表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を守る呪い社畜の悪役令嬢、公開断罪&婚約破棄でクビになったので処刑人騎士と灰境で国ごとざまぁ溺愛されます  作者: 夢見叶


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

タイトル未定2025/11/26 02:07

 王城大広間の空気は、今日も例外なく、最高に重たかった。


 煌びやかなシャンデリア。贅を尽くした晩餐。並ぶ貴族たちの華やかな衣装。

 その真ん中で、ひとり高らかに声を張り上げているのは、この国の王太子殿下。

 そしてその真正面で、優雅に微笑んで立たされているのが、わたくし。


 悪名高き悪役令嬢こと、アウローラ・ネフェルテムである。


「アウローラ・ネフェルテム。汝は呪われし血を持ち、聖女リゼットを度重なる嫌がらせで苦しめ、王都に不吉をもたらした罪をもって」


 はい出た。断罪イベントの開幕だ。


(テキストウィンドウが見える気がするのよね……スキップボタンはどこかしら)


 心の中でボタンを探しながら、わたくしはにこりと微笑む。

 周囲からは、ざわめきと好奇心と軽蔑が混ざった視線が刺さってくる。


「よって、余はここに宣言する。アウローラ・ネフェルテムとの婚約を破棄し、王家より完全に切り離す!」


 大広間が、わっと沸いた。


 きゃあ、と歓声をあげる令嬢たち。

 あの聖女リゼット様が、震える睫毛で涙を浮かべていらっしゃる。

 はいはい、ヒロインらしい可憐さである。


「イグナーツ殿下、どうか……アウローラ様を、あまりお責めにならないでください。きっと、本当は、お優しい方なのです……」


 震える声でそう絞り出すリゼットに、周囲の視線が一斉に集まる。


(ええと。わたくしを庇っているように聞こえつつ、実際のところは「でも罪は罪ですわよね」って言っているわよね、それ)


 この人、なかなかの演技派である。将来もし聖女業がうまくいかなかったら、劇団にでも入ればよい。


「リゼット。君は本当に優しい……そんな君を苦しめてきたアウローラを、もう見過ごすことはできない」


 イグナーツ殿下が、わざとらしく拳を握りしめる。


「アウローラ。何か弁明はあるか」


 待ってました、その台詞。


 わたくしは一歩進み出て、スカートの裾をつまんで礼をする。


「いいえ、殿下。弁明など、とても。わたくしが、皆さまからそう見えていたということなのでしょう」


 大広間が、一瞬だけ静まり返る。

 あら、思ったよりも「反論しない悪役令嬢」は珍しいのかしら。


(ゲームだとここで大暴れしてたのよね、この悪役令嬢。テーブルをひっくり返したりして。でもあれ、片付けるの誰かしら。絶対メイドたちよね。そんな理不尽、やりたくないわ)


 前世でプレイしていた乙女ゲームのシーンを思い出しつつ、内心で肩をすくめる。


 本来なら、ここから裁判イベント、処刑ルートまっしぐら。

 けれどわたくしは、長年の「呪い業務」のついでにあれこれ根回しをしておいた。


 その結果、本日のイベントは「婚約破棄と追放」で終わる予定である。

 処刑回避、やったわたくし。


「殿下」


 低く、よく通る声が、大広間の入り口から響いた。


 振り向くまでもなく、わたくしには分かる。

 王太子付き近衛騎士にして、わたくしの監視兼護衛。


 ロウ・ヴァルハイト。


「何だ、ロウ」


「黒箱……いえ、アウローラ様の処遇についてですが。本来、封印解除には正式な手続きが必要です。性急な追放は、王都にとっても危険かと」


「何が危険だ。呪いの巫女を外に出せば、むしろ王都は清浄になるはずだ」


 イグナーツ殿下が、いかにも「正義を語る王子」の顔でそう言い放つ。


 うん。理解していない。何一つ。


(この人、自分が超絶ブラック会社の社長だって自覚、まるでないのよね)


