7 オリジナル・ウィザード
古代の人々は皆、魔法の力を所持していた。天性のものとして、その本質、扱い方を誰でも知っていた。
自らその力の智恵を、記憶を、人類種全てから封印した人々は、それ以後魔法を失った。故に、現代で魔法を扱える者は、基本的には配信魔法を受ける者のみである。
例外は極少数だけ存在する。
オリジナル・ウィザードは、その例外……全人類種が受けたはずの封印を完全な形ではその身に宿さず、万能とはいかぬものの配信魔法と同程度の魔法を行使できる者である。古代人と同じく魔法の力と才覚を備えた天然のウィザード。配信に頼ることなく魔法を扱える貴重な、貴重すぎる存在である。一説には、このオリジナルウィザードは配信魔法が世に現れたことで生じた、魔法の封印の綻びの具現だともされているが、詳しいことは分かっていない。とにかく貴重な存在だ、という以上の情報も研究もあまり存在しないのだ。
ソフィアは、その貴重な一人だという。
「それで、雇っちゃったってわけ?」
嫌味な風でも呆れた風でもなく、ただ純粋に「なんだそりゃ」といった口調で、アバルの右隣を歩くフェーリスが言った。
「何度も説明したさ。俺たちの現状をな。だがどうにも引かなかったんだよ、彼女」
「根負けしたってことです? らしくないですね、アバル」
と、こちらはリコリスが、フェーリスとは反対側から声を挟む。
それから示し合わせたように、三人は背後をちらと振り返った。そこには、三人から数歩送れて歩くソフィアの小さな姿がある。
四人は、石造りの教会の内部のような場所を歩いていた。複雑にアーチ状の構造が組み合わさった高い天井や植物と思しき紋様の掘り込まれた柱が立ち並ぶ様はいかにも古い建物らしくあったが、しかし壁も天井もどこか普通の石造りとは異なり、奇妙な質感を湛えてもいる。
そこは、封印墓所――ミディール近郊に位置する通称「ミディール遺跡」と呼ばれる古代遺跡の内部だった。ミディールの冒険者にとって最も重要と断言できる遺跡。「魔法の智恵」が眠るとも言われる封印墓所の一つである。
遺跡は恐ろしく広大で、深く地下に広がっており――その広大さ、深さのせいもあって未だ最深部制覇に至ったパーティーは存在しない――、内部には自然洞窟のような場所もあれば市街のように建物の並ぶ広大な空間もあるが、現在アバルたちのいる石造りの通路は低層、つまりは入り口や地上に近い浅い場所だった。
「ええと……あの、どうかしましたか?」
足を止め、視線に気づいたソフィアがどこか強張った表情で三人を見返す。風で散ってしまいそうな花か何かを思わせる不安げな表情だった。
「いやなんでも」
ぐるりと顔を逸らし、アバルは誤魔化した。
「……仕方ないだろ? それに、攻撃の要のウィザードはなんにしたって必要なわけだし。しかもオリジナル・ウィザードだぞ?」
声を小さく早口気味に、アバルはフェーリスとリコリスにそう言い訳する。
「仕方ない、ねぇ……」
フェーリスは意地悪そうに小さく笑うと、ちょいと小さく首を傾げて見せた。
「なんか、私と知り合った頃から進化してないねー、アバルは」
「んなこたない。はずだ」
言ってから自分でもなにかしらあやふやなものを感じて、アバルは肩を落としながら足を止めた。周囲を見渡し、そこそこに広く衛生的で、付近に怪物の気配もないことを確かめてからソフィアをもう一度振り返る。
「今日はここらで休憩にしよう」
*
アバルたちが迷宮、ミディール遺跡内にいるのは、仕事のためだった。
町の人間が冒険者に向けて出す依頼の一つをアバル・パーティーは選び、受けていたのだ。アバルがソフィアを仲間に迎えてすぐに、一行は仕事を探し適当なものを見繕って迷宮に出かけていた。
落ち着き無く再度迷宮に臨んだのには……仕事を請けたことには、勿論理由があった。
