11 その意味は
(魔法の智恵)
グデイコとの食事を終えて街歩きに戻りつつ、アバルは自らの呟きを頭の中で反芻していた。
次に尋ねる予定の食堂を目指して歩きつつも、ふらふらと視線を漂わせるだけで、街のいたるところにそれらは見える。魔法の智恵――魔法という力の恩恵が。
遠目に見れば、街の姿は配信魔法が世に現れるより前、四十年以上前のものとさほど変わらないかもしれない。だが、こうしてその内部を歩いていれば、様々なところに数十年前にはありえなかった発展の結果を見出せる。
明らかに質の良くなった金属材によって作られた建材や荷車の部品。年々価格が下がりいまやそれなりの額で泊まれる宿にすら取り付けられるようになったガラス窓。露店で売られる、値は張るが暖かな季節には極上の楽しみとなる氷菓子の類。
配信魔法は魔法といっても何でもできるわけではない。大半の魔法はただ熱を生み出したり風を流したり水を凍らせたりといった単純な変化を起こすに過ぎない。
だがこの「過ぎない」は古代の真の万能の魔法に比べれば、である。魔法のない世界を過ごしてきた人々にとって配信魔法は凄まじい変化をもたらした。刀剣一つ作るにしても、炉の燃料を節約し、火力調節を容易にし、鉱山の探索範囲を広げ、流通の速度と確実さを底上げし、売買のための契約や交渉を商人同士が離れていても即座に可能とし……そうした大胆な変化が、ありとあらゆる場所で起こったのだ。
(もし、魔法の智恵を真に解放できれば)
と、アバルは夢想する。
配信魔法などという不完全なものではない。遺跡――封印墓所を探索し、かつての「賢者」がそうしたように、魔法の智恵を持ち帰ることが出来れば、魔法はより万能に近づくだろう。
そうなれば、世界はより発展の道を進む。生産、物流、医療……様々な場所で革命的な進歩が起こるだろう。豊かさを人々は手にするだろうし、今までは匙を投げられていたような病人・怪我人も救われるかもしれない。
そこまで考えて、アバルはその明るく薄っぺらな想像の裏側に意識を伸ばす。
(救われるかもしれない――だが、その逆もまた、だ)
魔法は人の慈悲だけを実現する力ではない。アバルたち自身、遺跡の探索のために魔法の力を武力として行使している。
配信魔法が世に広まって以来、人間同士が敵対勢力を打ち倒したり、開拓中に原住民を追い出したりするために、その便利な力は散々振るわれている。世界中にそうした事例がある。このミディールの街があるタラニス国でもそうだったと、つい最近ソフィアに話されたばかりでもある。
弾圧や虐殺に魔法が使われるのは珍しい話ではない。魔法のもたらした豊かさによって世界の人口は増えたというし、幸福の総量も増えたとされている。しかし魔法による死者も、不幸も、同時に存在している。配信魔法ギルドという存在もその一つかもしれない。力を独占しそれを元に凄まじい富を集め権力を手にし、今ではやりたい放題だ。
「ずっと、願っているものなんだがな」
足を止めて、アバルは息と共に誰にも聞こえないような小声で呟きをもらした。
かつて自分が所属していた伝説的なパーティー。そのパーティーで常に自分の傍らにいた優れた少女。彼女がずっと求めていた、魔法の智恵。
(願いを継いで、ここまできた。遺跡に潜り続け、仲間を集め、ここまで。だが……)
だが、その意味はどこにあるんだ?
恐ろしい問いが、意識してしまえば、心の底からどろりと染み出してくる。
便利な力。魔法の力。彼女が――アリシアがアバルと共に素晴らしい実力者を集めたパーティーで求めていた魔法の智恵。彼女がそれを求めたのは、世界の不幸を減らし、悲惨な境遇に晒されねばならない人間を救い、減らすためだった。そんな考えに共感しアバルもまたアリシアと共に遺跡に臨んでいた。多くの不幸に見舞われ多くを失いそれでも懸命に生き、価値を目指す彼女を、彼女のような人間を、幸福に導きたいと考えたからだった。
だが結局彼女は、アリシアは死に、世に出回っている配信魔法は暗黒時代を払拭した変わりに多くの新しい社会的病理を、闇を、不幸を生み出している。
意味があるのか? と、時折、アバルはそんな言葉が自然に意識の奥に浮かび上がってくることを止められない。
疑念が募っていた。魔法のことだけではない。そもそも新たな変化を求めあがくことの意味はなんだ? 魔法にしろなんにしろ、変化は不幸を消すと同時に新たな不幸を呼び込むのだ。新しい金属の製造法は農具を便利にしつつ戦争を一層凄惨なものにする。どんな時代の人間も、革新的な技術や進歩がなくとも生きてはいける。その時代の幸不幸を飲み込んで生きていくだろう。では一体、新しいなにかを求める意味とは何だろうか?
