9 エロとグロはダイレクトに金になる
「……はきっと、耐えていける。向かっていける。大丈夫、きっと正しく変化に向かっていける」
声の掠れてしまった部分はほとんど聞き取れない雑音になってしまっていた。だが、それを聞いているたった一人には、はっきりと分かっていた。彼女は、聞き手である彼の名を口にしたのだと。
そこは、迷宮の奥深くだった。およそほとんどの冒険者が立ち入ったことの無い深み。
小さな魔法の光が散らす頼りない光に照らされて、その少女は迷宮の床に――何百年と放置されてきた冷たく誰も目を向けぬ石の地面に、横たわっていた。理知的な瞳と、小さな唇、それにやや痩せた手足。指先。どれもが、力を失い、小さく震え、そしてその震えも近く止まろうとしている。
首元や腹部には凄惨な傷跡が刻まれていた。引き裂かれた衣服には大量に血液が染みており、強引に魔法で治療されたらしい傷口はなんとか閉じてこそいたものの、皮膚に血の気は全く見られない。
「まだだ、アリシア」
喉の奥から震え出た声は、その言葉の内容に反して、この先の未来を見通してしまった絶望感に満ちていた。
彼は、両腕で少女を支え、抱きかかえながら、その場に座り込んでいた。足は疲労に萎え、精神はその境遇に軋みを上げ続けていた。
少女、アリシアは、か細く途切れがちな声で、彼にいくらか、必要なことを語って聞かせていた。それら全てを彼は自らの記憶に刻みつつ、何度も、同じ言葉をさしはさんでいた。まだだ、まだ、必要ない。伝える必要は無い。まだ、まだ、そんな時じゃない。
ゆっくりと、細く冷たい彼女の腕が伸び、彼の頬に指先が触れる。
反射的にその指先を自分の手で掴み、引き寄せた。力の無い指先。失われていく実感しかしないものの温度を感じながら、彼は極大の混乱を抱えていた。これはなんだ? ここは、こんな状況は、一体なんだ?
「俺は――」
声は淀み、迷い、悲痛な何かに磨り潰されて消えてしまう。止まってしまう。
そして、もう一度彼女が名を呼んだ。言うべき言葉を喪い声を止めた彼に、告げる。
「……忘れないで。馬鹿みたいに優しくてさ、新しいことをあれこれ考え付いて、誰ともすぐ打ち解けて、多くの人をひきつけて新しい楽しみを与えて――ずっとあなたはそんなだった。私だけじゃ駄目だった。何もかも。そういう、……が、私は――」
名前。言葉。音の響き。
何もかもが過ぎ去り、ただ空虚さだけを抱えた静寂がその場に満ちてから一体どれだけの時間が経ったのか。暗闇の中で細い人間の身体を抱いたまま時間感覚を失い、気がつけば、疲労で痺れた腕から少女の身体は転げ落ちていた。
そこでようやく、彼は先の言葉が、別れの言葉となったことを理解した。理解して、しかし、どうするでもなく、どうしようもなく、ただその場に佇んでいた。
ずきずきと痛む頭の中で、痛みと共にたった一つの単純な言葉だけが、繰り返し波のように押し寄せてきていた。何度も、何度も、尽きることなく。
一体これは、なんなんだ……?
