タニマチ平原
トキワから更にタキへと向かう船もあったようだったが、あいにく国外の船の様子はシエラたちには分からない。
観光船となると、夜中に出ている便が無いのは常識なので、朝まで待つ必要があった。
しかし、朝になれば自分達が居ない事実がミマサカの城に知れて、こちらにまで追手が掛かる危険性があった。
呑気に観光船などに乗ってタキへと向かっていたら、逃げ場もなく捕らえられてしまうかもしれない。
なので、四人はコンラートの地図上の光を頼りに、その方角へとトキワの街を出て、タニマチ平原を東へと向かうルートを歩くことにした。
タニマチ平原は、遠く見通すことが出来る、広い美しい場所だった。
トキワの街の中は結構近代化されていたが、一歩街の境界を出ると、手付かずの自然が広がっていて、それが明けようとしている空の下で美しい。
タキへと向かう街道は一応あったのだが、そこには人っ子一人居なかった。そもそもが明け方だという事もあったが、それよりもここには、たくさんの川があって、皆その川を船で進む方が安全かつ早く楽なので、わざわざ街道を使う人は本当に稀なのだ。
何しろ、平原では魔物が出るのだ。
「ここからはちょっと気を付けて行きましょう。」美琴が言う。「タニマチ平原は、ラグーとルクルクが生息している場所よ。夜になると、それらを狙った中型の魔物、メールキンも来るわ。ラグーとルクルクは草食だけど、メールキンは肉食。私達も餌のひとつになるから、狙われないようにしなきゃ。」
とはいえ、どうしたらいいんだろう。
ライナンが言う。
「出くわさないのが一番だから、昼間に移動するのが良いんだが、あいにくオレ達は逃げてるしな。ルクルクやラグーの気配は気を探れば分かるから、それを避けて行こう。メールキン達は、ラグー達がどこで巣を作ってるのか知ってるだろうし、そこへ行くはず。近付かないようにそろそろと行こう。」
平原を映す腕輪の地図には、魔物の位置まで出てくれない。
仕方なく頷く、シエラはライナン達について、まだ暗くやっと明けて来たばかりの道を、足音を立てないように気を付けて歩いた。
どれくらい歩いただろう。
もう日は高く昇り、見渡す限り本当に人影の無い平原を、もう数時間歩いているはずだ。
先が見えないのにうんざりしながらただ黙々と歩くシエラに、ライナンが振り返って声を掛けた。
「そろそろ休憩するか。もうトキワは見えなくなったし、ここらで朝飯でも食おう。もう少し歩いたら、タキ高原の森が見えて来るはずだ。なるべく川には近付かなかったんだが、そろそろ川沿いを歩いても大丈夫だろう。」
美琴は、首を振った。
「あまり川に近付かない方が良いわ。船から丸見えだから。もうそろそろあちらでは私達が居ない事に気付いて探し始めているはずよ。まさか国境を越えてるとは思わないだろうけど、分からないわよ。だいたい、住民は船しか使わないのに歩いてたら目立つじゃないの。まだこのまま行った方が良いと思う。」
ライナンは、言われて地図を確かめると、息をついた。
「ハイハイ。タキではどうする?街へ入るのか。」
美琴は、うーん、と考えた。
「そうねぇ…。まだ何も無いとは思うけど、宿へ泊まると腕輪でお金を支払うから、記録が残るわ。食料だって持ってるし、リスクはおかさない方が良いと思う。街には入らずに、郊外の遺跡を目指しましょう。でも、まだ街まで数時間掛かるわよ。いくらなんでも今夜は寝た方が良いんじゃないかしら。」
シエラは、そろそろ眠気もやって来て疲れもピークに差し掛かっていたので、何度も頷いた。
「このまま寝ないで夜も歩くのはちょっときついかもしれない。」
ライナンは、息をついた。