 ロウと視線がぶつかる。

 彼の灰色の瞳はいつも通り静かで、それでも底に焦りの色が見えた。


 わたくしは、ほんの少しだけ首を横に振る。


 駄目よ、という合図。


 ここでロウが本気で食い下がれば、彼の立場が危うくなる。

 そうなれば、彼を守るために予定をだいぶ組み替えねばならない。

 それは、それで面倒だ。


「殿下のお望みのままにいたしましょう。どうぞ、今後は聖女リゼット様と、末永くお幸せに」


 にっこりと笑って告げると、殿下はわずかに言葉に詰まった。

 周囲から、安堵と興奮の息が漏れる。


「それでは皆さま、本日をもちまして、わたくしは王家から退職……いえ、離縁させていただきます。長らくのご愛顧、誠にありがとうございました」


 退職の挨拶のようにぺこりと頭を下げると、誰かが息を飲む気配がした。


 この空気の重さ、何だかんだで嫌いではない。


 でも、ここまでである。悪役令嬢アウローラの出番は、本日限り。


 わたくしは、誰の手も借りずに踵を返し、大広間を後にした。


 


    ◇ ◇ ◇


 


 王城を離れ、馬車に揺られること数十分。


 わたくしはふかふかの座席に沈み込み、大きく息を吐いた。


「ふう……無職、確定ね」


 今日までの肩書は「王太子妃候補」「呪われた悪役令嬢」「黒箱の巫女」。

 どれもこれも、ろくでもないけれど、それなりに責任と権限はあった。


 明日からの肩書は、「追放済み元悪役令嬢・無職」である。


(履歴書に書けるスキル、何かしら)


