6 ドライアド
「第7レベルまでの魔法はほとんど問題なく行使できます。基本的な攻撃魔法、防護魔法、治療魔法に緊急転移や声送り、映像送りの魔法も。遺跡探索経験はほとんどありませんが、冒険者としての経験は一応あります、細かいことはそちらの羊皮紙に纏めておきました」
アバルが席に着くなり。
背筋を伸ばして、やや堅い声で少女はそう一息に言い切った。簡潔で手早い自己紹介、というよりは、言うべき事を事前に考え丸暗記したといった口調である。
実際、少女の顔は緊張で固い表情を貼り付けたようなものとなっていた。子供らしさが残りつつも人形のようなゴシックな繊細さも同時に持ち合わせた輪郭や、小さく可愛らしい鼻、きゅっと閉じられた唇、そのどれもが、伸び盛りに差し掛かった少女特有の雰囲気を備えている。
少女の差し出した羊皮紙に目を落とすと、そこには様々な情報が綺麗な字で並べられていた。行使可能な魔法の種類、持参できる装備、ミディール冒険者ギルドの冒険者認定、などなど。
一番上に書かれているのは、少女自身の名前だった。
「ソフィア?」
そのまま読み上げると、少女、ソフィアは、小さく頷いた。
「はい。ソフィア・グレイスです。よろしくです」
よく通る――しかしその割に角の丸い、聞き心地のいい声でそう名乗る。
しばし沈黙し――何をはじめに訊くべきか迷ったためだ――アバルはとりあえず、気にかかることを口にした。
「随分若いように見えるんだが……?」
「今年の、先月で十七になりました」
「いくつ誤魔化した?」
即座に言うと、ソフィアは一瞬目を見開き、それから気まずそうに小さな声で続けた。
「二つほど……」
アバルは嘆息した。
冒険者には、老いも若きも幅広く存在する。だが、さすがにソフィアほどに若い者は少ない。
「ですが、魔法は問題なく行使できます。ウィザードとしての腕はそれなりです。なんかもう、ベターでグレイトでゴッデスでマッスルって感じで」
「その感じはよく分からんけども」
焦ったように言いかけるソフィアを、アバルは手で制した。
「手馴れた術者だってのは、分かってる。グデイコを、ギルドを通している以上技能に関して大胆な嘘は通り辛いし、何よりさっきこの目で見せてもらった」
「さっき?」
「『逆遠隔視』の魔法だ。遠くの景色を見るのと反対に、自分の見ているものを遠くに送る魔法。ああいう使い方ははじめて見たが、悪くない腕だった。詠唱も早いし効果も完璧に現われていた。中級魔法をああいう風に扱えるなら、ウィザードとしての腕にあまり疑念は抱くこともないだろう」
淡々と言う。実際、アバルの言葉に嘘はなかった。魔法の扱いの巧拙には個人差があり、それは効果の現われ方や詠唱の早さに顕著に現われるが、ソフィアのそれはそれなりに訓練を積んだウィザードでも中々に難しい、といったレベルの出来だった。
「なら――!」
ぱっとソフィアが、顔を輝かせる。だがアバルはまたも彼女の言葉を遮った。
「その前に、あのトラブルは一体なんだったのか、教えてくれないか?」
「あれは――」
さっと表情を変え、ソフィアは言葉に詰まる。それからおずおずと、自分を指差して、
「……私は、その、亜人なんです」
と発言する。
ああ、やっぱりか、とアバルは内心で納得していた。ソフィアの美しく目に鮮やかな髪や目の色は、ノーマルな人間種族にはまずない特徴であったからだ。
亜人――亜人種というのは、人間種族でありつつただの人間種族とは異なった特徴をもつ種族のことを指す。
大地人種、妖精人種、長命種、それにフェーリスもその一人である猫人種など多くの種族が存在し、世界各地で人と同じように生活をしている。独自の文化や文明や知識体系を持っている場合が多く、また身体的にもノーマルな人間種と比べ獣の耳を持っていたり体型に違いがあったり羽のようなものがあったりと、差異が存在する。
だが一方で、そのほとんどは人間種と混ざって暮らしており、百年前ならともかく配信魔法によってそこそこ開放的になった社会においてはあまり人間と変わらないとも言える。
「人類種」という大きなくくりを表す言葉ではただの人間も亜人も『人』としてまとめられるのだ。
