トウキ山脈2
町を出たのを確認してから、アレクサンドルは克重、邦光、直秀、アントニー、それにケインとスコットを大きなシャボン玉のような玉に包んだ。
邦光達がすぐに座ったので、立っていたスコットとケインも慌ててそれに倣う。
そうして、アレクサンドルは浮き上がった。
「参る。脆そうに見えてその膜は我が死にでもしなければ割れる事はないゆえに、恐れる事はないぞ。」
スコットが、身を堅くしている。
そもそも空を飛んだ事などない。
飛行機という物がないこの世界では、空を飛ぶのは鳥ぐらいのものなのだ。
アレクサンドルが飛び上がるにつれて膜も浮き上がり、見る見るうちに高度は上がって行った。
「うわ…!」
ケインが、体を堅くしながら膜の中で何かに掴まろうとした。だが、取手など着いているはずもなく、手は宙を彷徨って気が付くと、隣の父親の腕にしがみついていた。
尻の下には、何もない。
完全なシースルー状態のまま、なぜ浮いているのか分からないような不安な形で玉はアレクサンドルにつれて、高度三十メートルぐらいの位置で止まった。
自然に震えて来る体を押さえながらじっとしていると、アレクサンドルが言った。
「どこぞ?方向を申せ。」
ケインは、父親にしがみついたまま指差した。
「あちらです。」
アレクサンドルは頷き、そちらへ向かって進み始めた。
結構なスピードなのだが、不思議と外から風を感じない。
膜が遮っているようだった。
山脈がどんどんと近付いて来て、ケインは思わず呟いた。
「すごい…こんなに速いなんて。」
スコットは、固まったまま頷いた。
「ああ、だが帰りは歩きたい。」
ケインも、同じ気持ちだった。
「下を見ずにアレクサンドル様だけを見ていたらいい。」克重が、視線をアレクサンドルに固定したまま、膝を抱えて座って言った。「下を見るな。」
見ると、同じ姿勢の三人がじっと動かずアレクサンドルを見上げている。
邦光だけが、膜に手を付いて下を見ながらキョロキョロとしていた。
「…どの辺りだ?ケイン、この辺りはもう麓だぞ。お前が言わないと変な場所に行ってしまうし時が掛かるじゃないか。」
ケインは、今アレクサンドルだけを見ろと言われたばかりだったのに、下を見るのは勇気が要った。
だが、意を決して下を見ると、もう確かに山の麓だった。
「あ、そっちです。」ケインは、また指差した。「あっちの、山小屋を越えてもう少し西。小さな池があって、その辺りに降りたら歩いてすぐです。」
アレクサンドルは、言われた通りに進路を変えた。
玉がゆっくりとその動きにつれて振られるように動き、しばらくゆっさゆっさと左右に宙で振られた。
その動きで、玉はアレクサンドルから伸びた力に捉えられて繋がり、吊り下げられているような状態なのは分かった。
だが、皆玉の中で姿勢を何度も崩して横倒しになり、透明でいつ破れるのかと不安になるその膜に、手をつく事になった。
膜は柔らかく、手をついたらその場所が少し沈んだ。
突き破ってしまいそうで、ケインは慌てて手を離して、克重達に倣って膝を抱えてひたすらに到着するのを待った。
「…せめて硬くて下が見えない板みたいな物があったらマシかもしれませんね。」
ケインが呟くように言うと、アントニーがケインを見た。
「言われてみたらそうかもしれない。次からは板と共に運んで頂くようにしよう。」
邦光が、顔をしかめて言った。
「あのな、重いではないか。アレクサンドル様にこれ以上ご負担を掛けるわけにはいかぬ。そもそも我らが飛べないのが問題なのだからな。」
言われて、アントニーはバツが悪そうな顔をした。
だが、飛べる術士などいないのだから仕方がない。
アレクサンドルが、上から言う。
「努力でどうにかなるものではないのだ。飛ぶためには多くの命の気を使う。それを持たない者が出来るはずなどないのよ。我にはなんでもないのだから、次からは主らが良いように板も共に運ぼうぞ。」
アントニーは、感謝の視線をアレクサンドルに向けた。
「ありがとうございます。」
むしろこの高さをシースルー状態で平気な人も少ないだろう。
ケインは思ったが、邦光に逆らうと推薦状がもらえないと我慢した。
結構な時間、そうしていると、アレクサンドルがスピードを落として下を見回し、明らかに何かを探す素振りをした。
