裏10話 誰かと比べるな(※三人称)
新しい人生の始まり。それは、想像以上に厳しかった。マティの稽古自体も厳しかったが、怪物との戦いがそれ以上に怖かったからである。人間の常識が通じない相手、その秩序が通じない相手。そんな物と常に戦っていれば、その疲れも尋常ではない。それこそ、心身共に疲れはててしまった。一日の終わりにやっと眠られる時でさえ、少しの物音に驚いてしまう始末。少年には、今の生活が「地獄」としか思えなかった。地獄の先にある場所、それが作りだす場所としか思えなかったのである。彼は生命の果て、本能の極限にフラついてしまった。
「マティ、さん」
「うん?」
「まだ、進むんですか?」
「当然だ、こんなところで止まっていられない。ここは、草原のど真ん中だからな。下手に止まると、敵にも狙われやすくなる」
ライダルは、その言葉に目眩を感じた。その言葉にただ、「フラッ」としただけではない。それに「はい」とついてきた少年、ゼルデ・ガーウィンにも敬意を抱いたからである。ゼルデ・ガーウィンは、彼の野望に付きあった。それに付きあった上で、戦いの中でも戦績を積みあげた。彼の中で起こった不幸、そのスキルが消えるまで。ゼルデは嫌々ながらも、彼の事を助けてきたのである。ゼルデ自身が、彼に追いだされるまで。そう考えると、自分が何だか情けなくなった。「僕はまるで」
そう、まったく役に立っていない。最初の頃よりはマシにこそなったが、それでもまだ素人の範囲だったし、怪物との戦いも駄目。中身の方は、まだまだ子どもだった。「自分ではこうなりたい」と思っているのに、そこまで達せない子ども。「マティ」と言う保護者に守られている少年。ライダルはそんな自分に苛立ちを、さらには怒りすらも覚えていた。「自分はどうして、こんなにも無力なんだ?」と言う風に。彼は改めて、復讐の難しさを感じた。
「ごめんなさい」
「うん?」
「僕、二人の足を引っぱるばっかりで」
マティは、その言葉に溜め息をついた。その言葉にたぶん、呆れてしまったのだろう。マノンの方は「クスクス」と笑っていたが、彼の方は「それ」にまったく混ざろうとしなかった。マティは真剣な顔で、少年の顔を見かえした。少年の顔は、それに「うっ」と強ばっている。
「それは、お前の驕りだ」
「僕の、驕り?」
「自分の力を信じすぎる驕り。お前は『自分が役立たず』と思っている一方で、『自分は、こんな筈ではない』と思っているんだ。『本当は、凄い人間である』と」
「そ、そんな事は!」
「ある。あるから、そんな台詞が出る。本当に誠実な人間は、自分の事を決して蔑んだりしない。今の自分を省みて、そこから自分の本質を見ようとする」
「ゼルデ・ガーウィンは、そう言う人だったんですか? 今の僕とは、違って」
「さあな。でも」
「でも?」
「新しい道を見つけたのは、確かだ。自分が自分であるための、己が志を果たすための。アイツは、俺が思った以上にタフだった」
「そう、ですか。それは」
「ライダル」
マティは、少年の目を見つめた。その目が決して、自分の目から逸らされないように。
「誰かと比べるな」
「え?」
「自分の力を、その可能性を。誰かのそれと比べるな。お前には、お前の可能性がある。お前しかできない可能性が。それを信じないのは、自分に対する最大の冒涜だ」
「マティ、さん。僕……」
ライダルは両目の涙を拭おうとしたが、周りの物音にそれを妨げられてしまった。草原の草花を揺らす、何とも不気味な物音に。ライダルは鞘の中から剣を抜いて、自分の周りを見わたした。彼の周りには数体、謎の生物達が立っている。生物達は自身の影に溶けこんで、彼等の後ろにそっと忍びよっていた。
ライダルは、その光景に震えあがった。こんな光景は、まったくの予想外。彼等の気配にもまるで、気づいていなかったからである。彼等は虎視眈々と、この機会を窺っていた事にも。ライダルは「それ」に怯えてしまったが、マティに「落ちつけ」と諭されてしまった。
「え?」
「怖がる事はない。コイツ等は、雑魚」
「かも知れませんが! でも、それは!」
「うん?」
「貴方にとっては、でしょう? 僕にはやっぱり」
「できる」
「え?」
「そう信じればいい、『自分ならできる』と。そうでなければ、誰もお前の事を信じない。お前がお前を信じるためには、お前自身が前を見なければならないんだ」
マティは、少年の先を指さした。少年の先にはもちろん、例の怪物達が立っている。
「ライダル」
「は、はい!」
「お前の前にいるのは?」
「僕の前にいるのは、僕の敵です。僕がこの手で、倒さなきゃならない」
「そうだ、お前が倒さなければならない敵。それを前にして、お前は逃げていいのか? 自分が戦うべき相手から逃げていいのか? お前が超えなければならない、自分自身の」
「僕自身の」
そうだ、そうだよ。ここで逃げたらずっと、変わらないままだ。あの哀しみに暮れた、自分自身から。
「そんなのは、絶対に嫌だ!」
自分は、変わっていかなければならない。いや、変わらなければいけない。自分が自分で、ありつづけるためにも。
「目の前の敵から、絶対に逃げちゃいけないんだ!」
ライダルは覚悟を決めて、目の前の敵に斬りかかった。