イギリスの先史時代
イギリス人と日本人はDNAのかかわりが良く似ていると思う。それは島国だから流入が限られるので流れを追いやすい。大きく分けると、旧石器時代の狩猟採取民族のクロマニオン人。新石器時代初期の農耕民のアナトリア人。そして最後は金属器時代の牧畜民のコーカサス人。これは欧州全域で全く同じ流れ。これに多少アフリカ系が関わってる。ただそれを言うと謎のユーラシアにいた頃のインディアン系も関わってるので小数は置いておく。
日本人に似てるなってのが、歴史時代のヴァイキングやアングロサクソンの前にもコーカサス人が来ててこれがイギリス人の中核を占めている。過去にはケルト人と呼ばれてきた人達だと思う。実際はこれビーカー人と言ってそういう石器を伴った黒海カスピ海辺りの集団。
ロシアステップからやってきた欧州の大多数を占める集団はヒッタイトとかいろいろあって、何度も時代を分けてやってきてる。欧州の遺伝子から分かるのは、最初の集団はおそらくR1Bを中心とした集団で後から移動するR1Aの集団とは違う集団。例えばヤムナ文化などは、初期R1Bの集団だったのにR1Aの集団に置き換わっている。R1Bは後のインド流入のコーカソイドより早くに移動している。東アジアで言えばトカラ語族などがそれに当たる。後のスキタイなどは東アジアではR1Aの集団であった事が分かっていてタイムラグがある。
このビーカー人が軍事的集団であったのか?は分かってない。考古学的にそれを立証する遺物が見つからないからになる。あるのは、青銅器とヒーカー状になった土器だけになる。
ビーカー人がケルト語だったのか?は分からない。ビーカー人の古い遺伝子を持つバスク人は元々はアナトリア農耕民の集団にビーカー人が結合したため元の古い集団の言語が残ってしまったといわれていて印欧語ではない。
元々ケルトと言うのはゲルマン人の一派でガリア人=ゲルマン人と違う言語を話すとしてシーザーが分けて分類した大陸の集団で、それがイギリスの集団と同じだと見たわけでローマ人の解釈によるものなので実は怪しい。もちろん同じ印欧語である可能性は高いが、ビーカー人と大陸のケルト人は言語が違っていた可能性がある。今のイギリスのケルト語はゲルマンじゃなくて、古い印欧語であるビーカー語ある可能性がある。
ビーカー人=ケルト人とは言えないかもしれない。ただイギリスのケルト語をビーカー人が残したものだと言うのは正しいとは思う。ブリトン人=ビーカー人が話した言語の集団で、ケルト語というよりは、ブリトン語だとすれば分かりやすいと思う。大陸に居たらしいゲルマン語族とちと違うケルト語族との関連性は怪しい。
日本人のどこら辺が似てるか?と言うと日本人ではアナトリア人にあたるのが弥生人になって金属加工集団が関西や関東内陸部に多い集団となる。後者は古墳時代あたりの集団である可能性がある。あの当時天皇家による大規模な支配者による時代になっていて、多くの技術者を招いた可能性がある。
ただ単純に当時の中国人じゃない。満州(現在は移動してモンゴルの中心部族になっている)よりの集団になる。後はこれらの集団が半島の3国時代にもかなり流入していて、その末裔の百済高句麗の難民もそのグループじゃないかと見ている。天皇が直接それらの集団なんて単純な騎馬民族制服説とは違う。天皇はおそらく第2波の古い南方から来た江南人と燕のあたりの集団が混血した弥生人集団が半島縄文と混血した集団じゃないか?と見ている。後者が日本で混血した可能性もあるが、最近のDNAの調査で半島で混血したのじゃないか?と私は見ている。
大きく分けると、ロシアコーカサスステップの集団が分かれてやってきたと見ている。ビーカー人とアングロサクソンの違いは母系にあると見ている。
この集団のややこしいのは、どちらも父系に偏った集団って点。より古い母系欧州集団の血が濃いのがブリトン人という扱いになる。
過去にmtDNAの調査でローマ以前にイギリスに特定時期の大量の移住はなかったという調査が出たのだが、これを調べていくと、まずストーンヘンジの遺体DNAが時代別に調査したところ別の集団に摩り替わってるのが確認されている。整合性が取れない。そこで分かったのは、イベリア半島との繋がりが深いのが分かる。
問題は、イベリア半島で古いアナトリア&クロマニオン混血農耕民がコーカサスステップ地域に起源を持つ集団に男性だけ入れ替わってるの確認される。イベリア半島からブリトンへの移住に関して、母系はあまり変化せず父系だけ大きな変化をした集団が青銅器時代に流入したとなる。
だから一見mtDNAで見ると新石器時代と青銅器時代の遺伝子が変化してないようにみえる。だがそれは父系が大幅に変わったたためで、核DNAも見れば多分かなり変わってるのが分かるだろうと予想できる。mtDNAはそこら中で採取できるのでかなりのデータ集まっていて、そのためデータ数だけならmtDNAは豊富なデータが取れる。
だがこの結果を見ると、YDNAや核DNAの調査を待たないとたまにおかしな事がおきてるのが分かる。日本の場合全く事情が違うが、YDNAと核DNAを調査してエポックメイキング的な新しい知見へと繋がった。イギリスもかなり大きい。
イギリス人の父系の大半は、このビーカー人=青銅器時代のイベリア人の移住者からもたらされたものになる。アングロサクソンの多いロンドンから東部海岸部あたりは系統が違うらしいのだが。
何故父系だけに偏った集団なのか?は不明。後のゲルマン民族の中核をなすライン川付近に留まった集団も父系に偏っていたためこの集団全体の特徴らしい。その後R1Aを中心としたスラブ系民族も押し寄せてくるがその集団も父系に偏っていたのか?は不明。ただ、その後モンゴルに流入したスキタイの集団は父系以外モンゴルに残って居ないためおそらく父系に偏った集団だった理由は戦闘集団だったためと思われる。
サルマタイなどは女性戦士も多かったらしいので集団によっては男女比の方よりは違ったのかもしれない点はややこしいところだが。
余談となるが、ビーカー文化自体は複雑で、ビーカー人の移動で広がったわけじゃない。元のアナトリア&クロマニオン混合集団の父系も豊富にビーカー状土器と共に見つかっており、文化伝播と民族移動の2つで広がったと思われる。遺伝子の変化からイベリア半島からブリトンへの移住は現代イギリスに残るケルト語系混血ビーカー集団の移住によって成されたものと考えられる。