07話 キャッサと虫の名前
「ローラ奥様、実は、面白い話を聞きました」
メイドのキャッサは、メイドらしい無表情の仮面を外してニヤリと笑いました。
「どんなお話?」
私が問いかけると、キャッサは待ってましたとばかりに話し始めました。
「学生時代に奥様に粉をかけてきた男、覚えておられますか。隣国の公爵の息子の……何でしたか……虫みたいな名前の」
「グレゴール様のこと?」
「そう、その男です」
「彼がどうかしたの?」
「偽物だったようです」
「……え?」
話が見えなくて、私は首を傾げました。
「どういう意味?」
「貴族の嫡子ではなく、嫡子の身代わりの庶子だったらしいです」
「どこからそんな話を仕入れてきたの?」
「マーチンデイル公爵からお聞きしました」
マーチンデイル公爵は私の父です。
「奥様の学生時代に、公爵様にあの男について聞かれたのです。そのとき私は、あれは絶対に悪い男だと公爵様に告げ口してやったんです。そのことを公爵様は覚えていてくださって、『悪い男だったよ』と答え合わせをしてくださいました」
「……」
私が質問しても、父は答えてくれなかったのに。
キャッサには教えたのですね。
父の不公平な行動に、私は少し腹が立ちました。
「キャッサはグレゴール様の名前も覚えていないのに、教えてもらえるなんてズルいわ」
「実は偽物だったということくらいは、言っても良い範囲のことだったのでしょう」
「お父様は私には教えてくれないのに……」
「奥様がさらに他のことも知りたがって、また困った行動をとらないようにという配慮だったのでは?」
「私は、皆を困らせるような行動はとらないわよ」
「奥様は、知りたいからと、ご病気が快癒したウォルター王子殿下にわざわざ会いに行かれたではありませんか」
「……」
私はキャッサに言い返せなくなってしまいました。
キャッサの言うことは尤もだと理解はできるのですが。
やられっぱなしのようで釈然としません。
(そうだわ)
私はキャッサにちょっとした仕返しをする方法を思いつきました。
◆
「お呼びですか、奥様」
「キャッサ、貴女にプレゼントがあるの」
私はメイドのキャッサを呼び出すと、用意していた本を渡しました。
「私からのプレゼントよ。ちゃんと読んでね」
「……これは……虫の本ですか?」
「そうよ」
それは私も持っている本です。
タイトルは『転生したら虫だった件~今更気付いてももう遅い!』。
哲学者フランチョ・フカフカ先生が書いた幻想小説です。
私は以前にこの本を読んで、この本の主人公グレゴールが、朝起きたら虫に転生していた話をキャッサに語ったことがあります。
キャッサはグレゴールの名前をうろ覚えしていて、それで「虫のような名前」と言うのです。
「これをちゃんと読んで、今度こそグレゴールの名前を憶えてね」
「ご厚意痛み入ります……」
キャッサは口では感謝を述べながら、少し迷惑そうな顔をしました。
だから私は釘を刺しました。
「読まずに売ったりしないでね?」
「……本当にこれ面白いんですか? 虫の話ですよね?」
「面白いわよ。まるでドーナツの穴のように」
「はあ……」
有能なメイドを困らせてしまいました。
私は悪い主人かもしれません。
「読み終わったら売っても良いわよ」
「そこまでお金には困っておりません。十分なお給金をいただいておりますので。奥様からの贈り物は大切にさせていただきます」
「あら嬉しい。ちゃんと読んでもらえるのね」
「はい、奥様」
キャッサはメイドらしく従順な返事をしましたが。
ぼそりと言いました。
「不条理ですね」
――完――
フランチョ・フカフカ先生の次回作にご期待ください。




