スエヒロ
アレクサンドルは、邦光と直秀、克重とアントニーと共に、ヤマトの北の端、山脈を越えた向こうにある、スエヒロという町に到着していた。
ここまで、邦光は大丈夫だったが、他の三人が足元に何もない状況に恐怖のあまり何度も排泄の必要に駆られ、仕方なく何回も降りて休んで来たので、せっかく飛んだのにもう夕方になってしまっていた。
ここは、海へと流れる川の始点があり、酪農が盛んで、ここで生産された物は全て川を運ばれて海へ出て、ヤマト全土へと運ばれていた。
そこからミマサカを窺ったが、地上はあまりに人が多い。
なので、町の旅籠で地図を広げて、夕食をとりながら考え込んでいた。
「上空から見た所、トウキの方面が大変に兵士が詰めておりましたので…やはり、河が問題になりますね。」邦光が言う。「地下を通るしか方法はないかと。」
直秀が、言った。
「しかし、地下通路には見張りが立っているでしょう。アレクサンドル様、もうすぐ夜になりますし、闇に紛れて川を渡るしかないのでは。」
邦光が首を振った。
「無理だ。直秀、河の幅を知っているか?上から眺めただけでもあちらには船が巡回していたし、飛ぼうが泳ごうが絶対に発見されるぞ。」
宿の主人が、食後のお茶とデザートのレイマンを持ってきて置いてくれる。
そして、もう食べ終わった食器をさっさと片付け始めた。
スエヒロは観光業でも有名で、山を登る娯楽にこの時期は客が多いはずなのだが、今ここに泊まっているのは自分達だけのようだ。
ふと、アントニーがレイマンを食べながら言った。
「オヤジ、そういや行楽シーズンなのに客はオレ達だけか?」
主人は答えた。
「なんかミマサカがきな臭ぇってんでキャンセルばっかりで。ほんとならいきなり来てこの時期に泊まれねぇところでさぁ。」
食器を盆に乗せて行っている、女将らしき女も言った。
「どこもそんな感じみたいですよ。なんかあったんですか?軍人の方がこんな所まで来るなんて珍しい。」
邦光が、言った。
「国と国との行き違いでな。オレ達は何とか打開策を探そうと新しい大陸の方へ行きたいんだが、ミマサカを通らなきゃ無理だろう。だから困ってるんだ。」
宿の主人が、手を止めて地図を見た。
「ああ、そんな地図じゃミマサカに密行なんて出来ねぇよ。こっからあっちへ行くのに、この地下道と河を渡るしか方法が書いてねぇし。山は魔物が多いしね。全部閉鎖されてまさぁ。レイマンの買い付けに行こうとしたら、どっちも兵士が立ってて追い返された。」
アントニーは、デザートを食べる手を止めた。レイマンは、ミマサカ特産のフルーツでこの時期にしか食べられない。ヤマトでは生産していないので、このフルーツを手に入れるには、ミマサカへ行くしかなかった。
「…じゃあ、このレイマンは?冷凍でもないみたいだし。」
主人は、ニヤリと笑った。
「軍人さんだから金はあるでしょう。だから出させてもらったが、そりゃ苦労して手に入れたんですぜ。観光客は金があるしよく注文するから、それを見越して頑張ったってのにその後キャンセルばっかり。あがったりで。」
アレクサンドルが、じれったげに言った。
「金はいくらでも払ってやるしそれはいい。それより、どうやって手に入れた。」
主人は、得意げに口を開こうとした。
「それは…」
「スコット!」女将が、盆を置いて言った。「あんた軍人さんに何を言う気?!」
スコットと呼ばれた主人は、ハッとして口をつぐんだ。そして、お茶を濁すように目を泳がせながら言った。
「いや、まあ…とにかく、苦労したんで。」
さっさと話を切り上げようとするスコットに、アレクサンドルは言った。
「咎めようというのではない。国交が正常な時は別にどんな方法でもあっちへ行って良かったのだし、こちらは渡航制限など設けておらぬ。あちらが拒絶しておるだけぞ。それより、この状況を何とかするために、我らはあちらへ何としても行かねばならぬのだ!国の未来がかかっておるのだぞ?」
スコットは、困ったように女将を見る。女将は、ため息をついた。
「…お役人様に教えるような事ではないんですよ。あたし達には、あたし達の道があって。それを使って行って来ただけなんです。」
女将は、言うと盆を持ってあちらへ行ってしまった。
邦光は、残ったスコットに言った。
「頼む、それを教えてくれないか。オレ達は、国の未来を背負ってるんだ。陛下の書状をディンダシェリアへ届けねばならぬ。陛下のお命にも関わるのだぞ?」
スコットは、深刻な顔をした。
そして、戻って来た女将に言った。
「アンナ、陛下がお困りなのだ。この人達はオレ達を捕まえようってんじゃない。教えてもいいんじゃないか。」
アンナと呼ばれた女は、顔をしかめる。
アレクサンドルは、言った。
「お前達には話そう。龍雅が、ミマサカに捕らえられておるのだ。」
スコットとアンナも仰天した顔をしたが、こちらの軍人達も驚いた顔をした。
