反抗
その日、他の病室のジェンナを見舞ったが、ジェンナは思いのほか元気で、ショーンが言っていた通り、何一つ覚えてはいなかった。
天体観測会に出掛けたところまでは覚えているようだったが、そこから先はぷっつりと記憶が途切れてしまっているらしい。
なので、普通に明るい様子でシエラに、カイラはお見舞いに来てくれないの?と聞いていた。自分が誘った事実すら、ジェンナは忘れてしまっているのだ。
さっき廊下でカイラの両親とすれ違った時、ジェンナに誘われたせいで、と泣き叫んでこちらの両親を責めていた。だが、当のジェンナは何も覚えていないのだから、それが自分のせいなどとは、聴こえていたとしても思ってもいないだろう。
シエラは、がっくりと肩を落として、母親はジェンナの部屋に残るので、父親に連れられて病院の出口へと向かった。
そこで、同じように退院して行こうとしている、ライナンと美琴に行き会った。あちらの両親が迎えに来ていたが、今病院の待合室は大変な騒ぎだ。
何しろ、亡くなった生徒たちはカイラを含めて九人にも上り、その全ての親が来て、まだその事実を受け止め切れておらず、ひたすらに嘆いていたからだ。
そんな中を、顔を隠すようにしてすり抜けて行っていると、ライナンが言った。
「…また連絡する。そっちからも連絡をくれ。」
そう言って、紙に書かれた腕輪通信の連絡IDをシエラに渡して来た。シエラは、黙って頷いてそれを受け取り、そうして、そのまま無言で父親の運転する車に乗って、神殿病院を後にした。
シエラは、窓の外を流れる景色を見ながら、あの時自分に何かできたのだろうか、と考えた。
そもそも、デクスという男を復活させようとしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
それでも、あの男が全ての謎を解明してくれるようにも思う。驚いた事に、こんなことになっているのに、シエラはあの男の封印を解いた事を後悔してはいなかった。
何しろ、アレクサンドルに対する日頃の疑問や不審を、あの男が晴らしてくれるかもしれないからだ。
家へと帰ると、父親はさっそく家の小さな神棚に手を合わせ、子供たちが無事であった事の礼を述べていた。だが、アレクサンドルは自分達に、何もしてはくれなかった。結局は、自分が生き残ったのは、自分が持って生まれた能力のお蔭だったと言えるだろう。
アレクサンドルが本当に居るのなら、あの九人だって死なずに済んだはずなのだ。カイラだって、アレクサンドルを信仰していたのだ。それなのに、あっさりと死んでしまったではないか。
そう思って、神棚の前を通り過ぎようとすると、父親がそれを咎めた。
「こら。アレクサンドル様にお礼を言わないと。お前達は助かったんだぞ。」
シエラは、キッと父親を睨みつけた。
「オレだけ助かったら良いのかよ!九人も死んだんだぞ?!本当に神様が居るなら、誰も死ななかったはずだろう!オレだけでなく、みんな助けてくれたはずだ!オレが助かったのは、オレが持って生まれた力のせいだ!自分で何とかしようとして、咄嗟に訳が分からない術を放ったから、オレの近くに居た数人は助かったんだ!カイラは、その前に死んでた…頭に、落ちて来た瓦礫が当たって!それなのに父さんは、オレ達が助かったのは神様のお蔭だって言うのかよ!だったら、カイラの両親は今頃神棚に何て言ってるんだ?!自分さえ良かった良いのか!神様なんて、他の神様は知らないけど、アレクサンドルは居ない!父さん達が子供の頃に見たその後から、もう居ないんだよ!」
父親は、怒鳴ろうしたが、あまりに正論で何も返せなかった。だが、辛うじて言った。
「…神様だって、全部を助けられない時だってある!」
シエラは、言った。
「だったら母さんに文句を言ったらどう?あの時、オレは一人で行くって強く言ったんだ。なのに、ジェンナも連れて行けって命令口調で!だからジェンナはカイラを誘った。あの時オレが一人で行ってたら、オレは無事だしジェンナに誘われなかったカイラだって来てなかった!アクサンドルが本当に居たら、母さんにそれは危ないって事前に教えたんじゃないの?!母さんがあんなことを言って無理にジェンナを連れて行かせたのは、誰もそれを教えてくれなかったからじゃないか!」
父は、怒って顔を赤くした。
「何でもかんでもアレクサンドル様のせいにするな!」
シエラは、叫び返した。
「父さんも何でもかんでもアレクサンドル様のお蔭とか言うな!自分で何とかするんだ、神様が何かしてくれるんじゃない!」
父親は、絶句する。
シエラは、その間にサッと自分の部屋へと帰って、部屋の扉を閉めた。何が神様だ…結局、ウラノスだってアレクサンドルだって、誰もみんなを助けちゃくれなかったじゃないか!