一つは、とりあえず小金を稼がねば今後の冒険に支障が出るからであった。装備の修繕に食料品などの消耗品の買い足しと、配信ギルドへの支払いを別にしてもアバル・パーティーには現在素早く小収入を獲得する必要があった。
もう一つの理由は、新しく加入したウィザード――つまりは、ソフィアの技量を試すためである。
迷宮はいうまでもなく危険な場所で、複雑な構造と経年劣化による損壊、侵入者対策と思われるバラエティ豊かな罠に、恐らくは古代の魔法の力で創造されたのではないかと言われている怪物たちまで生息するのだ。優秀なウィザードだろうが剣技に優れたファイターだろうが、注意力散漫で怪我をしまくったり怪物を見て気絶したり逃げ出す輩では使い物にならない。
新規に加入した傭兵や正規メンバー候補を簡単な冒険稼業の中で試すというのは、冒険者パーティーにとっては日常茶飯事なのだ。
現在アバルたちが請け負っているのは、迷宮の低層に存在する古代の特殊な石材などのサンプル入手だった。ミディールの建築家や関連ギルド、それに錬金研究家たちが出した依頼で、難易度も報酬もさほど高くは無い。ありふれた仕事の一つだった。「試し」にはぴったりというわけだ。
「流れ渦巻き散り続け、滔滔と照らせ……」
ソフィアの詠唱の声と共に魔法で生み出された炎の光が辺りを照らす。薪要らずの炎を囲んで一行はその場にそれぞれ腰を下ろす。
「ほんとにアミュレット無しで使えるんですね、魔法……」
リコリスが自らの腰にくくりつけた小型の鞄から分厚い手帳とペンを取り出して何かを書き綴りながら、ソフィアの生み出した炎にそう言及する。
「オリジナル・ウィザード。実在することは知っていましたけれど、この目で見るのは初めてです」
「一部の人間は迷信か何かだと思ってるくらいに貴重な存在だからな」
アバルがそう返しながらソフィアに視線をやると、彼女はどこか恥ずかしそうに俯いてしまう。その頬に小さな、新しい傷を見つけてアバルは瞬きした。
「それ、怪我、どうしたんだ?」
指摘するとソフィアは言われて始めて気づいたというように頬に手をやり、苦笑して見せた。
「多分、魔法のちょっとした失敗です」
「失敗?」
鸚鵡返しに訊いてしまう。魔法の失敗というのは普通、事前の勉学や修練が足りず、配信を受けてすら詠唱が上手くできなかったり魔法という異能を上手く受け入れられなかったりして、魔法が不発に終わることを言う。魔法の使用者が怪我をするなどとは、アバルは聞いたことがなかった。
「魔法ってのは普通、定型化された一定の効果をもたらすものなわけだが……」
呻くようにアバルは呟いた。火球の魔法、灯火の魔法、力場の魔法。配信魔法はそうした種類ごとに規格化された魔法である。ソフィアのそれもそうした魔法と同じように見えていたのだが、とそんなことを語ると、彼女は小さく首を振って見せた。
「はい。あの、私、オリジナルなので。魔法自体は、配信魔法を真似してるわけなんですけど、魔法は本来、ほとんど無制限な……古代の人々を滅ぼしかけるほどの万能の力ですから……配信魔法で無い天然の魔法は、多分こういうこともあるんだと思います」
「大丈夫なのか?」
「はい。たまにあることなんですよ」
なおもアバルは疑問を口にしかけたが、それより先にくああ、と欠伸の音が響いた。アバルが目を向けると、背筋を伸ばしてほぐす猫娘が眠そうな顔をしている。
「タダでこうやって火を起こしたりできるのはいいねえ。使用料丸まる浮くじゃん」
火のすぐそばで温まりながら、フェーリスは自分の耳や髪の手入れをはじめつつそう感想をこぼした。
「だから雇ってよかったろ?」
「払う賃金があればね」
まるきりネコの毛づくろいにも見える身づくろいを行うフェーリスに、アバルは渋面を向ける。