そのあたりは常識だった。誰でも亜人の知り合いの一人二人はいて当然といったくらいに亜人は多く存在する。ただ、アバルはソフィアのような亜人を見たことは無かった。
「すまない、失礼だが」
言いかけたアバルを、今度はソフィアが遮った。
「私は、樹霊人種――『ドライアド』です」
「――ああっ!」
ぽんと手を打って、アバルは理解した。樹霊人種、ドライアドはその名の通り樹木や植物のような色合いを持った髪と瞳を持つ種族である。アバルの頭の片隅にはそうした知識が存在していたが、今の今まで思い出せなかった。亜人種としては非常に珍しい存在で、辺境の一部で稀に見かける程度しか存在しないとされている。それが、ドライアドだった。
「実際に見るのは初めてで、分からなかった。そうか、ドライアドか……」
「はい、ですから、魔法も得意、です」
さらりと微笑んで、ソフィアはそう売り込む。
(樹霊人種は、魔法への親和性が強い、か)
猫人種であるフェーリスが反射神経や胴体視力、それに身体の運動性能に優れるように、ドライアドにも特徴がある。それが、魔法への親和性の強さだった。要は、魔法が特に得意な種族ということである。
「そういうわけで、さっきのトラブルもそれが原因なんです」
目を伏せてそう話す彼女に、アバルは首を傾げた。
「……ドライアドであることが、どう関係するんだ? さっきのあれに」
「それは、あの」
気まずそうに視線を泳がせながら、ソフィアはなんとか話を続ける。
「タラニスでは、ドライアドは敵、と言いますか……」
タラニスというのはミディールを抱える国のことだ。アバルは首をかしげて訪ねた。
「敵? タラニスの?」
「アバルさんは、タラニスの歴史は?」
「ああ……いや、ミディールには一年以上いるが、国自体の成り立ちはあまり知らないな」
冒険者として活動するにはさほど関係してくる話でもない。流れ者である冒険者の中で生活していると、そうしたことには疎くなりがちだった。
「タラニスは、配信魔法が本格的に広がる中で、急速に国土を広げた国の一つなんです」
「まあ、大体の辺境国はそんな感じだよな」
「はい。魔法の存在は国に余裕を生み、その余裕は開拓という形で消費されましたから……ただ、そうした国の中には、未開拓地に踏み込む中で先住民と争いになった国も多くあります」
人が本格移住していない処女地。だがいざ踏み込んでみれば少数の民族が隠れ住んでいた、などということはよくあることだった。アバルもそうした話はいくらか知っていた。
「タラニスもそうした国の一つです。ただ、他の国と違うのは、大抵の国が先住民との争いを配信魔法の圧倒的な力で問題なく乗り越えたのに対して、タラニスはその過程で大きな犠牲を出したんです――先住民の、ドライアドの部族との戦いで」
花色の瞳を彷徨わせ、どこか暗い影を映しながら、ソフィアは説明した。
「タラニスは国で抱えていた優秀な指揮官やウィザードを多く失い、損害を受けました。だから、タラニスの、地元の人たちの中には未だにドライアドを嫌う人が多いんです」
上手く隠せたらよかったんですけどね、と自嘲気味にソフィアは言って、正に隠すことの出来ない種族的特長である玄妙な色合いの瞳でアバルを見つめた。
「なるほど……それで因縁つけられて、か……」
アバルはやや訊いたことを後悔しつつ呟いた。
(適当に雇うのを断る口実に出来れば、と思ったんだけどな)
考え、頬をかく真似などしつつ。
「あーその、だな、ソフィア」
「はい」
「さっきのが、君に問題のあるトラブルじゃないことは分かった。『地元民』は別にしても、冒険者ギルドがあるわけだから、ギルド員である限り多分タラニス内での活動も気をつければ大丈夫だろう」
「はい」
「ただ、そのだな、折角募集に応えてくれて申し訳ないんだが、こちらにも新たに事情ができてしまってね」
溜息をついて、苦い顔で告げる。
「実は俺のパーティーは金銭問題を……はっきり言ってしまえば、魔法配信ギルドに多額の支払いを請求されてしまっているんだ。今のところ、人を雇う余裕がなくなってしまっている。もっと簡単に言えば、賃金を払えない状態だ」
身も蓋もないな、と自覚しつつ、アバルは言い切る。恥以外の何でもない事情説明だが、仕方ない。
