私が怒りました。
そして私が精霊の愛し子だと露見してから1ヶ月半後。
その日は至って普通の日で、のんびり散歩をしていた。
侍女を連れてゆったり庭を散歩していると、屋敷の中から怒号が聞こえた。
「おい!フェローって女!出てこい、いるんだろ!」
激しい男の声で、私を呼んでいる。
侍女がすぐに私を安全なところに移動させようとして、私もそれに従って移動しようとした。
だけど、次に男が言った言葉で動けなくなる。
「出てこなかったらこの使用人がどうなるか分かってんだろうな?!」
使用人…?
もしかして人質を取られてる?
「ダメです、奥様。我々が何とか致しますので、奥様はお控えください」
でも…使用人が人質に…。
「奥様っ」
侍女に焦ったように言われて、私は庭の奥に向かおうとした足を、男の声の方に向けた。
「奥様!だめです、戻ってください!」
ごめんね侍女さん。
私はここの奥様だから、この家の住人は守らないと。
声のする玄関に顔を出すと、大柄な男が侍女を羽交い締めにして首にナイフを当てていて、その隣の少し細身の男が威張り散らしていた。
屋敷の使用人で戦えそうな人が沢山応戦しようとしていて、屋敷の騎士も剣を構えているが、男の方にも剣を持ってる人が複数いる。
私が玄関に足を踏み入れて歩くと、こちらに全ての視線が向いた。
「おー…お前がフェローか?」
こくりと頷く。
私に気付いた騎士が私を守ろうと近くに来たのを手で制し、みんなより1歩前に出る。
この家は、領主不在の今、私が守らなくてはいけない。
「はー、あいつこんな子供みたいな女が好みなのか。変な趣味してんなぁ」
私をジロジロ見てそう言う彼は、リアムさんのことを知ってるのだろうか。
力強く彼の目を見つめていると、ふわっと隣から出てきたレイが男を指さした。
『こいつ、リアムの兄だって!ファスが怒ってる!』
なんだって!?リアムさんのお兄さん!?
ファスの大事な花を枯らした張本人だって!?
くっそ、それは尚更許しておけない。私にとっても大事なこの領地にずっと雨を振らせた元凶だ。
許してたまるか!
「フェローさんよ、この侍女を傷つけて欲しくなかったら言うことを聞け、って言うのは理解できるよな?」
「奥様!私のことは大丈夫です!」
「おっと、この女が大丈夫だとして、やり合うつもりか?こっちにも戦力があるし、怪我人が1人2人では済まないだろうな。死人も出るかもな」
にやりと笑う男は、とてもリアムさんとハリエットくんのお兄さんとは思えない悪人面だ。
どうしたら長男だけこうなるのか。
「心優しい奥様なら、使用人が傷つくのは見たくないよな?」
「……」
「あぁ、話せないんだったよな。こっちに来てくれればいいぜ」
後ろにいる使用人達が、私を呼ぶ。
行ってはいけないと。
分かってる。守られるべきだってことは。
でも、私に良くしてくれた人たちを失うことは出来ない。
『ユキ』
目の前に、レイがふわりと浮かぶ。
『私達は、ユキに何か危害が加えられないと人間になにかすることは出来ない。でも、あなたから命じられれば動くことが出来る』
レイは決意に漲った顔をしている。
『私たちに命じて』
レイ達に、命令を。
1歩足を踏み出して、少しだけ男と距離が縮まった。
ニヤリと笑う男にしっかり目を合わせて、私は息を吸った。
「私はフェロー・グランダート。リアムの妻です」
私が声を出したことに目の前の男は驚いて、そして乾いた笑いを漏らす。
「は、はは…声出るんじゃねぇか。あれか?喋りたくなかっただけか?」
「………」
「おいおい、自己紹介が聞きたいんじゃねぇんだよ」
そんなことは分かってる。
私はみんなに伝えたかっただけ。
私が守るって。領主の妻だから、領民を守ってみせるって。
「“レイ”」
『はーい!』
「“あの人質を助けて”」
『分かったー!』
「は?お前何言って…」
日本語で言った私の言葉が理解出来ず、男は訝しげな目を向けてきた。
だがその瞬間、人質の侍女の首に当たっていたナイフが砂のようにサラサラになって無くなり、驚いて手を離した大柄の男と侍女の間に木の壁が出来て、侍女が守られた。
「なっ…!?」
驚いてるその隙に、私はさらに日本語を声に出す。
