術士学校
今日もそつなく授業をこなしたショーンは、名簿を手に教壇を降りて出口に向かう。
シエラは、急いでショーンに駆けよった。
「ショーン先生!」
ショーンは、振り返った。
「…なんだ、シエラか。なんだ?」
シエラは、まだ幼さが残る顔立ちなのに、どこかどっしりとした雰囲気を纏うショーンに戸惑いながら、言った。
「あの…ディンダシェリアではここよりいろいろ分かっているって聞いてます。神様のことも。」
ショーンは、頷く。
「まあな。だが、みんながみんな知ってるわけじゃねぇよ。神に仕えるもの達だけの特権ってのがあらぁな。お前が何を知りたいのか知らねぇが、みんなが知らねぇ事を教えて欲しいってんなら無理だぞ。お前の信仰心っては、感じねぇからな。」
シエラは、顔を赤くした。ショーンには、何でも見えている気がする…。
「オレは別に、神様を信じていないんじゃないです。会ったことがないから、実感が湧かないだけで。」
ショーンは、頷いた。
「そうだな。言い方を間違えた。お前は信じていないんじゃなくて、信じたいから知りたいんだ。違うか?」
同い年のショーンに、ズバズバ言い当てられて、シエラは困った顔をした。確かにそうなんだろう。確かに居ると思いたいから、その存在を知りたい。
「…どうして、アレクサンドル様は出て来られなくなったんでしょう…。母さん達は、見たことがあるって言ってるのに、オレ達には全然お姿を見せてもらえないなんて。」
ショーンは、苦笑してシエラの頭を軽く叩いた。
「神にも神の事情ってのがある。そのうちに出て来てくださるかも知れねぇし。多分、人が自分に頼る事を離れて、そろそろ自分達でなんとかやっていけるように、距離を置いてるのかも知れねぇぞ?見守ってはくれてるだろう。だから、お前は自分の事を考えろ。進路は考えたか?もう四年なのにまだ進路の提出がないってショウタが言ってたぞ。」
ショウタ、翔太とは、ショーンと同じ大陸来たシエラの担任だ。翔太自身も魔法は使えるし、あちらの他の人達と違って、こちらの文字である漢字やひらがな、カタカナも使える地理の教師だった。
アーシャンテンダやディンダシェリアの地理を担当していた。
だが、部活では演劇部の顧問をやっていて、シエラも強く勧誘されて一応そこに在籍していた。
とはいえ、まだ役は通行人止まりだったが。
どうやら歳が親子ほど離れているのに、ショーンの友達らしい。ショーンはこんな感じなので、どこまでも遠慮なく翔太にも話し掛けるのに、シエラはいつもヒヤヒヤして見ていた。
「…まだ、決められてなくて。」
シエラが答えると、ショーンはじっとシエラを見ていたが、微笑んだ。
「ま、お前は優秀だし城とかでも良いんじゃねぇの?エイシン陛下が若い術士が欲しいと言っていらしたし、ここを卒業したら神殿の学校じゃなく城の術士学校の方へ入るのも手だと思うけどな。」
シエラは、驚いて背の高いショーンを見上げた。
「え、オレは士官学校に入れるんですか?城の術士って、神殿から精鋭しか入れないって聞いてたのに。」
ショーンは、笑って頷いた。
「お前には術士の才がある。オレが言うんだから間違いねぇ。行きたいなら、選抜試験に必要な術の訓練をしてやるぞ?」
シエラは、顔を紅潮させた。城の術士に。
「…少し、考えさせてください。あの、親に相談してみなきゃ。」
ショーンは、頷いた。
「いつでも話に来な。オレは学校に居ない時は城に居る。あっちの講師もしてるからな。オレの生徒だと言えば入れるようにしておくよ。」
シエラは、降って湧いたような幸運に目を輝かせていた。城で働けるなど、この国では最高の誉れだ。もって生まれた才能と、運と実力がなければ無理だと言われているからだ。
もちろん、城へ入ることすら、一般人のシエラには初めてのことだった。
「はい!」
シエラは答えて頭を下げる。
ショーンは、それを真面目な顔で見て、そしてそこを出て行った。
ずっと離れて様子を窺っていたジェンナが、やっと寄ってきて言った。
「ショーン先生と何を話してたの?ずるい、そういう時は私も連れてってくれないと。」
カイラも、頬を膨らませた。
「そうよ。同い年なのにあんなにしっかりしてて、凛々しくていつも見とれちゃう。だから、あたしはこの授業を受けてるんだもんね。」
誠二が、二人をなだめた。
「はいはい、女子は黙れ。で、どうなんだ?何か質問か?お前、あれだけ術が放てるのに、他に何を聞いてたんだよ。」
シエラは、答えた。
「いや、あの…進路の話をしてた。ほら、翔太先生から早く決めろって言われてて、オレ決められてないじゃないか。それで…城の、術士官学校はどうかって。」
三人は、絶句した。
そして、マジマジとシエラを見る。
「え…?それって、お前がそこへ行きたいって言ったのか?それともあっちから行けって?まさかな。」
誠二が言うのに、シエラは顔を赤くして抗議するように言った。