ケインが見ると、山小屋を通り過ぎて、池まであと少しの所まで来ていた。
邦光が、胡座をかいて光の術で手元を照らしながら、何かを書いていたのだが、顔を上げた。
「そろそろか?」
この状態で何をやってるんだろう。
ケインは思ったが、頷く。
「はい、そろそろです。」と、アレクサンドルを見上げた。「そちらの脇の茂みを抜けて、左に行くと見えます。」
アレクサンドルは頷いて、そちらへとゆっくり進む。
ケインが言った通り、そこには小さな池があって、そこだけぽっかりと開けたように木々が無い場所が見えた。
「…着地するぞ。」
アレクサンドルは言い、玉を見ながらゆっくりと降下した。
アレクサンドルより先に玉が着地し、ケインの尻は草の感覚を感じた。
地面がこんなにありがたいなんて。
ケインが思っていると、アレクサンドルが着地して、玉は綺麗に消えた。
「ここから歩くのだな。」
アレクサンドルが言うと、ケインは頷いて立ち上がった。
「はい。もうすぐそこです。」と、腰が抜けて立ち上がれないスコットに手を貸した。「父さん、大丈夫?」
スコットは、何とかケインの手を借りて立ち上がると、頷いた。
「こんな経験はもう懲り懲りだ。帰りは歩こう、その方がいい。」
アレクサンドルは、苦笑した。
「そうしてくれるなら我らも時間が短縮出来るゆえ助かるの。だが、良いのか。夜通し歩かねば町には着くまいに。」
スコットは、ブンブンと首を振った。
「お邪魔するつもりはねぇんで。オレ達は歩くのに慣れてます。」
邦光が、言った。
「さあ、では場所を。」
ケインは、歩き出した。
「こちらです。」
池の向こう側から、鬱蒼と繁った森がある。
ケインは、そちらへ向けて歩き出した。
森の中は真っ暗で、月の光も届かない。
もう慣れたように、ケインもスコットも光の魔法で前を照らして歩いていた。
ヤマトでは、幼い頃から簡単な魔法は皆、親から習って使う。
なので、こんな術は息をするように使っていた。
そこが、ミマサカとは少し違った。
ミマサカでも、確かに簡単な日常の魔法は知っているのだが、滅多に使わない。
魔法を使わないように生きる事が推奨されているので、確かに無駄に命の気を使うのは体にも負担なので、皆懐中電灯などを使っていることの方が多かった。なので、こんな風に息をするように自然に術を使う者は少なく、それが当たり前の世の中だ。
しかしヤマトは、魔法でなんとかなるなら魔法でよい、という考え方だった。
ミマサカで開発された懐中電灯が、こちらでいまいち普及しないのも、そんなところが関係していた。
考え方が違うのだ。
しばらく歩くと、ケインは立ち止まって、足元を見ながら屈んだ。
「…ここです。」と、手を振った。「ほら、これがオレ達の印の魔法です。」
真っ暗だったそこが、点々と緑の小さな玉で奥へと伸びて行く道を示している。
邦光が中を光で照らして見ると、そこは下へと伸びる洞窟で、どうやら緑の印は一度下へと降りてから右へと折れて脇の洞窟の中へと続いているようだった。
「…よし。結構短い間隔で印を付けてくれてるから、これなら迷わず行けそうだ。」と、さっき書いていた紙をケインに手渡した。「世話になったな。これは推薦状だ。学校に持って行くがよい。そこからはお前の頑張り次第だ。」
ケインはそれを受け取りながら、邦光が空の玉の中でこれを書いていたのだと知った。あんな状況でケインの事を考えて書いてくれたことに感謝しながら、ケインはそれを受け取った。
「ありがとうございます。」と、頭を下げた。「国が大変な時に、オレの事まで気にかけてくださって嬉しいです。またタキでお会いしましょう。」
邦光は、頷く。
「術士の道は厳しいぞ。落ちこぼれないようにしっかりやれ。」
アレクサンドルが、穴の淵に立って言った。
「では参るぞ。時が惜しい。戦が始まってしもうては止められぬ。勉学どころではなくなってしまうからな。」
邦光は、頷いて言った。
「はい。」と、スコットを見た。「ではな、オヤジ。ケインのことは、心配しなくても大丈夫だ。タキへ戻ったらオレが見ておくから。」
スコットは、頭を下げた。
「いろいろとありがとうございます。もちろん、心配なんざしてません。お気を付けて。」
そうして、ケインとスコットは、洞窟の中へと降りて行く五人を見送ったのだった。