「“精霊達、侵入者を殺さないように動けなくして”」
『はーい!!』
沢山の精霊の声がして、目の前の男やその後ろにいた男達が次から次へと地面に縫い付けられる。
木が巻きついて動けなくなったり、体が凍って動けなくなったり、眠らされたり砂の重みで地面に押し付けられたり。
色んな精霊が色んな形で侵入者を抑えてくれた。
「なっ…おい、こんなのアリかよ!」
1番前にいた男が、花のつるでぐるぐる巻きにされて動けずにいる。
細いつるなのに、男がどれだけ動いてもちぎれない。
私は地面に転がる男の前に来て、男の胸ぐらを掴む。
そして1発ビンタした。
これは、ファスの分だ。勿論あとでファスに引き渡すけど。
そしてもう1発。
これは人質にされた侍女の分。とっても怖かっただろうから。
そして最後に1発。
これは、この人のせいで迷惑を被ったこの領地の人達の分だ。
3回大きく引っぱたいて、私はとりあえず満足した。
顔が赤くなった男を地面に転がして、手をパンパンと振り払う。
「奥様、ご無事ですか!」
いつもの侍女が駆け寄っててくれて、私の全身をチェックしてる。
その目には心配しか映っておらず、私に対しての悪感情は見えない。
「本当に、良かった…。もう、奥様、ああいう時は素直に守られてくださいませ……」
「そうですよ奥様!でも、守ってくださってありがとうございます!」
玄関にいた使用人達が次から次へと、私にお礼を言ってくれる。
なんで今まで話してくれなかったの、とか、男たちを捕まえた力は何、という言葉はひとつもなかった。
嬉しい。とても嬉しい。
けど、話せること黙っててごめんなさい。
「ごめんなさい」
だから、謝った。
すると彼らはさらに声が大きくなり、私に謝るなと言ってくる。
「奥様が話したくないならそれでいいんですよ!」
「奥様は奥様のしたいようになさってください!これからも!」
そんな言葉をかけられて、思わず涙が出そうになる。
うう…嬉しい…。
やっぱりこの屋敷の人達、好き…!
1人も失いたくない!守ってよかった!
「これは…一体…」
感動しているシーンに、リアムさんの声が聞こえた。
開いてる玄関の外に、騎士を沢山連れたリアムさんがいて、拘束されてる男達を見て唖然としている。
そしてリアムさんはこっちを見て私に気づくとすぐに飛んできた。
「フェロー!大丈夫、怪我はない?!」
私を見て真っ先に心配してくれるの、優しいなぁ。
私はリアムさんに笑顔を向ける。ありがとうと、少しの罪悪感の混じった笑顔を。
それにリアムさんが気付かないわけがなく、私のことをしっかり抱きしめた。安心させるように背中をさすってくれて、私は思わずそれに縋る。
どうして言わなかったんだって怒られるかな。内緒にしてたこと、幻滅されるかな。
嫌だな、信用無くなったなんて思われたくないな。
でもリアムさんの腕の中はたしかに安心できて、大丈夫な気がしてくるから不思議。
「報告を。これはどういう事?」
リアムさんは私を抱きしめたまま、声に出す。聴きやすくてハキハキした仕事向けの声。
「はっ。ダニエル様が侍女の1人を人質に押しかけてきまして、その…奥様が、守ってくださいました」
「……フェローが?」
後半は小声で言った使用人の誰か。リアムさんの腕の中で胸に顔を押し付けてるから、誰かは分からない。
ただ、私がしたというのを部外者にはバレないようにしてくれているらしい。
「…フェローがやったの?」
リアムさんの柔らかい声が頭上から聞こえた。
私は顔をあげずに、リアムさんの胸に顔を押し付けたまま頷く。
やだ。怖いとか思われたくない。恐ろしいとか思われたくない。
「そっか。みんなを守ってくれてありがとう、フェロー」
リアムさんから聞こえた声にそういう気持ちは感じられず、私を安心させるような声を出してくれた。
私の頭も優しく撫でてくれて、大丈夫だと言われているようだ。
嬉しすぎて泣きそう。
「フェローは彼らの拘束を解くことは出来る?」
こくん。
「合図したら解いてくれる?」
こくん。
リアムさんは引き連れてきた騎士達を呼び寄せた。
「彼らは妻に危害を加えたから精霊により拘束されている。今から妻が精霊に頼んで拘束を解いてもらうから、1人残らず捕まえろ!」