*
意識が現実に引き戻されてみれば、それが単なる夢であることはすぐに分かるし、現実の色濃い様々な感覚に淡い夢の実感はすぐに押し流されて消えてしまう。
そのはずが、崩れて消えたはずの情景や耳にした言葉、指先に残る感触などの一部だけが、いつまでもうまく消えてくれない。
過去の記憶に酷似した夢を見たときには、そうしたことがいっそう多くなる。古傷が痛み出したようだ、と言ってしまえば、感傷的に過ぎるだろうか。
「……過ぎるだろうな」
呟いて、アバルは眠りなれた宿のベッドから身を起こした。窓の向こうからは朝日がカーテン越しに差し込んでおり、暗い迷宮内に慣れた感のある目にはやや眩しかった。
美しくさんさんと降り注ぐ朝日は、いかにも一日の始まりを告げる光として相応しいように思えた。一日の始まり、そして、何か新しいことを始めるための朝としても。
実際アバルは始めようと考えていた。新しいこと、新たな試みを。
「うーし……まあ、頑張るか」
夢に感じた苦痛と空虚の残滓をどこかに感じ続けながらも、そんなものにいつまでも構っていられるわけも無く、アバルはベッドから降りて背を伸ばした。
*
「要は、迷宮探索ツアーに招待するのさ」
迷宮から帰還してから一晩を馴染みの冒険者向けの宿で過ごし(新たにソフィアの部屋も取った)、朝一番にパーティーメンバーと顔を合わせたアバルが口にしたのは、そんな言葉だった。
ソフィア、フェーリス、リコリスの三人は宿の一階の食堂で一つの丸テーブルについて朝食を摂り始めていた。三人とも、温めて蜜を塗ったパンと簡単なサラダなどをつついている。
しばし三人はアバルを見つめた後で、さっと料理に目を戻した。
「あ、ソフィア、トマトの種のとことパンの耳のとこと冷肉の脂身のとこあげる。もっと食べないと成長期だし」
「わあ有難うございますフェーリスさん、なんかすごい押し付けられ感ありますけど気のせいだと思うことにしますね」
「こらこら二人とも、行儀が悪いですよ。まあでも気遣いは無駄には出来ませんからフェーリスの目玉焼き辺りもらってあげてもいいですけれども」
「露骨に略奪主義者だこのクレリック!」
きゃいきゃいといかにも女所帯らしく騒ぐ三人(いつの間にかソフィアまで打ち解けているように見える)に、アバルは面食らいつつ、
「いや……割とキメた感じで言った台詞なんだしこうもすっかり無視されるとかなり凹むんだけど」
「だってさ、アバル、どうにも唐突過ぎて」
意地汚くフォークでリコリスと目玉焼きを奪い合いながら、フェーリスが呟く。
「まあ聞けって」
アバルも席に着く。適当な食事をウェイターに頼んで、それから落ち着いて再度切り出した。
「つまりだな。考えてみたんだが――というか考えるまでも無く、かもしれないんだが。冒険者ってのは現代を象徴する職の一つだ」
魔法の再来で活気づき盛り上がる現代。半世紀前では考えられなかった生き方。
「冒険者的なあれこれ……放浪し荒事に立ち向かい、迷宮に潜り古代の神秘を追う。街に生きる連中にはこういう話が好きな輩も多い。だろ?」
ちらりとソフィアに視線を向ける。彼女は「え、ええ、まあ」と曖昧に頷く。
冒険。古代の宝。怪物。戦いと勝利。それらはずっと古くから好まれてきた物語の要素であり、魔法が復活し「冒険者」という人々が大いに盛り上がる現代、「冒険」というものに対する人々の興味関心は大きく高まっている。
更にダメ押しで、アバルはリコリスに問いかけた。
「リコリス、古今東西、様々な冒険譚の類が、貴族だろうが平民の間だろうが数多く出回り人気を博してきたと俺は思うんだが、どうだ?」
言った瞬間、リコリスは料理から目を離した。のみならず、顔色も表情も何もかもまるきり変化する。瞳の中に突如として真夏の海面のような光が煌きだし、全身から活力的なオーラっぽいものが立ち上がる。
