5.元魔王様
ミシリッと軋む音が周囲に響く。
レーナは魔剣を手にしたまま、倒れたスフィアの前に立つ。
《レッド・オーガ》も突然の来訪者に驚いた様子はない。
だが、華奢なレーナがそこらにある大木以上に頑丈な事には首をかしげていた。
レッド・オーガの一撃を、レーナは受け止めていたのだから。
ちらりとレーナがレッド・オーガを見る。
一瞬視線が交わった時、後方へと下がったのはレッド・オーガの方だった。
――威圧感。
圧倒的な力の塊がそこにはいる。
そんなレーナがレッド・オーガと対峙して心に思っていた事は、
(う、うわああっ! どうしよう!? どさくさに紛れてわたしの物とか言っちゃった……! まだ出会ったばかりなのに……!)
ぶんぶんっ、と恥ずかしさのあまり魔剣を持った方の手を闇雲に振る。
そのたびに、大気が揺れ、大地が鳴動した。
そんな事にレーナは気付かず、ただ自身の発言を思い返す。
レーナにとっては、それは告白にも近い発言であった。
この国から今日からわたしのものだ、みたいな曖昧に国取りする魔王の時代とは違う。
個人に対しての告白のようなものだった。
勢いとはいえ、そんな事を口走ってしまう自分にも驚く。
スフィアを自分の物にした――それがレーナの素直な気持ちだという事だ。
レーナはそっと後ろで倒れているスフィアを見る。
スフィアは、すでに気絶していた。
ここに来た時にはまだ意識はあったように思えたが、レッド・オーガの一撃はそれほどまでに凄まじかったようだ。
(よかった……聞かれてないみたい。聞かれてないよね?)
実際には、確かめようのない事だった。
「ウォオオオオオッ!」
レッド・オーガが雄叫びをあげる。
恐怖心を拭い去るような、そんな叫び。
レーナに対して、今度は勢いをつけて巨腕を振り下ろす。
「聞かれていなかった事にしよう。それはそれとして――」
ヒュンッと風を切る音が周囲に響き渡る。
レーナが魔剣を振り下ろした。
ドンッ――とレッド・オーガの腕が地面を抉る。
「――ガアアアッ!?」
その腕は勢いよく地面に突き刺さったまま、動かなかった。
すでに、大きな腕とレッド・オーガは分断されてしまったからだ。
本気を出せば腕ごと消し飛ばす事も可能であったが、近くで倒れているスフィアを巻き込まない保証はない。
それに――そんな程度で倒してしまってはレーナの方が満足できなかった。
「初めてだから。一人のために魔剣を振るのは」
その剣先を、レッド・オーガに向ける。
片腕を失っても、その闘争心は消え失せてはいない。
身体の支えがない状態でも、まだレッド・オーガは腕を振るう事ができる。
身体を前に倒しながら、もう片方の腕を遠心力に任せて振るおうとする。
「あ、でも時間はかけられないの。スフィアを連れて村に戻らないといけないから」
そうレーナが告げ、魔剣を振り上げる。
再び風を切る音が周囲に響き渡り、レッド・オーガが動きを止めた。
何が起こったのか、分からないといった様子だった。
ずるりっ、とレッド・オーガの身体が縦に分断させる。
そこで完全にレッド・オーガは死を迎えた。
さらにレーナは魔剣を振るう。
すると、レッド・オーガの死体は煙のように消滅した。
レーナは魔力を凝縮させて、それを刃のように放つ事ができる。
以前ブラック・グリズリーにやった事は、適当に力を放出させた状態だ。
今はその力を一本の刃のようにして放った。
周囲に大きな被害が出る事もなく、ただ目の前にいる敵を確実に切り伏せる。
ただ、レッド・オーガの背後にあった木々がいくつか綺麗に二つに割れていくのも見えた。
(加減はしているつもりなのだけれど……)
それでも、まだ力を出し過ぎてしまっている。
久しぶりに魔剣の力をしっかり解放したつもりだったが、やはりスフィアの前だとどうにも調子が狂うとレーナは感じていた。
魔剣を納めながら、くるりと反転する。
倒れたスフィアに近づいていった。
「怪我は、してないかな?」
少し離れたところから、スフィアの様子を確認する。
出血は少し見られるが、大きな怪我は目立っては見つからない。
ただ、打撲や骨折などはいまの状態では分からない。
苦しそうな表情のまま気絶しているが、レーナはスフィアに触れる事を躊躇っていた。
本当なら、すぐにレーナが抱えて村に戻れるべきところなのだが。
(わ、わたしが無事でいられるかな……)
ただでさえ――近くにいるだけでも心臓の鼓動は早くなり、顔まで熱くなってしまう。
そんな状態なのに、スフィアをそもそも抱えあげるような事ができるのだろうか、と。
レーナは軽く深呼吸をしてから、スフィアに近づく。
スフィアは時折、小さくうめき声を上げていた。
(急がないと……)
そう思って、レーナはスフィアの身体に触れる。
健康的な肌色が目に入り、目を瞑ったままのスフィアを見てレーナの鼓動はやはり高鳴った。
(くぅ、こんな時にも興奮してるみたいに……もしかして
わたしは変態なのかな――いやいや! 今までこんな事なかったし……)
背中に背負うのがいいかとも思ったが、レーナは抱えるようにしてスフィアを持ち上げた。
その方が運びやすいからだったのだが、そうすると想像以上にスフィアの顔が近い。
(それに思ったより軽いし……)
「んっ……」
「……っ!」
スフィアが吐息のような声を漏らすと、レーナはぴたりと動きを止めた。
スフィアが目覚めたわけではない。
レーナはほっと胸を撫で下ろし、
(何で安心したみたいな……べ、別にやましい事とかしてないしっ)
レーナはそこから、極力スフィアの方を見ないようにして歩き始めた。
走って戻る事もできたが、スフィアに負担がかからないようにしたのだ。
そして、スフィアの声が聞こえるたびに動きを止めながら、レーナは村の方へと戻っていった。