「分かった分かった。じゃあとりあえず飯食って休んでから、今からちょっと寝よう。あっちの茂みで寝袋に入って、また数時間で出発だ。この辺りはルクルクもラグーも気配は無いし、メールキンの狩りは夜。大丈夫だろう。」
美琴は頷いて、腕輪を開いた。何かを確認しているのを見て、シエラは急いでポーチから食料を出した。缶詰めとパンを大きくして皆に配っていると、美琴が腕輪から目を離さずに険しい顔でそれを受け取って、言った。
「…探してるわね。」
シエラは、パンにかぶりついたところだったので、そこでピタリと泊まった。ライナンが缶詰めを開きながら言う。
「何か言って来たか。」
美琴は、水を飲みながら答えた。
「全体連絡で行方不明者の所在を知っている者は連絡しろって。一方的なヤツだから、私があっちと繋がってるわけじゃないわよ?繋がっていたら、向こうから所在が見えるはずだしこんな回りくどい事はしないわ。大野美琴、大崎ライナン、佐々木シエラ、谷口誠二の四名だって。」
ライナンは、それを聞いて缶詰めを食べる手を止めた。
「…コンラートは?」
美琴は、首を振った。
「無いわ。」と、パチンと腕輪を閉じた。「おかしいのよ。あの子って、留学してると言っていたけど、学校の名簿には名前は無かったわ。ディンダシェリアからの留学生は珍しくないから、他はちゃんとあるのに、コンラートだけないの。新規に来たからまだ登録されていないのかなと思っていたけど、もう私達が術を習うようになってから2ヶ月でしょう?どこか、私立の学校なのかしら。」
そういえば、どこの学校の生徒なのか聞いていなかった。
シエラは、思って食事を続けた。ほとんどの国民が首都の学校へ通うのだが、遠い街で首都の寄宿舎へ入るのが嫌なもの達は、街の私立学校へ入る事もあるのだ。
だが、大学まで行くとなると、首都メグミにしかそれはなかった。
「…そういえば、コンラートって幾つなんだ?」
誠二が言う。ライナンと美琴は顔を見合せて、首を振った。
「知らないわ。そういえば歳は聞いたことがないわね。あの見た目だから、二十代前半か十代終わりくらいだと思っていたけど、どうなのかしら。」
コンラートの個人情報は、こうして考えると驚くほど少ない。
その事実に今気付いた自分に驚いたのか、美琴は目を丸くして言った。
「…そうだったわ。ほんと、不確かなものは信じないのが信条なのに、私ったらコンラートのことは信じ切っていて。本当にあの子に会いに行っても大丈夫なのかしら?」
ライナンは、あからさまに嫌な顔をした。
「今さらだぞ。コンラートが教えてくれた術でここまで来たんじゃないか。それに、あいつは間違ってない。自分の身は自分で守らなきゃ誰も守ってくれないんだ。こんな時には特にな。」
誠二も頷く。
「神を呼び出したじゃないか。」言われて、シエラは顔を上げた。誠二は続けた。「初めて見た。アレクサンドルは出て来ないが、ウラノスは出て来て話を聞いてくれた。その神が特別に思っている命なんだ。間違っているはずなんかないさ。シエラだってそうなんだろう?オレは、シエラが良いヤツだって小さい頃から一緒だから、知ってる。」
シエラは、そんな風に思ってくらていたのか、と照れくさかった。良いヤツって、普通なんだけどな。
「良いヤツって、誠二だってそうだよ。だから一緒に行こうと思って声を掛けたんだし。」
美琴は、息をついた。
「そうね、分かったわ。コンラートは確かに私達を助けてくれようとしたわ。今はデクスという男が知ってる真実を知るのが先よ。政府が血眼になって探してるんでしょうしね。そこまで隠したい何かがあるってことでしょう。騙されるわけにはいかないんだから。」
ライナンは、頷いた。
「その通りだ。とにかくコンラートに会うのが先。それからデクスに話を聞いて、これからの行動を決めよう。」