シエラは、そう思うと泣けて来て、自分のベッドへと飛び込むと、そこへ突っ伏して、声を殺して泣いた。
どうして自分は、術士の家系に生まれなかったんだ…!カイラに、すぐに反魂術をかけることが出来ていたら、助かったのに…!
シエラは、ただただ何も知らなくて不甲斐なかった自分を責めていた。
次の日からの、学校は臨時休校となった。
再開の目処は立っておらず、連絡するまで自宅待機と言い渡された。
それは、小中高も同じで、学校自体が事実上閉鎖となった。
事はそれだけに留まらなかった。
全ての職場、商店すらも休業命令が出て、外出が禁止された。食品は決められた量だけ、人数に応じて城から兵士が家の前に置いて行く事になった。
その他必要な物があれば、腕輪通信で役所に送り、認められたら支給されるという、全ての活動をストップさせる状況になったのだ。
家から出ても良いのは、病院へ行く時だけ、と決められているのだ。
シエラは、朝になってその通知が腕輪に来ていて、仰天した。
まさか、そんな大きな事になっているなんて。
今や全国民が腕輪を持つ事が義務になっているここでは、必要な事は全て腕輪に通知される。
なので、昨日から口を利いていない父親も、それは知っているはずだった。
お腹が空いていたが、部屋から出てキッチンへ行く気にもならなくて、むっつりと部屋で籠っていると、ドアの外から声がした。
「シエラ。父さんは病院に行ってくる。朝食は、キッチンのテーブルの上に置いてあるから。」
準備してくれたのか。
シエラは、少し父親に悪いという気持ちになった。父親は父親で、幼い頃に見たアレクサンドルを、それを絶対と教えられて育ったのだろう。今さら、価値観は変えられないのだ。
「…分かった。ありがとう。」
シエラが答えると、父親は安心したのか、ドアの前から去った。
出ていく気配を感じて、慌てて部屋の窓から見ると、通りに出た父親が、等間隔で立っている兵士に声を掛けられていた。
父親は何かを答えて、すると兵士は何かに合図して軍の車両を呼んだ。
まるで何か悪いことでもしたかのように、兵士達にそこへ乗るように指示されて、仕方なくポケットに自分の車の鍵を収めて乗り込む父親を、シエラは複雑な気持ちで見送った。
街には、本当に人っ子一人居なかった。
ただ兵士が歩き回るだけの街に、シエラは身震いした。ここまでして隠さなければならないなんて、いったいあの男は何を知っているんだろう。
気になって仕方がなかったが、とりあえずキッチンへ行き、朝食を口にした。
思えば、昨日は夕食も食べていない。あれから部屋に籠りきりで、父親も声を掛けて来なかったからだ。
ボーッと誰もいない中で食事を終えると、ふと、昨日ライナンからIDを教えられたのを思い出した。
…そうだ、連絡しなきゃ。
シエラは、小さな紙に書かれたそれを、ポチポチと打ち込んで、ライナンにチャットを送ったのだった。