「そんな怖い顔しないの、ほら、見つけた枝毛あげよっか?」
「どうしろってんだそんなもん」
フェーリスの軽口を適当にあしらいつつ、アバルもまた腰を下ろしていた。しばし、弛緩した空気が沈黙と共に流れる。
「あの……」
ぽつりと。
声を発したのは、ソフィアだった。全く癖の無い緑の髪を僅かに揺らして顔を上げ、続きの言葉を口にする。
「皆さんは、その、固定のパーティーなんでしょうか?」
そう問われて、アバルはフェーリスとリコリス、二人と順番に顔を見合わせた。
「そういや、ごたごたしててちゃんと紹介もしてなかったか」
迷宮から帰って、配信ギルドで酷い話を聞かされ、冒険者ギルドでソフィアと出会い、雇い、仕事を受けてまた迷宮に潜る。あまりに慌しく動いていたせいで、まともな紹介をお互いしていなかったことにアバルは気がついた。
「そだよ。もう……一年以上になるのかな。私がアバルとパーティー組んでから」
フェーリスがころころと鈴を鳴らすような声で答えた。続けてリコリスが口を開く。
「私はフェーリスより少し後で加入したんですよ。ソフィアさんみたいに、アバルのメンバー募集に応募して」
おっとりとした笑みを浮かべて、リコリスはソフィアにそう教える。手元には手帳を抱えたままで。
「リコリスは、物書きなんだよ」
彼女の手帳にソフィアの視線が注がれていることに気がつき、アバルはそう口を挟んだ。
「物書き、志望、です。まだ」
リコリスがすぐさまそう訂正する。
「冒険者の仕事の記録、読み物……冒険譚に、古代の遺跡の記録、色々書いてるらしい」
「そう、なんですか……」
興味深そうに、あるいはただ単純にそんな理由で冒険者と共に迷宮に潜る人間が珍しいといった風に、ソフィアは呆けたような顔で呟く。
「リコリスは優秀なウィザードでもある。治療や戦闘の補助に関する魔法が得意な……クレリック(治療・補助術者)ってとこかな」
「攻撃的な魔法は苦手なんですけれどね」
笑みを浮かべたまま、リコリスは付け加えた。
「アバル、私はー?」
リコリスの紹介に対し、フェーリスが反応しアバルに近寄って悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「こっちは見ての通りシーフだ。猫人種で尚且つ天性の勘のよさもある、優秀なシーフだよ。元々は傭兵としてフリーで活動していたんだが、あるとき雇われ先のパーティーともめて、結果その雇い主をタコ殴りにして医療院送りにした」
「え?」
ソフィアが目を丸くしてフェーリスを見やる。
「私より先に手を出したのは、アバルだけどね」
更にそうフェーリスが言うので、今度はアバルに花色の瞳が向けられる。
苦笑して、アバルは説明した。
「俺もフリーランスだったんだよ。性質の悪いパーティーにフェーリスと共に雇われて、それでまあ……色々あってね」
「それで私とアバルが組んで、そこにリコリスを加えてアバル・パーティーができたってわけ」
「はあ……」
分かったような分からないような。そんな感じだった。
「しかし、どうしたもんかな……」
腰を下ろしたまま手を床について、アバルは天井を見上げた。何があるというわけでもない、ただの石造りの天井が、嫌に重々しく見える。
「お金のこと、ですね」
リコリスが溜息をつく。
「とりあえず今回の依頼で次の迷宮探索のためのお金くらいは入りますけど……」
「とんでもない支払い額だからな。何か策を練らないとまずい。まずいったらまずい」
「何かって?」
フェーリスの問いに、アバルもリコリスも沈黙してしまう。ちょっと考えたくらいで簡単に金儲けが出来るなら、世の中大富豪だらけである。多額の支払いのための方策を見出すことは困難極まりない。