9.勇者の末裔
《魔王》イザールがこの大陸を支配するのにそれほど時間はかからなかった。
単独で国を滅ぼす力を持っていたイザールは六つの魔剣を操り、刃向う者を悉く滅ぼした。
剣技や魔法といった類のものではなく――純粋な力。
生まれ持った強さゆえに、魔王イザールは最強の強さを持っていた。
そんなイザールを唯一倒した者――その男の名はレシル・ヴァリィ。
四人の仲間と共に、イザールを打ち滅ぼした最強の男だ。
イザールも死の間際にそれを認めた。
きっとこれより先に、生きていたとしてもイザールをここまで驚かせる者は現れないだろうと――
***
「レーナ、どうしたの?」
「うん、ちょっと待って……」
ここはレーナの家。
その洗面所で、鏡を前にレーナは深呼吸をしていた。
今は一糸纏わぬ姿で、この状況を必死に受け入れようとしている。
スフィアはすでに――先に浴室にいた。
(まさか、こうなるなんて……)
スフィアの世話をしばらくしたいと、レーナから申し出た。
けれど夜になって、一緒にお風呂に入る事になるとは思っていなかった。
考えてみれば普通の事だ。
スフィアからすれば、歳の近い女の子同士――ましてや怪我をしている身だ。
一緒にお風呂に入るくらい、普通の事なのだろう。
だが、レーナは違った。
(女の裸なんて、まともに見た事ほとんどないんだけど……!)
ぎゅっとスフィアは手を握る。
魔王だった頃も女性の裸を特別見ようとも思っていなかった。
それが今、こんな風に逆効果になって出てくるとは思わなかった。
「レーナ?」
「今いくよ……」
あまりスフィアを待たせるわけにもいかない。
レーナは意を決し、浴室へと入る。
そこには当然だが、裸のスフィアが待っていた。
包帯を取っている状態で、背中の部分は腫れているのが分かる。
けれど、全体的に見れば健康的な肌色をしていた。
ボーイッシュとはいえ、改めて裸を見ればよく分かる。
スフィアは女の子だった。
「どうしたの?」
「いや……」
今までとは違い意味で、胸の鼓動が早くなる。
この経験も初めての事だった。
(いけない……魔王だった頃にこんな動揺はしなかったよ)
レーナは心を強く持ち、平常心のままスフィアの後ろに座る。
今日はスフィアの身体を洗う約束までしてしまったのだから、どうしようもない。
レーナは極力見ないようにしながら、スフィアの身体を洗っていく。
「ふ、ふふっ、ちょっとくすぐったいかも」
「ご、ごめん」
「ううん。気持ちいいくらいだよ?」
そんな風な会話をしながら、レーナは何とか平常心を保ちながらスフィアの身体を洗う。
特に、背中の部分はまだ腫れているので優しく洗った。
改めて見ると、レーナと比べても変わらないくらい小さな身体つきをしている。
(これで普通にCランクの冒険者なんだから、天才なんだよね……)
魔剣がなかったら普通の女の子だったレーナとは違う。
スフィアはきっと、将来有名な冒険者となるだろう。
一方のレーナはどうだろうか。
将来に夢があるわけでもない。
ただ、この村で静かに暮らしていければいい――そんな平凡な願いを持っているのがレーナだった。
(わたしのやりたい事……)
もし叶うのなら、スフィアと一緒にいたい。
今の話ではなく、これからも。
そう願い始めている事に、レーナ自身も驚いていた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。ボクはお風呂にはまだ入れないから、先に上がるね」
「あ、うん……」
スフィアが先に浴室から出る。
レーナは一人、湯船に浸かって考える。
これからすべき事――レーナがしたい事はなにか。
(……するべき事は、あるみたい)
そうレーナは考えて、静かに窓の外を見据えた。
***
「すぅ……」
「……」
スフィアにベッドを明け渡すつもりだったが、それではスフィアが落ち着かないと結局一緒に寝る事になった。