願いを継ぐ。それがアバル自身の今現在の願いだった。
だが、その継いだはずの願いとは何だったのか。
古代の人々は万能の力を得て、結果滅びかけた。
現代に生きる自分は、では何を得て、どうなろうというのか。
アバルは自問して、答えを出せぬままに頭を軽く振って歩みを再開した。心に抱えた問いは、この数年間ずっと考え続けていることだった。容易に振り払えるものでも、無視できるものでもない。
ただ、今は動かねばならなかった。魔法の智恵を手にするにしろしないにしろ、何もしなければ借金地獄の末に人生お終いになってしまう。
頭の中の疑念から逃れるように早足で歩きはじめながら、なんとなしにアバルは誰かの顔が頭に思い浮かぶのを感じていた。一瞬それは記憶の中のアリシアの像をとり、しかしすぐに変化した。艶やかで鮮やかな緑色の髪と、淡く深い花色の瞳。ややたよりなさげな幼さを残した輪郭に、小さな鼻や口元。
新しく雇ったオリジナル・ウィザードの少女を、どうしてか思い浮かべつつ、アバルは足を動かし続けていた。
*
数日かけてアバルはミディールの街を歩き回った。「冒険配信」というわけの分からない商売に加担してくれる宿なり食堂なり――とにかく人を集められる、集めるに相応しいスペースを見つけるためだった。
映像を映すに相応しいスペースとそれを観覧するそれなり以上の席数をもち、街の区画ごとの客層やアクセスの利便性なども勿論考慮しつつ、その上で協力してくれそうな店をピックアップし、話を持ちかける。
結果的に、顔なじみの店や、経営に困った店など複数の店舗からそれなりに良い返事を取り付け、その中から数軒の食事処を選び試験的に「動画配信」を行うこととした。
次に行ったのは、ソフィアの魔法――逆遠隔視の魔法のテストだった。魔法の効果は魔法の種類によって概ね決まるが、術者の力量によってその威力や精度、持続時間などに差が出る。ソフィアは天性のものか非常に熟達した術者であり、半日ほどかけて分かったのは、精神的な集中度合いにもよるが一度の詠唱で最大二時間ほどもその効果を持続できるということであった。送る視覚像自体も問題なく見栄えのするものであり、あらかじめ送る先の場所を覚えて意識すればかなり距離が離れていても正確に視聴覚を――動画を送ることが出来る。
「で、準備は一応急ピッチだが整ったわけで」
夜。いつも泊まる宿の食堂にて、アバル・パーティーはまたも一つのテーブルに着き、顔を突き合わせていた。
「あと残る問題といえば」
「何を映すのか、ですね」
アバルの言葉にリコリスがそう続ける。急な話を急に進めてきたがために、根幹となる部分が――つまりは配信する動画の内容についての詰めが、なんとも曖昧なままだった。
少しの間、アバルたち四人は揃って顎に指を当てた考える人のポーズを取って沈思した。
「まあオーソドックスに迷宮低層辺りの紹介から行くか? 簡単な構造とか景色とか」
「なぁんか、でもそれ、パンチが足りないって気がしない?」
提案してみたアバルに、フェーリスが微妙そうに首を捻る。と、その隣に座るリコリスが、さっと片手をあげて見せた。学生でもないのに何のポーズかとは思ったが、疑問を飲み込んでアバルは彼女を指した。
「はい。リコリス」
「やっぱりここは、古代文明の壮麗さと複雑さと歴史的価値と現代に及ぼした美術的・文学的価値の文脈について実地を映しながらの解説を、そもそもの封印墓所の建設年代の社会史と交互に語ることで総合的な魔法時代の人間社会の精神的な」
「よし分かった。分かったことにしとけ。他には? フェーリスは何か無いか?」
「うーん。じゃあほら、やっぱ大勢を惹きつけるって言ったら歌とか踊りじゃない? 何かもうこの際街から綺麗どころの女の子スカウトしまくってさ、五十人くらい集めて迷宮内からコンサート配信しようよ。各メンバーにファンから投票とかさせて順位決めてステージの立ち居地とか決めてさ、グッズとか一杯作ってそれに投票券つけるとか」
「なんだその斬新な商売」
「あ、じゃあアバルさん、小さな虫をびっしり詰め込んだ浴槽にアバルさんが下着一枚で浸かるとかどうです? きっとすごく吃驚しますよ皆!」
「だんだん方向性が間違ってないかな。ソフィアはなんだろうどさくさに紛れてなんか俺に殺意でもあるのか。そもそも冒険者とかもう関係なくなってるし」
そんなこんなで喧々諤々の議論の末。
「とりあえず。それぞれで色々やってみるか……?」
という、なんともおぼろげで頼りない結論だけが、産み落とされたのだった。