 呪いの吸収、高耐久メンタル、悪評耐性、修羅場処理経験多数。

 うん。どこに出しても恥ずかしい、超ブラック職場仕様のスキルセットだ。


 ひとしきり現実逃避をしたところで、馬車の扉が唐突に開いた。


 がしゃん、と嫌な音がして、冷たい夜気が流れ込んでくる。


「失礼します」


 少し乱れた息で現れたのは、案の定、ロウだった。

 鎧は半分外され、近衛のマントも投げ捨てられている。


「ロウ?」


「今、退職してきました」


「ちょっと待って」


 思わず素の声が出た。


「何を、してきたと言ったのかしら」


「退職届を提出してきました。前職、王太子付き近衛騎士。本日付で退職し、今後はアウローラ様専属の騎士として再就職する予定です」


「そんな求人、出した覚えはないのだけれど」


「ハローワーク黒箱支部です」


 さらりと言われた。


 そんな支部、聞いたことがない。


「ロウ。あなた、イグナーツ殿下の護衛でしょう。勝手に辞めてきて、大丈夫なの」


「大丈夫ではありません。ですが殿下が先に、黒箱の封印を雑に外されましたから。契約違反は向こうが先です」


 契約違反。まあ、そうね。


 わたくしの胸元には、見えない「紋」が刻まれている。

 この国に降りかかるはずの呪いを、一手に引き受けるための、黒い契約の印。


 黒箱の巫女。


 子供の頃、前任者から引き継いだその役目は、

 王都に降るはずの呪いを、すべてこの身に溜め込む仕事だった。


 その代わり、王都は奇跡のような平穏を享受できる。


 代償として、黒箱は悪評と不運と理不尽を背負い続ける。

 人々に憎まれ、疎まれ、石を投げられる役目。


 前世の記憶を持つわたくしは、それを乙女ゲームの「悪役令嬢」ポジションと重ね、

 使えるものは使おうと腹を決めた。


 ゲームの悪役令嬢は、最後に断罪されて処刑される。

 ならば、その手前で「退職」するルートを作ればよろしい。


 そう考えて、長年準備してきた結果が、先ほどの公開退職劇である。


「で。あなたの本職は、王太子の護衛でしょう」


「いいえ。第一職は、黒箱の巫女の監視兼処刑人です」


 サラリと、物騒な単語が飛び出した。


「アウローラ様が、呪いに呑まれて暴走したとき。首を刎ねる役目を負っていたのが、俺です」


「物騒すぎるわね、改めて言われると」


「ええ、物騒です。ですから」


 ロウは、わたくしの正面に膝をつき、真顔で言った。


「その手であなたを殺すより、その手で支えるほうが、理にかなっていると思いました」


「プロポーズとしては、だいぶ血なまぐさいわね、それ」


 口が勝手にツッコミを入れた。


 ロウは、わずかに口元を緩める。


「前職で培ったスキルを転用すると、こうなります」


 ──この男、本当に、笑いどころを心得ている。


「それに、婚約破棄で黒箱を外したせいで、王都に呪いが漏れ出し始めています」


 ロウが小さくため息をついた。


「数日もすれば、空に灰色の雨が降るでしょう。聖女様の奇跡では、とても処理しきれません」


「……やっぱり、そうなるのね」


 予想はしていた。

 けれど、こうもあっさり「想定通り」と言われると、さすがに気持ちがざわつく。


「さて、アウローラ様。これからどうなさいますか」


 ロウがこちらを見上げて問う。


「王都に戻って、再びブラック企業に雇われるおつもりがないのは分かっていますが」


「当然でしょ。残業代も出ないのに」


「ですよね」


 即答に、彼は満足そうにうなずいた。


「ならば、あなたの領地に一度戻りましょう。

 そこなら呪いもある程度、コントロールできます」


「ロウ」


 わたくしは、しばし考えてから言った。


「あなた、本当にいいの。王太子に仕える道を捨ててまで、わたくしに付いてきて」


「前職の業務内容を整理すると、こうです」


 ロウは指を折って、淡々と列挙した。


「ひとつ。黒箱の巫女の精神状態を常に観察し、限界を超えないよう調整すること。ひとつ。必要とあれば、彼女の望みを叶えるために動くこと。ひとつ。最終的に、彼女を殺す役目を負うこと」


「最後の行だけ、違う仕様に変えてもいいのではなくて」


「すでに変えました」


 ロウは、わたくしの手をそっと取った。


「彼女を殺す、から。何度でも、生かす未来を選ぶ、に」


 その灰色の瞳には、一片の迷いもない。


 呪いに縛られた、処刑人騎士のくせに。


 そんな目で見られたら、戸惑うに決まっているではないか。


「……勝手に仕様変更するなんて、契約違反だわ」


「ですから、退職してきたのです」


 完璧な笑顔である。

 この男の、こういうところがずるい。


 わたくしは観念して、息を吐いた。


「分かったわ。では当面、あなたを一時的に雇用することにしましょう。職務内容は、護衛兼、呪い管理兼、残業監視」


「光栄です」


「ただし、給与は愛情ではなく、普通に領地から払うわよ」


「愛情も支給されるなら、文句はありませんが」


「要求が増えているわね」


 わたくしが眉をひそめると、ロウは「冗談です」と短く笑った。


 馬車はそのまま夜道を進み、王都の灯を遠くに置き去りにしていく。


 わたくしたちの、ブラック企業からの脱出劇は、ようやく始まったばかりだった。


 


    ◇ ◇ ◇


 


