私への嫌味は訳してくれませんでした。
「お、ハリエット。そちらが嫁さんか?」
「ブレント隊長」
男の人の声がして振り向くと、大柄な男の人と、斜め後ろに女の人がいた。
わぁ、女性騎士だぁ。かっこいい…。
「初めまして奥様。グランダート騎士団の小隊を纏めております、ブレントと申します」
「副隊長のシアンです」
大柄で朗らかな見た目と違って、笑顔をつけてすごく丁寧に挨拶してくれたブレントさん。その後ろのシアンさんは真顔で、少し睨みつけられてるような気もする。なんでだ?
「こちらは兄上の奥方のフェローさんです。事情があって声が出せないので、配慮をお願いします」
「よろしくな、フェローさん」
初対面ではきっちりするタイプなのだろう、ニカッと笑って私に片手を差し出してきたので、私もその手を握りしめてしっかり握手した。
「ところでフェローさんはまだ来たばかりか?良ければ本気の打ち合いを見ていかないか?」
本気の!打ち合い!
こくこくと素早く頷くと、ブレントさんは笑って頷いてくれた。
そして部屋の窓の近くの壁にかかっていたマイクのスイッチを入れる。
「お前ら、領主の奥方に手合わせを見せられる気概のあるやつはいるか!」
ブレントさんの声が大きな部屋に響き渡ると、みんながこちらを見上げて半分くらいが手を挙げた。
ブレントさんはそれを見て、人を決めているようだ。
「よし、じゃあクラークとエイベル、その力を見せてみろ」
ブレントさんがそう言うと、沢山の人が壁際に捌けて、真ん中に2人の男の人が残った。
彼らがクラークさんとエイベルさんなんだろう。
2人は剣を抜いて構えて、窓越しにも聞こえていた喧騒が静まる。
捌けていた人のひとりが前に出て、なにかの合図をした。
その途端に2人は地面を蹴って、お互いに剣をぶつけあい始めた。
うわ、うわわ…。
思ってたより迫力がある!
剣のぶつかる鈍い音がここまで聞こえてくるし、気迫みたいなものを感じる。
なんだか、少し夢見がちだった気持ちがすんっと冷静さを取り戻して、急にその剣が恐ろしく感じた。その剣でいとも簡単に人の命を奪えるんだと。
『怖い?ユキ、怖い?やめさせる?』
レイが視界に入ってきて、私を心配そうな目で見てきた。
大丈夫だよの意味を込めて少し笑みを作ると、レイも分かってくれてすぅっと視界からいなくなる。
私はもう一度、打ち合ってる騎士たちに目を向ける。
彼らが、この土地に住む人々を守ってくれている。
そして彼らの住むこの土地を、領主である旦那様が守っている。
そんな旦那様の奥さんが、私。
気付いたらなってた奥さんだったけど、お飾りの気満々でいたけど、そのままではいられなさそうだ。
彼らの姿を見て、お飾りでニート生活を楽しむことは出来そうにない。
スっ、と男の人の首に剣先が突きつけられ、勝負はついた。
「フェローさん、これがこの領地の騎士団だ。しっかり鍛えてるから、グランダート領の警備は任せてくれ」
ブレントさんが前を見据えてそう言う。
その言葉にはきっと、だから私も旦那様と一緒にこの土地を守ってくれっていう意味もあるんだろう。
ブレントさんがこちらを向いてはいないから、頷いても気付かれることはない。だから頷かないでただじっと、次に試合を始めた人たちを見た。
成り行きだけど領主の妻になった。
その責任を、今からでもちゃんと持つべきなのかもしれない。
しばらくそこで剣が打ち合っているのを見ていると、ブレントさんが思い出したように声を出す。
「フェローさんはまだここしか見てないよな?俺達も案内人として加わってもいいか?」
こくりと頷いた。
ガイドさんが増えた。
騎士達の寮の部屋とか、普段使ってる食堂だとか、武器庫だとかを見学させてもらって、実に有意義な騎士団拠点見学だった。
真剣を持たせてもらったけど、なかなか重かった。そりゃあれだけ鈍い音が鳴るのも理解できるわ。それを振り回してるのも信じられないけど。
