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ーー後日。
あの忘れたくも忘れられない出来事からはや数日が経った頃、並木さんはひょこんとお助け部に姿を現した。
実のところ俺はお助け部に戻る気はなかったのだが、城ヶ崎のしつこいほどの説得によりなんとかこうして顔を出している。
その度に黒葛原からはまた来たの?どうして来たの?というよりあなた誰?みたいな目で見られる日々を送っているわけだ。
そんな中事の発端である並木さんが顔を出したのだ。
今更だが彼女の髪は二つ結びで背中にまで届くほど長髪だったのだが、これを機にちょうど肩に浸かるか浸からないかのショートヘアに変わっていた。
ここだけの話、俺はショートヘアの方が好みだ。なので不可抗力にも目がいってしまう。
「ねえヒッキー、さっきから並木さんのこと見すぎじゃない?」
城ヶ崎が食ってかかるように俺に絡んできた。
なんだこいつ、別に見るくらいいいだろ。
「いいだろ、別に減るもんじゃねえし。なんだ城ヶ崎、嫉妬でもしてんのか?」
「べ、別にしてないし!もうヒッキーとは口聞いてやんない!ふんだっ!」
「城ヶ崎さんもうその辺にしてあげたら?その男は仮にも並木さんを強姦しようとした変質者なのよ?女子高生を前にしてヨダレを垂らすなという方が酷ってものよ。少しは考えてあげて?」
お前がな。
「はは、やっぱりお助け部のみんなは仲がいいね」
この流れはデジャブな気がしてならない。
黒葛原は読んでいた本をパタッと閉じ、俺ではなく並木さんへと見やる。
その瞳の奥には若干怒りのような色が立ち込めているように見えた。
「だけど、やはり並木さん。あなたはそこの死んだ魚の目をした彼にちゃんと謝るべきだと思うわ。私たちへの謝罪はその後で構わないから。城ヶ崎さん、これでいいのよね?」
「……うん」
俺との会話で拗ねていた城ヶ崎は小さく頷いた。
2人の言い分は誰にでも分かることだ。こればかりさすがの俺にでも理解できるのだから。
並木さんは黒葛原のその一言を待ってたかのように席を立ち俺へと体を向かせる。
「もちろんです。今日はそのつもりで来たんです。匹見君、私の身勝手な嘘で迷惑をかけてしまってごめんなさい」
深々と頭を下げる彼女を前に俺はなんて言えばいいか分からなかった。
確かに彼女の今回の嘘の依頼はもしかしたら俺の高校生活を大きく揺るがしてしまっていたかもしれない。だが現実はそうはなっていない。あくまで結果論だが。彼女は自らの嘘を城ヶ崎と黒葛原に打ち明け、身代わりになると申し出た俺を救ったのだ。
むしろ礼を言わなきゃならないのは俺の方なのだ。
「顔を上げてくれ並木さん。そもそも俺は君に怒りなんてこれっぽっちもねえよ」
「ありがとう……。匹見君は優しいんだね」
「さぁな。とりあえずもう気にすんなってことだ」
並木さんはその後、城ヶ崎と黒葛原にもちゃんと謝った。
2人は潔く認め彼女を許してあげると言った。城ヶ崎は分かるが、黒葛原までもがあんなに素直になるとは正直意外だった。もしかすると俺にだけツンとかそういう設定なのだろうか。
だとしたらただただ面倒くさい女だ。やはり俺と黒葛原は相容れぬ性格らしい。
並木さんが部室を去って行った後、完全下校のチャイムが鳴った。
黒葛原は職員室に部室の鍵を返すから2人は先に帰っててと言ったので、俺はへいへいと適当に返事した。城ヶ崎は私とヒッキーも返し終わるまで待つよと言ったが、城ヶ崎はそれを如才なく断った。どうやら橘先生に話があるそうらしい。俺は元々待つ気などないので好都合だ。
階段を降り、靴箱へと向かう渡り廊下で俺は城ヶ崎に何となく訊いてみた。
「そういや城ヶ崎はもう聞いたのか?」
「ん?何を?」
「並木さんの歌だよ。あの人、音楽の才能かなりあると思うんだが」
「へーそうなの?ヒッキー、並木さんの歌声なんていつ聞いたし。まさか2人でカラオケ行ったとか……!?そういえばさっきヒッキーずっと並木さん見てたし」
「違うわ。つかお前まだそれ言ってんのか…………ちょっと待て」
俺は思わず立ち止まる。
「ヒッキー?」
何で城ヶ崎は彼女の音楽活動のことを知らないんだ?
彼女がストーカーされていると相談したのはそもそも俺たちに歌を聞いてもらいたかったためじゃないのか?
「なあ城ヶ崎。並木さんはどうして俺たちにこんな依頼を出したんだっけか?」
「え?ヒッキー知らなかったの?」
「いいから早く教えろよ」
「ううん、その、遊び半分……じゃなかったかな?ほら、ヒッキーも知ってると思うけどお助け部って非公認だし他の人からすればよく分からない部でしょ。だからちょっとからかってみようって並木さんはあんな依頼を……。やっぱり……、やっぱりヒッキーおかしいよ。レイレイは何も言わなかったけど、ヒッキーがそんな人を庇う理由なんてどこにもないじゃん。もしあの人が私たちに本当のことを言ってくれなかったらヒッキーは今ごろどうなってたか分からないんだよ?」
苦悶の表情を浮かべ城ヶ崎は俺を見つめた。
赤ん坊が今にも泣きそうな、そんな顔をしていた。
不安定な城ヶ崎の瞳の奥を見ながら俺は思っていた。
……そうか。彼女はそんな嘘をついたのか。
「悪い城ヶ崎、ちょっと用事を思い出した」
「あ、ヒッキー!」
俺は走った。後ろから彼女の声がした気がしたが俺は振り返らなかった。
◇
不本意ではあるがここ数日間、彼女の尾行を繰り返していた俺はその下校ルートをすっかり把握していた。坂の多いいつもの住宅街、綺麗に整備されたアスファルトの階段、そこに彼女ーー並木さんの後ろ姿はあった。
西日が並木さんの影を引っ張って階段の下まで伸びていた。
俺の足音に気付いたらしく彼女は歩を止め、俺へと振り向く。
風に靡かれ緑色の髪がふわりと宙を舞った。
俺は未だに息切れしていて、整えるまでに数分経ってしまった。彼女は一言も発さず待ってくれた。
「これで、良かったのか?他にもっとやり方があったんじゃ」
「……やっぱり。匹見君ならそう言うと思った。ほんと、羨ましいな」
「羨ましい?」
並木さんは片手で自身の髪をすくうと、真っ赤な夕日を見つめ言った。
「たまにでいいんだ。匹見君、見に来てくれる?」
ここで何を?なんて野暮な真似はしない。
「たまにな」
並木さんはようやく救われたような、そんな豊かな声で。
「ありがと」




