逃亡
アレクサンドルは、夜になってひっそりと神殿へと降りた。
神殿は、夜番の者が居残っているとはいえ、人数は昼間より格段に少ないのでとても静かで、灯りも落とされて一見、誰も居ないように見える。
だが、アレクサンドルはここ数日で、この神殿を隈なく見て回り、全てを把握していた。
暗いというデメリットも、夜目が聞くアレクサンドルにしたら、メリットでしかない。なので、その中をわざと暗い箇所を選んで、神殿の地下へと向かって行った。
…確か、修道士達が何やら話し合いながら、石棺を準備していた。
アレクサンドルは、あれこそが恐らく、龍雅を封じるための場所だったのだと思った。その時は、誰かが亡くなったのか、それとも何かの供物の準備かと思っただけだったが、栄進は龍雅がああして度々いきなり単身で訪ねて来るので、その時に捕らえてしまおうと準備をさせていたのだろうと思われた。
そのまま、アレクサンドルがその、石棺が設置されてある場所へと降りて行くと、そこには、見張りをしている修道士が十人近くいて、回りを見ながら立っていた。
間違いなく、その石棺からは龍雅の気配がする。まだ、生きているようだった。ホッとしながらも、栄進がもう封じてある龍雅相手にこの人数を付けると言うことは、相当に龍雅を恐れているのだというのが分かった。
アレクサンドルは、あれでは助け出すことは不可能だ、と思った。
ならば、せめて…。
「…誰だ!?」
一人の修道士が、アレクサンドルの気配に気付いた。アレクサンドルは、どうせ出て行くつもりだったが、チッと舌打ちをした…まだ早い。
だが、そんな事も言っていられない。
角の壁に張り付いてそちらを窺っていたアレクサンドルは、足を一歩そちらへ踏み出した。
「…!アレクサンドル様!」
修道士達が叫んで一斉にこちらへ杖を向けた。その顔は、引きつっている…恐らく、神を信じろと言われて育って来て、今ここでそれを裏切れと言われてしまい、戸惑っているのだろう。
「すまぬな。」アレクサンドルは、言って浮き上がった。「だが殺したくはないゆえ。」
上階から、バタバタと大勢の足音が聞こえて来る。恐らくは、今の修道士の声を気取って、慌てて降りて来ているらしかった。
…時は無い。
アレクサンドルは、修道士達から飛んで来る術を避けながら、片手を翳して一気に龍雅の入っているはずの、石棺へと力を放った。
「…え?…!」
自分達に向けて術が飛んで来るものだと思っていた修道士達は、驚いたように石棺を見る。
だが、アレクサンドルはその間に、サッと踵を返すと暗闇の中へと身を滑らせて、飛んで消えて行った。
「…どういうことだ…?!」
修道士達は混乱していたが、しかし降りて来た修道士と兵士に、怒鳴られてハッとした。
「どうなっている!アレクサンドル様は?!」
我に返った修道士の一人は、暗闇を指さした。
「あちらへ!飛んで行ってしもうた…龍雅王を、今一度封じて…。」
既に修道士が封じているのに。
意味が分からなかったが、後から慌てて降りて来た基明が、悔し気に床に剣を投げつけた。
「しまった!」と、アレクサンドルが逃走した方向へと足を向けた。「何が何でも捕らえるのだ!」
修道士達は訳が分からなかったが、必死に、逃げたアレクサンドルを追って、地上へと出た。
地上では、多くの兵士達が、いきなりに飛んで地下から出て来たアレクサンドルに、必死に術を放って足止めしようとしていた。
「そっちへ行った!網を、早く!」
術士が、必死に気で網を作ってそれでアレクサンドルを捕らえようとしているが、アレクサンドルにとってそれは、大昔に自分が教えた術の一つで、当然ながら避けるのはお手の物だった。
…とはいえ、この人数に追われるのは面倒なことぞ。
だが、自分の民達を攻撃するなど出来ぬ。
アレクサンドルは、何とかこの術の洪水から逃れて上空へと上がれないかと逡巡していた。
コンラートは、龍雅の足跡を忠実になぞろうと、ミマサカの上空へと来ていた。
すると、何やら神殿の方で、チカチカと術が宙を舞っているような光が見え隠れしている。
余程の数の術士が放たなければ、あれほど遠目に見えることはない。
まさか、リュウガが…?
