1 冒険者の春
かつて、広く世に名を知られた名パーティーが存在した。
パーティーの名は、『ワイズ・ウォーカー』。
メンバーは六名。二名の戦士と、一名の盗賊、三名の魔術師。最もスタンダードでシンプルな構成だった。だが個々の実力は、スタンダードなどというものではありえなかった。盗賊ははるか過去から遺跡探索を生業としていたベテランであったし、魔術師は皆高位魔法を行使することの出来るハイ・ウィザードだった。
そして勿論、戦士もまた厳しい修練と過酷な実戦に鍛えられた熟達者だった。
パーティーは、その技能を活かし快進撃を続け、名を世に知らしめた。最も有名な実力者集団、冒険者としての理想像だなどと語られた。
冒険者――未開の地を切り拓き、種々雑多な厄介ごとをその身に引き受け、古の時代の遺跡に潜り途方もない価値を持った遺産狙う……世の広くを流れ生きる人々のことだ。
ワイズウォーカーは、一時その中心に存在した。大いなる実力と栄光。彼らは、冒険者稼業の中でも最もホットな事柄、古代の大遺跡の探索に乗り出し、誰もが達したことの無い深みまで至った。
冒険者の春、などと人は現代をそう呼ぶ。ワイズウォーカーはそれを体現していた。
かつて単なる放浪者、流れ者、路上生活者といった程度の意味合いで使われていた「冒険者」の語は、現在では危険とロマンと稼ぎを天秤にかける、あるいはまとめて飲み下す者を指すようになっている。
だが、どんなものでもそうであるように、僅かな風向きの変化が、瞬きするほどの間に起こるような些細な事柄が、物事を大きく変えてしまうことはある。
ワイズウォーカーもまた、そうした摂理からは逃れられなかったのだった。
かのパーティーもまた、ある時潰れ、滅び、姿を消したのである……。
*
何か、慣れ親しんだ悪夢を見たような気がして、男は目を開いた。
暗さに沈んだ迷宮の中、眠りから最も早く覚めたのは、その男……戦士であるアバル・グラストンだった。足音、息遣い、そうしたものを感じ取った彼は素早く起き上がり、そして目覚めをもたらしたものの正体をすぐに見つけた。
冒険者たちにとってのホットスポットの一つ、ミディール遺跡と呼ばれる広大なダンジョンの奥深く――深層と呼ばれる深みに程近い場所で、彼と彼の仲間の寝込みを襲ったのは、巨大な体躯を誇るドラゴニュートであった。
人のように四肢を持ち、二足で歩行し腕は人と同じく自由に振るうことが出来る。だが人とは異なり恐ろしい巨体と強靭な生命力、ウロコと翼、そして竜の頭を持つ怪物である。
ドラゴニュート、竜人は、アバルが飛び起きたのを見るや、魂まで震えそうな恐ろしい大声で雄たけびを上げた。
「抑える! 援護しろ、フェーリス!」
負けじと叫びながら身体を起こし、アバルはいつもは腰に下げている剣を寝床としていた毛布の上から剥ぎ取るように手に取って抜刀した。手入れの成された刀身に一瞬だけ彼自身の容貌が映りこむ。
中肉中背ではあるがよく鍛えられた肉と骨。みずみずしい若々しさを多分に含みつつも未熟さはほとんど含まぬ精悍な顔つきの上で、短めに切られた黒髪が揺れている。焦げ茶の瞳は鋭く引き絞られ、眼前の敵をはっきりと捉えていた。
「ふっ!」
短く呼気を吐き出し、アバルは踏み込んだ。右手に片手用の剣を持つほかには何も持たず、重々しい鎧も身に着けてはいない。
竜人の反応はその巨体に見合わず素早かった。腹を狙って切っ先を振るうアバルに腕を振るうことで対応する。人体など熟れた果実より容易く引き裂き潰せそうな逞しい腕とその先に付いた爪を、アバルは刀身を上手く当てることで逸らし、その隙に体勢を変えて剣を持つ手首を返す。
跳ね上げるようにしてウロコに覆われた首筋を斬りつける。鮮やかな一連の流れに竜人は対応できずもろに一撃を受けるが、多少怯むのみで、鎧のようなウロコに覆われた体皮には傷らしい傷も付いていない。
だがそれで十分だった。怯み、動きを止めた竜人の左目に、アバルの背後より飛来した投擲用のダガーがものの見事に突き刺さる。
「当ったりぃ! ひゃっほいどんなもんよー!」
元気の良い声が響く。
