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第90章 武上(ウーシャン)号

長江流域の上海(人口約40万)、武漢(ウーハン、人口約3万)、重慶(チョンチン、人口約2.5万)、及び長江支流流域の成都(チェンドゥ、人口約5千)には、それぞれ自治組織たる自経団がある。上海には10の自経団があり、それらを統括する自経総団が置かれている。自経総団は総書記と原則として9人の副総書記で構成され、それぞれ1つの自経団の責任者たる書記を兼務している。武漢自経団には地区ごとに漢陽ハンヤン漢口ハンコウ武昌ウーチャンの3つの支団があり、自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務。重慶には同様に3つの支団があるが、人口の少ない成都には支団はない。


上海マオ対策本部は、恒星間天台マオのインパクトに備え、月に本部を置く国際連邦が管轄するネオ・シャンハイへ上海をはじめ4都市の住民の避難を進めるための実働部隊として組織された。その幹部は上海出身、武昌出身の官民から登用された混成メンバーで、国際連邦から派遣され、月から赴任した3名もいる。


主な登場人物


ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着きダイチたちと行動を共にする、上海マオ対策本部技術第一部副部長、今は亡き同い年の従妹でカオルのフィアンセだったサユリに瓜二つ

チャールズ・H・呉:(ウー)武上号の船長、イギリス系中国人、乗船歴30年のベテラン

張子涵:(チャン・ズーハン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌で物流業者を営みつつ上海マオ対策本部民生第一部副部長を務める

カヤマ・ミク:ニッポン人、中国名は香美紅 (シィァン・メイホン)、武上号の機関長

ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、上海対策本部副本部長代行兼チーフ・リエゾンオフィサー

周光立:(チョウ・グゥアンリー)ダイチの同級生で盟友、上海マオ対策本部の実務を統括する副本部長、上海自経総団副総書記を兼務、上海の最高実力者周光来の孫

張皓軒:(チャン・ハオシェン)ダイチの1学年下でカオルの同級生、上海マオ対策本部民生第一部副部長、ミシェル・イーと入籍

李勝文:(リー・ションウェン)タクシー運転手、ヒカリが大陸で最初に出会った人物、上海マオ対策本部民生第一部副部長

陳紅花:(チェン・ホンファ)商物流業者の首領の一人、張子涵と親交がある、上海マオ対策本部民生第一部副部長

マルフリート・ファン・レイン:国際連邦総務局長兼マオ対策支援グループGM

ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記兼上海マオ対策本部リエゾンオフィサー

「長江一の優れモノ」は順調な滑り出しだった。

 船長も機関長も、他の乗組員も、異変が起こるとは思ってもみなかった。船の整備記録をずっと確認してきた陳紅花も、船主であった張子涵も、そしてもし武上号がボイスインターフェースを装備していたとしたら、「思ってもみなかった」と言ったことだろう。

 出航して9時間ほど経った18時少し前、突然ガクンという衝撃が船内の全員に伝わった。ほどなく船速が低下し、推進力が停止、川の流れに流されるだけになった。

 ブリッジから下りてきた船長のチャールズ・H・ウーと一緒に、張子涵は機関室に下りて行った。

 機関長の香美紅シィァン・メイホンことニッポン人カヤマ・ミクによれば、4つある推進ユニットが突然すべて停止したのだという。

[もうすぐ九江ジュージャンの緊急避難用デポだ。いったんそこに立ち寄って修理するというのは、どうでしょう]と張子涵。

[まったく推進力がない中で操舵だけで接岸するには、すでに九江に接近し過ぎています。せめて推進ユニットが一つだけでも動いてくれたらいいのですが]と呉船長。

[搭載している部品と機器で、修理に取りかかります]カヤマ機関長。

[了解。香機関長は修理を進めてください。呉船長、修理不能の場合に備えて、次の安慶アンチンに接岸できるように、進路を調整することはできますか?]

[わかりました。やってみます]

[お二人とも、よろしくお願いします]

 そう言うと張子涵は、船室に上がって行った。

 張子涵の姿を認めて、ダイチが駆け寄ってきた。

[どんな具合だ?]

[推進ユニットが全部イカれて、まったく推進力がない状態だ。下りだから、時間がたっぷりあれば、流されて辿り着けるが、このままでは南京ナンチンに辿り着く前に、マオの突風にやられてしまう計算だ]

[わかった。周光立に連絡して、PITミーティングを招集してもらおう]

 20分後にミーティングは始まった。シャンハイ側の参加者は、周光立と張皓軒、李勝文、陳紅花。武上号側はダイチ、張子涵と呉船長。カオルにも声をかけたが、眠ったままで起きる気配がないのでそのままにした。

[状況はわかりました。修理は上手くいきそうでしょうか]と周光立。

[機関長と機関スタッフが総出でがんばっている、としか言いようがありません。見通しは立っていないです]と呉船長。

[船を出して迎えに行くというのは?]