コンラートが何者であれ、今はコンラートに会わないという選択肢はない。
シエラは、こうして落ち着いて座ってしまうと、結構疲れていて眠いのを感じて、急いでパンを詰め込むと、水で流し込んで、ライナンから受け取った寝袋へと滑り込んだ。もう眠くて仕方がない…早く休もう。
まだ食事をしている誠二やライナン、美琴に背を向けて、シエラはあっさりと、そのまま眠りについたのだった。
「シエラ。起きろ。」
誠二の声がする。
シエラは、ハッとして目を開いた。本当に泥のように寝てしまっていて、今の今まで全く回りが気取れていなかった。
慌てて寝袋のファスナーを開くと、顔を出した。
「ごめん、すっかり寝てしまってた。」
見ると、空がもう、薄暗くなって来ている。ということは、かなりの時間寝ていた事になる。
誠二は、答えた。
「良いよ、疲れてるみたいだったし、寝かせておこうって。三人で交代で見張りに立ったから。」
シエラは、慌てて寝袋から出た。
「見張り?!ごめん、オレだけめっちゃ寝てたなんて。」
ライナンが、寝袋を巻いて畳みながら言った。
「良いって。お前、長い事連続で魔法使った事なかっただろう?トキワ港についてから下水道の中で、ずっとひとりで光の魔法を使って照らしてたからさ。いくら地から無尽蔵に命の気を吸い上げられるからって、魔法を使い慣れてないのに長時間使ったら、そりゃ疲れると思う。ちょっとずつ慣れてかなきゃつらいだろ。」
魔法を使ってたからか。
シエラは、あれで疲れてしまったのかと実感が無かったのに驚いた。コンラートも言っていたが、命の気は使い切ると死んでしまうのだという。誠二たちは、あの時命の気が残り少なくなって来ていたのに、コンラートに止められるまで気付きもしなかった。
シエラは、命の気を使い切る事は無いのだが、言うなれば輸血をしながら出血し続けているようなものなので、確かに疲れるのかもしれない。
しっかり寝たのでスッキリしているシエラは、急いで寝袋を片付けながら、言った。
「夜道は月明かりだけで歩くの?」
シエラが聞くと、美琴が頷いた。
「ええ。どうしても光を持っていると遠くから見咎められるから、今回は視界が悪くなって来るけど、そのまま行くわ。とりあえず、まだ日が沈まない間に少しでも進んでおきましょう。ここからなら、あと一時間ほどでタキ高原に入れるのよ。あっちへ行けば、マシラとか小さ目の魔物しかいないし、肉食じゃないから、こっちから攻撃しない限りおとなしいわ。ただ、気を緩めないで。まだもう少しはメールキンが狩りをする平原だから。」
シエラは、ゴクリと唾を飲み込んだ。メールキンの事は、生物の授業で絵を見た事がある程度だ。スリムな体つきで、かなりのバネを持つ足が二本、短い前足が二本あって顔は前に長く、口が大きく目も大きい。
大きさは立てば身長130センチぐらい、横になると尻尾が長いので三メートルはあるだろう。
ハッキリ言って、会いたくなかった。
「…オレ、魔物園で見た事がある…。めっちゃ素早くて、群れで狩りをするんだ。一瞬で仕留めるんだ。」
誠二が、小さく呟く。シエラは、魔物園には怖くて行けなかったのだが、どうやら誠二は行った事があるらしかった。
魔物園は、いろいろな魔物を飼育して学術的に調査している場所で、結構危ないので、入場には年齢制限があって、高校生以上でなければ入れないと規制されていた。
何しろ、魔物も魔法を口から吐いて来るのだ。
魔物達でも、身を守る術を知っているのに。
シエラは、そんなことを思った。自分達は意図的にそれを知らされない。本当に危ないからなのだろうか?もしかしたら、何かを隠しているからではないのか…。
考えながら、四人は後片付けを済ませ、タキ高原へと向けて夕闇が迫る中を歩き始めたのだった。