 ネフェルテム領は、王都から馬車で数日。

 「呪われた辺境」と噂されている割に、実際はのどかである。


「お嬢様、お帰りなさいませ!」


「アウローラ様が戻られたぞ。これで今年も畑が無事に済むわ」


 領民たちは、わたくしを見るなり、当たり前のように笑顔を向けてくる。


 呪われた悪役令嬢、という王都での評判は、ここには届いていない。

 あるいは届いていても、「そういうことにしておかないと王都がうるさいんだろう」と理解されているのだろう。


「皆さま、ただいま戻りました。ええ、今年もちゃんと呪いを吸っておきますから、ご安心を」


「ありがてえこった」


 これである。


 呪いの吸収も、ここではすでに生活インフラだ。


 ゆるゆるとした空気に癒やされながら、領主館に戻ると、すぐにロウの監視が始まった。


「アウローラ様。本日の呪い吸収は一時間までです」


「ちょっと待って。今日の王都、かなり降っていると思うのだけど」


「残業は禁止です。元・ブラック企業社員として、労働環境を改めましょう」


「あなた、いつから労基の人になったの」


 呪いを吸い込む儀式の前後には、必ず温かい茶と甘い菓子が出されるようになった。

 ロウの「これは必要経費です」という主張により、領地の帳簿に謎の「菓子代」が増えている。


 数日もすると、王都からの報告が届き始めた。


 それは、ほとんど新聞記事のような体裁をしていた。


『速報:王都、原因不明の灰色の雨に見舞われる』


『聖女リゼット様、祈りを捧げるも効果薄く困惑の表情』


『王城のシャンデリア、一部が崩落。宴会場使用中止に』


「困惑の表情、って何かしら。可愛く眉をひそめているだけではなくて?」


「聖女様は画面映えを大事になさる方ですから。困惑も、きっと愛らしく演出なさっているかと」


「あなた、わりと容赦ないわね」


 ロウと並んで報告書を読みながら、わたくしはお茶を啜る。


 そのうち一通、ひときわ厳重な封蝋が押された書簡が混じっていた。


 王家の紋章。


「来たわね」


 封を切ると、予想通りの文面が躍っていた。


 黒箱の誤解、聖女の力だけでは対処しきれない呪い、

 国のためにもう一度だけ力を貸してほしい、などなど。


「“もう一度だけ”って、たぶん死ぬまで働けという意味よね」


「ブラック企業の常套句です」


 ロウが即答する。


「で、どうされますか」


「決まっているでしょう。戻る気は一切ないわ」


 わたくしは、さらさらと返書を書き始めた。


 内容は簡潔に。


 ・王都には戻らないこと

 ・黒箱の役目を、王家のために果たすつもりはないこと

 ・ただし、呪いが国境を越えないよう辺境に「灰境」の結界を張る用意はあること

 ・その対価として、王家と教会は黒箱の真実と、わたくしへの冤罪を公表すること


「こんなところかしら」


「だいぶ強気ですね」


「これでも譲歩しているのよ。国ごと滅ぶのを見ているほうが、手間はかからないもの」


「確かに」


 ロウが淡々とうなずいた。


 こうして交わされた条件付きの契約は、やがて王都で大騒ぎを引き起こすことになる。


 ──悪役令嬢は、本当は国を守る巫女だったらしい。

 ──聖女の奇跡は、黒箱が吸い上げた呪いのおこぼれだったらしい。

 ──王太子は、その黒箱を追放したらしい。


 酒場の噂話は、あっという間に国中を駆け巡った。


 


    ◇ ◇ ◇


 


 灰境の館は、国境近くの灰色の森の縁に建てられた。


 世界の境目に立つ白い塔。

 わたくしは、わざとらしく立派な名をつけるのをやめて、「呪い処理センター」と呼んでいる。


「正式名称は灰境管理施設ですが」


「呪い処理センターのほうが分かりやすいわ」


 ロウとのそんなやりとりが、最近の日課だ。


 ここでの生活は、王都にいた頃と比べれば、天国である。


「アウローラ様、おやつの時間です」


「それ、呪い業務と何か関係あるのかしら」


「あります。糖分は正義です」


「理屈がだいぶ雑よ」


 呪い吸収の合間に出されるスイーツも、すっかり日常になった。

 ロウがやたらと健康バランスにこだわるせいで、たまに甘味の量で争いになる。


「ケーキは一日一個までです」


「わたくし、呪いも吸っているのだけれど。スイーツくらい許されてもよくてよ」


「呪いのカロリーは勘定に入れません」


「何その理不尽な運用規定」


 そんなくだらない会話が、妙に楽しい。


 ある晩、わたくしがこっそり仕事をしようとして、ロウに見つかった。


「アウローラ様」


 灯りを落とした書斎で、背中に影が落ちる。


「今、何時だと思っているのですか」


「夜の……少し?」


「正解は、昨日から数えて二十八時間勤務中です」


「細かいわね、あなた」


「ブラック勤怠はやめましょう」


「元・ブラック企業の処刑人が言う台詞ではないわ」


 書類を抱えて逃げようとしたら、軽々と取り上げられた。


「今日の業務は終了です。お休みください」


「わたくし、世界の守人なのだけれど」


「世界の守人だからこそ、寝てください」


 ぐうの音も出ない。


 呪いに縛られた人生のはずなのに。

 気付けば、わたくしの生活は、驚くほど普通で、平穏だった。


 その平穏が、試される夜が来たのは、それから少し経ってからだ。


 


    ◇ ◇ ◇


 