先ほどまではスフィアも起きていて、一緒に話をしていた。
ようやく、スフィアが眠りについたのだ。
レーナはそんな安心した表情のスフィアの顔を見る。
「こうして、普通に顔が見られるようになって嬉しいな」
少し前まで、スフィアと顔を合わせるだけでも胸の鼓動が高鳴りつらかった。
今でも少し鼓動は早まるが、前に比べればましだ。
むしろ、程よい緊張感がレーナの気持ちを高ぶらせる。
(少しだけ、なら)
レーナは眠るスフィアの横顔に、顔を近づけて――軽く触れるようにキスをした。
すぐに、自身のやった事に驚いてスフィアから離れる。
(こんな事……していいわけないのに)
「ごめん、スフィア」
そうスフィアに謝罪をして、レーナはベッドから出る。
赤くなっていたレーナの表情は、気がつけば真剣なものとなっていた。
部屋に置いてあった《魔剣》を腰に提げると、そのまま家から出る。
一人でしばらく、月明かりに照らされた村の中を歩いていた。
目指す場所は村から森へと続く道――その付近で、レーナは足を止める。
「そろそろ出てきたらどう? いい加減、見られているのは好みじゃない」
「ほほほっ、気付いていたとは驚きだ」
レーナの言葉に反応してでてきたのは、鳥のような仮面を付けたローブの男だった。
身体は細く、人間身のあるような動きをしていない。
レーナはそれを見てすぐに理解する。
(魔族か……)
魔族――《魔界域》と呼ばれる場所に生きる種族であり、かつてレーナは魔族であった。
魔王とは、魔族達を束ねる王の事なのだから。
こんなところに魔族がいる事に驚きだったが、レーナは表情には出さない。
スフィアの前以外でのレーナは、どこまでも冷静だった。
「わたしに何か用?」
「少し違う。用があるのは君の家にいる少女の方だ。もちろん、君にも興味はあるが」
「スフィア?」
レーナは首をかしげる。
この魔族の男は、レーナではなくスフィアに用があるというのだ。
魔族の男は小さな声で笑いながら、
「スフィアというのか。あの勇者の末裔は」
「――え?」
そう、男は口にしたのだ。
「勇者の、末裔?」
「ほほほっ、なんだ。知っていて一緒にいたのではないのか。魔剣を持つ少女よ」
「どういう事……」
「私もつい先ほど気付いたばかりでね。君がレッド・オーガと戦っていた時――その背後に倒れた彼女の手には、確かに《勇者の紋章》が浮かび上がっていた」
男の言葉に、レーナは目を見開く。
それに説得力があったわけではない。
けれど、レーナも理解してしまった。
スフィアがどうして、あそこまで勇者に似ているのかを。
考えれば当然の事だが、そんな偶然はあり得ないとレーナ自身考えなかったのだ。
スフィアは、かつてイザールという魔王だったレーナを殺した男の末裔。
自身を殺した男の末裔なのだ。
それを踏まえた上で、レーナの辿りついた答えは一つだった。
「そっか――よかった」
「よかった……?」
レーナの気持ちは、変わっていない。
スフィアが勇者の末裔だったと知っても、レーナはスフィアの事を嫌いにならなかった。
今の気持ちは何一つ、変わっていない。
(やっぱりわたしはスフィアの事が好きなんだ)
そう確信できた事で、レーナは嬉しい気持ちでいっぱいになった。
だからこそ、目の前の男には感謝しなければならない。
どんな目的で来たのか知らないが――いや、スフィアに用があるという時点で分かっているが、それでもレーナは男に感謝をした。
「ありがと。お礼にあなたは――殺さないであげる」
「ほほほっ、大層な自信だッ! 我が名はベイザル! あなたを殺す者の名を、胸に刻んで逝くがいいッ!」
男――ベイザルが動く。
ローブを広げるようにして、レーナへと飛びかかろうとする。
鋭い爪のような物がいくつも、その隙間から見えた。
けれど、レーナには一切関係がない事だ。
ヒュンッと軽く魔剣を振るう。
その瞬間――ベイザルはまるでボロ雑巾のようにその場から吹き飛ばされた。