冒険者はパーティーを組むが、そのメンバーには固定メンバーと呼ばれるようないわゆる「正規の仲間」と、足りない分の人員を外部から一時的に、一定期間雇い入れる、「傭兵」の二種が存在する。傭兵は当然金で雇われるわけで、貧乏になれば一緒になって苦労を背負う仲間とは異なりパーティーの経済状況がどうであろうが一定の報酬を前提に雇われるものだ。アバルが募集したのはとりあえずの補充要員としての傭兵であり(上手く気が合う人間であれば正式にパーティーメンバーを増やすことも考えてはいたが)、応募してくるのは当然賃金目当ての人間であるはずだった。
だがソフィアは表情一つ変えずに、
「構いません」
と呟いた。
「だから残念ではあるが君を雇うことは……え?」
思わず間抜けな声を出して、アバルは顔を上げる。ソフィアは行儀よく背筋を伸ばして椅子に腰掛けたまま、アバルをじっと見つめている。
「大丈夫です。特に報酬なんて無くても、一応の生活さえ出来れば」
何度か動きを止めたままアバルは瞬きだけを繰り返して、それから我に返る。
「待て待て。それじゃ何のための仕事だか分からんだろ」
「いいんです。パーティーの一員として、その、最低限なんとか生活さえできれば」
「いやしかしな」
「ドライアドは地元出身の冒険者には雇ってもらえませんし、他の冒険者にもまだ子供だと断られてしまって、いくところがないんですよ、ホント」
「それは気の毒だが、だからといってだな」
「私、家族も友人も――知り合いは皆、タラニスの開拓侵攻で起こった争いで故郷ごと亡くなってしまって、頼れるところとかありませんし」
「あまつさえそんな重々しいこと暴露されても」
けろりと言ってのけるソフィアの勢いに気圧されながら、アバルは呻く。
「家も家族も無くて、これまでは街の雑事なんかでなんと生きてきましたけど、最近は掃除や荷運びや、それ以下のひどい仕事すら無くて……。身元が保証されないウィザードは働き口もないですし、もう、冒険者として傭兵をやるくらいしかないんです」
ピンチです。ザ・ピンチスト。食いつなぎたい年頃なんですこれでも。
そう一息に言って、ソフィアはそれまでと変わらず正面からアバルを見る。
怒涛のカミングアウトは、それが自身の売り込みだとすれば(どういう方向に作用するかは置いておいてだが)大したものではあった。
「……俺のパーティーは、二月後には存在しないかもしれない――解散しているかもしれない酷い状況だ。それに、危険な冒険者稼業は街の雑用とは違う。碌な報酬無しにやるには向いてないにも程があるって職だ」
ゆっくりと、言い聞かせるようにアバルは説明した。
しかし、ソフィアは固い意志を伺わせるように、またも「大丈夫です」とすっぱり返事をするだけだった。
アバルは首を振って、更に続ける。
「君が大丈夫でも、ウィザードはそもそもが金食い虫だ。君の分の配信魔法の使用料が払えなければ使いものには――」
「それも、大丈夫です」
アバルは言葉を止めて、眉を疑わしげにひそめた。大丈夫? 一体何が?
ソフィアは、突然自らの身に着けている簡素なシャツの首元に手を伸ばした。一番上まで閉じられたボタンを一つ二つと外して、大きく胸元を見せるように服の襟元を開く。
白く滑らかな肌と、細い鎖骨が露わになる。
(なんだ……?)
なにか違和感を覚えて、アバルは疑問の声を上げることも忘れてソフィアに見入った。
ウィザードの少女。先ほども魔法を鮮やかに行使したドライアドの少女。
しばしそのまま視線をそそぎ、それからアバルが気がつくと同時に、ソフィアが呟いた。
「私は、『オリジナル・ウィザード』なんです。魔法の行使に、配信ギルドの助けは、必要ありません」
彼女が自ら露わにした首元には、ウィザードであれば……魔法を扱うものであればほぼ必ず着けているはずのものが――魔法の配信を受けるための通信機器である、マジック・アミュレットが、存在していなかった。
「私を、雇って下さいませんか、アバル・パーティーの一員に」
今度こそアバルは何か良い言葉を思いつくことも出来ず。
ただ、突然現われおかしな希望で雇われようとする少女を前に、沈黙したのだった。
(故郷も行くところもない、か……)
内心での呟きだけが、何処からとも無く自然に湧いて出た。