彼女と過ごす日々は心地いい。
旦那様サイド。
領地の西の方に視察に行かなくてはいけなくなり、フェローを誘ってみたところ、キラキラした目で行きたがっていたので、連れていくことにした。
よほど楽しみなのか、3日くらい前からそわそわしていた。
そこまで楽しみにしてもらえると、誘ったこちらも気分がいい。
当日、フェローは朝から張りきっていた。早く行きたいという衝動が抑えられないのか、荷物を積むのを手伝おうとするくらい、気持ちが先走っていた。
彼女と二人で馬車に乗り、その他の使用人はほかの馬車に乗る。婚姻関係じゃなかったら2人きりの馬車はいい顔されないけど、僕達は婚姻関係だから関係ない。そういう雰囲気はないけど。
喋らない彼女と馬車で2人でも、なにも辛くない。
彼女が喋らないから必然的に僕が話すしかないけど、僕も無理に会話を繋げようとはしない。
出会ったばかりで結婚する前や、したばかりの時はちょっと無理してでも話を盛り上げて楽しませようとしたけど、今はそんなものは必要ない。
僕と彼女が2人でいて無言になっても、なにも辛くない。気まずくない。きっと彼女もそう思ってる。顔や態度が、リラックスしているように感じる。
だから馬車でずっと2人でも、話したくなったら話すし、のんびりしたくなったらのんびりする。それにこの空気も結構好きだったりする。
でも僕が女性といてこんなことを感じてるというのも、僕自身驚いている。貴族の女性は姦しくてうるさいし、平民の女性は僕に夢見てる感じが嫌だ。
だから女性と一緒にいても苦痛に感じることばかりで、こんなにも心安らぐことはなかった。
今までに、1度も。
でもこれは、親愛、なのだろう。一緒にいて心地いいし、和む。きっとハリエットに思うようなことと同じなんだろう。
この時の僕はまだ、そう思っていた。
まずは雨の被害を1番受けていた農地を見に行った。
農場に足を運んでも、想像通り彼女は汚れることを気にはせず、しっかり僕のあとを着いてくる。
「これはこれは領主様。わざわざ御足労いただき、ありがとうございます」
「いや、当たり前のことだよ。畑の調子はどう?」
「土の水分もだいぶ抜けてきまして、このまま晴れが続けばいい報告ができそうです」
この農場の管理者と話を始めると、フェローは畑を観察しに僕から少し離れる。それを横目でしっかり確認しながら、管理者と話をすすめる。
うん、思っていたより状態は良さそうだ。
状態が良くなるのが早い気がするけど、これは精霊の祝福のおかげなんだろうか。
精霊の祝福は、具体的に何をもたらすものなのかははっきりしていない。その年が豊作になったり、天災を受けても死者が出なかったり。明らかに何かとてもいい事は起きるけど、それが何かは分からない。
祭りの時の祝福は、これなのだろうか。
でも今植わってる物が豊作にはならないだろう。もうだいぶ育ってしまってる。
なるとしたら、これから植える冬野菜とかだろう。
そんな話をしていると、視界にいたフェローに、小さな子供が駆け寄ってきた。畑仕事を手伝う子供だ。
何の話をしているのかは聞こえないが、男の子は手に持っていた人参の花をフェローに差し出した。
土だらけの汚れた手で、土のついた野菜の花。
領主の妻に贈るにはあまりに粗末なそれを、フェローはとても嬉しそうに受け取った。
子供と目線を合わせるためにしゃがんで、しっかり子供の言葉を受け止めて、彼らに慈悲深い笑みを送っている。
そんな様子を見た他の子達もわらわらとフェローに集まって、各々が手伝ってる野菜の花や草を渡していた。
それらをひとつも嫌な顔をせずに、彼女は全部笑顔で受け取った。
服に土がつくのは気にしているのか、服にはつかないように貰ったものを抱えている。自分の手が汚れることは厭わないようだ。
「……素敵な奥方を迎えられましたね」
「…えぇ、本当に」
管理人もフェローを見て、僕にそう言う。
本当に、そう思う。彼女ほど僕にとって素敵な女性は現れないだろう。僕はとても幸運だと思う。
子供達の親がフェローのところに行き、土だらけの物を渡したことを詫びているようだったが、フェローは貰った草花を大事そうに抱え込む。
彼女が貰ったものを大事だと示しているのが伝わったのか、親の方が彼女にお礼を言っていた。きっと育てた物を大事そうにしてくれたのが嬉しかったんだろう。
「フェロー」
声をかけると妻は振り向いて笑顔を向ける。よほど貰ったのが嬉しかったみたいだ。
きっと貰ったものが嬉しいものだったわけじゃない。くれた気持ちが、嬉しかったんだろう。
土だらけの花やただの葉っぱを、フェローは馬車の中でも大事そうに持っていて、そんな彼女をただ見てるだけで僕は幸せな気持ちになった。
