積立NISAで十分なのか──民間制度と社会制度の本質的違い
年金制度の改革について語ると、しばしば「もう公的年金はいらない」「積立NISAやiDeCoがあるのだから、それで各自が自由に老後資金を作ればよい」という意見が出される。これは一見もっともらしい反論に見えるが、実際には社会制度と金融制度の本質的な違いを見落としている。
積立NISAやiDeCoはあくまで「個人が余剰資金を投資に回す」ための制度であり、「所得が安定していて、金融知識があり、リスクを取れる層」にとって有効な手段だ。だが、現実にはすべての国民がそうした条件を備えているわけではない。
たとえば、 ・非正規雇用で毎月の生活がぎりぎりな人 ・障害や病気により継続的に働けない人 ・金融リテラシーに乏しい高齢者や若年層 といった層にとって、NISAやiDeCoは“選べる自由”ではなく、“選べない贅沢”にすぎない。
さらに、NISA等は基本的に「老後まで自己管理し、自分で運用成果を出す」ことが前提となる。つまり「市場がすべて」というリスクを伴う構造であり、国民全体の“最低限の生活保障”にはなり得ない。
年金銀行制度が目指すのは、こうした市場原理とは一線を画しつつも、個人の選択と積立を促す「公的な中立インフラ」の構築である。税優遇と制度的後押しの中で、誰もが参加でき、誰もが最低限の老後設計ができる枠組みを社会の基盤として用意する。
つまり、積立NISAは“選べる者のための道具”であり、年金銀行は“社会全体を支える枠組み”である。その本質的な違いを理解しなければ、制度の議論は空中戦になる。
制度とは、「すべての人が最低限守られるための共通の器」であり、投資とは「余裕のある者がさらなる成果を目指すための選択肢」である。この違いを明確にし、共存のかたちを整えることが、未来の社会にとって不可欠である。