「アレクサンドル様、なりませぬ。民が混乱するのでそれは公表しないと決めておるのです。」
だが、アレクサンドルは首を振った。
「これらは愚かではない。」と、スコットとアンナを見つめた。「主らなら信頼出来る。我には分かる。決して漏らしたりせぬ。」
二人は、術にでも掛かったようにじっとアレクサンドルを見つめた。そして、言った。
「…アレクサンドル様?もしや、そのお姿、どこかで見たと思ったら、神殿の立像では。」
アンナが言う。
スコットが、それには顔をしかめてアンナの袖を引っ張った。
「こら、いくらお前が信仰に深いったって何を言い出すんでぇ。」
しかし、アレクサンドルは頷いた。
「如何にも、我はアレクサンドルぞ。しかしこうして地上に降りた。今は地上が大変なのだ。戦を止めねばならぬ。平和と共存繁栄を守るためにの。」
アンナは、口を押さえた。アレクサンドル信仰の根本が、平和なのは信者の間では知れ渡っている。アレクサンドルが、戦を止めようと降りたと言われたら、それを信じるしかないだろう。
「アレクサンドル様」アンナは、その足元に膝をついた。「息子が、謎の病なのです。ある時から、急に口を利かなくなって、部屋に籠って出て参らなくなりました。神殿の術士にも治せなかった。本当にアレクサンドル様なら、どうか息子をお助けください。勤勉で賢い子でしたのに。」
スコットは、そんなアンナの肩に手を置いて、項垂れた。信じられなくても、何かにすがらねばならない妻の気持ちが分かるのだ。
アレクサンドルは、頷いて立ち上がった。
「どこぞ?息子の元に連れて参れ。」
邦光が、アレクサンドルを見上げた。
「アレクサンドル様、しかしそのような暇は…。」
だが、アレクサンドルは首を振った。
「知らぬなら良いが、困っておる民が居ると知ったのだ。参る。」
アンナは、感謝の視線をアレクサンドルに向けた。
「はい!ありがとうございます、こちらです。」
スコットは、何も言わない。
アレクサンドルは、アンナについて歩いて行く。
邦光達も、顔を見合わせたが、仕方なくそれについて歩いて行った。
その部屋は、宿の主人達の住居スペースにあった。
アンナが、扉の前で声を掛けた。
「ケイン?入るわよ。」
扉を開くと、その部屋は一般的な庶民の部屋だった。
正面の窓際には机が置かれ、入って右側の壁に沿うようにして、ベッドが置かれてあった。
部屋の中には食い散らかされた食べ物が散乱し、紙のゴミも混じっていて中へ進むには足元を気をつけなければならなかった。
その部屋の左側の隅に、膝を抱えた成人したてぐらいの男が、ブツブツと何かを言いながら座っていた。
が、誰か入って来たと思うと、いきなりに立ち上がって叫び出した。
「来るな!何をしに来た!出て行け!出て行け!」
本やら何やら手に触れる物をこちらに向けて投げて来る。
アンナは、必死にそれを手で防ぎながら、言った。
「違うの!神様がいらしたの!あなたを助けてくれるの!だから落ち着いて!」
…これは無理なやつだ。
邦光も、直秀も顔を見合わせた。神殿へ来る病の人はたくさん居るし、それを治療するのも術士の仕事なのだが、その類いを治すための術は知られていない。
ここ最近になって増えて来た心の病というもので、古くからの術にはそれに対応するものがなかったのだ。
とりあえず、癒しの術は掛けるのだが、それで治まる事は少なかった。
しかし、アレクサンドルは足を進めた。
「…どいておれ。」と、進み出て手を上げた。「悩みがあったの。我に申せ。」
アレクサンドルの手から、術が放たれた。
「何をする!やめろ!」
ケインは抗おうとしたが、アレクサンドルの術に捕らえられて棒立ちになった。
手をだらりとぶら下げた状態で、口は半開きになり、虚空を見つめて固まっている。
「ケイン?!」
アンナが駆け寄ろうとしたが、アレクサンドルはそれを止めた。
「近寄るな!」と、目を閉じた。「こやつの内側を見る。」
アレクサンドルは、そのまま目を閉じてジーッと何かを探るように黙った。
邦光は、その術の流れを追っていた。…頭の中身を見ている。何かを、引き出している…?いや、違う、話している。頭の中で、ケインと話しているのだ。
そのまま、実に十数分は固まったままだった。
しかし、アレクサンドルはスッと手を下ろすと、目を開いた。
「…つらい思いをしたのだ。そのせいで内に籠って身を守ろうとしていた。何も信じられず、表に出るのは作り上げた粗暴な別の己だった。本当の自分は、奥で引きこもっていた。だが、母が案じているのを知り、出て来る勇気を出した。ケインは良い子よ。」
アレクサンドルが、そう言い終えると、棒立ちになっていたケインは目を瞬かせた。
そして、今初めて見たように、眩しそうに皆を代わる代わる見た。
「…母さん、父さん。」
アンナが、口に手を当てた。
「…ケイン?」