「それは、勿論――勿論その通りですよ。まあ冒険譚とひとくくりに言ってもその内容は幅広く様々なジャンルに分かれるともされていて例えば五百年以上昔から伝わるとされる『バドラ王と逆向きの針』や『南方半島の傑物集』なんかは英雄譚的要素が強く、他方で『湖の軍勢』や『塔と塔の間』、『ハンブリックの丘陵に始まる』辺りは戦記ものとしての色が強かったり――ただどれも冒険者的要素を多く含み、そうした要素こそが長年支持されているというのも事実です。冒険譚自体の面白さというのも一口にいえるものではないですが、銀の都の大学で文学研究を行う教授の中には冒険譚の価値は表層的な物語性や残虐性意外にも貧困層や戦乱の時代にすら語り継がれるだけの根源的な要素が存在すると語っていて、そうした要素というのがですねんもがもがぬむぐ」
「はいありがとう! ……そういうことなわけだ」
ずらずらと若干早口で語り続けるリコリスを遮り(ついでに口を塞ぎ)アバルは無理矢理まとめる。
「需要があると思うんだよ。冒険に。特に、迷宮探索なんてのは特にな」
「そりゃあるかもしんないけど、でも迷宮探索ツアーって。その辺の農家の子供とか商店のおじさんとか連れて迷宮に行くの? 多分ばったばた死ぬよ」
物騒なことをフェーリスが口にする。アバルはそれに苦笑し、言葉を返した。
「連れて行く、ってのは例えだよ。考えてみろよ、フェーリス」
「んぅー……?」
サラダを頬張ったまま、フェーリスが頭の上の耳を僅かに揺らして考え込む。
人差し指を立てて、アバルは囁いた。
「ヒント一。俺たちの仲間のソフィアは、オリジナル・ウイザードだ。魔法使用に金がかからない」
「あ」
と声を漏らしたのは、そのソフィア自身だった。彼女が何かに気づき、それを口にしようとしたところで、アバルは先に答えを明かすことにした。
「『逆遠隔視』の魔法だよ。あれがあれば、迷宮内のあれこれを視覚映像や音声として離れた場所に送ることが出来る」
目を見開き、驚いたソフィアの表情は、十代中盤の幼さと可愛らしさを隠すことなく露わにしていた。
「ソフィアの目と魔法を通して、俺たちの冒険に『参加』させるのさ。冒険やらお宝やらモンスターやらに興味津々な町の人間をな。町に居ながらにしてその目で見、その耳で聞くことの出来る冒険者の迷宮探索だ。絶対金になる!」
力を込めて、アバルは宣言してみせた。
「迷宮探索の……封印墓所の探索の様子を、公開するってことですか……?」
リコリスが戸惑いを混ぜた声を発する。
「ああ。宿か食堂か酒場かなにか、場所を借りてソフィアの魔法でそこにソフィアの視覚像と聴覚音声を送る。それを楽しんでもらうんだ。料金は上映場所の店経由で取る」
言い切るアバルに、三人はしばし声を止め、視線を惑わせた。
「……なんか、すごい唐突に聞こえる話ですね、やっぱり」
ソフィアが呟く。
「まあ、そうかもな。俺もつい先日考えたばかりだし」
「思いつきかよー」
フェーリスが抗議っぽく声を上げるが、アバルはしかしそれを留める。
「思いつきだが、案外いい思い付きじゃないかと思うんだよ」
「何でさ」
「色々都合がいいんだよ。フェーリス、俺たちはそこそこ熟練のパーティーで、ミディール迷宮も中層辺りまでなら安定して踏み込み冒険できる。見る側だってそこそこ安心だろ。なにより――」
一度息継ぎをして、まくしたてる。
「映像送りの肝となるのは『逆遠隔視』の魔法だが、これはソフィアが使えば魔法使用料はかからない。オリジナルであるおかげでな。つまり、同じようなことをする冒険者もそうそういやしないってわけだ。ライバルのいない商売になる。魔法配信と同じさ」
「私が、皆さんを……?」
呟くソフィアに頷いて見せる。
「それに、先日も言ったとおり、三人とも美人だろ」