「はっ!!」
騎士達は拘束されている男たちの近くに行き、捕まえる準備をする。
それが終わると、リアムさんは私に声をかけてきた。
「フェロー、お願いしていい?」
こくん。
私はそっとリアムさんの腕の中から離れて、彼らの方を見た。
そして騎士たちに聞こえないくらいに小声で声に出す。
「“みんな、もう離していいよ”」
『はーい!』
「“ありがとう”」
ちゃんとお礼も言って、皆は男達の拘束を解いた。
そしてすぐさま騎士が彼らを拘束する。手際が良かった、凄く。
1人ずつ外に運ばれ、多分護送されるんだろう。
それをリアムさんに肩を抱かれながら見つめてると、リアムさんの目が鋭くなった。
「兄上」
「よーおリアム。偉くなったもんだなぁ、お前も」
リアムさんのお兄さんは、リアムさんを憎いものを見るような目で見ている。
なんでそんな目をリアムさんに向けるんだろう。
「お前が精霊の愛し子を妻にしたって聞いたから奪いに来てやったけど、とんでもねぇ女だな、これは」
「フェローを馬鹿にしないでください。それに我が領地へは立ち入り禁止のはずですが」
「そんなもんどうとでもなるわ」
けらけら笑うリアムさんのお兄さん。
対してリアムさんは、お兄さんに厳しい目を向けている。怒っているようにも見える目だ。
「兄上がしたことを僕は許すつもりは無いので、覚悟しててくださいね」
「はっ、好きにしやがれ」
その言葉を最後に、リアムさんのお兄さんは騎士に連れていかれた。
玄関から人が居なくなるとリアムさんは私の頭を優しく撫でて、優しい声を出した。
「フェロー、事後処理があるから僕は行くけど、大丈夫かい?」
う……ん、大丈夫。多分。
「すぐに戻るよ。少しだけ、待っててくれるかな」
こくん。
「うん、ありがとう。…みんな、わかってると思うけど、今回のことは他言無用だ」
「はいっ!」
「よし。…じゃあ行くね、フェロー。少しだけ待っててね」
私はリアムさんが外に行くのを見送る。
寂しさを覚えたけど、多分それをリアムさんも気付いていたんだろうな。去り際におでこにキスしていってくれた。
集まってた使用人達はバラバラと捌けていき、みんな自分の持ち場に戻っていく。
「奥様、部屋に戻りましょう」
私も侍女に声をかけられて、部屋に戻ることにした。
紅茶を持ってくるか聞かれたけど首を振って、私は部屋に1人にしてもらった。
「レイ、みんなも、さっきはありがとうね」
『みんなユキのために動けて喜んでるよ!でもユキはあんまり喜んでないね?』
「うん……」
レイが目の前でくるくるしている。
皆が手伝ってくれて、誰も怪我が無かった。とても感謝してる。
それでも私の元気がないのは、多分この先が不安なんだと思う。
「……どうしよう、変な言葉使ってるの、リアムさんにバレちゃった…」
拘束を解くのをみんなにお願いした時も、騎士たちには聞こえなかっただろうけど、リアムさんには聞こえただろう。
それでもあの場でリアムさんが私に何かを聞いてくることは無かった。
でもその事も、精霊達に拘束してもらったことも、多分後で聞かれる。
「なんて説明したらいいんだろう…。失望されないかな…」
騙していたと思われるのは嫌だ。そう思われても仕方ないことをしていたけど、嫌だ。
リアムさんに嫌われたくない。
失望の目を向けられたくない。
『ユキ…』
「みんながしてくれたことは本当に感謝してるし、私が命じたことだからいいの。ただ、この先が不安で…。でも、精霊達のせいでは無いからね」
『うん、分かってるよ。ユキの私達への感謝は伝わってるよ』
レイが私を慰めるように、その小さな手で私のおでこをさすってくれた。
リアムさんが私を安心させる時のように、頭を撫でてるつもりなんだろう。
今はこの小さな手も、暖かく感じる。
「ありがとう、レイ」
『うん!』
「私、リアムさんにちゃんと言ってみるよ、全部」
『うん!いいと思う!』
どうなるかは分からないけど、正直に全部話そう。
言葉に出来るか、説明できるかも怪しいけど。
「レイにも力を借りると思う。手伝ってくれる?」
『もちろん!任せて!』
「ありがとう、レイ」
私はリアムさんが帰って来るのを部屋の中で待った。