ケインは、頷いた。
「ごめん。オレ、つらくて…本当は、タキへ行きたかったんだ。もっと勉強して、術士になりたかった。でも、旅籠のことがあるし…ここを継ぐんだって、父さんは言うし。でも友達はみんな都会に出て行って、みんなあっちで好きな仕事に就いてて…腕輪にそんな楽しそうな知らせが来る度に、ここでがんじがらめにされてる自分が嫌で、でも言えない自分が嫌で、引きこもってしまったみたいだ。」
それを聞いて、スコットは涙を流した。
「…そんな…お前がやりたいことがあるんなら、止めやしなかったのに。」
ケインは、ボロボロと涙を流した。
「…オレは勝手に思い込んでいたのかもしれない。でも、こんなことをしてたらいけないな。現実がこんなことになってるとか、そんなこと全く分からなかった。ただ、夢の中で考え込んでいるだけのような感じだったんだ。でも…」と、アレクサンドルを見た。「神様が来て、教えてくれた。母さんがいつも連れてってくれた神殿の神様だった。母さんが悲しんでいると聞いて、びっくりして目覚めようと思ったんだ。ごめんね、母さん。オレ、頑張るよ。」
アンナは、涙を流しながら、背の高い息子を抱き締めた。
「いいのよ、あなたはとても頑張っていたわ。これからは、自分が本当にしたいことをしなさい。龍雅陛下は、学校を無償化してくださった。何でも学べるわ。タキへ、行って来なさい。」
ケインは、驚いた顔をした。
「え、でも繁忙期は二人じゃ無理じゃないか。食事の提供をどうするんだい?」
スコットが、涙を流したまま笑ってその背を叩いた。
「忙しくなったらまたマリー叔母さんにでも頼むから大丈夫だ。実を言うと叔母さんから、小遣い稼ぎが出来なくなったと愚痴られてたんでぇ。お前が全部やっちまうからな。大丈夫、やりたい事をしろ。つらくなったら、帰って来たらいいから。」
ケインは、見る見る顔を輝かせた。
水を差すのも、と思ったが、邦光が控えめに話に割り込んだ。
「…だったら、急いだ方が。」三人は、邦光を見る。邦光は続けた。「四月から授業が始まっていてもうすぐ六月。これ以上遅れたら追い付くのが無理だから来年のクラスに入る事になる。行くなら早く発って、タキへ向かうといい。なんなら私が推薦状を書いてやるからそれを持って行ったら。」
邦光も、術士学校出身だ。
アントニーは士官学校出身だが、ここに居る他の三人は皆、術士学校を出てから士官学校へ引き抜かれた者達だった。
スコットは、何度も頷いた。
「そうだ、急がなきゃならねぇ。行って来い、とにかく身なりを整えて。」
ケインは、戸惑った顔をした。
「でも、学校はタダだけど生活費は?交通費も要るのに。」
アンナは、笑った。
「それぐらいの蓄えはあるわよ。宿舎はタダだし、食費だけでしょ?お金は送るから心配しないで。大丈夫よ。」
ケインは、何度も頷いた。
「うん。あっちでも働いてなるべく早く自分のことは自分でやれるようにするよ。ありがとう。」
邦光は、腕輪を開いて何かを調べている。
そして、言った。
「…そういう学生のための仕事を、陛下が作ってくださっていてな。学校の授業に合わせて時間も休みも考慮してくれるからそこがいいんじゃないか。ええっと、今の空きは、城の庭の手入れか、厨房での調理補助だな。」
ケインは、迷わず言った。
「厨房ならずっと調理をしていたのでできます!」
邦光は、腕輪を見たまま頷いた。
「よし。じゃあ、連絡しておくよ。あっちへ着いたらまず、術士学校へ行って私の推薦状を渡せ。その後、料理長の正隆を訪ねて城へ行け。正隆には私から話が通ってるから、すぐに面接してくれるはずだ。」
段々と具体的になって行くのに、ケインは顔を引き締めた。本当に、タキへ行くのだ。
満足げにそれを見ていたスコットが、涙を拭ってアレクサンドルを振り返った。
そして、頭を下げた。
「ちょっとでも疑っちまって申し訳ありません。アレクサンドル様、誰にも治せなかった病をあなたは治した。本当に神様なんですね。」
アレクサンドルは、首を振った。
「この土地を世話していたのは確かだが、物を知っていて力があるだけで我は神ではない。主らがそう崇めてくれておるのは知っておる。我は主らと同じ、人よ。」
アンナは、首を振った。
「アレクサンドル様は神様ですわ。私達にとっては心の支えなのです。」と、スコットをつついた。「さあ、アレクサンドル様がお困りなのよ。あの道を、お教えしなくては。」
スコットは、ハッとしたようにアレクサンドルを見た。
「そうだ。龍雅陛下が大変なんだ。」と、ケインを見た。「もう大丈夫なら、飯食ってお前も話を聞くといい。アレクサンドル様は、戦を止めようと降りておられて、ついでにお前を助けてくださったんだ。」
ケインは頷いて、アンナに気遣われながら、その部屋を出た。
邦光達もそれに続き、一同はまた、宿の食堂へと戻ったのだった。