そんなフェローだから当然、使用人と食卓を囲っても怒らないし、むしろ楽しそうにしている。護衛騎士が軽口を聞いても気にしていないし、むしろ使用人の心をどんどん掴んでいる。
彼女の専属侍女のレベッカは、とうに彼女に堕ちていた。きっとこれから増えるだろう。
その後も湖と滝の様子を見に行って、どちらもフェローは楽しんでいた。
湖のほとりでは楽しそうに歩いていたし、滝には驚いてしばらく目を離さなかった。
別荘に着いても彼女は目をキラキラさせていた。屋敷と雰囲気が違うから気になるのだろう。
彼女を庭に誘えば、嬉しそうに頷いてくれた。
フェローはいつも楽しそうにしている。彼女は好奇心旺盛だし、きっと本当はもっと色んなところに行きたいだろう。自由気ままに旅をしたりしたいだろう。
僕の妻という立場であるが故に、それは出来ない。彼女の自由を奪っているのは僕のほうで、雨をやませてもらっておきながら手放せないことに罪悪感が募る。
雨をやませてくれただけでなく、僕に心地いい穏やかな時間や幸せな日々をくれている。そんな彼女に、僕は何かしてあげられているだろうか。
そう思ってポツリ漏らしたその言葉に、彼女は僕の手を握って引っ張った。
小さい体で小走りで庭を進む。手をブンブン振り回して、その顔はとても楽しそうな笑顔だ。
全身で、今が楽しいと伝えてくれる。
これはきっと彼女なりの伝えた方で、充分楽しませて貰ってるよ、って言ってるようにも聞こえる。
そんな彼女の態度に、救われる。
そっか。
フェローが今楽しいなら、それでいいか。
僕はフェローを楽しませることが出来てるみたいだから、ならそれでいいか。
彼女がそこに幸せを感じてくれるなら、それで。
次の日は騎士団の本拠点に寄ってから、帰路につく予定だ。
フェローもとても楽しみにしている。騎士団の本拠点が楽しみなのか、騎士に会えるのが楽しみなのか、どちらかは分からない。
ただ着いた時、こんな感じかと納得しながら進んだフェローが、内装を見てすごく驚いていたのは可愛かった。
質素な見た目から上品な内装に驚いたんだろう。目をぱちぱち瞬きさせて驚いていた。
僕はここではフェローと別行動になる。僕は騎士団の団長らと話があるし、それはいくら妻にでも聞かせられないものだ。楽しい話でもないし。
だから彼女の事はハリエットに任せた。彼なら大丈夫だ。小隊の副隊長でもあるし、逆らえる人も少ない上に彼より偉い人は彼女に突っかかったりはしないから。
フェローと別行動なことに少し寂しさを覚えつつも、僕は僕の仕事をしに行く。
「お久しぶりですな、領主様」
「久しぶりだね、団長」
団長室に行けば、団長と副団長が迎え入れてくれる。僕の顔を見て胸をなで下ろしているから、きっと精霊の言葉で妻を迎え入れた僕を心配していたのだろう。
「ハリエットから聞いていたが、思ったより元気そうでよかった。…それと、我らの為に妻を迎え入れたこと、そして身を捧げようとしてくれたことに感謝する」
「私からも、感謝申し上げます」
2人から小さく頭を下げられ、すぐに頭をあげさせた。
「感謝をするなら僕の妻になってくれたフェローに。僕は何もしていないよ」
僕は精霊の言葉通りの人を娶っただけ。僕よりもむしろ、関係ないのにそれを受け入れてくれたフェローに感謝するべきだ。
僕の言葉に団長はにやりと笑みを浮かべる。
「その様子だと、上手くいってるらしいな」
「上手くいってるどころか、ラブラブだって噂ですよ」
団長の言葉に頷きながら副団長が告げている。
ラブラブだって噂はきっと、中央都市の住民だろう。僕とフェローはくっついて行動していたし、広場でダンスも踊っていたから。
「否定はしないんだな」
「難しいね。そういう感情ではないと思うけど」
僕も、フェローも。
恋愛のようなものは感じてない。でも、居心地がいい。落ち着くし、そばに居たくなる。
そんな夫婦の形もあるのだから、ラブラブといえばそうなのかもしれない。
「声が出せないとは聞いていましたが、領主様には全く問題なさそうですね」
「ないね。それを苦だと思ったことも面倒だと感じたこともないよ」
「これはこれは」
副団長がにやにやと笑っている。
その理由はだいたい分かるけど、そういう感情じゃないんだよなぁ。
「まぁ領主夫妻が仲良いのは、暮らしてる俺らにとってもいい事だ。奥方は評判もいいみたいだしな」
「行く所々で信仰者を増やしてるよ」
「人たらしの領主夫妻か、これは?」
彼の言葉に苦笑する。
僕は人に好かれるように振る舞っているけど、フェローはきっと素だ。自分の気持ちの赴くまま行動して、人を惹きつけるんだ。
まぁ、団長の言葉も間違ってはないね。
意図的かそうでないかってだけで。
「ま、お喋りはこれくらいにして、本題入るか」