 その夜、空が、明らかにおかしかった。


 灰境の森の上に、黒い雲が渦を巻いている。

 呪いの気配が、肌に痛いほど刺さってくる。


「ロウ」


「ええ。王都から溢れた分が、一気に押し寄せてきましたね」


「仕様、ではなくて?」


「バグです」


 わたくしとロウは、塔の最上階に立っていた。


 足元には、すでに簡易の陣が展開されている。


「今までの何倍もあるけれど」


「俺も一緒に受けます」


「それは駄目よ」


 即座に否定すると、ロウがわずかに目を細めた。


「あなたの体は、呪いを受けるようには作られていないわ」


「アウローラ様」


 ロウは、一歩、わたくしに近付いた。


「俺はもともと、あなたを殺すために鍛えられた刃です。対呪い戦闘用に、ある程度の耐性は仕込まれています」


「耐性があるからって、平気とは限らないでしょう」


「あなたも同じことをしてきましたよ」


 淡々と言われて、口をつぐむ。


「いつも、平気な顔をして呪いを吸っていました。限界を超えていると分かっていながら、平然と作業を続けていました」


「……見ていたのね」


「監視役でしたから」


 ロウは、にこりともせずに言う。


「俺は、そういうあなたが嫌いです。自分の限界を、仕事の都合で簡単に踏み越えるところが」


「それは、仕事だったから」


「では、仕事を変えましょう」


 彼は、わたくしの手を強く握りしめた。


「これから先、あなたの仕事は、世界を守ることではなく、自分を守ることです。世界を守るのは、そのついでで構いません」


「呪い処理センターの管理者がそんなことを言っていいのかしら」


「センター長の裁量です」


 呆れつつも、笑ってしまう。


 これだから、この男には勝てない。


「……分かったわ。一緒に受けましょう。ただし無茶はしないこと」


「それは、あなたに対しての条件では」


「交渉は対等よ」


 ロウの口元がわずかに綻び、次の瞬間、視界が真っ白に弾けた。


 途方もない量の呪いが、灰色の雨となって降り注ぐ。


 胸の奥に刻まれた黒い紋章が焼けるように熱くなり、

 世界がぐらりと揺れた。


「アウローラ様!」


「まだ、大丈夫……」


 本当は大丈夫ではない。

 けれど、これくらいは慣れている。


 慣れている、という感覚そのものが、すでに異常なのだけれど。


「無理をしないとできない仕事は、やり方が間違っていると、誰かが言っていました」


「誰かって、あなたでしょう」


「そうですね」


 ロウの手から、熱が流れ込んでくる。


 違う。これは、熱ではない。

 呪いだ。


「ロウ、駄目、それは──」


「言いましたよね」


 ロウの声は、妙に静かだった。


「俺はもともと、あなたを殺すために鍛えられた刃だと。その刃を、あなたを支えるために使ったほうが、理にかなっています」


 彼の首筋にも、黒い紋様が浮かび上がっていく。

 わたくしと同じ形の、黒箱の印。


「あなた、自分の体に呪いを刻むつもりなの」


「あなた一人に全部背負わせているほうが、よほどおかしい」


「それは……」


「分業は、労働環境改善の基本だと、最近学びました」


 そんな知識、どこで仕入れているの。


 怒りたいのか、笑いたいのか、自分でも分からない。


「ロウ」


「はい」


「あなた、自分が何をしているのか、本当に分かっているの」


「もちろんです」


 彼は、まっすぐにわたくしを見つめた。


「これでやっと、俺もあなたと同じだけ、世界に縛られます。あなたが一人で呪いを支える世界から、俺も一緒に支える世界に変わる」


 その言い方は、少しずるい。


 ずるいけれど、嫌いでは、ない。


「……そんなに、わたくしのそばがいいの」


「はい」


 即答だった。


「世界のどこよりも、安全で、居心地がいいので」


「安全かしらね、ここ。呪い処理センターなのだけれど」


「あなたがいる場所が、一番安全です」


 わたくしの頬が、熱くなったのは、呪いのせいだけではないと思う。


 気付けば、灰色の雨は、いつのまにか霧へと変わっていた。

 空はまだ暗いけれど、その奥に薄い光が滲んでいる。


「……終わった、のかしら」


「第一波は、何とか」


 ロウは息を吐き、床に膝をついた。


「ロウ!」


「大丈夫です。ただの、使いすぎです」


「それを大丈夫とは言わないわ」


 彼の肩を支えながら、自分の体も同じくらい消耗していることに気付く。


 それでも、不思議と恐怖はなかった。


 隣に、同じ紋を刻んだ誰かがいるということが、これほど心強いとは。


「アウローラ様」


 ロウが、かすかに笑った。


「はい」


「こういうタイミングで言うのは、あまり適切ではないのですが」


「なら、やめておけばいいのではなくて」


「いずれにせよ言うつもりでしたので」


 彼は、真顔で言った。


「俺は、あなたに救われました。孤児だった俺に、騎士としての道を与えてくれたのは、あなたです」


