出発
帰って来たのは、母の朋子だった。
父と交代でジェンナに付く事にしたらしい。
疲れきった様子で風呂に入った母親に、シエラは極力いつもの様子に見えるように振る舞って、食事を準備した。
二人きりの食卓で、母親は思い切ったように言った。
「…あなたが、アレクサンドル様にどんな感情を持っているのか、父さんから聞いたわ。」母親は、言った。「あなたは大変な目に合ったんだもの、そんな気持ちになるのは分かる。父さんも同じ気持ちよ。」
シエラは、黙々と食事をとりながらそれを聞いていた。分かるって、多分分かっていない。だが、そう言う事で機嫌を取ろうとしているのだろうな、と思った。
シエラが何も答えないので、母親は続けた。
「でも、アレクサンドル様もどうにもならなかったのだと思うわ。あなたに自分の身を守るための力を与えてくださっていたのは事実なんだもの。あなたも機嫌を直して、アレクサンドル様にご無礼な態度ではダメよ。力がなくなってしまったら大変でしょう?」
シエラは、箸を置いて、母親を見た。この能力は、命に刻印があるからだ。その刻印は、アレクサンドルではなくてウラノスが付けたもの。だが、母親はそれを知らない。アレクサンドルが与えたものだと思っているのだ。
だが、心の内は何一つ言わずに、シエラは答えた。
「…考えてみるよ。母さんは、もう寝た方がいい。明日はまた父さんと代わるんでしょ?すごく疲れてるみたいだ。オレの事はオレが考えるから、母さんはジェンナのことを考えて。後は、オレが片付けておくから。」
朋子は、それを同意と受け取ったのか、ホッとしたように頷くと、立ち上がった。
「あなたなら分かってくれると思ってた。じゃあ、もう寝るわね。朝食は母さんが作るから。ありがとう。」
そう言うと、本当に疲れているようで、トボトボと背を丸めて寝室へと向かった。
その後ろ姿を見ながら、シエラは思った。両親に、いつまでも甘えていてはいけない。イライアスが言っていたのは、この事だったのだ。両親と自分は違う。自分は自分の考えを持っているのだ。正しいと思う事を求めて、行動するしかない。両親が、望む通りではなく。
シエラは、食べ終わった皿を洗って片付けて、当分風呂にも入れないだろう事を考慮して身なりを整え、出発の準備を始めた。
両親に頼ろうとは、もうこれっぽっちも思わなかった。
ウエストポーチに詰めれるだけ食料を詰めて、シエラは家の地下室へ向かった。
そこには、もう要らなくなった子供の頃に使った三輪車や、父親が趣味で集めているキャンプ用品などが無造作に置かれてある。
そこの奥に、小さな点検用の扉があり、その中が下水道に繋がっているのは子供の頃から知っていた。家の中を探検している最中、ここを開いて父親に叱られた事がある。真っ暗で、ジェンナと二人で恐怖のあまり泣いて戻った記憶がある。
そこへ入ると扉を閉めて、シエラは光の魔法の呪文を唱えた。髪を光らせたら両手が空くので便利だと思い、髪に魔法を掛けるとすぐに辺りを照らし出す。
そこは臭いが半端なくきつかったが、長靴に履き替えて、ゆっくりと腕輪が示す位置情報を頼りに、シエラは歩き出した。
しばらく歩いて振り返ったが、誰も居ない。母親は、シエラの動きに気付いていないようだ。
…オレは行くよ。
シエラは心の中でそう言って、西の方向へと左に折れて歩き続けた。
誰も居ない下水道に、怖いという気持ちはなかったが、遠くから光が近付いて来るのを見た時にはドキっとした。
だが、シエラにはそれが、誠二だと分かった。誠二とは、フレンド登録されているので、お互いの位置が見ようと思えば見えるのだ。
これは、相互で行なっていないと出ないのだが、幼馴染みの二人はとうに相互登録していた。
そこで、ハッとした。
…母さん達にも分かるじゃないか。