コンラートは、慌ててそちらへ向けて飛んで行った。
すると、そこではアレクサンドルが一人で、大勢の兵士や修道士達に囲まれて、術で捕らえられようとしていた。
誰も、アレクサンドルに必死で上空で見下ろしているコンラートに気付かない。
コンラートは、じっとどういう状況なのかとそれを観察していると、ハッと上空へと目をやった、アレクサンドルと目が合った。
「…コンラート…いや、コリンか!ここに居てはならぬ!ヤマトヘ戻れ!」
その叫びに、ハッとしたように兵士達がこちらを見る。
その隙に、アレクサンドルは一気に上昇して空へと舞い上がった。
「…こちらへ!主に話さねばならぬ事がある!早う!」
足元からは、そんなアレクサンドルとコンラートを撃ち落とそうと、術が飛んで来る。
コンラートは、とにかくここから撤退せねばと、アレクサンドルを追って術の届かない天空へと一気に飛び上がって行った。
「逃げられただと?!」栄進は、激昂して基明を怒鳴り付けた。「コリンも来ていたなど!おめおめと逃がしてしもうて、もう龍雅を捕らえた事を知られたと申すか!」
基明は、項垂れて言った。
「は…。どうあってもアレクサンドルに術が当たらず、コリンに気を取られているうちに囲みを抜けられ、遥か高く昇って行かれてしまい…。申し訳ありませぬ。」
栄進は、うろうろと歩き回った。デクスもアレクサンドルもあちらへ取られたまま、戦になっては面倒な事になる。
「…龍雅は?」
基明は、答えた。
「は。それは地下に問題なく封じております。アレクサンドルは…更に封じの術を掛けて。」
栄進は、険しい顔をした。
「それは…修道士達では、もう封じを解けぬと?」
基明は、頷く。
「は。アレクサンドルの術は、誰にも解く事は叶いませぬ。一度試しにやらせてみましたが、全く動じる事はなく。アレクサンドルは、助け出せぬとみてこちらが龍雅王を殺せぬように、封じを強化して行ったようです。何しろ、全ての術を封印の術が跳ね返してしまいますので…。」
栄進は、周辺の椅子やら家具を蹴り飛ばし、怒り狂った。人質として使い、そのうちに殺そうと思っていたのに、それが叶わなくなってしまったのだ。
アレクサンドルを捕らえようとしたのは、早急だったか…!
栄進は思ったが、後の祭りだった。決して民を傷付けようとはしないアレクサンドルを、甘く見ていた。
あれは、ここを作った元は神の男なのに。
栄進は、事を急いだことを、じたんだ踏んで悔しがった。
…しかし、龍雅はこちらの手の内だ。
栄進は、思った。例え封印が解けても、しばらくは動けない。ならば、あれらが取り返しに来た時に、龍雅だけでも殺してしまえば良いのだ。
「…ここまで来たからには、出来る限りの対策を取って参らねばならぬ。イライアスを呼べ。それから、修道士達も。あちらは術に長けておるのだ。今夜中に出来る限りの事をしておく。あちらはすぐにでもこちらへ攻め入って来るかもしれぬからな。」
基明は、頭を下げた。
「は!」
外は真っ暗で、二つの月が出ていた。
コンラートは、空へとアレクサンドルを追って飛んで行き、ゼイゼイと息を上げた。アレクサンドルは、とても人では生きられないほど高く昇ってから、やっとコンラートを振り返った。
「助かった。あのまま我が捕らえられたら、事実を主らに伝えられぬと困っておったのだ。民を攻撃出来ぬしの。感謝する。」
コンラートは息を上げながら言った。
「なんだってお前があいつらに攻撃されるんだよ。リュウガは?リュウガの事は知らないの?」
アレクサンドルは、頷いた。
「我が浅はかだったのだ。あやつらが、まさかあのような事をするとは思いもよらず。なので龍雅を助けようとした。コンラート、いやコリンよ、龍雅はあやつらに封じられたのだ。」
コンラートは、目を見開いた。封じられた…?!サディアスが?!