そしてそろそろ旦那様の用事も終わっただろうということで、入口の方に向かった。
その途中、女性騎士の1人に声をかけられた。
「ねぇあなた、領主様の奥様なんですよね」
こくりと頷く。
なんだか凄く睨まれてる気がする。
「精霊のお言葉通り婚姻は結んだんだから、もう離縁したらいかがですか」
「シュゼット、口を慎め」
私を睨みながら女の人は言い、ブレントさんに鋭く何かを言われてる。
意味がわからなかったのでちら、とレイを見ると、レイはつーんと顔を逸らした。
『ユキの事を傷つけようとする言葉は訳したくない』
そう来たか…。
なるほど、このシュゼットさんという騎士は、私になにか嫌味かなんかを言って、それをブレントさんに窘められてる、ってところかな。
「だってみんな思ってますよ。どこから来たのかも分からない、喋れもしない女が領主様の妻だなんて、認められないって」
「シュゼット!」
ブレントさんが名前を呼んでもシュゼットさんの勢いは収まらない。
そしてレイも翻訳してくれない。
「そうじゃないですか!喋らなくてにこにこしてるだけでいいなら、誰でもいいじゃないですか!それなら私だって…!」
「フェローがグランダートの領主の妻には相応しくないって?」
彼女が言いかけた時、廊下に声が響いた。
私たちが行こうとしていた方向から、旦那様が歩いて近付いてきていた。
旦那様の登場にシュゼットさんは驚いて、敬礼をした。
「領主様!お仕事お疲れ様で……」
「フェローは、相応しくないと思うの?」
旦那様はシュゼットさんの言葉を遮って、有無を言わせないくらい重く言葉を発した。
いつも優しい旦那様とちがって、真顔で少し低い声なのが珍しいなと感じた。
「いえ、これは一般論でございまして」
「君の他に誰が言ってたの?」
「えっ…と…」
旦那様の言葉はレイがきちんと訳してくれるものの、シュゼットさんの言葉は訳してくれない。
まぁ片方分かればなんとなく分かるけど。
「少なくとも僕の屋敷の住民と中央都市の住民は、フェローのことを認めたよ。こちらが認めるというのも烏滸がましいけどね」
えっ、あ、そうなんだ。認めてくれてるんだ。
ただのニートなんだけどな…。
それだけ雨をやませた功績がでかいんだろうなぁ。
「そもそも君はフェローを認めないと言う前に、フェローに感謝は述べたの?彼女が僕に嫁いでくれたから、精霊の怒りは止んだんだよ。なのにこの領地の恩人に、用は済んだからと離縁して放り出すのは恩知らずじゃないか」
「……っ」
「それと」
レイの翻訳が間に合わないくらい、旦那様の言葉が止まらない。しかもなんか、怒ってる気がする。シュゼットさんに。
私への悪口に対して怒ってくれてるようだけど…。
「今フェローと離縁して何事も起きないとしても、僕は離縁しないよ。精霊の言葉がきっかけだったけど、僕の隣は彼女以外ありえないと思ってる」
「…話せないのに、ですか」
「関係ないよ。話せなくても彼女の気持ちは伝わってるから」
『僕の隣はユキ以外ありえないって!絶対離縁しないって言ってる!』
それまでの翻訳を諦めて、レイが多分最後の言葉だけを訳してくれた。
レイから告げられた言葉に、心が暖かくなる。
シュゼットさんは、私が旦那様の妻なことを認められなかったのか。それに対して旦那様が、私がいいって言ってくれてるのか。
何もしてないのに、良いのかな。
でもなんか、嬉しいな。
嬉しくて思わずにまーっとしてしまうと、旦那様と目が合った。
目が合うと、冷たく感じる表情をふわっと和らげて、いつもの優しげな顔で微笑む。
「ふふ、ほらね。フェローはとても分かりやすいから。言葉なんて話せなくても、なんの問題もないんだよ」
私が嬉しくなってたのがバレてる。
少し恥ずかしくてふい、と顔を逸らすと、ははは!と大きな笑い声が響いた。