慌てたシエラは、父親と母親、それにジェンナとのフレンド登録を急いで抹消した。
他にも、友達でそれをやっているのは結構ある。
ひとつひとつ必死に消していると、誠二が近くまで来て、言った。
「…もしかして、今気付いたのか?」
誠二は言う。ということは、誠二はとっくに気付いていたのだ。
「誠二が近付いて来たのが分かって、そうだったって。お前は消したのか?」
誠二は、頷く。
「だいたい基本だろうが。オレ達は潜んで行くんだぞ?しっかりしろ。」
言われて、シエラはバツが悪かった。
ついでにライナンをフレンド登録すると、パッとライナンの位置が地図上に出た。つまり、ライナンはとっくにこちらをフレンド登録していたのだ。
…気付いてなかったのは、自分だけか。
シエラは、妙な空気になるのを、振り払うように顔を上げた。
「ライナンは結構港に近付いてる。急ごう。」
誠二は、黙って頷いて、そうして二人で、港のレストルームへと足を進めた。
「…気付かれずに済んだか?」
誠二が、歩きながら言う。シエラは頷いた。
「病院から帰って疲れてたから、寝るように言ったら部屋に入ってそれきりだ。父さんは病院だし、全く気付かれてないよ。」
誠二は、息をついた。
「オレはリビングで話してたのを気付かれないようにソッと地下室へ降りて出て来た。寝る前に確認でもされたら困るし、ベッドも偽装してきたから、大丈夫だとは思うけどな。見つかって騒がれたら厄介だな。」
シエラは、顔をしかめた。
「真っ先にオレんちに連絡するだろうしな。母さんは爆睡してるから起きないだろうけど。早いとこ船に乗ってしまいたいな。」
誠二は、頷く。
さらに無言で歩いていると、段々にライナンの位置表示の光が近くなってきた。
目視しようと顔を上げると、暗かった先に、いきなりパッと光が現れた。
「…あれだ。」
潜んでいるから、待っている間魔法を消してたのか。
周到なライナンに安心感と、自分の不甲斐なさを感じながら、シエラはライナンに近付いた。
すると、ライナンの隣には、美琴も立って待っていた。
「来たか。なかなかオレを登録しないからどうなってるんだと思ったぞ。それで、二人共他のフレンド登録は抹消してるな?」
シエラは、誠二と顔を見合わせてから、頷いた。
「ああ。消したよ。」
ライナンは、頷く。
「よし。じゃあ、お前達に武器の支給だ。」と、小さな爪楊枝のようなものを手渡した。「杖と、誠二は剣の方が良いとかコンラートが言ってたから、剣。」
受け取って、二人は驚いた。結構高額なんじゃないか。
「…もらっていいのか?」
今度はライナンと美琴が、顔を見合わせる。
そして、美琴が言った。
「…あの時、みんなから回収した物なの。」シエラが驚いていると、美琴は続けた。「ほら、私たちが生存者を探して回っている時よ。あの時点で、もう事が公になるのは避けられなかったわ。私たちが持ってるはずのない杖や剣があったら、怪しまれる。だから、二人でそれを縮めて回収して回っていたの。だから、あの後深く追及されずに済んだでしょう?」
あんなに混乱している最中に、そんなことを考えていたのか。
シエラは、二人の対応力に頭が上がらなかった。それがなかったら、今頃ショーンにどれほど追及されていたか。城で監禁されていたかもしれない。
「…もらっておく。」誠二は、言ってそれを大切にポーチに仕舞った。「それで、どうやって船に乗るんだ?外はどんな様子なんだ。」
ライナンは、答えた。
「ちょっと見て来たんだが、兵士がズラッと並んで警戒している。表から行くのは無理だが、このまま川へ出て泳いで行けば、船底の錨を下ろす所から中へ入れる。暗いし見えないからな。船の構造は確認してきた。」
シエラは、目を丸くした。泳いで行くのか。真っ暗な中を?