「よくやった!」
アバルは快哉を上げた。援護は、背後に控える仲間の一人、盗賊の少女のものだった。尋常ではない動体視力と反射神経と運動能力をもつ彼女が、敵の目を射抜いたのだ。喜ぶ彼女は、細い体躯でぴょんぴょんと無意味に跳ねている。首の上には、猫のような動的な煌きに満ちた、やや吊り気味の瞳と、そして実際猫なのではと思わせそうな柔らかな毛に包まれた獣の耳を有した頭部がある。薄く細くしなやかな肢体と、首元まで伸ばしたやや癖のある黒髪が尚更猫を連想させる。
更に別の女性の声が、こちらは先の声とは対照的に低く静かに、しかしはっきりと、明朗に響き渡る。飛び跳ねる少女の傍らで、半ば目を閉じ集中する彼女は、シーフの少女と対照的にやや大人びた落ち着きが全身にあった。長く美しい暗い色の髪と、長い睫、細い顎、そして迷宮の暗さの中でも色の分かる唇、高価そうな薄いレンズの眼鏡――そのどれもがあまり迷宮には似つかわしくない。
「凍天の覆い、憐憫の玉座、地と血震いて固着する……小さく跳ね続けよ!」
詠唱が、その彼女の唇から漏れ、発せられ、区切られる。彼女は、魔術師の中でも特に治療魔法や補助魔法に秀でた司祭であった。
彼女の声の終わりに応じて、アバルの眼前にふっと何かが現われた。ほとんど不可視のそれは、軽く空気を震わせ、そして空間に一時的に固着した。
竜人がまたも嘶き、全身をしならせて両腕をアバルに向かって叩き付けるように突き出した。恐ろしい勢いと重量が乗ったその打撃は、人間の筋力では対応できるものではない。
が、巨大な爪の先はアバルの眼前で耳障りな衝突音を響かせると、大きく弾かれる。
魔法によって生み出された防護障壁が更に続けて二度、竜人の突撃を防ぐと、その隙にアバルは相手の側面に回りこみ脇腹に向かって数度剣を振るう。今度も傷は付かないが、敵の注意を引き、逸らすことには成功する。
そろそろだ、と判断して、アバルは片目だけ背後の仲間を振り返り、叫んだ。
背後に控える最期の仲間――パーティーの攻撃の要となる者へと。
「今だ、ぶちかませ!」
声は、先の二人に向けたものではなかった。強靭な皮膚とウロコを持つ竜人を仕留めるならば、戦士も盗賊も力不足である。有効なのは、人知を超えた力を持つ一撃のみ。
一際強く力を入れて竜人の膝裏を剣で掻き裂き、悲鳴を上げて体勢を崩す相手から飛び退きつつアバルは大きく振り返った。
そこには、アバルたちが稼いだ時間を利用して集中し、詠唱し、前時代の英知の結晶の欠片たる魔法のなかでも一際強力な攻撃魔法を扱う者、パーティーの攻撃の要、人の身で最も大きな力を持つ高位魔術師が、轟然と立って――
いなかった。
「……ぉお?」
虚を突かれて、思わずアバルは変な声を出して動きを止めていた。
パーティーで雇っていたはずのウィザード……強力な攻撃魔法を修めた魔術師の姿は、何処にもなかった。ただ、その魔術師が寝ていたあたりの地面に、小さな紙切れが落ちていることにだけ気がつく。
「なんだそれ」
訊くともなしに呟くと、未だ小躍りを続けていたシーフのフェーリスが、ひょいとそれを摘み上げた。
「あ、これ、辞表だって」
けろりと言ってのける。ひらひらと彼女が揺らすその紙切れには、よく見れば細い字で『探さないでください』と書かれている。
「辞表?」
「そう。キャシー、夜中に出てったから。なんか、思ってたより迷宮探索ってつらいし疲れるし冷え性がどうとかで嫌になったとかって。これ、『置いとくね』、だってさ」
「あ、そうなの? 何その理由。ていうかとめようよそこは」
「夜中だったしいつの間にか消えてたし私も寝ぼけてたし、難しいよそんなの」
「そうか」
言って、アバルは一つ、落ち着いて息を吐いた。ぽりぽりと切なげに頭など掻きつつ、ゆっくりと背後に向き直る。
「あー、その、そういうわけなんで、すみませんが今日のところはお開きということで一つ――」
言い終わらぬうちに、傷の痛みから立ち直り憤怒の色を強く瞳に灯したドラゴニュートが、額に青筋っぽいものを浮かべながら思い切りとび蹴りをかましてきたのだった。