[大型船で動けるのは残っていません。小型船は5隻残っていますが、長江を遡っての航行に耐えられるかは大いに疑問です]と陳紅花。

[陸送部隊を準備して、どこかの地点に待機させてピックアップするのは?]と李勝文。

[接岸しようにも、推進力がまったくない状態だと、かなり難度が高いでしょう]と陳紅花。さらに続ける。

[これまで航行不能になった船も、ほとんどの場合、推進ユニットが1つは生きていた。今回は全部やられたのだとすれば、想定外のレベルが一段違います]

[なんとか接岸することのできそうなスポットは、やはりデポだろうか]と周光立。

[さっき九江をやり過ごしたところなので、次は安慶です]と張子涵。

[推進力なしに流されたとして、到達予想日時は?]

[11日の夜、そう、21時頃でしょうか]と呉船長。

[では、48時間以上余裕があるから、陸送部隊派遣については、それから手配しても間に合う計算ですね]

[200人なら、バス10台あれば足ります。ドライバーの人選は進めておきましょう]と李勝文。

[連邦市民登録済みのドライバーの、レフュージ外活動に必要な連邦特別命令について、ファン・レインGMに事前調整をしておきます]と周光立。

 状況に変化がなければ、翌日の同じ時間にミーティングをすることとして、今日のところは終了した。

 船内には不安な空気が漂っていた。ダイチは200人を前にしてスピーチをした。

[みなさんお気づきの通り、この船の推進ユニットがすべて故障しています。復旧の目途は立っていません]

 船内にため息が漏れる。

[目下のところ、機関長とスタッフが修理に全力を尽くしています。シャンハイの対策本部とも打ち合わせし、機関が復活しない場合は、陸送でインパクトまでにネオ・シャンハイに到着できるようにする準備も始めています]

 一息つくと、ダイチはテンポを落として続ける。

[みなさん全員の安全は、責任をもって確保します。私たちを信じて、お待ちください]


 カヤマ機関長以下機関スタッフは、交替で休養をとりながら昼夜兼行で推進ユニットの修理を行ったが、停止からまる1日経った時点でも、修復に至っていなかった。最初に電装品をくまなくチェックしたが、原因は特定できなかった。そこで予備のユニットに交換したが、推進力は復活しない。結局、周辺機器の点検とユニットの交換を繰り返すばかりで、状況は変わらなかった。

 10日、11日の夕方に、状況確認だけのPITミーティングを行い、安慶に接岸した場合の手順について確認した。


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~カオル(李薫)の独白~

 船がどうやら、おかしいらしい

 このままシャンハイに着かなければいいのに。

 そうすれば誰にも会わないですむ。

 そう、ヒカリにも…


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 武上号の呉船長はイギリス系中国人で乗船歴30年のベテランである。機関が思わしくないことを確認し、操舵のみで安慶に接岸できる進路を確認していた。11日19時の時点で、安慶へ船を着けることは不可避と思われていた。

 張子涵はブリッジで呉船長と話したのち、機関室へと下りて行った。

[お疲れさまです。状況は変わりないですか?]と張子涵。

[面目ないです。点検してユニットや部品の交換をして、これで直らないのは理解できないのですが]とカヤマ機関長。

[しょうがないなあ」と張子涵は言うと、4つのユニットに順番に手をあてながら、こう言った。

[お願いだ! なんとか動いてくれないか?]

 その直後、機関室内の計器類の表示が次々と復活した。そして4つの推進ユニットに起動がかかり、駆動音が戻ってきた。徐々に加速し、10分後には通常の速度に戻った。

 ダイチが機関室に下りてきた。

[復活したんですか?]

[どうやら、そのようです]とカヤマ機関長。

[ありがとうございます!]

[いえ、張総経理のおかげです]

[張子涵、おまえ、エンジニアの心得があったのか?]

[いや。それはない。強いて言えば…胆力かな]

 ダイチからPITで「機関完全復活。順調にいけば12日の深夜にシャンハイに到着」と周光立たちに伝えた。

「念のため陸送部隊の派遣準備は続ける」と周光立からの返事。


 安慶を過ぎて8時間は順調に進んだ。ところが、6月12日木曜日の早朝4時頃。またも推進ユニットが完全に停止し、推進力が失われた。南京まであと100kmほどの地点。

 カヤマ機関長以下スタッフが、あわただしく調整、修理を行うが、すぐには復活しない。

 修理不能の場合に南京に接岸すると、13日の早朝になる。

[残り時間が1日半ということになる]と周光立。同じメンバーでPITミーティングを行っていた。

[南京なら、それだけあれば往復陸送で対応できます]と李勝文。

[早めに派遣しておかなくていいんですか]と陳紅花。

[すでにレフュージに収容されて安全な場所にいる人たちを、危険に晒すのはできる限り避けたい。なあ、楊大地]と張子涵。

[私も同じ意見だ。航行不能で間に合わなくなることが確定してから、対応を始めることとして欲しい。もっとも、それではかえって危険が増すのであれば話は別だ]