「流れに流されないか?」
ライナンは、息をついた。
「だな。美琴もそう言った。で、便を少なくしてるからコンテナが多くてまだ全部積み込めてないんだ。その下のマンホールから出て、コンテナのひとつに忍び込むかって。」
美琴は、頷く。
「そっちの方が現実的だわ。下ろしてくれるしね。解錠の呪文は知ってるわ。」
シエラは、ホッとした。
「じゃあ、そっちで行こう。マンホールの位地は?」
ライナンは、腕輪を開いた。
「ここからすぐだ。兵士の見回りを掻い潜って行くぞ。しっかりついて来い。あ、光の魔法はもう消せ。目を凝らしてついて来い。」
言われて、渋々光を消すと、辺りは途端に真っ暗になった。
「行くぞ。」
ライナンの声と共に、四人は下水道を歩いてコンテナが立ち並ぶ場所へと向かった。
「…この辺りだ。」
ライナンが、上へと上がる梯子を見上げた。梯子の上には、確かにマンホールが見えるような気がする。
何しろマックラで、よく見えないのだ。
「行って見てくるから、ちょっと待っててくれ。」
ライナンはそう言うと、スルスルと梯子を登って行った。そして、また降りて来ると、言った。
「ちょうどコンテナの間だ。急げ、投光器の灯りが側まで近付いてる所を見ると、そろそろこの辺りまでクレーンが来る。早く!」
言われて、シエラは慌ててライナンの後に続いた。その後を美琴が、最後尾を誠二が続けて上がって行き、先頭のライナンがサッと地上へ出て、シエラは引っ張り上げられた。
シエラは勢いで横へと転がったが、それに構う事なくライナンは美琴と誠二も引っ張り上げて、サッとマンホールの蓋を閉めた。
驚くほどの手際の良さで、シエラが呆然としていると、美琴がもう、側のコンテナのひとつに歩み寄り、その扉の南京錠に取り掛かっていた。
「…開いた。ほら、早く!見つかるわ、投光器がこっちへ来る!」
上空からサーチライトのような灯りが、確かにあちらからこちらへ向こうとしていた。
「シエラ!ぼうっとするな!」
誠二に引っ張られて立ち上がると、シエラは追い立てられるように、訳が分からない間にそのコンテナに飛び込んだ。
最後に飛び込んだライナンが扉を閉じて、美琴がその扉に何か呪文を唱えている。
どうやら、南京錠が無くても開かないように閉じたようだった。
そのコンテナは、どうやらこちらの野菜をあちらへ運ぶための物らしかった。
積み上げられたプラスチック性の運は、転がらないように端を中で留められてあった。
ほとんど野菜のそのコンテナで、四人は座る場所も無く立っているしかなかった。
「…狭いな。クレーンで吊り上げられたら揺れるから、出来るだけ座った方が良いんだが。」
ライナンが言う。美琴は、仕方なく横向きに三角座りをして見せた。
「これでどう?とにかく、積み込まれるまでの辛抱よ。」
顔を見合わせた男三人は、仕方なく同じように小さくなって座ってみた。
ぎゅうぎゅう詰めで、まるで自分も野菜になったような気分だ。
すると、外から声がした。
「おーい!急げ、こっちは生ま物だぞ!朝からあるヤツだ!」
他の声がした。
「次に回せないのかよ。」
「だから朝もそう言ってほってかれたヤツなんだっての。何とか乗せろ!」
「仕方ねぇなあ。」
ガンゴンと何かがコンテナに装着される音がする。
…来るぞ…!
シエラが思って構えると、ガクンとコンテナは揺れて、フワリと浮き上がった感覚がした。
「おーい!最後だ!」
最後なのか。
本当にギリギリだったとシエラは冷や汗を流したが、目の前のライナンはじっと険しい顔をしている。
そのまま、心もとなくゆらゆらと揺れる野菜達と共に、四人は貨物船に積み込まれて行ったのだった。