇想天外な物語なのです。(ちょっと大げさだったかな・・・・)彼はアイルランド人でした。当時アイルランドはものすごい田舎でヨーロッパの辺境の地でした。そのアイルランドで生まれ育った彼が、地球を半周したメキシコで「ゾロ」と呼ばれていたのです。あれれ? どうやってそこまで行ったのでしょうか? 一六三〇年頃のことですよ?

当時の航海技術はおそまつなものでした。船も遠洋航海には向かない小型船ばかりです。出航したきり帰ってこない船が三割近くありました。また、メキシコまでは片道半年がかり、運賃は天文学的な数字です。アイルランドの田舎者の彼が払えるはずがありません。

 私が最初疑問に思ったのは、そんな些細な事でした。軽い気持ちで「ちょっと調べてみようかな?」と思ったのが運の尽き、彼に対する歴史上の記述は十数行と簡素なものでしたが、歴史背景を調べ始めたら、でるわでるわ壮絶なる彼の人生が浮かび上がってきたのです。(溜め息……)

 ゾロ……もとい、ウィリアム・ランポートは一六一五年、アイルランドのウェックスフォードで生まれました。彼の生家は、中流の地主で敬虔なカソリック信者の家庭だったようです。

 そう、現代の我々は「アイルランドってイギリス連邦の一部だよね?」って、曖昧に考えてしまいがちですが、イギリスがアイルランドの支配を確立したのはまさにランポートが生まれた頃のことでした。(それまではまったく違う国だったのです。)

 現在のイギリスの国教はプロテスタントいわゆる新教ですが、アイルランドの国教はカソリックです。東洋に暮らす我々は「同じキリスト教じゃん」で済ましてしまいますが、まったく違うものであるということを理解していただかないとランポートの人生も語ることはできません。

 一五〇〇年までのヨーロッパは政教分離がされていませんでした。カソリック教会の権威と王の持つ武力で国が統治されていて、その国のカソリック教会の大司教は、殆んどが王の兄弟か親戚でした。また、大司教と領主を兼務することもしばしばありました。司教職は法王庁の重要な資金源で、司教の座はお金で売買されていました。

 そんな折、思慮の浅い司教が、「免罪符」なるものを領民に売りつけ始めたのです。免罪符とは神の国に行く為、犯した罪をちゃらにできるクーポン券のようなものです。どうしてそのような物が売れるかというと、カソリックには懺悔というシステムがありました。人間が日々生活する中で犯してしまう罪(聖書に書かれている内容に反すること)、たとえば小さな嘘や事故で他人を傷つけたり、といったことが神様にゆるしてもらえるように神父に告白するのです。もちろんただではありません。それなりに教会に対して寄付を行わなければなりません。一々ひとりに神父が何十分も懺悔に付き合って時間を割かねばなりません。免罪符はそんな手間を省く為に、考え出されたものでした。そんなことをしたら誰だって営利目的だと気づきますよね。案の定、カルビンやルターがカソリックの教義に疑問を持ち、宗教改革が始まりました。今までカソリックで統一されていたヨーロッパにプロテスタントという新興勢力が現れたのです。

 どちらもキリスト教ですが、教義のスタンスは百八十度違います。

 カソリックは減点主義で、人間は生まれた時は百点とします。成長して生きて死ぬまで大きな減点がなければ神に選ばれて神の国に入れます。ですから懺悔というシステムがあるんです。

 ところがプロテスタントの全てとは言いませんが、大部分が加点主義です。人間は生まれたときに神の国に入る権利を持ちます。成長して生きて死ぬまでに良い行いをして点数をかせがねばなりません。

 なんだか混乱しますが、キリスト教に興味のある方は自己責任でお調べください。

 では、本編の主人公ウィリアム・ランポートの故郷であるアイルランド島とお隣のブリテン島ではどうだったのでしょうか? ブリテン島では一五三六年、時の王ヘンリー八世が奥さんと離婚したいが為に、プロテスタントに改宗しました。ランポートが生まれる七十九年前です。アイルランドはヘンリー八世以前からイングランドに侵略されイギリスの事は良く思っていませんでしたから、勿論プロテスタントに改宗するのにも拒絶反応を示します。結局現代まで、アイルランドはカソリックを守り抜きました。これから始まる物語の背景には、ヨーロッパの宗教対立の影が色濃く関係してきます。

