界面に宵
ねえ。どうして動かなくなっちゃったの。
ユウくん、それはね天国からお迎えが来たのよ。
飼っていたハムスターは目をつむっています。水をゴクゴク飲んだ喉も、観覧車を漕いでいた足も、もう動きません。
冷たくなったハムスター。ユウくん、お墓をつくってあげようね。
庭には雪を被った柿の木。その向こうに公園までの道が続いています。手袋はしたの。うん。毛糸のマフラーは。大丈夫、首に巻いてあるよ。
玄関を出ると、頬が緊張します。夜の静けさが横たわる師走はとても寒いのです。
ねえ。どうして死んじゃったんだよ。手袋の中でハムスターは眠っています。
くるぶしまで雪に埋まります。白い轍を飛び越えて、ユウくんは公園へ向かいます。
月明かりが照らす街道にユウくんの影が揺れています。
白い息が星のまたたく空へと昇っていくのでした。
やがて公園に着きました。時計台のあるところは日当たりがいいのです。土の中でもきっと寒くないでしょう。
持ってきたシャベル。柄は夜と同じ温度になっていました。
ザクザクと掘ります。休むことはありません。
ハムスターは小さい穴があれば入ります。ユウくんは少し大きめに掘りました。
元気でね。立ち上がったユウくん。目の前に男の人がいます。黒い外套を纏った男です。
誰ですか。男は微笑んでいるだけで答えません。ハムスターのお墓を眺めています。
死んじゃったんだよ。だから埋めてあげたんだ。
坊や、悲しいだろう。うん。悲しいよ。でも仕方ないことなんだって。
どうしてさ。いつかはみんなお迎えが来るから。ユウくんの瞳から涙がこぼれます。
でも諦めきれないだろう。本当の気持ちを教えてくれ。ユウくんは胸に手を当てます。本当の気持ち。やっぱりお別れはしたくない。
ふいに男は手を上げました。何の合図でしょうか。公園の雪が海のようにうねり始めます。
さあ遊ぼうじゃないか。雪の細波がぷちんと切れて、幾つも玉が現れます。男は玉を捕まえて、手でこねます。
するとどうでしょう、雪玉には耳が生えて丸い尻尾もつきました。ウサギさん、おいでよ。ユウくんに向かって真っ白なウサギが駆けてきます。うわあ、可愛いねえ。
そうだろう。お次は何かな。男が手を振ると、平べったい雪が弧を描いて飛んでいきます。真っ白な蝶が現れて、粉雪と舞い踊るのです。
どうしたのさ。一緒にやろう。男はユウくんに小さな雪玉を投げました。ユウくんは戸惑いながらも雪をこねます。不思議な雪は粘土のように柔らかく、そして自由に操れます。
ユウくんの手の中で、雪は形を変えていくのです。
卵形に押しつけて、角は平らに整えます。
小さな耳、縞模様をつけてあげればできあがり。
ふふ、上手だね。男は笑います。
ユウくんのハムスターは勢いよく走り始めます。
ああ、待ってよ。真っ白なウサギと、蝶と、それからハムスター。みんなで競争をするのです。ユウくんも、黒いマントの男も追いかけっこします。
とっても楽しいなあ。
それならずっとここにいようよ。ねえ、ユウくん。
ウサギが手招きします。
ユウくん、見て。キレイでしょう。
蝶が翻ります。
いつまでも側で笑っていてよ。
ハムスターが囁きます。
そうだね。ユウくんはハムスターと踊ります。
嬉しいな。嬉しいね。
じゃあそろそろ行こうか。黒いマントの男を先頭にして、公園を出ていきます。寝静まった町を通り抜けて、どこへ向かうのでしょう。真っ白なウサギも、美しい蝶も何も言いません。
ユウくんはハムスターを肩に乗せて歩きます。初めは冷たかったけれど、少しずつ慣れていきます。
ねえ待って、ちょっと待ってよ。手編みのマフラーはどこ。一体どこにあるの。
そんなものは要らないから、さあ、行こう。男は黒いマントでユウくんを包みます。足元がすくわれるような、浮遊感に襲われました。
怖い。何だって。怖いよ。大丈夫さ、みんないるだろう。そうだけど、怖くて仕方ないんだ。
怖い。怖い。怖い。
その場に蹲るユウくんを、ウサギと蝶が突っつきます。
早く。早く。行こう。行こう。
街灯の絶えた暗闇に閉じ込められたみたいです。ユウくんはもう進むことも戻ることもできません。
冷たい風が頬を引っ掻きます。
誰か。誰か助けてよう。
ユウ。ユウくん、どこなの。返事をしなさい。
温かな声が真っ暗な世界を切り裂きます。
おかあさん。ここだよ。ここにいるよ。
地平線の彼方から白い光があふれてきます。黒い霧はたちまちにして蒸発していくのです。
ぎゅっと抱き締められたユウくん。
辺りを見渡します。
太陽が昇り、ウサギの耳は垂れています。蝶の羽も歪んで、ハムスターは平べったく伸びているのです。
間もなく時計台の下の地面は、三つのみずたまりができました。みんな融けてしまったのです。
黒い外套を着た男はもうどこにもいません。
さあ、お家に帰りましょう。
それにしてもユウくん。どこでマフラーを落としたのかしら。手編みのマフラーはどこで。