「それさ、アバル、どう関係してくるの? セクでハラな方向に話向かったりしない?」
「しない。いいか、フェーリス、経験上、エロとグロはダイレクトに金になる」
大衆はそういうの好きだからな、と語るアバルに、三人はもう一度押し黙った。なんとなく、「あ、人間として駄目かもしれないこの人」というような言葉が三人の視線の中に混ざっている気はしないでもなかったが、アバルはめげずに受け止める。
「都合のいいことに、三人とも方向性の異なる美人だ。それぞれにファンがつく。あと、他者の冒険を見ることに関する需要は、街の定住者だけじゃない、冒険者にだってあるはずなんだ。自分と同じ冒険者がどう成功しているのか、あるいは逆にどう失敗するのか。自分の引っ掛かった罠にどう反応するのか、自分が苦戦したモンスターとどう戦うのか。気になる奴は大勢いるだろ、多分」
それは、アバルが一晩考えていたことだった。
「でも、肝心の、その視覚像を送る先、宿だか食堂だかなんだかは、どうするんです?」
リコリスがアバルの表情を伺いながら訊く。疑問は最もだった。だから、答えもあらかじめアバルは考えてあった。
「この街は長いからな。繁盛してない、儲け話に飛びつきそうな飯どころや宿にはいくらか覚えがある。知り合いもいる。多分、話を持ちかければ協力してくれるところは見つかるだろうさ」
畳み掛けられて、押され気味になった三人にアバルは笑みを浮かべた。明るい未来へ向けた笑顔のつもりだったが、何故だか三人の目に映っているのは邪悪な笑顔のような気がした。無視したが。
「魔法配信ギルドは魔法を配信することでものすごい大金を稼いでいる。俺たちは、また違うものを配信するってわけだ。俺たちの冒険する姿を……こういうの、なんて言うんだろうな? 動像? 映像? 動画……配信、とかでいいか。冒険探索動画配信。語呂がいいな。うん。その、『配信』によって、稼ごうってこと」
自分自身の言葉を噛み締める。散々苦しんだ魔法配信に対抗する金稼ぎに、同じようなシステムを使う皮肉とともに飲み下して、アバルは「どうだ?」と締めくくった。
「ほんとに上手くいくんですか? そんな――ええと、ふわっとした話」
ソフィアがおずおずとそう尋ねる。他二人も似たようなことを感じているらしい。表情は曇りがちだ。だが、アバルは首を振って、
「上手くいかなきゃ、その時は解散だ。魔法料金が払えなきゃ冒険者ギルドからも見捨てられる。アバル・パーティーは終わりだ」
それから、ソフィアを正面から見据える。表情を変えて、声のトーンを落とす。
「今の話は君の協力が不可欠になる。君は傭兵で、正規のパーティーメンバーじゃない。しかもまともな給金も出せてない。もし嫌であれば、協力は拒んでほしい」
「そんな、私は」
「これは、俺のパーティーの問題で、俺が招いた問題だ。付き合う義理もない。パーティーを抜けた後のちょっとした仕事先くらいなら、俺とグデイコで口利きもできる」
真剣にそう語る。先のあまり見えたものではない金稼ぎに巻き込むかどうかは、勝手に決めていい話でもない。
ソフィアはしかし、アバルが考えているよりもずっと素早く、答えを口にした。
「行きますよ、一緒に。言ったでしょう、他にいくところもないって」
言って、ふっと噴出すように笑う。それから彼女は、フェーリスとリコリスに目を向けた。
「……まあ、いっかな。結構面白そうだし」
「他に思いつく稼ぎ方も、ありませんしねぇ……」
顔を見合わせ、二人はそんなことを口にする。
「決まりだな」
力強く言って、アバルは卓上に食事と共に運ばれてきたグラスを手に取った。仲間の三人のそれと打ちつけ、ぐいと飲み干す。
中身は酒でもなんでもなく単なる水だが、気分というものは大事だった。
(これからわけわからんことするんだから、尚更にな)
胸中で一人ごちて、アバルは自分の分の朝食に手をつけ始めた。