 それでは本題に戻って、ウィリアム・ランポートの生涯の謎を紐解いていきましょう。

 ランポートはウェックスフォードで生まれましたが、十二歳の頃までアイルランドの首都ダブリンとイングランドの首都ロンドンで教育を受けています。ジュシットというカソリックのソサエティで保護されていたとありますが、ジュシットという謎の団体が出てきました。調べ物好きな私は、それがイエズス会の別名であることを発見します。イエズス会は主に、ヨーロッパ以外の新大陸に布教を拡大する為の宗派です。そこは専門の宣教師養成機関があり、語学の英才教育を行っていました。

 ランポートは二十一歳の頃、十四ヶ国語をスラスラ話したと言いますから、幼少の頃その養成機関で鍛えられたことは確かなようです。しかし、彼は十二歳の時にイギリスにいられない事情ができたらしく、次に史実に登場するのは十八歳の頃、スペイン王から正式にアイルランド外人部隊の私略船の指揮官に任命されます。どうやら十二歳から十八歳までスペイン王国の王宮に居候していたようです。正確に言えばスペイン領ネーデルランドの大公・アルバレス伯爵の客分としてオランダの伯爵領やスペイン本国で成長したのでしょう。

 ちょっと待ってくださいよ? たかがアイルランドの田舎地主の息子が公爵の客分ですか? 非常におかしい…………私は、ランポートは実はアイルランド王の落とし子じゃないかと疑いました。どこの馬の骨とも知れぬ男の子をいくら頭がいいからといって、イエズス会がイギリスのロンドンからスペインまで連れて行き、スペイン貴族の客分として預けるでしょうか? 更にスペイン国王から私略船とはいえ、若干十八歳で軍艦を一隻まかせられるでしょうか? 行間から読み取れる謎の答えにちょっとドキッとしませんか? また、後にアルバレス伯爵と対立してメキシコに厄介払いされるわけですが、当時政敵は暗殺するのが最も安上がりな方法だったのに、かれはメキシコまで大金をはたいて追放されたのです。それは政治的にランポートを殺すとまずいことになるので、アイルランド王の目の届かないところに送ったと考えなければ辻褄が合わなくなります。更に、オリバーレス伯爵の念の入れようから、彼はアイルランド王程度の田舎王族よりも遥かに重要な血筋を持っていたと推測できるのです。

 私はハッとしてランポートが生まれる百三十年ほど前の前代未聞の椿事を思い出しました。ロジャー・サイモンという司教が、ランバート・シムネルという少年をイングランド王に仕立て上げた「偽イングランド王事件」のことです。

 千四百七十七年のこと、イングランド王の系譜は、ヨーク朝からテューダー朝になったばかりの頃でした。アイルランドへの侵略を続けるヘンリー七世に対してアイルランドの王を自称していたキルデア伯爵は、サイモン司教の仲介で、クラレンス公ジョージの息子としてリチャード三世から与えられた本物の「王位継承権」があるウォリック伯エドワードをダブリンのクライストチャーチ大聖堂で「国王エドワード六世」として戴冠させたのです。イングランドに二人の国王が生まれました。

 この時、ヘンリー七世は、「本物のウォリック伯エドワードはまだロンドン塔に収監されている」として、人前で本当のエドワードを紹介したそうですが、はたしてそれが本物のエドワードであったかどうかは甚だ疑問です。何故なら、この反乱騒ぎが収束した後、ランバート・シムネル自身は罪を許され、宮廷の厨房の仕事を与えられ、後に王室の鷹匠になり、千五百三十五年頃にこの世を去りました。他の関係者が、全て殺されるか永久に牢獄に幽閉されるかしているにも関わらずです。そして、本物として紹介されたウォリック伯エドワードは騒乱後すぐに処刑されています。まるで、口封じをするかのごとくです。

 私はこの物語を書くにあたって、ウィリアム・ランポートの生い立ちは、ひょっとしてそのランバート・シムネル(ウォリック伯エドワード)の落とし子ではないかとして書くことにしました。ああ、なんて宝塚的な素敵な設定なんだろう。(我ながら、うっとり……)

 物語りでは、戦争のシーンなども描写しますが、当時の軍隊は中世の軍隊とさほど変わりません。

 日本ではポルトガル伝来の鉄砲なるものが五十年あまりで十万丁まで普及しましたが、ヨーロッパ本土では数千丁しか普及してません。使われる武器はロングボウやハルバード、鎖帷子や西洋甲冑の世界です。まだ、巷には魔女狩りが行われ、怪しげな錬金術師やジプシーなどがおりました。スペインはヨーロッパ随一の強国で、一五八七年アルマダの戦いでイギリスに敗れたとはいえ、まだ世界一大きな海軍をもっていました。マゼランが世界一周を果たしたばかりで、オーストラリア大陸はまだ発見されていません。

 そんな迷信と剣と野望が渦巻く物語へ皆様を招待できる事を大変光栄に思うしだいです。


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