「なんだってそんなこと!そんなに弱くはないよ!リュウガをあいつらに封じるなんて無理だ!」
アレクサンドルは、息をついて首を振った。
「デクスが術に長けた男だと、ショーンから聞いておったし、かなり危ないとも聞いておった。それを危惧しておると栄進に乞われて、デクスを封じるための術を修道士達に教えたのだ。それを、栄進は龍雅に使った。我はそれを責めたゆえ、我も封じられそうになった。我が教えた術であるから、避けるのは簡単であったが…龍雅を案じて、戻って見つかったのだ。」
コンラートは、腹が立って仕方がないらしく、宙で足をバタバタとさせて叫んだ。
「なんだってそんなものを教えたんだよ!デクスは危険な男なんかじゃない!確かに昔はリツコに黒い心を植え付けられてたからあんなことをしたけど、今のデクスはウラノスが元のデクスを、哀れに思って逃したデクスなんだ!修道士らしい穏やかで優しい男なんだからな!」
アレクサンドルは、両方の眉を上げて目を丸くした。
「…何と申した?主はウラノスを知っておるのか、コリン。」
コンラートは、両手の拳を振り回して言った。
「覚えてるんだよ!リュウガは隠せって言ってたけどもういい!僕も天での記憶はあるんだよ、アレクサンドル!」
アレクサンドルは仰天したようにコンラートを見た。
「誠か。主、ショーン相手によう隠したの。あれは大概の意識を読みよるのに。」
コンラートは、ブンブンと首を振った。
「僕がショーンなんかに心を読ませるはずないじゃないか!それより、サディアスを助けなきゃ!」
今にも降りて行こうとするコンラートに、アレクサンドルは首を振ってその腕を掴んだ。
「サディアスという名は聞いた事があるが、我は会うた事が無いの。龍雅が天でサディアスと申すのか?」
コンラートは腕を振ってそれを離そうとしながら、答えた。
「そうだよ!サディアスは忙しいしあんまり創造主なんかに会いには行かなかったからね!それより、民を攻撃出来ないって言うんなら僕が皆殺しにするから、その間にサディアスを助けて!殺されたらどうするんだよ!」
アレクサンドルは、必死にコンラートをなだめた。
「すぐには殺されぬ!あやつらの前から傷つけずに救い出すのが無理だったゆえ、せめて封を解けぬように我が上から封じて参った!我の封をあやつらが解く事など出来ぬ!」
コンラートは、それを聞いてやっと動きを止めた。
「…リュウガを封じ直しに戻ったの?一回逃げたのに?」
アレクサンドルは、頷いた。
「そうだ。あのままでは封を解かれた瞬間、抗えぬゆえ命が危ないと思うて。栄進は龍雅を恨んでおったようよ。あやつの胸の内は、龍雅ですら読めずでおったようだ。あやつは言葉の偽りを隠すことが出来るのだ。我も、気付かなかったぐらいであるからの。」
コンラートは、深刻な顔をして宙を見つめた。栄進を甘く見ていた…龍雅にそのつもりはなくても、父王を殺されたと恨んでいただろうことは、容易に予測出来た。幼い頃から世話をしていたと龍雅は言っていたが、それも仕方なく受けていたとすれば合点がいく。龍雅に逆らう事が、出来なかったからだ。
そして、幼い頃から龍雅と接することで、自然栄進の中で偽りを言っても隠し通す方法を生み出していったのかもしれない。
しかし、サディアスは栄進を信じていたのに…。
コンラートは、グッと唇を引き締めると、アレクサンドルを見た。
「…アレクサンドル!今から、シャルディークに会いに行こう!お前なら簡単に会えるだろ?行こう!」
アレクサンドルは、首を振った。
「ならぬ。今はヤマトへ戻ってあちらを守らねば。栄進は恐らく、ヤマトの守りが弱くなったと狙って参るぞ。龍雅が居らぬヤマトとミマサカでは、兵の力は対等ぞ。だが、王を失っておるヤマトは弱い。今は何としてもヤマトを守り、龍雅を取り返す機を探るのだ。他国へなど行っておる間に、ヤマトの者達が殺されてしもうたらどうするのだ!」
コンラートは、歯を食いしばってそれを聞いていたが、ブルブルと震えていたかと思うと、思い切ったようにくるりと背を向けた。
「…ヤマトへ戻る!ついて来て!」
そうして、コンラートはスピードを上げてヤマト城へと向かって飛んだ。
アレクサンドルは、それを追ってヤマトへ向かったのだった。