団長の言葉に頷き、僕達は顔を引きしめた。
雨が上がってからの領土の様子を、騎士団が1番分かっている。
その他にも各地での問題などを聞いたり解決策を考えたりして、気付けば時間が迫っていた。
「そろそろ行くよ。何かあったらすぐに連絡して欲しい」
「了解だ」
団長と話を終えて、僕は扉に手をかけようとする。僕がそのドアを開けるより先にドアが開き、さっき団長に命じられて外に出てた副団長が入ってきた。
「領主様、もうお帰りですか?」
「うん。フェローがどこに行ったか聞いてる?」
「ちょっと前に大ホールに向かったと聞きましたよ」
「そう、ありがとう」
副団長にも別れを告げ、僕は足を動かす。
もしかしたらもう大ホールの見学を終えて、時間だから待ち合わせ場所である拠点の玄関口に戻ってるかもしれない。だから一応玄関口に向かおう。
玄関口に着いたけど、フェローはまだ来ていないみたいだ。
僕はここから大ホールに向かう道へ歩き出した。
すれ違うことはないだろう、と思いながら歩いていると、廊下の奥から女の人の声が聞こえる。曲がった先に誰かいるようだ。
「喋れもしない女が領主様の妻だなんて、認められないって」
「シュゼット!」
知らない女の声に、ブレントの声。
言葉からして、女はフェローに対して苦言を呈しているらしい。
「そうじゃないですか!喋らなくてにこにこしてるだけでいいなら、誰でもいいじゃないですか!それなら私だって…!」
「フェローがグランダートの領主の妻には相応しくないって?」
それ以上は聞けない、と、早歩きで近付いて口を挟んだ。
僕に気付いた騎士たちは僕に敬礼して、フェローもこちらを見ている。傷ついてるような様子は見られないことにほっとした。
「領主様!お仕事お疲れ様で……」
「フェローは、相応しくないと思うの?」
フェローに言い寄っていた女が何食わぬ顔で僕に挨拶をしようとするのを遮って、ピシャリと冷たく言葉を出した。
「いえ、これは一般論でございまして」
一般論?フェローを傷つける様なことを、他の人も思って言葉にしてるというの?
「君の他に誰が言ってたの?」
「えっ…と…」
そんな人がいるなら許せない。フェローに対する悪口は、僕へのものと同じだ。
「少なくとも僕の屋敷の住民と中央都市の住民は、フェローのことを認めたよ。こちらが認めるというのも烏滸がましいけどね」
フェローのことをよく思わない人が一定数いるのは想定していた。特に女。
貴族の女が嫌いな僕だから、それを知ってる平民の女はあわよくば自分が、と思っていただろう。
そこにいきなり現れた妻が、話せないというのは汚点に思うだろう。
そんなことは決してないのに。
「そもそも君はフェローを認めないと言う前に、フェローに感謝は述べたの?彼女が僕に嫁いでくれたから、精霊の怒りは止んだんだよ。なのにこの領地の恩人に、用が済んだから離縁して放り出すのは恩知らずじゃないか」
「……っ」
「それと」
フェローのおかげでいま日の目を見れてるんだって、この女はそんなことも分からないの?
喋れる口がついてても、余計なことしか言わないのなら必要ないんじゃないの。
「今フェローと離縁して何事も起きないとしても、僕は離縁しないよ。精霊の言葉がきっかけだったけど、僕の隣は彼女以外ありえないと思ってる」
はっきり言った。離縁はしないと。
離縁なんてしない。たとえ精霊の怒りがとっくに収まっていたとしても。
僕の隣は彼女以外は受け入れない。彼女がいい。
「…話せないのに、ですか」
「関係ないよ。話せなくても彼女の気持ちは伝わってるから」
ちらりと彼女を見れば、僕の言葉が嬉しかったのか、にまーっと笑みを浮かべていた。
可愛い。そんなに僕の言葉が嬉しかったのかな。
離縁したくないって言葉に喜んでくれるってことは、フェローも離縁したくないってことでいいんだよね。
同じ気持ちを持ってることが嬉しくなり、目の前の女にいらついた気持ちがすぅっと溶けていく。
「ふふ、ほらね。フェローはとても分かりやすいから。言葉なんて話せなくても、なんの問題もないんだよ」
微笑んでそう言うと、フェローは気付かれた!って顔をして、照れ隠しのように顔を背けた。
それが何だか微笑ましくて、笑みが深まる。
騎士団本拠点の見学は楽しかったようで、フェローはずっとニコニコして歩いていた。
さっきの女から嫌な言葉を聞いた事を謝って、ちゃんとフェローを認めている人が沢山いることを伝える。
そしてそれはこれから絶対に増えていく。だから安心して欲しい。
認めないなんて誰にも言える権利はないし、僕もフェロー以外を妻とは認めない。
だからこれからも夫婦でいたいと言えば、彼女は満面の笑みで頷いてくれた。
この笑顔をずっと隣で見ていたい。
そんなことを思った。