「シュゼット諦めろ!領主様はフェローさんに首ったけだ、入る隙も離せる隙もないな!ははは!」
「…っ」
ブレントさんが笑いながらシュゼットさんの肩にポン、と手を置く。
そして目で何かを指示すると、シュゼットさんは悔しそうな顔でそっと頭を下げた。
「……出すぎたことを申しました。大変申し訳ありませんでした」
この言葉はちゃんとレイが訳してくれた。
うん、謝罪を受け入れましょう。
私は何も言えないから、代わりに彼女の視界にも入る位置に片手を差し出した。
彼女はそっと顔を上げて私を見たので、私もその目をじっと見る。
「…ありがとうございます…」
シュゼットさんはちゃんと私の手を握ってくれた。
うん、仲直りの握手。
もしかしたら私に触りたくないくらい私の事嫌いかもしれないけど、これくらいしか怒ってないよって伝えること出来そうにないから。
握手を終えると、私の隣に旦那様が来た。
「フェロー、見学は楽しかったかい?」
こくこく。
「そう、それなら良かったよ。僕の用事も済んだから、そろそろ帰ろうか?」
こくん。
さ、行こうか、と旦那様が私に腕を差し出してきたので、その腕に手を控えめに添える。
今日の朝から、腕に手を添えることを始めたのだ。昨日の手繋ぎが、身長差で私が辛いだろうということで、こうなった。
仲良しアピールと、迷子防止らしい。まぁ私の好きな時に離せるし、問題ないね。
「ブレント、シアン。妻を楽しませてくれてありがとう。見送りはハリエットに頼むから、ここでいいよ」
「こちらこそ、奥方との時間はとても有意義なものでした。またいらした時には是非案内させてください」
「そうだね、また来るよ」
ブレントさん達とはここでお別れっぽいな。
私は旦那様の腕から手を離し、ブレントさん達にしっかりお辞儀をしてから、再び旦那様の元に戻る。
そして旦那様が来た方向に向かって歩き出した。
「…兄上、そういえばどうしてこちらまで?入口で集合ではなかったでしたっけ」
歩きながらハリエットくんが旦那様に問いかける。
確かに入口の方から旦那様は来たし、また入口の方に歩いてるわけだから、あっちに用があったようには見えないな。
「フェローを迎えに行ったんだよ。大ホールに向かったと報告があったからね」
「……なるほど」
大ホールは、最後に見学したところだ。集会とか、大事な発表の時にみんなが集まる大きな部屋だった。
なるほど、だからこの道から来ると思って、旦那様は迎えに来てくれたのか。
やっぱり優しいね、旦那様。
ありがとうの気持ちを込めて旦那様に笑顔を向けると、旦那様もこちらを見て笑った。
「気にしないで。それよりも嫌な言葉を聞かせてしまったね」
少し申し訳なさそうに旦那様が言うから、私は首を振る。
レイが何も訳してくれなかったから、何も聞いてないよ、大丈夫。
「フェローが気にしてないならいいけど、ちゃんと領民は君のことを認めてるからね。そこは勘違いしないで」
こくん。
ちゃんと分かってるよ。屋敷の人達も、お祭りで行った街も、昨日お昼に寄った街も、みんな笑顔で私を迎えてくれた。
それが全部嘘だなんて思ってないよ。
「…僕もフェローには感謝してるし、君のことを妻としてちゃんと大切に思ってる。出来ればこれからも良き夫婦でいたいんだけど、どうかな?フェローはこれからも、僕と夫婦でいてくれる?」
少し眉尻を下げて、切なげな顔で旦那様が言った。
レイの翻訳の前に、聞き取れた彼の言葉から気持ちは伝わった。
私とこれからも夫婦でいたいって、言った、と思う。
私にも、それでいい?って聞いてる、と思う。
答えはもちろん、イエスだ。
にこっと笑顔になって頷くと、旦那様は少しほっとした顔で笑みを浮かべた。
「良かった。これからもよろしくね、フェロー」
こくん!
「……兄上が甘い空気出してる…。これ本気そうだな…」