「それは、前任者からの引き継ぎで、必要な戦力が足りなかったからで」


「それでも、俺には十分な奇跡でした」


 静かな声だった。


「だから、今度は俺が、あなたを救う番です。世界のためではなく、あなた自身のために」


「……」


 どう返したらいいのか分からず、言葉が喉に絡まる。


 前世の知識が囁く。

 悪役令嬢は、最後に断罪される役目。

 幸せになってはいけない存在。


 その呪いは、もしかしたら、魔法の呪いより厄介なものかもしれない。


「わたくし、悪役令嬢なのよ」


 ようやく出てきた言葉は、かなり情けない。


「悪評と呪いを引き受ける役目を選んだのは、わたくし自身。だから──」


「だから、幸せになってはいけない、と?」


 ロウは、間髪入れずに言った。


「そんな仕様、どこにも書いてありません」


「仕様、って」


「俺は、世界に文句を言う資格があると思っていますよ」


 彼は、黒い紋を刻んだ手で、そっとわたくしの頬に触れた。


「誰よりも世界を守ってきた人間が、誰よりも不幸でいなければならないなんて。そんなふざけたルール、何度でも書き換えてやります」


 その言葉は、呪文よりも、呪いよりも、強かった。


 前世のゲームの記憶も、黒箱の契約も、

 いつのまにか、彼のその一言に上書きされていく。


「……あなた、本当に、ずるいわね」


「ずるくて結構です」


 ロウは、わずかに照れたように笑った。


「アウローラ様。あなたが望むなら、俺はこれから先もずっと、あなたを甘やかし続けます」


「望まなかったら」


「それでも、甘やかします」


「選択肢がないわね」


「ブラック企業の労働契約と違って、こっちは甘やかし放題です」


 笑ってしまった。


 本当に、笑ってしまった。


 わたくしは観念して、彼の手を握り返す。


「……それなら、少しくらいは、あなたの溺愛に甘えてもいいかしら」


「はい。定額制で、いくらでもどうぞ」


「何その怪しいサービス」


 呆れながらも、胸の奥が、ふわりと軽くなる。


 黒箱の巫女としての呪いは、消えない。

 悪役令嬢としての悪評も、すぐには消えない。


 それでも、わたくしの世界は、確かに変わり始めていた。


 


    ◇ ◇ ◇


 


 それからしばらくして、王都から、いくつもの噂が届いた。


『元・悪役令嬢、本当は国を守る巫女だった説』


『聖女リゼット様、地方でリアルに人助けを始めて人間的に好感度爆上がり』


『王太子イグナーツ殿下、“反省中王子”のあだ名で親しまれる』


 酒場の壁に貼られた落書きには、

 「黒箱様ありがとう」と、誰かの拙い文字が並んでいた。


 灰境の館から見る空は、相変わらず少し灰色で、

 それでも以前より、ずっと穏やかだ。


「アウローラ様。本日の業務報告です」


 ロウが書類を持ってくる。


「呪いの発生件数、前月比三割減。王都の灰色指数、基準値内。就寝時間遵守率、六割。目標値に届かず」


「最後の項目、要るかしら」


「最重要指標です」


「世界の守人の業績評価、だいぶおかしくてよ」


「世界の守人だからこそ、ちゃんと眠ってください」


 そう言って、彼はわたくしの肩に外套を掛ける。


 あの日、王城の大広間で断罪されたことを、今でも時々思い出す。

 あれはきっと、世界との契約をわたくしの側から解約するための、公開退職届だったのだろう。


 世界に捨てられたおかげで、

 わたくしは世界との契約を、自分で選び直すことができた。


 ブラック企業からフリーランスになった元社畜のように。


「ロウ」


「はい」


「世界の守人は、今日も忙しいのだけれど」


「残念ながら、本日の残業時間はゼロです」


「そんなの、聞いていないわ」


「先ほど通達しました」


「どこに」


「あなたの隣に」


 彼の言葉に、ふっと笑いがこみ上げる。


「……仕方ないわね。残業代の代わりに、あなたの甘やかしで手を打つことにするわ」


「それは助かります。支給し放題なので」


 窓の外には、灰色混じりの空と、静かな森が広がっている。


 世界の危機も、呪いも、悪評も、全部まとめて引き受ける仕事は、

 相変わらず、かなりのブラック職だ。


 それでも、隣で過保護な元処刑人騎士が騒いでいるなら。


 悪役令嬢のフリーランス守人ライフも、悪くない。


 わたくしは、そう思うことにした。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

「悪役令嬢だってブラックな呪い仕事は辞めていい」をテーマに、国より先に自分の幸福と働き方を選び直す物語にしました。

ブクマ・★評価・感想をぽちっと残していただけると、灰境の館で続編や番外編を書きたくなる燃料になります。またどこかの物語でお会いできますように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