「あのな、そこまで厚かましくないよ!ショーン先生から、言ってくれたんだ。城へ行けばどうだ?って。オレには、才能があるって。」
カイラが、興奮して言った。
「すごいじゃない!神殿の術士でも行きたくても行けないのに!」
シエラは、恥ずかしそうに頷く。授業を終えて数人の生徒が残っていたのだが、皆がこちらを見ていた。
注目されるのに慣れていないシエラは、三人をせっついた。
「ほら、次の講義は?オレは三限まで無いから。」
誠二が、首を振った。
「次は大講堂だから代返頼むからいい!それより話が聞きたい。カフェに行こう。」
言いながら、もう誰かに代返を頼んでいるのか腕輪にポンポン何かを入力している。
シエラは、顔をしかめた。
「別に話すことなんかないよ。親に聞いてから返事するって答えただけだし。」
すると、そこへ背の高い生徒が寄ってきた。顔は見たことがある…同じ学年だが、二十二歳になる、イライアスだ。
「…お前、ショーンさんにスカウトされたのか?」
シエラは、緊張気味に頷く。
他の三人も、このイライアスが持つ独特の威圧感に途端に黙り込んだ。
イライアスは、黒髪で青い瞳のすらりとした男で、シエラと比べても体は筋肉質で腕もガッツリしている。
鋭い目なので、いつもどこか皆に距離を置かれていて、本人も誰かと馴れ合おうとはしていないようだった。
そんなイライアスに話し掛けられたので、他の生徒達も固唾を飲んで見守っていた。
「…オレもだ。」イライアスは言った。「オレは行く。お前も来い。」
シエラは、驚いた。
イライアスも、ショーンに声を掛けられたのか…しかも、自分より早く。
「…イライアスも?」
イライアスは、頷いた。
「ああ。才能があると。オレはもともと孤児施設に居たんだが、まだ幼い頃に翔太さんが訪ねて来て、お前は才能があるから神殿に住めと言われた。そこの術士学校で学んで、こっちの学校にも神殿から通ってた。術士学校は卒業したし、このクラスは、ショーンの手助けをしてやれと言われて、オレは入ったんだ。」
ということは、イライアスはもう術士なのだ。
なのに、自分はまだここで学んだ少しの術しか知らない。
舞い上がっていたシエラの気持ちが、みるみる萎むのを感じた。
イライアスは、言った。
「あのな、お前は術を知らないのにとか思っただろう。違う、お前には才能がある。最初に術を放つのを見た時から、ショーンさんに言っていたんだ。あいつは鍛えたらかなり出来るってな。だからお前、城へ来い。死ぬ気でやれば、術なんかいくらでも覚えられる。やる気があっても才能が無ければどうにもならない世界だ。オレは知っている。お前は才能がある。だから来い。」
授業開始のチャイムが鳴り響く。
固まっていた他の生徒たちが、慌てて教室から駆け出して行くのを見て、ジェンナとカイラが慌てて言った。
「ちょっと!ヤバいわ、早く行かなきゃ!ほら、あんたも。」
と、誠二を引っ張ると、誠二は言った。
「え、オレは代返頼んだから大丈夫なのに!」
カイラは、誠二を引きずって行きながら、言った。
「あんたは術なんか無理でしょうが!治癒の術だってまともに放てないのに!話聞いても分からないわよ、ほら、行くわよ!」
ジェンナも、軽く会釈してその後について教室を出て行く。
シエラは、急にイライアスと二人にされて戸惑ったが、イライアスはそんなことは気にしていない様子で、言った。
「…とにかく、お前今日何時終わりだ?」
シエラは、仕方なく答えた。
「次の三限で今日は終わりだよ。」
イライアスは、頷いた。
「よし。だったらその後オレと城へ行こう。ショーンさんの所へ話に行くんだ。」
シエラは、慌てて目の前に両手を上げて、振った。
「いや、オレ両親に相談しようと思って!」
イライアスは途端にその端正な顔を歪めた。
「ハア?!お前、幾つになったんだ?確か十八だとか聞いてるぞ。来年成人式じゃねぇか!オレは五歳で神殿の学校へ行くと決めたぞ。」と、腕を組んでシエラから離れた。「なんでぇ、まだ子供か。じゃ、無理だな。悪かった、お前は来るな。無理だからよ。」
そう言って、さっさと教科書を小脇に抱えてヒラヒラと後ろ頭の辺りで手を振りながら、さっさと歩いて行く。
シエラは、慌ててその背に言った。
「違う!子供じゃないってば!でも、こういう事はきちんと母さんに話さなきゃ!」
イライアスは、もう教室から出て行きながら言った。
「自分の事ぐらい自分で決めろ。そして、責任を持て。お前がやってんのは、ただの責任逃れだっての。親が行くなと言ったら行かないのか?お前ってさー、」と、少し言葉を切って、また歩き出した。「ま、いい。お前は無理だったってオレからショーンさんに言っとくよ。じゃな。」
シエラは、必死に叫んだ。
「行かないって言ってないじゃないか!イライアス!」
しかし、イライアスはもう、居なかった。
シエラは、一人取り残されて、途方に暮れた。いったい、何が悪かったというんだ。