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異譚 吾輩は猫である

作者: 杉谷馬場生

 吾輩は猫である。名前はまだない。

と言いたいところであるが、五郎という名前であることをさっき知った。これはさっき名付けられたという訳ではなく、さっき吾輩が気づいたということである。

それにしても五郎とはなんの由来であろうか。別に吾輩は五男坊ではないし、もし「ゴロゴロしているから五郎」という由来であるのなら母親の方がゴロゴロしているので飼い主はとんだ名前をつけたものだと思う。

そう。吾輩は母親と共に人間と暮らしている。

母はのんびりと一日を過ごしている。晴れているときは縁側の日向に寝転んで気持ちよさそうに寝ているし、雨の日でも見飽きることなく雨粒を見て過ごしている。母は滅多に外に出ることはない。吾輩はよく外に出て楽しむのだが、母の外に出ない過ごし方をみてよく暇にならぬものだと吾輩は思うのである。

しかし母は全く暇とは思っていないようで、それは母の尻尾のリラックス加減で明白である。日向に寝転んでいる母は体は動いていないのに尻尾だけぱたんぱたんと左右に揺れる。陽に当たって母の毛が輝いてなんとも心地よさげなのだ。

吾輩も真似をしてみようとした事はあるのだが、天気の良い日に家の中で寝転んでいるだけはなんともウズウズする。吾輩が我慢できなくなりそちらこちらをウロウロし始めると母が「アンタはそれがダメなのよね」と吾輩に目で訴える。

きっと吾輩は母よりも若いので母のような過ごし方ができないのだ。家にいるよりは晴れていようと雨だろうと外に出たくてたまらなくなる。

そうして外に出るときは飼い主に催促する。何しろ吾輩は猫なので戸を開くことさえままならない。吾輩が訴えると飼い主は戸を開けてくれていつも一緒に外出をしてくれる。きっと吾輩が若いというか、まだ幼いことを心配してのことだろうとも思うが、もう少し吾輩を大人として見てもらっても良いのではないかとも思う。

外出するときは吾輩はいつも飼い主から遠くへ行かぬようにか、リードを付けられる。もっと自由にさせてほしいと思うが猫と人間とでは言葉が伝わらぬことは吾輩でもわかっている。なんとか声で訴えた事もあるが聞き入れてくれなかった。

しかし外出は良いものだ。リードに繋げられていることに不満はあるとしても、その不満を払拭するにあまりある満足感がある。

飼い主と一緒に歩いていると飼い主が立ち止まる時がある。吾輩はズンズン前へ進みたいのだが、リードで繋がれているのでしょうがなく立ち止まる。飼い主が立ち止まるときは飼い主が知り合いと鉢合わせるときである。

「やあ、こんにちは。五郎くんは元気そうですな。どれくらいになりましたか?」

「こんにちは。生後半年くらいですかね。もうやんちゃでやんちゃで」

「そうでしょうなぁ。それにしても足が大きい。五郎くんは大層立派な犬に育つでしょうな」

犬?

吾輩は疑問に思いながらも自分を褒められているのはわかるので喜びを尻尾で表現した。

尻尾をブンブンと振る。

ワンと鳴く。

そうか。

吾輩は犬であった。

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