[36時間あれば、かなり余裕があります]と李勝文。

[了解。では南京まで様子を見ましょう]と周光立。

 さらに23時間が過ぎ、南京のデポが近づいてきた。

[全部のユニットは無理でも、一部だけでも再起動できないか、試しています]とカヤマ機関長。

[船長の計算では、4つのうちできれば3つ、最低でも2つ生き返ってくれれば、間に合うタイミングにシャンハイに着く]と張子涵。


 6月13日の6時頃、ブリッジで南京接岸のための進路調整を行っている船長の横で、張子涵は呉船長の操舵作業を見ていた。

 すると、推進力が戻ってきたのを感じた。弱々しいが、確実に前方に推進する力。

 カヤマ機関長がブリッジに上がってきた。

[推進ユニットのうち2つが正常に動くようになりました!]

「ありがたい! よくやってくれました]

[シャンハイ到着予定は?]と周光立。再びシャンハイとミーティング。

[ユニット2つなら、6月14日の朝10時頃です]と船長。

[最新の突風到来予測の9時間前か。ギリギリですね]と周光立。

[南京から陸送、のほうが安全では?」と李勝文。

[あたしとしては、このまま武上号で行きたい。陸送でトラブルが発生したら、取り返しがつかなくなる。船のほうが、いざというときの手段があります]

[常州と南通かい]と陳紅花。

[ああ]

 武漢から上海の間の緊急避難デポは公式には3ヵ所設置されている。1000人が避難できる水密型のシェルターが確保できる地点。しかし調査の際に、収容定員の基準には満たないものの、水密型のシェルターが稼働する形で存在する地点がチェックしてあった。南京より下流では、上海と南京のほぼ中間地点にある常州に、定員300人のシェルターがあり、さらに100km下った上海まで100kmの地点にある南通には、定員200人のシェルターがある。

[いざとなったら、どちらかの水密型シェルターに避難して、突風と津波をやり過ごします]と張子涵。

[わかった。ところで推進ユニットの具合はどうかな?]と周光立。

[一つは澄んだ駆動音で、おそらく問題ないでしょう。もう一つは駆動音が幾分濁っているので、やばいかもしれません]と張子涵。

 ミーティングが終わると、乗船者全員に向けてダイチがスピーチをした。

[ご心配をおかけしています。現在この船は、通常の半分の推進力で運行しています。このまま何事もなければ、シャンハイには6月14日の朝に着く予定です。インパクトまでには間に合いませんが、最初の難関である突風の襲来までには9時間近く余裕がある見込みです。この後さらに異常が起こって、突風の襲来に間に合わなくなった場合は、この先2ヵ所にある水密型シェルターに避難し、突風と津波をやり過ごすことも検討します]

 ゆったりとした、かつメリハリのある口調でダイチが続ける。

[どういう方策をとるにしても、みなさん全員の安全は、責任をもって確保します]


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~カオル(李薫)の独白~

 船はゆっくりだ。

 でもいずれシャンハイに着いてしまう。

 どうすればいいんだ…


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 6月13日金曜日昼の時点でシャンハイまであと300kmだった。武上号の4つある推進ユニットのうち2つしか駆動していないので、推進力は半分になり、速度もおおむね半分になる。

[『ハネムーン』のカップルなら、ちょうどいい速度かもしれないな]と張子涵。

 ダイチと彼女はブリッジの後ろのデッキで、並んで川風に吹かれながら曇り空を眺めていた。

[なんかやっと、武昌を離れてもう戻れないんだ、というのが実感になって表れてきた]とダイチ。

[あたしもそうだ。出航していろいろあったから、そんな気持ちになる余裕がなかった]

[寂しくないか?]

[ない、と言えば噓になる]

[まあ、先のことを考えよう。このまま行ってくれればネオ・シャンハイになんとか辿り着けそうだから]


[先のことと言えば…]珍しくはにかんだような口調で張子涵。正面を向いたまま続ける。

[楊大地にお願いがあるんだ]

[どうした、勿体ぶって。お前らしくもない]

[ネオ・シャンハイに着いて、落ち着いたら…食事を一緒にして欲しい]

[食事なら、いつもみんなと一緒に食べてるじゃないか]

[だから…あんたとあたしの二人っきりで食べたいんだ]

[なんでまた?]

[…んーーじれったい。どこまであたしに言わせるんだい!」とダイチへ向いて張子涵。

 しばし沈黙。ダイチが彼女に顔を向けて口を開く。

[…わかった。私が招待する形にしよう]

[嬉しい…せいぜいおめかししていくから]

[旗袍チャイナドレスは勘弁してくれ。目立つから]

[旗袍以外にもフェミニンな服は持ってるので、ご心配なく]

[わかった]

[約束だぜ]

[ああ]

 張子涵の顔に少女のような笑みが広がった。


 シャンハイまで残り2つの緊急避難地点のうちの1つ目である常州を、武上号は13日の20時頃に通り過ぎた。


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