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4.スフィアという少女

 少女――スフィアは森の中を駆ける。

 草木など気にする事もなく、すり抜けるように駆けていく。

 身軽さだけで言えば周囲の冒険者に劣る事はないと思っていた。

 自身に足りないものを挙げるとすれば、それは力だ。

 今のスフィアに使えるレベルの剣技と魔法では、それこそCランクの冒険者という評価が妥当だと言える。

 周囲からは、十四歳という年齢でその位置にいる事は天才だと言われた。

 そうやって――言われ続けた。

 その期待に答える事が、スフィアも使命だと思い始めていたのだ。

 ただ、一つだけ違う事があるとすれば――一人の少女に出会った事である。


「っ!」


 加速していたスフィアが突然、足を止める。

 鬱蒼とした木々の間――昼間だというのにそこは少し暗くなっていた。

 精霊達の声は、幼い頃からそれはよく聞こえていた。

 低位精霊となると、感情が理解できる程度でしかないが、今の状況はよく分かる。

 怖い、恐ろしい――そんな声のような感情がスフィアには届く。

 ここにいる精霊達が怯えるような存在が、この森にやってきているという事だ。


「何か……いる」


 スフィアにも分かる。

 ここまで近づいて、ようやく気付いた。

 ズンッ――という地面を揺らすような音が耳に届く。

 それは一歩、また一歩と地面を鳴らすが、確実にこちらの方へとやってきている。

 その方角は――ウェヘルの村に続いている。


「ふぅ……」


 スフィアは小さく深呼吸をすると、腰に提げた剣を抜く。

 自身の身体に合わせたシンプルな直剣――それがスフィアの得物だった。

 スフィア自身を体現するかのようなシンプルな剣技であり、スフィアが極めたいと思っている剣技だ。

 ズンッ――また一歩、今度は大きな音が耳に届いた。


(来る――)


 スフィアは直感する。

 次の一歩で、その姿が視界に入る。

 そうスフィアは理解した。

 パキリ、パキリと地面に落ちた枝を踏みつぶす音が響く。

 揺れによって落ちる葉がゆらゆらと揺らめいていた。

 スフィアが構える。

 その姿を確認するだけ、レーナにはそう言っていた。

 けれど、スフィアにはもうその選択肢はなかった。

 なぜなら、この魔物は村の方へと向かっているからだ。


(ごめん、レーナ)


 心の中で謝罪をする。

 きっと、彼女が村の人達に伝えてくれるだろう。

 スフィアにできる事は、ここで少しでも時間を稼ぐ事。

 逃げ切る時間だけでもいい。

 他の冒険者がここに来られるならそれでもいい。

 とにかく、ここでこの魔物を食い止める――それがスフィアの役割だ、と。

 ズンッ――再びその足音が耳に届いた。

 そこで暗い森林の奥地に、魔物の陰が見えた。


「っ!」


 スフィアが息を呑む。

 視界に入ったのは、赤くて太い大きな腕。

 足音だと思っていたそれは、巨腕が地面につく音だった。

 ズンッ――再び地面を抉りながら、もう一歩その魔物が前に出る。

 そこで、スフィアは魔物の正体を理解した。


「レッド……オーガ……!」


 《大鬼種》と呼ばれる魔物であり、《レッド・オーガ》はその中でも強力な種類だった。

 俗に言うゴブリンやオークという魔物達の上位種であり、そのランクは冒険者でいうところのAランク相当に値する。

 冒険者のランクというのは実に正確で、Cランクの冒険者と評価されたのならば、その冒険者はCランク程度の魔物にしか勝てないという事になる。

 だからこそ、ランクを把握する事は重要な要素であり、自身より上のランクの魔物とは戦わないようにするという指標にもなる。

 けれど――戦わなければならない時は誰にだってやってくる。

 スフィアにとっては、今がその時だった。


(怯えるな、怖がるな。恐怖は動きを鈍らせる、から)


 震える剣先に、スフィアは自身をなだめるように言い聞かせる。

 この時ばかりは、ランクの差という事実を理解してしまっている事を後悔する。

 それでも、スフィアは後退しない。

 向こうがこちらに気付く前に、スフィアは目を瞑る。

 以前ならば、スフィアを助けてくれる人はいた。

 その人の下を離れて生きると決意してから、自身より強い魔物と戦うのは初めての経験だった。


「――っ」


 スフィアが地面を蹴る。

 真っ直ぐ進んでくるレッド・オーガに対し、先手を打つためだ。

 ズンッ、と再び地面に腕をついたところで、レッド・オーガもスフィアを視認する。

 スフィアも、レッド・オーガの全容を確認した。

 体長にしておよそ五メートル。

 木々よりも太い腕を持ち、上半身も筋肉質で大型。

 それに対し、下半身は少し心もとないくらい小さい。

 けれど、レッド・オーガの武器となるのはその大きな腕だ。

 ギリギリと牙を噛みしめながら、スフィアの姿を見たレッド・オーガは咆哮する。


「オオオオオオッ!」

「――」


 一瞬、スフィアの身体が恐怖心で怯む。

 けれど、止まる事はない。

 剣を地面に走らせながら、スフィアはレッド・オーガの腕を切り上げた。


「はっ!」


 ザンッと手応えと共に、スフィアの剣はレッド・オーガの皮膚を切り裂いた。

 レッド・オーガも反応する。

 斬られた腕を軸に、反対の腕を大きく振りあげる。

 さらにもう一撃――スフィアが剣を振り下ろす。

 十字のような傷ができ、そこから出血する。

 レッド・オーガに与えた傷はそれなりに深い。

 スフィアの剣技が通用する。

 すぐに、スフィアはその場から移動する。

 ドォン、という大きな音と共に、スフィアの背後に赤い柱のような腕が振り下ろされた。

 地面を抉り、衝撃で周囲の木々が大きく揺れる。

 けれど、スフィアの動きがレッド・オーガについていけないわけではなかった。


(いけるっ!)


 スフィアは確信する。

 レッド・オーガの動きは鈍い。

 スフィアも速い動きには自身があった。

 すぐに決定打を与えられるわけではなかったが、少なからずこの状態で均衡できる。

 スフィアはそう判断した。

 レッド・オーガの背後に周り、スフィアは背中から切り込もうとする。

 ヒット&アウェイの戦法だ。

 一度攻撃を与えてから距離を取り、再び隙を窺う。

 その戦法を取るために、二度目の攻撃を与えようとスフィアは地面を蹴る。

 そのとき、スフィアの視界の端に映ったのは、ふわりと浮かぶ赤い柱だった。

 今、スフィアはレッド・オーガの左側を抜けてきた。

 軸にしているのはその左腕の方だ。

 そちら側に右腕を振りおろしているのだから、まだレッド・オーガは攻撃に転じる事はできない――スフィアはそう考えていた。


(いや――違うッ!?)


 スフィアは咄嗟に気付く。

 その大きな腕を軸にして身体を支えている、それは間違っていない。

 けれど、軸にしなければ振りまわせないわけではないのだ。

 その腕を大きく振りまわす事くらい、レッド・オーガにとっては造作もない事だ。

 視界の端から見えなくなった赤い柱のような腕は、スフィアの正面から振り下ろされる。


(右――いや、左っ!)


 スフィアは一瞬で判断する。

 一度正面に向かったままの勢いを殺して、後方に跳ぶ事はできない。

 それではロスタイムが生じ、レッド・オーガの巨腕を直撃してしまう。

 そうなれば、スフィアの命はない。

 だから、あえて前方へと加速しながら、方向だけを変える。

 左側の方に身体を寄せながら、スフィアは赤い腕と交差するように走る。


 ブシュッ、とレッド・オーガの鮮血が見える。

 スフィアが傷つけた部分からと、すれ違い様に与えた剣撃が深くダメージを与えたからだ。

 だが――


「う、ぐっ!」


 スフィアも無理な体勢のまま、遠心力によって振り下ろされる大きな腕とすれ違った。

 その衝撃を全て避けられるわけではない。

 スフィアは身体ごと、衝撃で横に吹き飛ばされる。

 かろうじて直撃を逃れたが、それでもすさまじい勢いのまま、大木へと叩きつけられた。


「が、はっ――」


 叩きつけられた衝撃は想像以上で、スフィアの身体はすぐに動いてくれなかった。

 それどころか、頭を打ってしまったのかもしれない。

 手に握っていた剣すらもまともに握れず、かろうじて顔を上げてレッド・オーガを視認する事しかできなかった。

 まだ態勢を立て直していなかったレッド・オーガだったが、すぐにスフィアの方角に向き直る。

 スフィアが与えられたダメージなど、たった三撃程度だった。


(そん、な……)


 スフィアの判断は間違っていなかった。

 ただ、スフィアはレッド・オーガの攻撃を直撃しなくとも、動けなくなってしまう程度の冒険者だった。

 実力の差は不運とは言わない――あえて不運というのならば、この場にレッド・オーガがやってきた事だろう。


(こんな、ところで……)


 死ねない――そう思っても、スフィアの身体は動いてくれない。

 それどころか、意識まで遠のくのが分かってしまった。

 掠れた視界に見えるのは、レッド・オーガがこちらに向かってその腕を振り下ろそうとする姿。


(ああ、やっぱりレーナの言う事聞いておけばよかった、かな)


 最後に思ったのは、ここで出会った少女――レーナの事だ。

 スフィアより年齢が低い冒険者で、Eランクだというのにスフィア以上の力を使ってブラック・グリズリーを撃退した少女。

 その姿を見た時から、スフィアはレーナの事がずっと気になっていた。

 だから、今日一緒に森の中を歩けた事は素直に嬉しかったのだ。


(レーナなら、勝てたのかな。いや、でもやっぱり、危ないから……逃げてほしいな)


 スフィアに対して、レッド・オーガが腕を振り下ろす。

 ドォォン、という大きな音がまた周囲に響いた。


「……?」


 痛みがやってくるかと思ったが、スフィアには何も感じられなかった。

 薄れゆく意識の中、スフィアは力を振り絞って顔を上げる。

 そこには、華奢な身体をした少女の姿が目に映った。


(誰……?)

「悪いけれど――この子はわたしの物だから」


 そんな、聞いた事のある声が耳に届いたところで、スフィアは意識を失った。


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